18・回想(14)
エノンが温室を自分のまったりエリアと決めた時、仲間達の間では少し意見が割れた。
温室を手入れするかしないかで。
結局は、エノン自身が温室に不満を洩らさなかった事。
そして外から見えない方が人目を気にしなくていいだろうと、温室は汚れた状態のままという事になったのだ。
タッゾとレミ、2匹の獣が温室に入り込み、更には昼食まで一緒する様になって、約1ヵ月が経った。
エノンは昼休みにケーキやクッキーなどを、レミからもらう様になっていた。
どうやら周囲にひた隠しにしていた甘い物好きを、レミに見破られたらしい。
その辺りから、エノンは僕によくレミの話をして来るようになった。
「避けずに話してみれば、始めに怖いって感じたのが嘘なくらいに、イイ感じがするんだっ」
「……そう」
一緒に魔物狩りに出かけたり、街中でレミが働いている仕事場に顔を出したり、日に日に親しくなっていくエノンの様子が、次々僕の耳に入って来るようになっていた。
楽しそうな表情を浮かべるエノンに、僕は相槌を返す事しか出来ない。
それ以外は答え様がなかった。
「雛先輩は、レミが全力で落としにかかってますから、もうあげちゃってもいいですよね」
「……」
タッゾに言われるまでもなく、このままではエノンはレミに奪われる。
これまで僕がどんなに望んでも、得られなかったエノンの想いが、こんなに短い時間でレミに向けられようとしていた。
もはや時間の問題だ。
仲間達もそれに気付いている。
「リティ、良いのか?」
「このままだと、エノンの特別をレミに取られちまうぞ」
ザワザワと落ち着かない周囲に、
「エノンが笑っていられるなら、それでいい」
そう口では言っていたけれど、1番心が揺れているのは、僕自身だ。
木々の緑が濃くなるに連れて、僕の心には闇が増殖し、揺れて、エノンを失う恐怖に怯えている。
それと同時に、どうしてレミではなく僕を選んでくれないのだと、エノンにぶつけたくて仕方なかった。
これまで何かに紛れてしか、僕はエノンへの想いを伝えて来なかった。
それなのに、レミに奪われそうだからとエノンにこの想いを伝えるのは、エノンの気持ちを考えない自己中心的な考えでしかない。
でも、本当はエノンに振り向いて欲しい。
誰よりも側にいたい。
そう訴え続ける僕の心を押し潰し、耐えなくてはいけなくて、エノンの側にいるのがますます苦しくなっていた。
エノンの口からレミの話が出るたびに、本当は耳を塞ぎたい。
レミなど、この世から消えてしまえばいい。
そしてエノンを誰の目にも触れない場所に閉じ込めて、2人だけで……。
いっそエノンがいなければ、僕はこんなに苦しい想いを抱かず、楽になれるのではないか?
いや、その考えは間違っている。
なぜならエノンがいないと、僕は人として成り立たない。
エノンは僕という存在が、ここにいると周囲に知らせてくれる。
今ある人間関係も、エノンがいたからこそ、出来た仲間だ。
エノンを奪われたら、僕は崩壊してしまう。
周囲に無様な姿を見せるくらいなら、その前に僕を取り巻く世界が、全て壊れてしまえばいい。
……だが、1番消し去りたいのは、エノンに迷惑を掛けそうなこの僕だ。
誰か、僕を葬ってくれないだろうか?
でも実際にそんな場面になったら、きっと僕は素直に殺されやしない。
それなら、自分で自分を刺し殺そうか?
僕は手に持った包丁をジッと見つめる。
それも出来ない、とても無理だ。
刃にぼんやりと映る僕の心は、自分の命を止める事に心底怯えきっている。
心の闇なんて言葉の響き、僕には全く不似合いだ。
僕は、ただの臆病者。
僕の心は未熟過ぎる。
エノンという存在がいなければ、自己確立さえ出来ないのだから……。
エノンが悪いわけじゃない、それは分かってる。
エノンを好きになり、ただ身勝手に気持ちを募らせ、囚われている僕が悪い。
でも何より、レミについて話すエノンの輝く瞳を見たくなかった。
そして、そんな僕にエノンがキレた。
「リティっ。オレ、何かしたかっ?」
「え? 急にどうしたの、一体?」
「とぼけんなっ。オレとちゃんと目を合わせないくせに、……何でだよっ?」
「……」
あぁ、エノンへの気持ちは何とか押さえつけられたけど、僕は態度に出てしまっていたのかと、言われて始めて気が付いた。
このまま問い詰められたら、押さえつけた気持ちが出てきてしまう。
エノンの前から逃げ出したい、でも出来ない。
エノンを悲しませ怒らせた僕が悪いのだから。
だから、僕の歪んだ想いは何としてでも、押さえ込まなくてはいけないのだ。
これまで、ずっとそうして来た。
それが今出来なくて、どうする?
「エノンが好きだよ」
「オレもだよっ。だからリティが怒ってる理由を知りたいんだっ!」
「エノンは、レミをえらく気に入っているだろう? これは幼馴染みよりも恋人を選ぶ日も近いな、寂しいなと拗ねていたんだ」
「……え?」
「それからエノンが僕よりも早く、心を預けられる相手を見つけた事に対する嫉妬もあるかな」
「リティ……」
言葉通り不貞腐れた調子で言って、エノンの怒りを退けた僕は、すっかり面食らっているらしいエノンの視線を見つめ返す。
「ただそれだけ。……ごめん、エノン」
あざとく、許してくれるかなっと小首を傾げるという、演技も付け加えた。
「全くだぞっ。知らずによっぽどの事しでかしたのかもって、メチャメチャ悩んで損したじゃんかっ。……だけどオレ、レミとは何でもないからなっ!」
「まだ、何でもない、ね」
「何だよ、そのイヤ~な言い方っ!」
「あはは。ごめんごめん」
理由が分かって安心したという様に、エノンが食って掛かって来る。
それを軽く受け流すふりをしながら、条件反射の様に心の奥から浮かび上がってくる暗い感情を、僕は何が何でも黙殺し続けた。
エノンが僕の目の前から立ち去るまで。
心が暗い思いに沈んでしまう時、1人でいたいような気がすると同時に、強烈に誰かに側にいて欲しいと求める。
僕が1番求めているのはエノンだけど、それは駄目だ。
欲望を抑えて、自分をコントロール仕切れるかどうか、自信がないから。
そして求めるばかりではなく、僕も誰かに求められたい。
それだけが、タッゾを完全に拒絶出来ない理由。
いいや、違う。
タッゾが僕の日常に無理矢理、割り込んで来ているんだ。
それを何だかんだと許してしまっているという事が、結局……。
人恋しさだなんて何を今更と、僕は自分自身を嗤った。




