95・回想(81)
僕がスエートで暮らしていくなら、園の研究者になるという選択はとてもいいのだろう。
すでにアーラカの研究室に出入りしているから、研究棟は未知の場所ではない。
新しい職場に飛び込むより、かなり気が楽に違いない。
住まいは、研究棟の寮に入れば済むし、園生ではなくなるから正式に講義こそ受けられなくなるが、隠れて聴講し放題。
さらに何か悩んで、調べ物が出来た時に困らなくていい。
資料棟にはいつでも出入り可能で、資料集めもお手軽に出来る。
前々からアーラカには微小魔石の研究に誘われていたし、すでに文化祭での発表で名前も出されてしまっている。
文化祭が終わった後の先生方の食い付き具合からすると、僕がもし研究者になりたいと審査を申し込めば、即決で了承になると思われるほどだ。
しかし人工魔石作りは続けられているが、研究漬けの日々に僕は耐えられるのだろうか?
ただの手伝いの身と、給金をもらって働く身では、責任感が違うだろう。
今は楽しい微小魔石の研究も毎日続けているうちに、感じる事も変わるかもしれないという不安も残る。
それにエノンに何かあった時、どんなに研究が佳境だろうが放り出してしまうに決まっている。
僕にとっては微小魔石の研究より、エノンなのだ。
しかも。
両親の事、研究に関しては母に対しての自分も……分からない。
本当にアーラカを裏切らずに、微小魔石の研究を僕は続けられるか?
その点だけは、どうしても自信が持てない。
アーラカはこんな僕と、いつまで共に同じ研究を続けてくれるだろう?
今はたまに顔を合わせるだけだから、和やかに過ごせているのかもしれない。
毎日、顔を合わせる様になったら疑心暗鬼な状態になってしまわないだろうか?
もしくは僕の両親に対する意識にうんざりするとか。
そうなれば、研究室内の空気は明らかに悪くなる。
せっかく文化祭で研究仲間が増えそうだというのに、他所へ流れてしまいでもしたらアーラカに申し訳なさ過ぎる。
というか、むしろ今僕は自分自身の思考の流れに、げんなりした。
自分の不甲斐なさに情けない思いがする。
アーラカと研究室で問題になっている件はもう1つある。
結婚問題だ。
エノンとレミに結婚してもらうには、どう言えばいいかを僕はずっと考えていた。
でも僕はアーラカと話した貴族的な政略結婚の可能性を、エノンに知られたくない。
もし知られたら、芋づる式に僕が政略結婚を避ける為、タッゾと付き合い始めた事にも気付かれそうだからだ。
実際話が浮上した段階で政略結婚を避ける方向に動いたからこそ、僕の場合は間に合ったのだと思う。
だからこそエノンも、政略結婚の話が持ち上がる前に未婚問題を解決しておきたい。
特に卒園試験を間近に控えている今、エノンに要らぬ問題は抱えてほしくない。
結婚するのに、どれぐらい時間がかかるのだろうか?
卒園試験までに結婚を終了出来るのか、不安が募ってきた。
これは研究者としての実体験を試すより、結婚の実体験が早急な案件だ。
しばらく行くのは止めていたのだが、放課後いそいそとタッゾの教室へと向かった。
現れた僕にタッゾは驚いているが、そんな反応など物ともせず僕は言い放つ。
「タッゾ、結婚してみてくれッ! 今すぐッ!」
タッゾだけでなく、周囲まで固まってしまって実に申し訳ない。
周囲の心情は様々だと思うが、今僕が欲しいのはタッゾからの返答なので急かす。
「反応が悪いッ!」
「はいッ! 分っかりました~、リティさんッッ」
よし。
「で?」
「……で??」
「今の状態だけで結婚した状態じゃないよな、さすがに?」
「……。……ですね~。さすがに婚約とは違って、結婚届を出します」
婚約はアッサリだったが、結婚となると今すぐは無理らしい。
そうすると届けの受理に、どれだけ時間が掛かるか分からない。
少し頭が冷えた。
今でさえエノンの卒園試験は場所が場所なので、色々なところから注目されている。
エノンが卒試を成功させたら、政略結婚の話が上がる確率は大幅アップしてしまう。
出来れば、卒園試験前にはエノンに結婚しておいてほしかった。
だが結婚となると、結婚相手と毎日顔を合わせる事になる。
それどころか、僕と結婚すれば生活空間までタッゾは僕に侵食される。
タッゾの場合はアーラカとは違い、嫌気が差したら勝手に逃げ出せる。
だからこそタッゾと結婚して、結婚までの時間を知ってからエノンに結婚を勧めればいいと考えていた。
これは実体験なしでエノンかレミに話を付けた方が良いかもしれない。
間に合うかどうかが不安になってしまい僕は言った。
「……邪魔したな、タッゾ。出直してくる」
「いやいやいや待って下さい、リティさんッ! 今すぐこの場では無理ですけど、すぐ終わりますからッッ」
「すぐ? 本当に、絶対に、すぐか?」
「幸い俺もリティさんも同じスエートの制度に属してるので、建物内にある紙に名前を書いて出すだけです。出直さないで、これから行きましょうっ」
お小遣い制度の受付用紙に書く様な感じだろうか?
それならば、いつもの様にテキパキと受理を進めてくれるだろうから大丈夫。
その反面、1度感じてしまった不安から僕は抜け出せない。
「まずエノンとレミを捕まえてから行く」
「なら、まず温室でっ。たぶん居ますよ。それか、来ますって」
今や僕以上に急いだ感じでタッゾに促され、エノンとレミとも一緒に4人でお小遣い制度の建物内に入った。
実体験を先にするのではなく、例え届けの受理に時間が掛かっても大丈夫な様に、エノンとレミも結婚させてしまえばいいじゃないかと思ったのだ。
道中、説明どころか会話もなく連れて来たので、すっかりエノンは困惑しているし、レミは不満げだった。
「ここに2人の名前を並べて書きます。あ~まず、俺が先に」
「はい、エノンも書いて。レミからでもいい」
タッゾが書いている用紙を見たエノンの表情が困惑から驚愕に変わった。
「けっ、結婚届~~~~~ッ?」
「わぁ~~~、書くっ。もちろん書いちゃう~~~っ!」
「や、オレ達はまだっ。ていうか、リティっ。マジで結婚すんのッ?」
「うん、する」
問い質され、僕は頷く。
「当たり前だけど、不安でもある。でもエノンが今日一緒に結婚してくれれば、何かと共感してもらえそうだと思って」
「結婚生活の不安とか不満はオレじゃなくて、コイツに直接ぶつけた方がいいよ。コイツにならリティだって出来る」
「それは、……う~ん?」
もっともな意見である。
どう返事をしたものかと言葉を濁す僕をどう捉えたのか、エノンが聞いて来た。
「リティ。悩むなら、止めておいた方がいいんじゃ?」
「今がいいんだ」
「それとオレは結婚するなら、ちゃんと就職が決まって、しっかり稼げるようになってからがいい」
「うん。エノンはそうだよね」
もしエノンが誰かに養ってもらう事を良しとする質だったなら、レミに会う前とっくに僕が囲い者にしていたと思う。
分かってはいるが……ごめん、エノン。
「それでもエノンがレミと結婚して、僕と義理の姉弟になってくれたらって思うんだ。エノンっていう頼ってもいい身内がいるのといないのでは、心強さが全然違う」
「リティ」
心の片隅だけで謝り、可哀想だよね僕? 作戦を取って、エノンに揺さぶりをかける。
予想通り、効果はあったらしい。
「リティ。何かあったら、ホントにちゃんとオレを頼ってくれる?」
「うん」
「絶対に、勝手にいなくならない?」
「うん」
本当にごめんね、エノン。
相変わらず僕は嘘吐きだ。
タッゾの名前の横に僕が、レミの横にエノンが、それぞれ同時に名前を書いた。




