67・回想(58)
どうしてもリュディーナの話が気になって、列車を何度か乗り継いでヒミノトの屋敷に来てしまった。
エプア山が近い。
ミンド島のほぼ中央には、大きな山が1つ堂々とそびえ立つ。
それがエプア山。
エプア山麓にある町の1つが、ヒミノトなのだ。
そのヒミノトに建つ、目の前の屋敷を見て僕は戸惑う。
こんな感じの屋敷だったか?
上って来た坂道も、小さい頃の自分はもっと長く急に感じていた。
誰も入れないという事は、人の手が入っていないはずなのに。
屋敷の外壁に蔦が這っている事もなく、庭の草木が好き勝手に伸び放題という事もない。
修繕される事もなく、ひたすら風雨に晒され続けていたはずなのに。
夏の日差しを浴びて眩しい外装の白色に、僕は目を細める。
ここまで来てしまったが、両親が居ない家だから、まだ許される範囲だろうか?
エノンに約束破りだと思われないだろうか?
目の前の屋敷は、記憶にぼんやりとあった家より小さく感じる。
きっと園の建物を見慣れているからと、僕の背が伸びたからだろう。
だから、その点からの相違は仕方ないとして。
もっと、訪れる者に重圧感を与えるような屋敷を思い描いていた。
リュディーナから誰も入れないという怪奇現象も聞いていたから、重圧に不気味さまで加わっていたなら、回れ右しようと思っていた。
しかし逆に綺麗過ぎるのも、何だか怖い。
だから、こうして屋敷から少し離れた所で僕は立ち尽くしている。
僕の幼い頃の思い出では、ヒミノトの家はとても静かだったと思う。
家の中や庭で人外の姿を見かける事はあったが、どれも僕に話し掛けて来る事はなかった。
もちろん人外達は、両親から命じられた時には僕の面倒を見てくれた。
だがその時以外は僕に興味もない様子だった。
例えば、魔力切れによる気絶や体調不良で倒れた時。
両親が出掛けている時の、日々の生活。
そんな折り折りに人外は僕の側にいてくれたが、ヒミノトの家でそれ以外に誰かが僕の側に付いていてくれた覚えがない。
あ~、うん。
ヒミノトの家での生活は、あまり覚えていないし、むしろ思い出さない方が良さそうだ。
あの日、父の命を受けてスエートまでの送り役をしてくれた人外も、そんな人外の1つだった。
その人外は、僕がスエートで列車から降りるまで旅の間、ただ黙って僕が行くべき方向を指差すだけだった。
そういやラァフも最近は意思を伝えて来てくれる様になったが、基本は態度で訴えて来る。
人外は基本的に皆ボディランゲージなんだろうか?
いやいや。
僕の世話をしている時、僕から調子を聞き出す為に言葉で話し掛けて来たはずだ。
人型をとる人外は喋れるのが多いと聞いた事がある。
だが喋れる人外に対し、当時の自分が面倒を見てもらった時に、きちんとお礼を人外に言えていたかは疑わしい。
そんな僕に用もないのに、わざわざ人外が話し掛けて来るはずもなかった。
それ以外でヒミノトの家での思い出は魔術訓練ばかりだ。
家での魔術訓練のお陰で、調節上手になれたと言えるだろう。
真夏の暑さも真冬の冷たさにも強くなっている。
これは微小魔石を作る時の完成度に関係しているかも知れないなと、ふと思う。
いや、今はヒミノトの人外だった。
母は分からないが、父は絶対にこの屋敷に無理にでも入ろうとしたはずだ。
我が家の家長は父だ。
その家長に、この屋敷の人外は逆らっている。
屋敷ひいては父にも憑いていたはずの人外が、言う事を聞かなくなった。
まだ噂は広まっていないと思うが、そう広まる事は、我が家や我が家に連なる者達の恥に違いない。
屋敷自体を取り壊し、その人外の存在を消そうとしたのではないだろうか?
でも果たせなかった。
ここに居るのは、父でさえ敵わず十数年間この屋敷を保ってきた人外だ。
そんな相手に、僕なんかが太刀打ち出来るはずがない。
だが僕に会う為、幼いリュディーナは1人で園にやって来た。
それを思うと、この屋敷に僕が入れるか入れないかを試してみるくらい、高が知れている。
のだが、まずは1歩進もうと、足を浮かし掛けては止めている状態だ。
リュディーナは凄い。
両親に対して、ちょっとした意趣返しなど僕には無理だ。
「このまま私奴をお連れ下さい。これよりは貴女様に御仕えいたします」
そうそう。
確か、こんな感じだった気がする。
何も出来ない僕に対する、人外からの言葉は妙にへりくだっていた。
もし、もっと高圧的に出られていたら、両親の幻影を一層見てしまって、内では拒否しつつ承諾していたかもしれない。
短いとはいえ、あの人外と話したのはあの時が最初で最後になるはずだった。
それなのにリュディーナが言っていた通り、ヒミノトの屋敷の家憑きの人外の主は本当に僕かもしれないと、どこか自意識過剰になっている。
僕なんかがと思いつつも、僕の声には魔法が宿っているのではと実験した時の気持ちと同様に。
スエートまでの送り役だった人外が、一方的に僕を主にしているせいで、この屋敷が誰も入れない状態になっているのではと、疑っているのだ。
その上で、誰も入れないという事は……入ったら最後。
今度は出られなくなるのではないか、という不安も浮かんでいる。
しかしリュディーナだって、不安ならば大量に感じたはず。
その姉である僕がこんな所で尻込みしているだなんて、情けない。
「リティさん。そんなに躊躇うなら、止めとけばいいじゃないですか」
動けないでいる僕に、ここに居るはずのないタッゾの声が背後から聞こえた。




