53・回想(44)
魔の領域に、それと正反対の聖域があるなんて、一体誰が想像するだろう。
瘴気と悪霊の海を割り、走り続けていた時の景色はあんなに凄惨だったというのに、1歩入った途端。
もう空気からして違う。
そしてキラキラが舞っている。
どうやら、ここのキラキラは微小魔石らしい。
手の平に乗せて、じっくり見てみようと思ったが、触れるなり融けてしまった。
それでも、ラァフ的には問題ないらしい。
くちばしを開いた状態で寝っ転がっている。
完全リラックスモードだな、あれは。
よしよし。
今回は魔物を倒さず終いになりそうなので、ラァフの食事面では残念な結果になりそうだと思っていたが、大丈夫そうだ。
走った事で消耗した体力も、そうし続ける為の魔術に使った魔力も、みるみるうちに回復してしまった。
ざっと見、園の食堂くらいの広さはありそうなのだが、そのどこもが回復地と見て間違いない。
「よく、こんな場所に気が付けたな」
「ふっふ~ん。もっと褒めていいわよっ」
「レミは本当に凄い」
「……やっぱり気持ち悪いから、あんたは褒めなくていい。エノンが褒めて~っ!」
素直な感想だったのに、酷い言われ様だな。
まぁレミにどう思われ様が、こちらも構わないが。
というか、レミに飛び付かれたエノンはというと。
まるで物語に出て来る王子様だった。
普段よりもキラキラ度が上がっていて、僕にはちょっと眩し過ぎるくらいだ。
「少し歩いてみる」
「お供しま~すっ」
するとタッゾはともかく、リラックスモードだったラァフまで頭の上に乗って来た、気がした。
僕がいる時しかも側にいる時にしか、ラァフは食事を摂らないのでは? という仮定がますます確信に近づく。
ラァフを撫でた時の事を思い出してみるが、ちゃんと、ふわふわ、だと思う。
だけど僕が知らない判断基準が他にあって、実はラァフが栄養失調だったとしたらどうしよう。
ラァフが心配で、つい頭に手を遣り掛け……止めた。
確かに、どうせタッゾには聖獣の存在は読まれているのだから、曝け出してもいいとか。
ラァフの存在を知っても、誰にも言わないとタッゾを信頼もしていたが、さすがに気を抜き過ぎだ。
例えそうだろうとしてもラァフの事だけは、何としても隠しておきたい。
なぜならエノンを邪魔に思うタッゾは、エノンを神殿に売る事に何の抵抗もないのだから。
いや、売るなんて言い方は不謹慎だった。
本来ならエノンは神殿に保護してもらうべきなのに、黙っている僕の方こそが悪い。
今の不自然な手の動きを、タッゾに見られていただろうか?
もし見ていたとして、何か勘付いただろうか?
そう疑い、タッゾを窺った……のだが。
ちょおっと待て、待て待て待て。
見なければ良かったと、慌てて視線を前方へと戻し、僕は物凄い後悔に襲われた。
そんな僕にトドメを刺して来るがごとく、タッゾが言う。
「愛してます、リティさん」
何度か向けられ、時には言われた事で。
今タッゾがしているこの手の視線が、どういう意味を孕むのかが分かってしまった。
これまでの関わりの中で、一体どうやったら僕なんかに愛なんてものを抱けるっていうんだ。
正気の沙汰ではない。
本気で勘弁してほしい。
しかも今、この場で。
よりによって、その感情を沸かせた意味が全くもって理解不能なんだが。
このキラキラのせいか?
僕には何の変化もないが、感覚が鋭過ぎるせいで、心までキラキラになっているんじゃないだろうな?
「聖域で迂闊な言葉を口にしない方がいいんじゃないか?」
「言いたい時が言い時です。聖域で愛を交わした2人は永遠に結ばれる、でしたっけ?」
駄目だ。
ちっちも声音が変わっていない。
万が一。
つられて僕まで浄化されたら、悪事を隠しておけなくなってしまう。
絶対に僕は見ないぞ、タッゾの方を見たら危険だ。
「神殿で行う誓い以上の、契約に縛られでもしたらどうする気だ」
「本望です。俺からすると今更なくらい、リティさんに縛られてるんですけどね~。リティさんが安心出来るなら、正式に飼い犬契約しましょうか?」
「必要ない」
飼い犬契約なんて聞いた事がない。
正式な契約にすると、主従契約になるのだろうか?
契約のせいで従われたって、虚しいだけだろうが。
タッゾの視線から逃れようと自然と早足になっていたので、もう聖域の境目に着いてしまった。
キラキラの舞い方が途絶えがちだ。
このまま境目に沿って歩き続けるより、ラァフの為に中央へ戻った方がいいだろう。
「リティさん。愛してます、永久に」
「~~~っ」
だから、口にするな、と僕は、言ったのに。
命令形ではなかったが、警告はしたはずだ。
「……目を閉じろ、タッゾ」
「えっ? あっ! はい、閉じました~~ッッ」
「?」
何だ?
急にタッゾの声の質が変わったな?
期待から上擦っている様な、そんな感じだ。
この調子ならうっかり目が合っても、大丈夫かも?
それに目を閉じて歩いても、躓いて転ぶようなタッゾではないが……念の為だ。
目を閉じたままのタッゾの手を取り引っ張って、僕は歩き出した。
が、数歩も進まないうちにタッゾの足が止まる。
「リティさ~ん? どちらへ?」
「もっとキラキラしている所へ」
「あ~っ。納得しましたっ」
「?」
何を納得したのか分からないが、とりあえずタッゾが再び歩く気になったから良しとしよう。
ここが中心なのだろうか?
たぶん聖域内で1番キラキラしている場所に立ち止まり、タッゾから手を離した。
「リティさん、まだですか~?」
「まだ? 何がだ?」
あれ?
いつの間にか、エノンとレミの姿がない。
それにラァフも。
まさか聖域から出ているのか?
「俺は今、ものすっごく嫌な予感がしてます」
「どういう事だッ? エノンとレミ、2人で無茶でもしてるのかッ?」
「へっ? 目、開けますよ~」
「あぁ」
タッゾは律儀にまだ閉じたままだったらしい。
「あ~、なるほど。大丈夫ですよ、リティさん。魔力が減ってきたら、ちゃんと戻ってきますから」
「じゃあ何に対しての、嫌な予感だったんだ?」
「リティさんッ! ここは1つ誓いのチュ~をする場面だと俺は主張しますッッ」
「僕は全く思わない。という事で、断固拒否だ」
「やっぱりッ! 歩き出した時点から何かおかしいと……して下さい、したいです、しましょう、しますからッ!」
「なっ」
詰め寄られたかと思うと、タッゾにがっちりと捕えられた。
目を見れば分かる。
タッゾのこれは愛じゃない。
性欲か支配欲、せいぜい独占欲とか、もしくは一連の流れとして聖域に来た記念的なもの。
愛を交わしていないから大丈夫だ。
タッゾと僕の間に、聖域の契約は成立しない。
そうして。
「リティ。オレ、卒園試験を受けようと思う」
タッゾの言葉通り、レミと一緒に戻って来たエノンから特大魔法を落とされた。




