令嬢は黒騎士様と立ち向かう4
「私の力については随分と知っているようだが……それが自分に向けられる気分はどうだ?」
「や……やめ」
「止めろと言うのか? 他人のものを奪うのも傷付けるのも厭わないのに、お前は傷付けられることを恐れるのか」
頭に血が上っているのが分かる。このままではいけない、落ち着くべきだと理性では分かっているのに、ヘルムートの記憶の中に垣間見たソフィアの涙が、床に縫い付けられた姿が、ギルバートの怒りを増幅させる。二度と辛い思いはさせないと誓った。自身の無力さが感情の奔流となって、ギルバートの理性を押し流していく。感情の熱に反して身体が冷えていくのが分かった。
「──……っ」
腕輪が光と熱でその存在をギルバートに主張してくる。それすら煩わしく、ギルバートは剣を握る右腕を振り上げた。
「熱……っ」
ソフィアは突然の熱に驚き、自身の左手を見下ろした。慌てて周囲を見渡すが、魔法防壁の中から見える範囲には特に異変はない。ケヴィンとトビアスが次々とエラトスの騎士達を無力化していて、ギルバートがヘルムートを捕らえている。既に騎士達の殆どが戦意を喪失しているようだ。もはやギルバートが維持してくれている魔法防壁すら不要ではないかと思える程だった。
「何かあったのかい?」
ソフィアの様子を訝しんだコンラートが声をかけてくる。
「指輪が──」
小指にある、ギルバートから貰った藍晶石の指輪。それが不思議な熱を持って、僅かに震えている。これはどういうことだろう。不思議に思って改めてギルバートに視線を向け、その背中にソフィアは目を見張った。咄嗟に防壁の外に出ようとして、コンラートに手首を掴まれる。
「ここにいるようにと言われているだろう?」
「だけど……っ」
ギルバートの苦しむ姿は見ていたくない。ソフィアはコンラートの手を振り払った。魔法防壁を越える瞬間、ぴりりと肌が引き攣ったような気がした。それでもまっすぐにギルバートの元へと走る。ドレスの長い裾がこんなにも邪魔だと思ったのは初めてだった。気付いた何人かの騎士達が、ソフィアを捕まえれば何かが変わると思ってか、立ち上がって後を追ってくる。ソフィアは細いヒールの靴が途中で脱げても気にせずに反対足の靴も脱ぎ捨てて、夢中で玉座の前の階段を駆け上がった。
ギルバートが、右手の剣を振り上げる。その手首の腕輪が光を放っていた。
「──駄目です……っ!」
ソフィアはそのままの勢いで、ギルバートの背中にぶつかるように抱き付いた。途中まで振り下ろされた剣が、ヘルムートの胸元に突き立てられる直前で止まる。衝撃に身体を揺らしたギルバートが、驚いたように振り返った。その白い顔に、ソフィアは身体が震えてくるのを感じた。
剣を止めたギルバートは、予想外の心理的衝撃に咄嗟に声が出なかった。悲鳴が上がらないのは、ヘルムートがあまりの恐怖に意識を失っているからだ。今にも殺されそうだったのだ、伸びているのも仕方がないだろう。
「ソフィア──」
ギルバートは振り返って、背中に縋り付くようにして抱き付いているソフィアを見下ろした。身体の震えが伝わってくる。少し後ろに、脱げた靴がぽつりぽつりと落ちていた。誰も手を出せないのか、エラトスの騎士達も唖然とした顔で固まっている。急激に沸騰していた脳が、冷や水を打ったようにしんと覚めていく。
「一人で全部背負わないでください……っ」
ソフィアがギルバートを見上げた。その深緑の瞳は、真摯にギルバートに向けられている。そこに映る自身がいやに頼りなげに見えて、隠し切れない程に動揺した。
「それは」
「ギルバート様は悪くありません。だからそんなことしなくて大丈夫です。だから……そんなに辛そうな顔、なさらないで」
ソフィアの眉が下がって、潤んだ瞳は寂しさを湛えていた。何故ソフィアがこんなに辛そうな顔をしているのか、ギルバートを辛そうだと言うのは何故なのか、思考が追いつかなかった。ヘルムートの頭から離した左手で、ソフィアの縋り付く手に触れる。そこにある熱にはっとした。白金の腕輪が少しずつ光を落としていく。あれ程主張していた熱も、少しずつ冷めていった。
「ソフィア、どうしてこんなことを」
勝手に動くことは危険だと伝えなければ。その義務感から口を開くが、ソフィアは緩く首を左右に振るばかりだ。
「──だって、ギルバート様を一人になんてできません」
ソフィアは泣いているような笑っているような複雑な顔をしている。その表情をさせているのが自身だと確信して、ギルバートはソフィアの腕をそっと緩めさせた。湧き上がってくる愛しさは止められるものではない。ギルバートはソフィアに向き合って、破壊への欲求を掻き消す暖かな存在に身を寄せた。ついでに争いがこれ以上激化しないよう、特定の金属に干渉する魔法をそっと室内に飛ばしておく。これならアイオリアの剣とは異なる金属でできているエラトスの剣にだけ影響させられるだろう。
「心配させたか。すまなかった」
「いいえ。守ってくださって、ありがとうございます……っ」
震えていたソフィアの身体が、ギルバートと抱き合うことで少しずつ落ち着いてくる。それに安堵し、ギルバートはその背中を繰り返し撫でた。
「副隊長ー。これ、どうしたら良いですかー!」
二人の世界に水を差したのはケヴィンの間の抜けた声だった。周囲を見ると、エラトスの騎士達の剣がどれもぐにゃぐにゃに歪んでいる。一度溶けて固まったようだ。騎士達はすっかり戦意を失い、呆けたようにギルバート達を見ている。ルッツも驚きに口を開けて立ち竦んでいた。ケヴィンとトビアスが、彼等を威嚇するようにまだ綺麗なままの剣を収めないままでいる。
「ソフィア嬢のお陰で助かりました。面倒は少ない方が良いですから」
トビアスが生真面目な声で言う。本当にその通りだ。直前で止めることができたのは、ソフィアがギルバートを止めてくれたからだった。
「ありがとう、ソフィア」
ギルバートはソフィアの耳元で囁いた。擽ったそうに身を竦めるソフィアが頬を赤くする。その仕草が可愛らしくて、ギルバートは思わず笑った。
気付けばコンラートがすぐ側にいる。ソフィアが恥ずかしいのかギルバートの腕から逃れようとしたが、あえて引き止めるように抱き締める腕の力を強めた。
「玉座はヘルムートには重過ぎたね。──そうだ、これを返さなくてはね」
コンラートが懐から取り出したのは、捕らえられていたときにソフィアの首に付けられていた首輪だった。それをコンラートは、まだ気を失っているヘルムートの首に付ける。金具ががしゃりと鳴った。
「それって、私がつけられていた……」
「そうだよ。この愚か者には丁度良い鎖だね」
ソフィアがびくりと身体を揺らした。コンラートの爽やかと言って良い笑みが、かえって恐ろしい。
「──では、講和条約について話し合おう。改めて場所を用意させてもらいたい。暫しの間、客間で待っていてもらえるかな」
「当然です、コンラート殿下。では後程」
ギルバートはソフィアを横抱きにして、周囲に構わず部屋を出た。床に落ちている靴すら無視したのは、少しでも早くソフィアをここから連れ出したかったからだった。




