96・回想(82)
名前を書き終えた結婚届を窓口に出した。
「これで結婚した事になるのか?」
「そうですよ~、リティさんっ! 俺達、婚約者から夫婦になりましたっ!」
何せ、紙をたった1枚出しただけなのだ。
エノンとレミの結婚は確かなものである方がいいので質問を重ねる。
「スエート限定の現地妻というものじゃなく?」
「妻は妻でも現地妻は公的な届けを出してないので、正式には夫婦じゃないと思います」
「そうだったのか」
今日の目的はエノンが政略結婚に巻き込まれないように結婚をさせる事。
エノンの結婚相手がレミだろうが誰であろうが、僕の場合ちょっと引っ掛かりを覚えてしまうのは今更な話だ。
ただレミであるなら、そうそうエノンと別れる事はないだろうし、他所から強奪されたりもないはず。
上出来に完了した事に僕は一安心と達成感を覚えた。
しかし、それは僕の早計であったらしい。
タッゾが僕の手を取り握りしめ、上機嫌な様子で言い出した。
「それじゃ、リティさんっ! 次は寮に行って荷物まとめましょうっ」
「なぜ荷物をまとめるんだ? 寮に帰るのは当然だと思うが」
「リティさんが帰る場所は寮じゃなくて、俺達の家です」
「俺、達の家?」
そんな場所あっただろうかと戸惑う僕に、タッゾが続けて畳み掛ける。
「ひとまず俺の部屋へ引っ越しして、一緒に暮らしましょうよっ。リティさんも知っての通り、単身用ではありますけど製作部屋がある分、広いですしね」
「今日からじゃなくても、いいんじゃないか? すぐじゃないと駄目なのか?」
エノンはどうするのだろう?
やはり結婚したからには園の寮を出て、レミの部屋へ引っ越すつもりなのだろうか?
つい縋る様に見てしまったのだろう、エノンがタッゾに食って掛かり出した。
「おい、一気に進めんなよっ。リティが不安がってるだろっ! オレはまだ園の寮にいる」
「えぇ~~~っ」
不満そうな声を上げたのは、僕ではなくレミだ。
そんなレミはともかく、それならエノンと同じにしようと思っていると、タッゾが反論をぶつけて来る。
「お言葉ですけどね~、ギリ弟。リティさんの場合、初めっから別居だと、そのままずっと別居が当然になり兼ねないと思いません?」
「あ~」
ちらっとエノンが僕を見て来た。
「リティなら、そうなっちゃうかも……」
「ほらっ! ギリ弟もこう言ってる事ですし、リティさんは今日中に引っ越しですっ!」
行きましょ~と握りしめられていた手を引っぱられ、タッゾに僕は寮の部屋へと連行された。
寮に帰る途中に何度も確認したが、
「結婚したら、一緒に暮らすのが普通です」
と押しきられた。
「リティさん、丸ごと全部運んでも良いですか?」
「駄目だ。部屋の家具は備え付けだ」
「じゃあ、私物を運び出す感じで良いですかね?」
「私物……とりあえず、この部屋にある服だな」
「じゃあ、この袋の中に入れてもらっていいですか?」
「分かった」
僕は部屋を見回す。
「タッゾ、作り置きしてあった人工魔石はどうしよう?」
「研究室に持っていけばいいじゃないですか」
「じゃあ、任せていいか?」
「了解です。その間、私物をこれに入れていって下さい」
「分かった」
僕は棚や戸棚に入れていた私物を、タッゾが出した袋にどんどんと詰めた。
持って行くかどうするか悩んだ物は、後の寮生に使ってもらえればいいと、寮裏手の荷物置場に置いて行く事にした。
「これだけですか、リティさん?」
「だな」
結果、運び出す僕の荷物は物凄く少なかった。
普段から綺麗にしているつもりだけど、ちょっとびっくりだ。
残りの本は明日、資料棟に寄贈するか先生と相談しないとな。
あとは掃除だ。
それから寮母さんに、きちんと退寮の挨拶をしに行かなければ。
等々部屋を出て、歩きながら考えているとリュディーナが駆け寄って来た。
「リティ姉さまっ! タッゾさまとのご結婚おめでとうございますっ!」
「ありがとう、リュディーナ」
園の教室で声を上げたからだろう、その話が人伝に広がって、リュディーナの耳にも届いたらしい。
荷物を持つタッゾと僕の周囲に、文化祭の時の様に微小魔石のキラキラが舞う。
政略結婚だろうが何だろうが、結婚はおめでたいものだとされている。
可愛いリュディーナに祝ってもらえた事で、急に嬉しい気分になった。
「リティ姉さま。そんなに荷物を持って、新婚旅行にでも行かれるのですか?」
「いいや。引っ越しだ」
「タッゾさまのお宅にですか? タッゾさまが通って来られるのではなく?」
「どうやら結婚すると、普通は一緒に暮らすらしい」
「新たに新居を構えるのですか?」
「とりあえず、タッゾの部屋で同居だそうだ」
次々とリュディーナに問い掛けられ、それに曖昧ながらも僕は答えていった。
「寂しくなります」
「通園生になるだけだ。また食堂で一緒にご飯を食べよう」
「はい。リティ姉さま」
タッゾと僕の愛を物語りながら、リュディーナは園の出入り口まで見送ってくれた。
スエートの街と園の寮とで離れて暮らすのに耐えられなくなって、一刻も早く結婚したとか。
そんなリュディーナが夢見るキラキラな理由から、結婚した訳じゃないのだけれど……と思わず吹き出したくなるのを僕は堪えなくてはならなかった。
そんなリュディーナと別れた後で思ったが、そういえばエノンとレミに僕はおめでとうを言っていない。
2人が一緒に暮らし始めた時でいいだろうか?
僕は比較的軽い荷物袋を抱え直しながら考える。
考えるが、いつ言えば良いのか全く良い知恵が浮かばない。
ちょっとタッゾに聞いてみよう。
「タッゾ、エノンに結婚おめでとうと言うのを忘れていた」
タッゾは重い方の袋を引き受け、持ち運んでくれていたのに、そんな素振りなど全く見せず答えてくる。
「卒試が終わってからで良いと思いますよ。それより、リティさん」
タッゾの部屋の入口に着いた。
「今からここがリティさんの新居です」
「……。……ただいま?」
無言で家に入るのは、よろしくない。
でも果たして僕がこの家に入るのに、ただいまという言葉を使っていいものか?
これまで使っていたお邪魔しますは、結婚して一緒に暮らす事になったのだから、さすがに違う気がする。
他の言葉が思い付かず、戸惑いながら言った僕に対し、タッゾから満面の笑みを返された。
「おかえりなさい、リティさんっ! 俺も、ただいまですっ!」
「……おかえり、タッゾ?」
え~、と?
考え考え手順を踏んでいくのではなく、いつか自然に言動出来る日が来るのだろうかと思いながらも、タッゾに僕はおかえりのちゅ~をした。
玄関で悩んでいても仕方ない。
まずはタッゾに場所を空けてもらい、少ない荷物を僕は仕舞い込んだ。
「よし、片付いた」
「どうしてもリティさんが1人部屋が欲しいなら、一緒に新居探ししましょう」
寮からこの家に来たばかりで、今度は新居探し?
今度こそ、今日成すべき事は遣り遂げたという気持ちが強い今は、ちょっと面倒に思えてしまう。
「それでですね、リティさん。念の為、確認なんですけど」
「ん?」
「今日、急に結婚を言い出したのはギリ弟の政略結婚を防ぐ為で、リティさんにそ~ゆ~話が来たとかじゃないんですよね?」
「そう」
さすがに僕にはもうその手の話は来ないと、問われた僕は頷いた。
結婚するには届けが必要だと知るまでは、エノンとレミも今日結婚のつもりはなかったのだが。
あれ以上の説得の言葉は思い付かなかっただろうから、エノンが折れてくれて良かった。
かなり無理矢理だったと分かっている。
「安心しました」
「タッゾ、他には? もうないか?」
出来れば、面倒だと思ってしまう様な事はない方がいい。
もしあるのなら早く済ませてしまいたくて、今度は僕からタッゾに問い掛けた。
「そうですね~。ギリ弟の卒試の時に使おうかと思う物を作ってるんですが、リティさんの意見を聞かせて下さい」
「……見せてみろ」
もちろん喜んで見せてもらう事にした。




