66・回想(57)
ヒミノトには生まれてから入園までの間、僕が住んでいた屋敷がある。
だがあくまでも、その時の両親がヒミノトを拠点にして生活していた為だ。
両親が住んでいたから、僕も住まいとしていた。
それなのに、どういう事だ?
それだけでしかないのだから、ヒミノトの屋敷を譲るなんて僕が決められるわけがない。
もしリュディーナが何かで困っていて、僕が助けになれるなら……。
そう思わなくもなかったが、僕だけの力で出来る事なんてないと、リュディーナの内情に踏み込む事を躊躇っていた。
だが、これは本当に無理だ。
リュディーナがこうまで僕にだけ付いて来るのは、もしかして僕自身が観察対象なのだろうかと薄々感じ始めてはいた。
エノンに会っても、タッゾに会っても、リュディーナは2人に積極的に関わっていこうとはしない。
僕が1番心配していたのは研究棟だが、探検と称して1人であちこち探りに出る様な事もない。
けれどアーラカとも関係ないなら、今更もう僕自身には探られるような事は何もない。
一体どこがどうなって、リュディーナは僕にこんな事を言い出したのだろう?
「それは僕じゃなくて、父上に言った方がいい」
「お父さまも誰も、今やヒミノトの屋敷に入る事が出来なくなっています。数年前に、わたくしも試みましたが叶いませんでした。お父さまとはそれきりです」
「誰も、だって? そんな事より父上……いや、何でもない。リュディーナの母上は?」
ヒミノトの屋敷の状態は不明瞭だが、それよりも何よりも、こうして小さな妹から直接聞くと本当に父のなさり様は酷い。
だからこそ、父の事は聞いても仕方ないだろう。
父にとっては僕だけではなく、リュディーナも期待外れな子供だった。
それだけでしかないに違いないから。
だから気にするのならば、数年前という点だ。
その間、リュディーナは園に放り込まれずに済んでいた。
たぶんリュディーナの母が留め置いてくれていたに違いない。
でも、リュディーナはおかしな時期に入園してきた。
つまり急に出来なくなる理由が出来たのか?
リュディーナも両親に見限られたとは思いたくない。
そして、それがヒミノトの屋敷の話に繋がっていて欲しいと願いつつ、心の中では恐る恐る訊ねた。
「お父さまの訪れがなくなった事で、お母さまは皆から冷遇される様になり」
「……」
きっとリュディーナの母だけでなく、リュディーナ自身に対する扱いも変わったに違いない。
もしかして心の病から臥せてしまったのではと、相槌さえ入れられずに話の続きを待つ。
「真実の愛に目覚めた! からと、家を出ました」
「……ん?」
「わたくしも連れていって頂きました。けれどリティ姉さまとタッゾさまがご一緒の時もそうですが、間にわたくしも入っていいものか悩む日々が続き」
「え……っ?」
「わたくし、思ったのです。わたくしが居ても良い場所はどこなのだろうかと。お母さまの様に愛する方がいれば、その方のお側なのでしょうけど」
完全に予想外の話である。
しかも。
「わたくしには未だに、その様に思える方がおりません。リティ姉さまとタッゾさまはどの様に出会われたのですか?」
絶対に答えてはならない質問を向けられてしまった。
せっかくリュディーナの目の前には、タッゾと僕の幸せな愛の物語が広がっていた様なのだ。
わざわざ壊す真似をする必要はない。
これは話を逸らすべきだっ。
「今のリュディーナの年に僕もタッゾとは会ってないよ。やっぱり邪魔だからと突然追い出されて、入園して来たわけじゃないんだね?」
「はい。講義がなく、少しでもリティ姉さまがお暇であればと。お母さまとも相談して夏休み期間である今、こちらに参りました」
僕自身が目当てだという仮説は正しかったらしい。
「わたくし思ったのです。愛する方が見つけられるまで、わたくしの家があれば少しは居場所がないという不安から逃れられるのではと」
真実の愛の話には正直どうしようかと思ったが、これはリュディーナに共感出来る気がする。
10歳までは無償だが、寮の部屋はあくまで園にいる間だけの部屋なのだ。
「でも、わたくしは1人で暮らしていく事など出来ないでしょう。……ですから、リティ姉さま。わたくし、人外憑きの家が欲しいのです」
あれ~?
気のせい、かな?
思わず、どうしてそうなるっ? と、突っ込みを入れたくなってしまったような。
「しばらくリティ姉さまを見ていても、人外が憑いていると確信は持てませんでした」
それで、観察だったらしい。
「けれどヒミノトの屋敷に憑く人外の主はリティ姉さまなのでしょう? だからリティ姉さまが入園した時期から、誰も入れなくなったのだわ」
スエートの駅で、断った。
もう当時の事を断片的な場面でしか思い出せなくなっているが、それは覚えている。
それなのに本当に全くどうして、そんな事になっているのか?
気になる話ではある。
が例え入れなかったとしても、家の権利は父のものだろう。
リュディーナに妙な期待をさせてはいけない。
「勘違いしてるよ、リュディーナ。僕に憑いている人外はいない」
「そんなはずありませんわ。髪の色が同じでも駄目かと、確かに聞きましたもの。お部屋でこっそり会っていらっしゃるのでは?」
ラァフとなら会っていたが、あくまでエノンに憑いている。
僕は首を横に振った。
「譲って下さらなくても構いません。ヒミノトの屋敷に入れてさえ頂ければ、お父さまへのちょっとした意趣返しになりますもの」
ああ、逞しいな。
どうやら想像以上に強い子だったらしい、リュディーナは。
妹だけど。
半分、血は繋がっているのに、僕とは違う。




