12・タッゾ②
外見を伝えて、尋ね聞いただけで、エノンという名前をぱっと教えてもらえた。
それなのに雛の私的情報は、ほとんど手に入らなかった。
雛が2級上だからというだけではなく、どうやら情報に管制を掛けている奴、もしくは奴らがいるらしい。
例え、雛の事だけに関してといっても充分凄い。
頭脳にしろ腕力にしろ、園生という大集団を取り仕切っているのだから。
それが貼り紙の主かは分からないが、その事実に俺はもうワクワクするしかない。
レミは全く興味なさそうだったが、俺は雛と仲がいい奴の名前も聞き出しておいた。
それからレミには、雛を手懐ける為の講義だ。
警戒心の強い雛に、良く慣れてもらう為には、愛情を持って接する時間が長い方がいい。
しかもその時に、相手の望みを満たせば満たすほど、効果がある。
だから雛の好物や趣味を知りたかったのだが、仕方ない。
レミの愛情に関しては問題ないだろう。
そこで当面の命題は、あの雛に獣=レミの存在をいかに慣れさせるか……である。
この獣は安全だと、雛が判断して近づいて来るまで、手出し無用とした。
もちろんハァハァ興奮するのは論外である。
それを言うと、レミは実に情けない表情をした。
しかし第一印象というのは、思った以上に尾を引いた。
雛は温室という巣を放棄する気はなさそうなのだが、そこにレミがいるとなると、即座に回れ右をするのだ。
やはり雛にとって、レミは強い負のイメージらしい。
それが数日続き、レミの忍耐が尽きた。
ま~逃げられれば、追いたくなるのが獣の本能だ。
既にクラスだって分かっているし、教室に押し掛けようと思えば出来たのだから、レミにしてはよく耐えたというべきか……。
雛は親鳥に守ってもらえなければ、すぐに狩れる。
だからすぐにレミが雛を捕えると思っていたのに、距離はなかなか縮まらなかった。
しかもレミも雛も、かなりの速さで走っているらしく、俺の視界から消え去ってしまう。
けれどそれと入れ替わりに、そりゃ~もう首を長くして待ち侘びた奴……女か……が現れてくれた。
服を乱れなくキチッと着こなし、遊び心を全く加えず仕上げましたって髪型。
聡明な感じで、目鼻立ちがスッキリとした顔をしている。
高嶺の花として周波を寄せられていそうだが、男とは結婚前提じゃないと付き合えなさそうな、堅苦しい印象を受けた。
そんな女に、足腰が立たなくなる程の濃いキスをすれば、抵抗もせず俺に流された己を悔いて、プライドはズタボロになるはず。
貼り紙の文字の通り、神経質なら尚更だ。
2度と命令形で警告を寄越そうとは、思わなくなるに違いない。
捕えて、その首に歯を立てた時にそう決めた。
それなのに、走って行ってしまう後ろ姿を見ながら、俺の脳裏に浮かんだのは、ヤラレタッという言葉。
どんなに面白い反応を見せてくれるだろうかと、まずは、からかうだけのつもりだった。
それなのに、あの女……い~や、あの人は流されなかった。
それどころかキスに夢中になったのは、俺の方で。
気が付けば、ただ本能のままに唇を貪っていた。
それでも頭の片隅で、こんなに熱烈にチュ~してるんだから、少しは答えてくれてもいいんじゃないの~と思い始めた途端の、鳩尾蹴りである。
これは正直言って、かなり効いた。
そして人の意識を捕えて離さない、独特な雰囲気を凝縮させたような、あの人の瞳に魅了された。
俺のキスに流される事なく、冷たく見据えて来たあの瞳。
ただ思い出すだけで、本能の深い部分が震撼する。
あの瞳に気圧されて、金縛りにあった様な錯覚を受け、畏怖さえも感じた俺は、呆気なく白旗を上げてしまったのだから。
「……何、その顔? この短時間で良い事でもあったわけ?」
渋々という様に温室へ戻って来たレミが、疑惑の塊で俺を見て来る。
「いやいや。ご苦労、レミちゃん。結局逃げられたみたいだけど、お前がキレて雛先輩を追い掛けてくれたお陰で、麗しの警告者殿を見つけた」
「へぇ……?」
綺麗なものを色んな意味で構うのが大好きなはずなのに、麗しという言葉にも気のない返事。
やはりレミは獲物を雛だけに絞っている。
でもあの人だけは、レミと分かち合うつもりはないから、その方が好都合だ。
たぶん雛の情報管制者もあの人だろう。
他に仲間がいるとしても、中心人物であるに違いない。
外見の華やかさでは雛の方が上だが、あの瞳で周囲を従えてる。
あの人にだったら、飼われてもいいな~。
よし、飼ってもらうに決定しちゃおうッ。
今までは断固拒否だった考えに、俺はワクワクを通り越して、最高潮にゾクゾクしていた。
レミと雛の関係が変化したのは、俺の功績だと思う。
放課後、いつもの様に温室の花壇の名残である赤煉瓦に、腰を落ち着けようとした時、突然バンッと扉が開き、雛が全身の毛を逆立てたかの様な表情で、ピーピー怒鳴り込んで(?)来たのだ。
「よくも、よくも……ッッ。リティに手ぇ出すんじゃねぇ~ッ!」
「え……?」
「……」
リティ、リティさんね。
当然レミは何の事かと唖然とし、ついでに嫉妬心を湧き上がらせた様だが、心当たりの俺はすぐに理解した。
始めの威勢は良かったが、レミに近づかれた雛は逃げ出そうとした。
そこで嫉妬心を燃料にしたレミが追い掛けて、ついには追い付いて、雛に近づかない事を条件に、温室を共有するまでに漕ぎ着けたのだ。
「ちょっとどういう事よ、兄さんッ。あたしには興奮して、エノンに抱き付きに行ったりするなとか言っといて……ッッ」
尋ねられ、昨日の経緯を答えた俺に、レミが羨まし半分に怒鳴って来る。
それにしてもリティさんはどんな顔で、俺との事を説明したのだろうか?
昨日の姿を見ている限り、怒りの表情を露わにしてという姿は浮かんで来ない。
さすがは俺を飼わせてもいいと思わせた人だと思う反面、少し寂しい気もする。
名前も分かった事だし、ここは1つ俺を売り込みに走るべきだろう。
飼い主になってくれと口説き落とすには、精神的に揺さぶりを掛けられる今が、1番に違いないのだから。




