24・回想(19)
放課後、校舎の廊下が雨の湿気で滑りやすくなっている中、温室にいるエノンを見守る為に、僕はいつもの教室の窓に陣取っていた。
温室の共同利用を認めてから、レミが温室に入った後、中からエノンが1人で出てくる事はない。
ある意味において、エノンがレミのものになってしまったのだと、僕は今更ながら強く実感……させられている。
昼食を一緒にしている仲間達には気を遣われているらしく、エノンがいない寂しさを僕に感じさせまいと思うのか、前にも増して、学校外での誘いを掛けられる様になった。
周囲から見ると、今の僕はよっぽどエノン不足で、安定性を欠いているらしい。
しかも、そんな僕への同情を、恋愛感情と混同してしまう者が出始めた。
ここに来る途中で、呼び止められた事を思い出し、つい僕の口から溜め息が漏れる。
「始めはエノンの代わりでもいいから、付き合って欲しい」
エノンの代わりだなんて、誰にも出来ない。
「気を遣ってくれて、本当にありがたいと思っている」
「じゃあ」
「だがすまない。僕は今の立ち位置から動く気はないんだ」
「……そうか」
「……今から見守りに行くが、一緒に行くか?」
「……今日は止めとくよ」
「ん。またな」
いくら同情からの感情を混同しているとはいえ、告白されたからには返事を返さなければならない。
だがずっと一緒に、エノンを見守ってきた仲間に、何度も断りの返事を返さなければならない事に、最近僕は少し憂鬱になってきている。
「リティ。おぉ~い」
だから園内で、エノン以外から名前を呼ばれると、少し身構えてしまう様になっていた。
「アーラカ?」
でも僕に呼び掛けて来た人物を見て、今回は話の内容が違いそうだと、少し体から力が抜けた。
アーラカはエノンと僕の同窓だ。
園に在籍してはいるが、今は、魔術学研究専門の寮に移っている。
教室から廊下へ出て、アーラカへと向くと、こちらへ歩いて来るタッゾの姿も見えた。
タッゾが来たという事は、もうレミも温室に向かっているだろうと見当が付いて、エノンを守るという点では安心する。
「私がリティに用って言ったら、決まってるじゃん」
「あの話なら前に断った」
家の一族外ではあるが、アーラカも魔術師の家系にも関わらず、幼少期から園の寮に放り込まれた口だ。
家との関係という点で、アーラカはエノン以上に分かってくれると思う。
なので、アーラカには常から相談に乗ってもらっていた。
以前、雛が食べていた微小魔石についても、相談を持ち掛けたが答えが出ず、その後から顔を合わせるたびに、共同研究をしようと誘われる。
何度も誘われるものだから、断るのも慣れてしまった。
長い付き合いから気安くもあり、言葉も選ばなくていいし、簡潔に即答出来る。
いつもの様に僕が答えた時点で、この話は終わるのだが、今日のアーラカは粘りたい気分だったらしい。
「その最大理由だったエノンには、立派な彼女が出来てるじゃん? だからさぁ、もう1回前向きに考え直してくんない?」
「悪いが……」
「頼むよぉ、リティ」
しかも手まで合わされてしまった。
でもエノンからのお願いならともかく、この誘いに乗れない事は変わらない。
この気持ちが揺れたつもりは全くない。
だが、いつの間にか側に来て、突っ立って成り行きを見るだけの、傍観者が詰まらなくなったか、タッゾが介入して来た。
「はいはい、そこまでにしときましょ~」
「えぇ~っと? ……もしかしてお前、エノンの彼女の兄?」
「入園早々に、リティさんに飼われまして」
「飼われた?」
「ま~、色々と。リティさんは断ってるんですから、さっさと諦めちゃって下さいね~」
「なんっ?」
「早いとこ退場してくれないと、主人を困らせる奴だって事で、噛み付きに掛かりますよ、俺は」
色々と、にそれとなく力を込め、更にタッゾはアーラカにシッシッと追い払う動作までしている。
「お前に言われる筋合いはないと思うが?」
初対面の者に、そんな態度を取られたから尚更なのだろう、対してアーラカは1歩も下がる気がないらしい。
「大有りですよ」
タッゾから煽る様な視線を向けられ、アーラカの表情が一気に険しくなる。
タッゾが介入したせいで、結果として空気が不穏になったと、僕はため息を吐いた。
「それくらいにしておけ、タッゾ」
「え~。俺の方に止めを入れるんですか、リティさん? 何か納得いきませんけど?」
「……」
「分っかりました~」
まずは無言でタッゾを冷たく睨み付けて黙らせ、再び僕はアーラカに視線を向けた。
その途端、怒涛の勢いでアーラカが話し出す。
「とりあえず、次の研究発表からどうよぉ? 次のは園内だけでのだし、今までエノンの為に使ってた時間を埋めるのに最適じゃんか……なッ、なぁッ?」
「アーラカ。相談に乗ってもらった件については、いつでもどこでも使ってくれていいし、研究も進めてくれて構わない。誘ってくれるのは本当に嬉しいが、答えは同じだ。引き受けられない」
アーラカからはいつも以上の熱意を感じるが、ちゃんと冷静に、そして淀みない口調で誠意を込めて僕は告げた。
「あぁ、そういえば」
婚約問題が再浮上している件を、教えてくれたのはアーラカだった。
目の前に来てくれて、ようやく僕は思い出す。
「この前は僕に関する情報をありがとう、アーラカ。ついでになってしまって申し訳ない。お陰で早々に片付けられた」
内面の整理が追い付かなくて、改めてのお礼を言いに行くのを、すっかり忘れてしまっていた。
情けない。
「……」
返事がない。
共同研究も断ってしまったし、怒らせてしまっただろうか?
「……アーラカ?」
「えぇ~と? えぇ~っと? 片付いた? 彼女が出来たし、エノンではないよなぁ? えっ? えぇ~~~ッ?」
タッゾと僕を交互に何度も見遣ったかと思うと、息が続く限りの叫び声を廊下に響き渡らせ、アーラカは走り去って行った。




