100・旅の終わり
列車に揺られながら、今日の旅程について僕は思いを馳せた。
エトミック駅まで南下する今乗っているこの路線は、マットルを出てしばらくすると、エート島の東海岸沿いを走る。
車窓の前評判が高い路線だが、実際どうだろう?
そんな事を考えながら、景色を楽しむべく、窓際へと更に僕は近づいた。
ストミシット海が眩しい。
昇る朝日の輝きに僕は目を細める。
朝、寝坊せずに日の出前から列車に乗り込んだ甲斐があった。
車窓から見える海の景色は誠に素晴らしかった。
列車に乗っているから、手前にある景色は次々と忙しなく過ぎ去り、たまに途中駅や木々なんかで海は見えなくなってしまう事もある。
それでも充分、評判通りの美しさを堪能出来ていると思う。
朝日が昇り切るのを見届けて、マットルの宿が用意してくれた簡単なお弁当を頂く事にした。
宿の朝食時間より僕達が早い列車に乗ると知った、宿側からお弁当の用意を申し出てくれたのだ。
マットルの商業施設が開くのは始発列車よりも遅いので、下手したらエトミックまで携帯食糧を齧るだけになるかも知れない。
そんな風に考えていたくらいだったから、宿側からの申し出は完全に予想外だった。
本当に有り難くて嬉しかった。
エトミックから更にエート島の南部へと延びる路線もあるのだが、今回は島内部にある駅、カパスドーク駅を目指す。
乗り換え時間がそれなりにあったので、僕はカパスドーク駅を出て見る事にした。
すると改札先すぐの場所に、無料で温泉に足だけを浸せる癒し空間が設置されていた。
カパスドークは古い温泉街として、列車が通る以前から知られている。
次の列車への乗り換え時間まで、僕は駅前の温泉を利用する事にした。
だが温泉は、じんわりではなく、足がジンジンとするくらいの温度だった。
「少し熱いな」
そんな事を贅沢にも僕がぼやいたからだろう。
「ここの足湯は水で薄めていない、源泉そのままなんだよ。街の湯管を巡り巡って、ここまで冷めたくらいさ」
毎日ここの足湯に浸かっているという地元の人が教えてくれた。
聖獣がカスパドークに湯が湧くのを知らせてくれたという逸話も残っているらしい。
面白い。
温泉街の発祥の歴史にも聖獣が関係しているなんて。
次に乗る列車の時間ギリギリまで話して、足を湯から上げてみると、浸かっていた部分だけが赤くなっていた。
カスパドークから更に内陸を走り続け、エグドグ駅まで。
ストログ山、カル高原、そしてまたイード山。
山裾を列車が縫っていて、トンネルもちょこちょこ通る。
こうして座っていると列車が昇ったり下ったりしている感覚はほとんどないのだが、もし徒歩で山々と高原を通り抜けようとしたら、実はかなり大変に違いない。
窓の外、木々と木々の合間にちらりと見えた景色から、列車がいつの間にか随分と高い場所を走っている事に気が付いた。
「そういえば、リティさん。今日の予定をまだ見せてもらってないんですけど?」
「……必要あるか?」
「一応、見ておきたいです」
「どうしても?」
「ぜひ」
「……」
言葉だけではなくタッゾから手を伸ばされ、渋々僕は今日と、明日にまで続いている予定表を取り出して渡した。
「……。……リティさん。今回の目的って何ですか?」
「……鉄道旅行だな」
「旅行ですか? ギリ弟が次に癒す場所の下調べもしない、純粋な?」
「そうだ」
チッ。
さすがに気が付いたか。
それもそのはず、エグドグはエート島の南西部に位置する駅なのだ。
スエートからエート島に渡って来て乗り換えた、ストロミール駅からエグドグまでなら、もっと早く簡単に着ける。
それなのに、今回マットル方向へとわざわざ右に大回り。
しかもエグドグからは、列車内泊。
寝台列車に乗り、そのまま乗り換えなしでスエートに昼過ぎに着く予定だ。
ちなみにエグドグもスエートも、始発駅・終着駅ではない。
「そうだと知ってたら、リティさんと~」
「遠慮しておく」
「ギリ弟も、他の何も関係ない、俺達2人っきりの、初の、旅行ですよっ」
「いちいち区切るな、鬱陶しい」
強調されなくても分かっている。
というか自発的に計画したのが僕自身だから、改めてタッゾから言われると何だか恥ずかしい事をしている気分になった。
だが、それ以上に恥ずかしい存在なのはタッゾの方だ。
今回の旅行の行程がバレたら、こうなるだろうなと密かに警戒していた通りの発言をタッゾがして来る。
「リティさんっ! 今からイチャイチャしましょうっっ」
「だから、遠慮して……」
「なら、もっと踏み込んで餌の時間にして下さいッ!」
「どうしてそうなるっ? 絶対に嫌だっ、断固拒否するッ!」
列車内で何をする気だっ!
許可出来るはずがないっ!
何とか声の音量だけ抑える事は出来たが、怒鳴る事は押さえられなかった。
実は今回まず確保したのが、寝台列車の切符だったりする。
むしろ確保出来ていなければ、今回の旅行自体がなかっただろう。
「いいか、よく聞けっ!」
ビシッと叩きつけるかのごとくな勢いで僕はタッゾに言った。
「まずっ! 腹ごなしに列車内を見て回るんだっ!」
「はぁ……?」
「気のない返事だな、タッゾ。何でも車内装飾がちょっとした美術工芸品らしいぞ? 大きな1枚窓の展望車にも行ってみたい」
「……」
とりあえずタッゾからの笑えない提案攻撃が止んだので僕は続ける。
「次はスーカミカー海に沈む夕日を眺めつつ、優雅にコース料理を食べるっ! もちろん、モーニングとランチもある」
つまり今日は太陽が昇る所も、沈む所も、列車内から見る事になる。
「……リティさん、念の為に質問が」
「うん、何だ?」
「食堂車で食事が提供される列車って、それなりの格好をしないと乗車拒否されるんじゃないですか?」
「良い質問だな。確かに残念ながら一部立ち入り禁止区域があるが、その区域以外は大丈夫だ」
実はその点は僕も心配だったので、予め確認しておいた。
少しは寝台列車に興味が出てきたというわけではなさそうなのだが、タッゾが更に聞いて来る。
「食後はどうするんですか?」
「ゲーム大会とか演奏会とか、その日によって色々催し物があるらしいな」
「後は?」
「夕食時間後に食堂車でお酒も提供するらしいぞ?」
いや。
いやいや、そうじゃないな。
「別に何をしなくちゃいけないって事はない。列車内でゆったりと暇を持て余せる幸せを噛み締めるんだっ」
「あ~、それはリティさんが1番苦手そうですね~」
寝台列車に乗るにあたって、我ながら最適な表現が浮かんだと思ったのだが、タッゾから鋭い突っ込みが入った。
言葉を失っているとタッゾが怪しげに微笑んで来る。
「でも分かりました」
「分かった? 何が?」
「珍しくリティさんの趣味全開な旅行ですし、ご希望通り色々お付き合いします」
「ありがとう、タッゾ?」
タッゾの表情に嫌な予感しかしなくて、お礼も疑問符付きになった。
案の定。
「で、その暇な時間に俺は精一杯リティさんを口説きます」
「……そういうのは必要ない。というか嫁を口説いてどうするんだ、今更」
「いや~。寝台列車、楽しみですね~リティさんっ」
「……」
絶対に僕が思う楽しみからは外れている。
タッゾと僕の関係は今や夫婦。
思い起こすに出会ってから変化してきた事もあれば、先の遣り取りの様に変わらない事もある。
タッゾの変わらない部分に安心する心もあるのだが、長々とため息を吐く事を僕は選んだ。




