第87話 彦島、冒険者ギルドにて
山口県下関市彦島の北にある港・南風泊。
かつては天然とらふぐの取扱量日本一を誇ったこの場所は、現在まったく違う姿でその名を知られている。
南風泊の岸壁から北に海を見れば、すぐ目の前には竹ノ子島。
その竹ノ子島の右手のはるか向こうには、六連島の姿が見える。
港から見ているとまるでその間をぬう様に、一隻の帆船が海鳥を引きつれゆっくりと波をかき分け進んで来ていた。
竹ノ子島と南風泊の間には防波堤があり、船はそれを避け大きく右旋回し斜め方向から港へと入港しようとしている。
そこに小さな船が近づいていく。
船体の周囲にタイヤを付けた奇妙な船――しばらく前からこの港で導入されたタグボートだ。
船舶の着岸・離岸を補助する役目を持つタグボートであるが、大陸においてはまだ存在していない。
というのも、大陸にはまだ蒸気機関などの動力を持つ船が存在しないためである。
蒸気機関そのものは大陸西部において開発されているが、まだ完全な実用化には至っていない。
更には日本との接触による技術革新で一気に飛び越えてしまう――可能性もあるのだが、これは余談であろう。
タグボートに押され、接岸した帆船から乗客たちが下りてきた。
剣・槍・斧・棍――様々な武器を持ち、鎧や兜を装備した一団。
見るからに危険な集団だが、港で働く人々はさして気にした様子もみせない。
なにしろ彼らがこの港に現れるようになって2年だ。
今や南風泊港は、彼ら「冒険者」の港として広く知られていた。
「あ~疲れた」
約10時間ぶりに大地を踏みしめ、背伸びするリタ。
その隣ではフリオが、肺腑の全てを吐き出すかのような勢いで深呼吸している。
博多湾から南風泊まで約10時間の船旅。それも、日本に来る際に乗船したようなフェリーとは違う帆船だ。
船に弱いフリオは出港早々あっさりと船酔いにやられ、ずっと船室で横になっていた。
「港町育ちの癖にどうしてこう……」
相変わらずの醜態にリタが溜息をつくが、こればかりは体質の問題である。
フリオ自身にもどうしようもない。
しかしリタにとっても、恋人の醜態など何度も見たい物ではないと言うのが偽らざる気持ちだ。
恋に目がくらんでいれば、その姿もまた恋しく見えるのかもしれないが、
(あいにくそこまで甘々な関係じゃないし)
そう内心で嘆息しつつ視線を周囲へと向ける。
石に様で石ではない――コンクリートという素材だったと以前日本に来た際にリタは説明を受けている――素材で舗装された埠頭に、今しがた乗ってきた船から積荷が下ろされていた。
降ろされた積荷は、待ち受けていた港湾労働者によって車の付いた台に乗せられ港の何処かへと運ばれていく。
陽は既に大きく傾いており、これから出港する船はさすがに無いのだろう。作業が行われている船はこの1隻だけであった。
積荷の降ろし作業を行っている者を除けば、今降りてきている人影は乗客くらいのもの。
その大半は2人と同じ冒険者である。
「ふーん……日本での冒険者の中心地って聞いてたけど、ちょっと期待外れね」
日本の港だけのことはあり、設備や建物はタンゲランと比べて立派な物だ。
けれど、先に見た博多の港に比べれば格段に見劣りする上、規模だけならばタンゲランにすら届いていない。
その上、人も少ないとあってはリタの感想も仕方ないだろう。
船から降りてきた者の内、冒険者は全部で20人程度。
その半分ほどの者も、リタと同じようにどこか拍子抜けした様子で港を見ている。
皆、事前に聞いていた「冒険者の中心地」という言葉を受け想い描いた想像とのズレが大きかったようだ。
残る半分の冒険者は、既にここを訪れていたのか、それともそういう興味がないのか、まっすぐに港の正面に建つ建物へと足を向けていた。
「あそこがギルド会館か」
周囲の建物より格段に新しく、また1つ飛びぬけて大きな建物だ。
館内には大勢の人がいる気配がしている。
この港に着いた冒険者は、まずあの会館へと向かうこととなる。
周囲の様子を気にしていなかった冒険者たちは、既にその中へと消えて行っていた。
「――さぁ、私たちも早く行きましょう」
「……うん」
フリオは弱々しく頷くと、リタに腕を引かれながらギルド会館北口へと足を向けた。
「――!」
「ふぁ……」
その中は喧噪と活気で満ち溢れていた。
「それじゃトツガワ水系の調査頼んだよ」
「おう、最終目的地はシングウだな」
「そうだ。ワカヤマ市の近郊に日本の軍が居るから一度そこに寄って補給するといい。未確認だが山中にも人里があるそうだ。それを探ってくれ」
「先日、ハビキノ、テンリ、ナバリを通りイセに向かう道が確保されましたが、途中のナラ市が目的地です」
「どこだよ?」
「この地図を見てください。ここテンリ市とナバリ市の間にナラ市が割り込むように――」
「お疲れ様です」
「報酬はこっちでもらう様に言われたのだが」
「ええ。こちらが討伐料20万です。全額、今お渡ししますか?」
「当然だろ!」
「はい。では、お疲れ様でした。そうそう、早速ですが次の依頼が来ているのですが」
「お、どんな――」
「ちょっと! そんなに急いで受けなくてもいいじゃないの!」
「そうだぜ。ちょっと骨休みしてからでいいだろうが」
「む。まぁそうだな」
「では、温泉などどうですか? 市内へ島から渡った場所に温泉がありまして」
「ん~それじゃ、さっき紹介されたニイミのカワモトダムのウンゴリアント討伐を受けようか」
「承知しました……あ、ごめんなさい。たった今、このクエストは別の方が受けてしまったわ」
「はぁ? どういうこった!?」
「先日導入された日本の道具で、他の支部との情報交換が即時可能になったの。それで、支部間で共有するクエストが導入されて――今のがそうだったのよ」
「よく分かんねーが、早い者勝ちのクエストだったんだな」
「そういうことね。代わりにこっちはどうかしら?」
「実は先日討伐されたエアレーの角についてですが、日本の大学から研究資料として買い取りたいという話がきていまして」
「え? あれ、使い道ないから置いてきちゃったけど」
「ですので、回収してきてください」
タンゲランにある冒険者ギルド会館でこの手の喧噪には慣れている2人であったが、ここでの喧噪はよく知るそれとはどこか違った。
それが何なのか分からいまま、2人は会館1階の受付に出頭する。
「今お着きの方ですね?」
「ええ。俺はフリオ・マラン・ベルナス」
「私はリタ・サンピト・メラス」
「フリオさんにリタさんですね……」
タンゲランのギルドで発行された証明を受け取った受付のギルド職員は、そう口にしながら手元の四角い板を2つに折った様な奇妙な道具叩く。
(確か、前に来たときも日本人が使ってたわね)
リタの記憶に、2年前に同じような物を日本人が使っていた姿が蘇る。
おそらく日本の独自の道具なのだろう。それを日本人と同じように使っているギルド職員の姿に、リタはなんとも言えない想いがした。
「はい情報照会できました。登録も完了です。どうしましょうか。さっそくクエストを探しますか?」
「え? あ、えっと」
あっさり手続きが完了し面喰ったリタはちょっとまごついてしまう。
クエストを受けることができるのは、明日以降になるものだと思っていたからだ。
「どうしよっかフリオ?」
「あ~……取りあえず今日は休みたい」
「ったく――と、いうことです」
そんなやりとりを見た職員はクスリと小さく笑う。
「承知しました、では、明日またおいでください。それと、宿をお探しでしたら館内にある案内小冊子を持って行ってください」
「宿が載っているの?」
「はい。それと他の店や施設の紹介や日本での注意点、周辺地図が載っています。こちらの情報では、お2人とも字は読めますよね?」
「読めるけど……いくらなのそれ?」
「無料です」
と、今度はにっこりと大きく笑みを浮かべ職員は答えた。
きっと、初めてここを訪れた冒険者と同じようなやり取り繰り返してきたのだろう。
そして――
「え? そんな冊子が無料!?」
こうして驚くその顔が面白くて仕方ないのだろう。
「どうぞ役立ててください」
小冊子は受付近くの専用の棚――他にも色々な冊子や一枚紙の案内がある――に無造作に置かれていた。
「これが……凄いわね」
「全頁色つきの、これは日本の写真だな」
フリオは実家にある日本から贈られた風景写真を思い出しながら冊子をめくる。
冊子には先ほどギルド職員が言った通りの情報が載っていた。
「えっと、宿代は食事なしの1泊でだいたい6、7千円前後――ねえフリオ、これって何ワーデルくらい?」
「もう両替してるから関係ないけど……1ワーデルを今トラン王国基準で計算しそれを両替すると、だいたい日本円で15円くらい」
「えっと……つまり、宿代は何ワーデル?」
「6千円なら400ワーデル」
「さっすが! よく計算できるわね」
四則計算というのは教育が普及していない世界にあっては1つの技能である。
ましてや暗算で即座に計算するとなればそれは特殊技能と言えた。
商家に生まれ育ったフリオはこれを幼いころから教え込まれているが、リタにはそれが出来ない。
もっとも、大半の冒険者はリタと大差なく、そのせいで現在のギルドが成立するまで依頼の報酬や戦利品の換金で誤魔化されることが多々あったという。
「素泊まりでこの宿代はちょっと高いけど――」
「ま、許容範囲じゃない」
「そうだけど……ん?」
「なにかしら?」
周囲の冒険者や職員の雰囲気が少し変わったことに2人は気づく。
何かと館内を見回してみると、1人の日本風の服――スーツ姿のギルドの者が、数人の日本人を連れて上の階から降りてきている所であった。
「あら、支部長は誰を案内しているの?」
「あれは日本の記者らしい。ほら、先日始めた例の――」
職員の会話に聞き耳を立ててみると、どうやらあれがこの支部の長、つまりは日本方面支部の方面支部長でもあるクレメンテ・シンパン・アルカラスであった。
クレメンテは1階の掲示板に張り出されたクエスト票の1つを手にすると、それを記者の1人に手渡して見せる。
「先ほど説明した通り。この様に冒険者ギルドでは地方自治体と協力し、自治体内でモンスターが目撃された場合速やかに冒険者を派遣する試みを開始しました」
「自治体側でモンスターの種別や数を掴み、ギルド側へ通達。それをクエストの形にして冒険者に提示するのですね?」
「はい。あらかじめ対応表を作成しそれに沿って報酬額が決定されます」
「この試みにはどういうメリットがあるのでしょうか?」
「通常、クエストを作成するには、まず依頼をギルドで受けそれからベテラン職員が情報を収集。危険度や困難度に応じてクエスト難易度を設定しそれを支部長が承認して初めて冒険者に提示されます」
「ずいぶん時間がかかるのですね」
「ええ。早くても依頼を受けクエストを提示するまで1週間はかかります。ですが、今回の試みではその手続きを簡略化し迅速に対応出来る」
「自治体としては住民の安全を速やかに守らなければいけませんからね。ですが――」
「おっしゃりたいことは分かります。本来、この地の住民の安全を守るのは日本の警察や自衛隊でしょう。が、ことモンスターに関しては現在我々冒険者ギルドの担う部分が大きくなっています」
「冒険者ギルドは依頼という形を受けなければ勝手には動けない。そのために地方自治体が協力を密にするのは分かります」
「われわれとしても、報酬の基準を明確にすることや、クエスト作成の手順を簡略化することには大きな利点があります。冒険者の受ける依頼の内容には、このやり方にそぐわない物も多々ありますが、行く行くはこの形を大規模に導入したいですね」
クレメンテの言葉に、頷きながら手帳に何やら記入していた記者の1人が顔を上げ質問を問いかける。
「それは、より多くの地方自治体に、そして政府に持ちかけるということでしょうか?」
「日本国はともかく、多くの自治体と協力していきたいとは思っています」
「なるほど……ちなみに、アルカラス支部長は日本政府がモンスター対策を冒険者ギルドに比重を大きくしていることについてどう思われますか?」
「我々としては、受けた依頼を着実にこなしていくだけです」
表情を変えることなく、真面目な顔でそう答えたクレメンテに記者は小さく舌打ちをする。
今の質問から何か引き出そうとしたようだが上手くかわされたらしい。
クレメンテはそれに気づいたようだが丁寧に見なかったことにした。
「へ~こっちじゃ色々新しいことやっているのねぇ」
「……そうみたいだな」
「どうしたのフリオ?」
その一言に、違和感を覚えたリタはフリオの顔をマジマジと見る。
まだ船酔いから立ち直ってないのかと思ったが、どうやらそういう訳ではないようだ。
「ん? いや、なんでもないけど」
「ん~……」
「リタこそどうしたんだよ?」
先ほどの違和感は何だったのか。
リタに答えるフリオに常と変った様子は見受けられない。
(気のせい、じゃないけど)
フリオがその素振りをこれ以上見せない以上、あまり突っ込んで聞くつもりはなかった。
「なんだよ」
「なんでもないわよ。それじゃ、宿を探しに行きましょうよ」
「部屋は?」
「1部屋で良いわよ」
「じゃあ、少し高い所探そうか」
そう言ってフリオは会館の正面出口へと向かう。
「……ふーん」
(やっぱりちょっと変ね)
いつもなら、今のやり取りでもう少し嬉しそうにするのだが、どうもそういう素振りが見受けられない。
「まあ、あんまり引きずるようなら今晩じっくり聞き出そうかな」
そんなことを呟きながら、リタもフリオの後を追いギルド会館から外へと向かった。
遅くなりまして申し明けありませんでしたが、87話です。
昨年のこの時期もそうでしたが、絶賛スランプで筆が進まず今日までズルズル日が立ってしまいました。
ぼちぼち続きを書きますのでどうかお待ちください。
それと、まだ変動範囲内ですが総合評価が2000を超えました。
ポイントを入れてくださった方、ブックマーク登録をしてくださった方に多大な感謝を。
勿論、読んでくださっている方への感謝は言うまでもなく。
ともあれ、これでまた1つ目標クリアです。
次の目標はブックマーク登録1000ですが、流石に先に話しが終わりそうだ。




