14・回想(10)
寮の自室に帰り着いても、首筋からの鈍い違和感は消えなかった。
歯形は今や、痣の様になってしまっている。
昼間はこれのせいで、エノン達に随分と心配された。
「ちょっ。リティ」
「アイツ!」
「ほらッ、これで冷やしてッ」
そんなバタバタしている時に、見守りの教室にエノンが入って来てしまったのだ。
「リティっ!」
「ああ、エノン。何かあった?」
僕は普段通りを装おうとしたのに、いつもの仲間達がそうさせてくれない。
「何かあったじゃないッ!」
「まず、消毒!」
「すまん、エノン。先にリティの手当てをさせてくれッ」
飛び交う言葉で、エノンも僕の身に何か起こったと、気付いてしまったらしい。
表情を険しくして、エノンが訊ねて来る。
「……何? 何かあった?」
「リティが、手を出されたんだッ!」
「……誰に?」
マズイ。
エノンが、怒っている。
このままじゃ、何が起こるか分からない。
下手をすれば、魔力の暴走が起きるかも。
「……エノンには、関係ない」
エノンに関わって欲しくなくて、そう言ったのに。
「関係ないじゃないよッ!」
「アイツ、タッゾだろ?」
「レミの兄貴じゃないかッ!」
「だから、エノンに関係ない」
「「リティっ!」」
皆が怒鳴って来るが、このままじゃ!
もしかしたら、暴走した魔力がエノン本人を巻き込むかも知れない。
それにエノンの方から、あの曲者っぽい兄妹の所へ行く事になりでもしたら、一体どうなるか。
どちらにしても、エノンが危ないんだ!
「関係ないっ。エノンは気にするな。大丈夫だ」
だが、エノンは納得してくれなかった。
「……タッゾって?」
静かに、怒りの魔力を洩れ撒きながら聞いて来た。
ああ、ダメだ。
エノンに憑いている人外の、鳳まで怒り出している。
「「……」」
エノンと鳳の魔力に気圧され、周りが静まり返る。
今ここに居るのは皆それなりに魔力持ちで、魔力に敏感だから、誰も口を開く事が出来ない。
「……新しく園に入った新入生だよ、エノン」
僕は、側にいる人外の雛が、何とか魔力に対抗してくれたので返事が出来た。
「そんな事を聞いてるんじゃないッ! 分かって誤魔化してるだろッ!」
「……ぅ」
当たりだよ、エノン。
僕は、誤魔化したいんだ。
今の園では僕にしか見えない鳳だが、さすがにここまで力を出していたら、その存在に気付く人が出るかも知れない。
特に、力が強いから園に入ったと思われるレミやタッゾに、鳳の存在を気付かれたくはない。
だから……。
「力を抑えてくれ、エノン。怒りで魔力が洩れ出していて、つらい」
「リティっ!」
「頼むよ。お願いだ」
再度頼み込む僕に、エノンが周りを見てくれた。
「「エノン……」」
気圧されていた皆も、何とか魔力に対抗出来るまでに、エノンは落ち着いてくれたが。
「リティっ?」
「もう痛くないし。見なくてもいいよ」
痛いの痛くないのと問答を繰り返し、最後には。
「どうしてリティはこんな事されたのに、そんなに冷静なんだッ? オレに八つ当たりでもいいから、もっと怒っていいはずだろッ?」
口論の途中から、周りの皆も口を出し始めた。
その結果エノンは、自分に付きまとい始めた人物がレミという名であり、その兄が僕に手を出したのだと知ってしまった。
しかも叱られてしまう。
もう、エノンだけじゃなく、周りにいた皆からも一斉に。
だが怒りをぶつけるとしたら、それはタッゾに対してで、エノンにそうしても全く意味がないだろうに。
実際に今、僕から怒りの感情は消えている。
面倒な事をしてくれたとは思っているが。
「もういいッ 直接聞くッ!」
エノンは教室から、飛び出して行ってしまった。
なかなか人馴れしなくなった今でも、エノンは古馴染みの為なら、幼い頃のままの気の強さを見せる事がある。
慌てて周りの皆も、エノンの後を追い掛けてくれた為、少し僕はホッとした。
そんなエノンでも、今日すぐあの2人に突撃する事はないだろうと。
次の日、エノンを見守りしている僕を、心配して様子伺いに来てくれた仲間達に、水を向けてみたが、あの後、何も起こらなかった事は確実らしい。
当然かもしれない。
なぜなら。
昨日の昼間、エノンが行く手を塞ぐ皆を掻い潜って、温室に辿り着いた時には、もう兄妹はいなくなっていた。
そもそもエノンにすれば、今まで名前も知らなかった兄妹なのだ。
そんな人間の現在地情報など、分かるはずもない。
エノンを守りたいから、周りの皆も兄妹の情報は調査中で逃げたからだ。
10歳を過ぎて、乳幼児期から園にいた、古馴染みの寮生はどんどん少なくなって、更に夜になっても帰って来ない、寮生も増えている。
皆将来を見据えて、未来を切り開こうと動き始めているのだ。
けれど未だに、夕食時に顔を合わせれば一緒に食べるし、さすがに自室は男女別々になったが、食堂を追い出されてからも、消灯時間まで性別年齢に関係なく、雑談したりする場合があった。
そんな夕食の時間にエノンと顔を合わせて、しかも目線が、服で隠してある首にいっていると気が付いた僕は念の為、逆にエノンを探る事にした。
「エノンは、何かされたりしてない?」
ワコさんに「この人だと思ったら、唇を云々」と教え込まれて、エノンは育っている。
だからもし、エノンがレミにキスされでもしたら、その心に及ぼす影響はもっと大きくなるはずだ。
「何もされてない。けど……」
「けど?」
「言われたっていうか、始めの1回だけなんだけどさ……その……」
「何を?」
エノンの声はどんどん尻窄みになっていき、それに伴い自然と僕の声は低くなっていく。
そしてエノンが意を決したかの様に、僕の目を真っ直ぐに見つめて来た。
「あ、あのさっ。リティっ」
「うん。何、エノン?」
エノンが動揺しているのは分かったので、そんなエノンの心に巻き込まれない様に、せめて僕だけでも落ち着こうとした、つもりだった。
「実は会った瞬間に、結婚してくれって言われたんだっ」
「……ええっ?」
これまでエノンはただレミを怖いというだけで、具体的にどこがという話になると、いつも言葉を濁していた。
まさかレミから、そんな事を言われていたとは。
「え~っと、その~本気、だと思うか?」
「……どうだろう。ごめん」
何とかそう答えたけれど、エノン相手なら初対面でだって、そんな言葉が出ても可笑しくない。
しかも会うたび、会うたびに、レミはエノンを追い掛けているのだから、きっと口に出さずとも気持ちは変わっていないのだろう。
「でもいきなり結婚なんて、嫌だよね、エノン」
困るとか戸惑うじゃなくて、わざと僕は嫌という言葉を使った。
もしエノンが同意してくれたなら、どんな手を使ってでも、あの兄妹を追い出すから。
だから頷いて、エノン。
そう願っていたのに……。
「嫌っていうか、怖いんだ。何かが変わるような気がして。だけどいつまでも、怖がってるわけにもいかないし、明日からあの温室でお昼を一緒にする事にした」
「え、いつの間にそう決まったの?」
「リティの首の事で怒鳴りに行ったら、何でか……」
どういう事だ?
もしかしてエノンは昨日だけじゃなくて、情報がないまま、今日も兄妹を探し回っていた?
「僕のせい?」
ねぇ、エノン。
エノンはレミが怖いと言っているけど、本当に?
その感情は、怖いという言葉だけで合ってる?
そう尋ねてしまいたい。
始めは、何を言われているか分からないと、エノンには首を傾げられてしまうかも知れないけど。
だからこそ突き詰めて、聞き出したくない。
今だって、エノンの顔には嫌々という表情は浮かんでいない。
雛が僕に注意を促して来たのは、兄妹に会った初めの1回だけ。
その後はてっきり、レミがエノンに害をなさないと、鳳が判断したせいで無反応なのかと思っていた。
けれど、もしかしたらエノン自身がレミに対して、心の底では全く、警戒を抱いていないからだったとしたら?
警戒するどころか、もしかしてエノンはレミを……。
「違うって。オレが頑張ってみようかなって思っただけで」
そうエノンは言ったけど、僕は隙を作ってしまったあの瞬間を、昨日の昼間よりも酷く悔いた。




