97・回想(83)
いよいよ、エノンの卒園試験の日がやって来た。
「タッゾ。今日はよろしく頼む」
「はい。任されました、リティさん」
エノンとレミとはスエートの駅前での待ち合わせだ。
2人の姿は見えないので、タッゾと僕の方が先に着いたらしい。
たぶんエノンの卒園試験を見学するのだろう、同じ様に駅前で待ち合わせしている団体がちらほら見える。
単身で見学出来るような場所ではないので、腕の立つ園生のうち、どうしてもエノンの卒園試験を見たい者達が集まって行く事になったらしい。
園生だけではなく、先生方の姿も見えた。
アーラカも誘ったのだが、新婚2組に囲まれるのと、タッゾに守られるなんて冗談ではないと断られてしまった。
タッゾと僕が駅前に着いてから少しも経たないうちに、やって来たエノンが持っている物を見て、僕は複雑な気分に陥った。
「エノン。それ、持って行くの?」
今日の為の応援の形として贈った杖を、エノンが大事にしてくれるのは嬉しいのだ。
だが、杖としての役目は全く果たさない。
持ち手の魔力を上昇させたり、回復する効果もないし、魔法・魔術の効力を増強させる事もない。
木の棒としか思えない見掛け通りの杖なのだ。
もちろん、その事をエノンも知っている。
だから邪魔なら融かすよと問い掛けたのだが、エノンからの答えは非常にはっきりしていた。
「もちろんっ! むしろ今日だからこそ持って行くっ!」
「……そ、そう」
エノンの魔術は、痛いの痛いの飛んで行け~の手かざしが始まりだった。
だからなのか、普段のエノンは杖を持たない。
それを知っていたから、これまで僕はエノンに杖を持つ事を勧めた事はなかった。
しかし今日は進路が決まる、大事な卒園試験。
どうせ持つのなら、もっと見栄えのする杖が良かったと思うのは僕だけではない。
「何だそれ? エノンが杖を持つなんて珍しいな」
「リティが激励でくれたんだっ」
「リティが?」
「卒試頑張れってさ」
「あ~そうか……」
「……」
ちらっと僕を見てくるが、とっくに僕自身が後悔している。
こんなにエノンが杖を気に入るなんて思わなかったんだ。
すぐに解けると思っていたし。
こんなに長持ちするなら、もっとエノンに似合いそうな見映えする杖にしとけば良かった。
エノンの声色から、何の意味もない杖を持ったまま、卒園試験も挑むつもりだと悟った僕は内心がっくりと肩を落とした。
園で魔法実技担当の先生がエノンに近づいてきた。
「そろそろ行くぞ」
「はい」
エノンの返事を皮切りに、僕らはホームへと向かった。
しばらく列車の揺れに身を任せ、自分に出来る事が何もない以上、2度と訪れる事はないと思っていた魔物との激戦跡地に着いた。
それがまさか、こうして1人ではなく。
ましてや危険にその身を晒したくない、守りたい存在であるエノンからの希望で、この地を再訪する事になるだなんて思ってもみなかった。
この激戦跡地は、同じ島内に存在している魔の領域の中では新しい方である。
淀む瘴気で周囲を触発し、魔物を凶悪にしながら広がっていくという魔の領域も認識されている。
だが、この地は昔と変化がないように見えた。
幸いとはいえないのだろうが、停滞状態であるらしい。
そうでなければ、この地で卒園試験を行うなんて許可が出なかっただろう。
最寄の町を通ったが、どこからも弔歌や鎮魂歌は聞こえなかった。
この地が魔の領域と化したのは、人間にとって、たったのではなく、もう10年以上前の事となるからだろう。
ただ1度訪れたきりの僕でさえ、この地の事がこんなにも記憶に残っているのだ。
当時、最寄の町で弔歌を歌っていた人々にとっては尚更だと思う。
「これよりエノンの卒園試験を行う」
「お願いしますっ!」
園の判定官に返事をした後、離れた所に立つエノンが僕の方を見た。
口は動いていなかったが、ちゃんと見ててねと言われた気がしたので、無言で僕も頑張ってと頷き返す。
エノンがしゃがみ込み、そこからは一瞬だった。
地面が淡く光を放ち始め、その光はエノンを中心に拡散していく。
しかも、それに止まらず気付けば渦巻く瘴気が消え去っていた。
エノンは大地を癒している。
エノンが園に来た当初に期待されていたのは、1度に複数を治癒する範囲魔法を行使出来るようになる事だった。
しかしエノンは治癒を、大地に向ける事を選んだらしい。
光はどこまで広がるのだろう?
圧倒されていると、突然ラァフがエノンの側から飛び立ち旋回し始めた。
しかもラァフの頭には、雛ラァフが乗っかっているのが見……えぇッ?
まさか、この激戦跡地全域を覆うつもりか?
エノンを中心にしてだけではなく、飛ぶラァフの周囲からも瘴気が消える。
見守る僕達の側の1番近くを飛んで行った時に見えた、雛ラァフは得意満面どや顔。
「……っ!」
可愛っ!
じゃなくっ!
これは、マズイ。
瘴気の消え方が明らかにオカシイ。
途端、ラァフが硬直して静かにエノンの元に舞い戻る。
何も分からなかったが、きっとヒミノがラァフを止めてくれたに違いない。
同時に淡い光も大地に染み込むように見えなくなった。
しかしエノンはなかなか立ち上がらない。
魔力の回復が追い付いていないのだろうか?
今日の僕は見学者だ。
卒園試験が失格になってしまったらと、迂闊に駆け寄る事が出来なかった。
とはいえ、これだけの事をエノンは遣って退けたのだ。
様子を窺いに行ったくらいで、失格にするなんて事はしないだろう。
そう思い直した時、エノンがそろそろと立つ。
「以上ですっ! 何回かに分けて大地を癒して瘴気を消していけば、スピリット系も湧かなくなるはずですっ!」
「確かに見届けた。これにてエノンの卒園試験を終了する」
拍手と歓声が飛び交い、物は試しと見学者達がスピリット系を消していく。
本当に湧かなくなれば、エノンが癒した大地は魔の領域ではなくなったという事になる。
判定官に一礼したエノンが僕の方へ近寄って来た。
そんなエノンが僕にまず言って来た言葉は。
「リティの憂い、少しは取り除けた?」
だった。




