15・回想(11)
朝、自室の扉を開いた途端に、僕は思考を回転させなくてはならなかった。
「おはようございます、リティさん。本日はお願……」
「断る」
「……実は」
「他を当たれ」
立っていたのはタッゾで、エノンに関する以外の面倒事を、受け入れたくない僕は最後まで聞かずに即答した。
第一、ろくでもない内容に決まっている。
そのお願いとやらを聞いてしまえば、最後の様な気がした。
絶対に僕が叶える様に、仕向けられるに違いない。
傷付いたような表情をタッゾは浮かべているが、どこまでが本当か分からない。
そんなタッゾを無視して扉を閉める。
「ちょっ。リティさんッ!」
タッゾが部屋の扉を叩いてくるが、諦めるまで居留守を使おう。
そう思っていた僕の耳に、エノンの怒鳴り声が飛び込んで来た。
「リティに近づくなって言っただろ~ッ!」
「雛先輩、ど~も。リティさんと同じ寮なんですね~」
「どうやって調べたんだよ、部屋ッ?」
「それは企業秘密ってやつです」
「ふざけんなッ!」
エノンの声だけが廊下に響き渡っている。
誰がどう見ても、エノンの方の分が悪い。
僕の自室を調べ上げたくらいだから、タッゾはエノンが僕と同じ寮である事くらい、知っていたに違いなかった。
あくまでも軽い調子でとぼけ通すタッゾに、ますます警戒の必要を感じる。
「しょうがない」
エノンの為だと、渋々僕は部屋の扉を開けた。
「……エノンは? どうしてここに?」
「朝、リティが食べに来てないって聞いて。で、果物なら食べられるかなって、持って来た」
「ありがとう」
「うん。はいっ」
正直食欲がない。
無理に口に入れても、いつまでも呑み込めずに溜まりそうだった。
けれど表皮を剥くだけで食べられる果物を、エノンは差し出してきた。
他の誰でもないエノンからだったから、果物を僕は受け取る。
「教室で、空き時間に食べれるのにしたからさ」
「うん。ありがとう」
さすがエノン。
今は無理でも、そのうち食欲が湧いたら、すぐに食べれる物をチョイスしてくれた。
「カバンも持っているみたいだし、それじゃあ、リティ行こう」
どうやらエノンは、園への迎えに来てくれたようだ。
今朝は遅刻だと内心思っていたが、実は運が良い日なのかも知れない。
タッゾさえ居なければ、さっさと僕は園に向かっていただろうから、こうしてエノンと一緒に園へ向かう事だってなかった。
ほくほく気分である。
しかし、園へ向かうのはタッゾも同じ。
しばらくしないうちに、エノンとタッゾのやり取りは再発した。
いつもなら、園に向かうまでエノンと話しているのは僕。
それなのに、今朝のエノンの話し相手はタッゾ。
言い合いをしているタッゾは、エノンを何だと思っているのか全く相手にしていない。
「俺はリティさんにお願いがあるんです。だから雛先輩にはちょっと黙っててほしいんですけど?」
「何だよ、そのお願いってッ?」
「雛先輩にはこれっぽっちも関係ありませんから、リティさんにだけ言いま~す」
「何だと~ッ?」
エノンと一緒にいると付いて回る視線だが、今日は目立つ存在がもう1人増えている。
お陰で周囲から、かなり目を引いていた。
それもあって段々、タッゾの存在が僕の神経に触り出した。
エノンとの大切な朝の時間を、このまま邪魔され続けるのと、存在を遠ざける為にタッゾの願いを叶えるのと、どちらがいいかを思考の天秤に乗せる……。
どちらも嫌で、溜め息が出た。
もうすぐそれぞれの教室に向かって、別れる地点に差し掛かるのに、今朝はタッゾが邪魔してエノンとろくに話せなかった。
そんな事を思い始めたその時、誰に聞かれても構わないと考えを改めたらしく、タッゾはエノンの存在を無視して、僕に言って来た。
「俺の飼い主になってほしいんです、リティさんに」
「はぁ……ッ?」
「……」
本当に、朝から色々と考えさせてくれる。
エノンが素っ頓狂な声を上げたのも、無理はない。
僕はタッゾを睨み付けた。
「さっき断ると言った。……お前の教室はあっち」
「ヤレヤレ。でも、絶対に聞き届けてもらいますから」
肩を竦めて去って行ったものの、タッゾに諦めの色はない。
何かを企んでいるはずなのだが、それを読む事が全く出来なかった。
付け加えて、飼うという言葉は、僕に苛立ちを増幅させる。
僕は、両親に飼われているから。
飼われている自分に、たまに憤懣を感じるから。
僕は両親の聞き分けの良い飼い犬だが、タッゾが聞き分けの良い犬になるなぞ、全く想像が出来ないから。
そして、それが本当に羨ましいから。
「アイツ、何を考えてやがんだ~ッ。先輩を雛呼ばわりじゃ飽き足らず、リティに変な事を頼みやがって~ッ!」
エノンが僕の為に、憮然として叫んでくれているのを見て、何となく心が落ち着いた。
相手がタッゾである以上、過剰反応は禁物だ。
一昨日、接触した時の様に、タッゾの流れに溺れる事なく、冷静に様子を窺うのが肝心である。
タッゾは僕を飼いたいのではなく、自分を飼ってほしいと言っていた。
ならば……いっその事、高飛車に反応してやった方が、いいのかもしれない。
願いを叶えてやると高慢な態度に出た方が、詰まらないと感じて、早々に僕に飽きてくれるだろう。
だいたい野性の獣が本気で誰かに飼われたいと願うものか?
答えは、否だ。




