98・回想(84)
どうしてエノンが人ではなく、大地を癒す方向を選んだかを僕は理解した。
この激戦跡地の事を僕が気にしていたから。
ずっと前から……少なくとも10歳になる前から、エノンは僕の事を考えてくれていたのだ。
「すごく凄く、すっごく嬉しいっ! ありがとう、エノンっっ」
治癒は人に生きる力を付与・活性化させる。
しかし生きている人と対極にある屍食鬼や死霊系に対して治癒魔術を行うと、治療どころか逆に負傷……形状を保っていられなくさせる事は非常によく知られていた。
エノンから卒園試験の場所を、この地にしたと教えてもらった時。
エノンに内容は当日のお楽しみと言われていたから口には出さなかったが、治癒でこの地に縛られた人々を解放する気なのかもと思っていた。
もしくはエノンが生と死の対としての治癒ではなく、聖と魔の対として浄化の魔術も使い熟せる様になっているのかも? と。
強力な浄化なら、瘴気とスピリット系を一掃してしまえるからだ。
それが、まさか。
あくまでもエノンが治癒魔術を貫き通し、大地を先に癒そうとするなんて。
考えてみると、確かに大地が力を取り戻して瘴気が消えれば、死者達をこの地に縛り付けるのは、現在ある形状だけとなる。
あとは死者達をその形状の重しから解き放てば、魂は安らぎへと向かう事が出来る。
なんて大胆な発想力なんだろう。
僕はそんな事、考え付きもしなかった。
それは周り見学者達も感じ取れたのだろう。
エノンが癒した場所へと飛び込んでいった腕自慢達が矢継ぎ早に、スピリット系を倒していっている。
魔の領域内では倒しても倒しても、魔物が次から次へと湧き続ける事がある。
けれど、今エノンに治癒された大地の上の死霊にはそれがない。
凄い。
エノンは何て凄い事を実践したのだろうか。
現時点で目に見える結果だけなら、エノンの魔の領域への治癒は通常の浄化魔術と同じ様に見える。
けれどきっと、この地が再び命を取り戻すのは浄化より早い。
今回のエノンの功績は聖杖など持っていなくても、充分に聖人の御業と呼ばれてもおかしくない。
誰かが今回のあらましを神殿へと伝え、神殿はエノンを取り込みにかかったりしないだろうか?
そんな不安が湧き上がる。
だが、まずは目の前のエノンの身体が心配だ。
あんなに大掛かりな魔術を使ったんだ。
どれだけ消耗しててもおかしくない。
「エノン歩ける?」
「うん。大丈夫、落ち着いた」
「だけど、魔力は? エノンの体は大丈夫?」
「正直、休憩は欲しいかな。卒試だから張り切り過ぎたっぽい。でも魔力回復の魔術は予め掛けといたし、倒れる事はなさそうかな」
「つまり、1人で立って移動するのは難しいって事?」
「あ~ばれたか~。実はそうなんだ。まだ体力はだましだまし行けるけど、魔力が枯渇してる。1人で最寄りの町まで魔の領域を突っ切って行けそうにない」
どうやらエノンに最寄の町まで今すぐ頑張れというのは、酷な状態らしい。
他力本願な僕は問い掛ける。
「このまま防御はいけるか、タッゾ?」
「いけると思います。ここのスピリット、奇妙なんで」
奇妙?
心強い返事に付け足された言葉に、僕は首を傾げた。
「どういう事だ?」
「足を止めたら最期じゃないですけど、この手の場所って普通生きてる人間に一斉に群がって来ますよね? な~んか、それが全くと言っていい程ないんです」
「どこかに理性が残っていて、ようやく解放される時が来たと察したんだろう」
「う~ん。それは、どうですかね~?」
タッゾは僕の推測に思いっ切り懐疑的な表情だが、それ以外ないと思う。
「あのさ、リティっ。オレの能力、王様に買ってもらえるかな?」
「ッ!?」
今日はもうエノンにビックリさせられてばっかりだ。
確かに僕の実家から他の職場に乗り換えるなら、実家と同等もしくはそれ以上の格がなければ難しいだろう。
上も上、1番上をエノンが希望するのは当然だと思うが、エノンには上昇志向はあまりないので、僕は驚いた。
驚きで言葉が出せないでいる僕を否定的に捉えたのだろう、心配そうにエノンが続ける。
「ちょっとずつしか無理だけど、魔の領域じゃなくなるって事はその分、人が使える土地が増えるって事だろ? 誰に管理させるとか、ちゃんと決められそうなのが王様だと思ったんだ」
「うん、確かに。その通りだよ、エノン」
もしかしたら、あの聖域とまではいかなくても、魔の領域がある場所には何か力あるものが見つかるかも知れない。
それをどこかの家が独占する事になるかもしれないくらいなら、ひとまず王様=国に任せてしまった方がいいと僕も思う。
逆をいうと、当の王様が直轄地に定めたりで、独占してしまう可能性もある事も大いに有り得るわけだが……。
知らぬが花だ。
「……王様は喜んでエノンをお抱えにすると思うけど、でもそうするとエノンは王都へ行くの?」
「実は、オレ。せっかく王様に就職の申し込みをするんだからと思って、拠点はスエートとか色々、細かい希望も書いておいたんだッ!」
「うわ~ッ! エノン強いっっ」
王様相手なら余計に委縮して、雇われる時の詳細な希望なんて書けそうにない気がするけど、エノンは逆なのかッ!
「へへへっ。書いた上で卒試になったって事は、オレの能力に問題なければ、細かいのも通ったって思っていいのかな?」
「そうかもっ。そうだといいね、エノン」
もし本当にエノンの希望が通るなら、聖人として神殿に囲われる事もない。
最大のパトロンである王様相手に、好んで揉めようと神殿はしないと思うからだ。
本当になれば、嬉しい限りの将来展望である。
ところが唐突に、エノンが打って変わってしょんぼりしてしまった。
「……リティ」
「……うん?」
「リティにもらった杖が消えちゃったんだけど?」
「きっと卒試が終わったからだよ」
卒園試験の応援という役割を果たしたから消えたのか。
それとも約束通り、卒園試験が終わった途端にラァフが食べてしまったのか。
たぶん、どちらかだと思うのだが正確には分からない。
とりあえず何を言われるのだろうと内心身構えていただけに、完全に肩透かしだ。
「お疲れ様、エノン」
エノンには悪いけど、僕からすればようやく、やっと杖が消えてくれたという思いでいっぱいだった。




