黒騎士様は未来を掴み取る2
考えるより早く、駆け出していた。
任務中に持ち場を離れてはいけない。猫一匹、被害の数には数えられない。
そんなこと、教わるまでもなく誰よりもギルバート自身がよく知っている。
「──フォルスター!?」
騎士団長の焦った声が聞こえた。ギルバートがこのような無茶をするなどとは思いもしなかったのだろう。自身でさえ驚いているのだから、当然だ。
魔法の檻の中に飛び込んだときには、もう、騎士達の手から魔法は放たれていた。この一撃で、討伐は終わるだろう。
どこか冷静にその光景を見ながら、ギルバートは、その全ての攻撃が向かう先──雷竜のすぐ側のがれきを持ち上げる。まだ小さい猫が、右前足を怪我していた。
「みゃう」
足を怪我したせいで、親猫にも諦められたのだろうか。
ギルバートはその小さな身体を躊躇無く抱き上げ、胸に抱えて蹲る。震えているのは、猫なりにこれまでの戦闘に脅えているからだろうか。それとも突然訪れた孤独とこの場に漂う死の匂いのせいか。
ギルバートはすぐに自身の周りに魔法防壁を張ったが、正直、魔法騎士十人以上の全力の攻撃魔法に耐えきれるだけの自信はなかった。これまでの任務で、かなりの量の魔力を消耗している。更に今もギルバートは魔法の檻に魔力を流し続けているのだ。
攻撃魔法が壁に当たって、強い光がギルバートの視界を白く染める。
ちらりと小猫を窺うと、澄んだ深緑色の瞳が縋るようにギルバートを見上げていた。薄茶色の柔らかそうな毛は、土埃に汚れてごわついている。ただの猫であるその身体には、当然のことだが魔力は無くて。
その全てが、いつかのソフィアに重なった。
「ああ。助けよう」
ソフィアが側にいることを選んでくれたから、ギルバートはソフィアを守り続けることができる。
それは一番最初にギルバートがソフィアに乞うたものだ。
このような場所で、手放すつもりはない。
「……ソフィアも、気に入ってくれたら良いが」
ギルバートにとっては愛しいソフィアによく似た猫だが、ソフィアにしてみたら自分と同じ色を持つ猫だ。しかしソフィアが猫を厭う姿は想像できないから、それでもきっと、とても可愛がるだろう。暖かな日の光の中で猫を抱き、穏やかに微笑むソフィアが脳裏に浮かんだ。
攻撃魔法を受けてふらついた雷竜が、左足を持ち上げる。ギルバートはその裏にある数字の刻印に目を瞠り、現実に引き戻された。
驚きと魔力不足と生存本能が、ギルバートの腕輪を壊した。ぱきりと割れた瞬間、周囲に強い魔力が渦巻く。
ギルバートは暴風雨のように荒れ狂う魔力に流れを作ろうと、全ての意識を自身の魔力に向けた。檻の結界も、魔法防壁も、壊すわけにはいかない。お陰で魔力には余裕ができたが、暴走してしまっては意味がない。
受け止めきれない魔力に裂かれ、指先から腕へと小さな傷ができていく。広がっていく痛みを振り払うように歯を食い縛った。
「持ってくれ……!」
地面が揺れた。
魔法騎士達が使った攻撃魔法は止んで、もうもうと立ち上る煙の向こうに、こんがりと焼けた一体の竜だけが残る。
それらを確認して気が抜けたのか、暴れていた魔力がふっと収まった。同時に檻と魔法防壁もゆらりと消えていく。
土煙が消え、騎士達がギルバートの無事を確認した瞬間、勝鬨が上がった。
「──……終わった、か?」
呟きは喜びの声に掻き消された。
「みゃーん」
上体を起こすと、小さな舌がギルバートを労るように頬を舐める。
ギルバートはその擽ったさに思わず頬を緩めた。
「そうか。……良かった」
地面に座ったままほっと息を吐いたギルバートの上に、影が落ちる。
顔を上げると、呆れたような、怒っているような複雑な顔をした騎士団長と目が合った。
「フォルスター。──お前がこんな無茶をする人間だったとは、私は初めて知ったぞ」
低い声は王族らしく威厳がある。
ギルバートは咄嗟に立ち上がり騎士の礼をとろうとして──力の入らない足に、諦めた。代わりに、そのような場合ではないと分かっているのに、苦笑が漏れる。
「……ええ。私も、知りませんでした」
「知りませんでした、じゃないだろう。フォルスター、お前、死んでてもおかしくないんだぞ」
「本当に、申し訳ございません」
ギルバートは立ち上がれないなりに、今できる精一杯の礼をした。
全体を指揮する立場の者にとって、ギルバートの今回の行為は迷惑でしかない。もしも結界の檻が壊れていたら広範囲の土地が魔法で吹っ飛びかねないし、ギルバートの魔法防壁が壊れたら命は無かっただろう。竜を逃がしでもしたら被害は拡大する可能性もある。
どれも猫一匹のためには、とらないリスクだ。
騎士団長は諦めが混ざった深い息を吐いた。
「はあ……もう良い。愛猫家というのは、ガセではなかったのか。──それで、その猫はどうするんだ?」
首輪は無い。元々はこの辺りに住んでいたのだろうが、親と離れ、怪我をしていて、とても野生で生きていけるとは思えなかった。
ギルバートは小猫の両腕の下に手を入れ、顔の高さまで持ち上げた。正面から見た猫は、やはりどこか不安そうにしているような気がする。
安心させるように、意識して柔らかい声で話しかけた。
「──……お前は私の側で暮らせば良い」
「みゃう」
行き場がなかった小猫が、返事をするかのように鳴いた。




