10・回想(9)
昼休みの僕は、エノンを守護する仲間と一緒になって、いつも温室が見下ろせる教室を陣取っている。
ガラスが汚れ切っているせいで、エノンの様子までは窺えないが、不必要に温室に近づく輩がいないかを見張るのだ。
エノンと恋仲にはなれなくても、こうしてエノンを守っていると思うだけで、僕はそこそこ自己満足を得られていた。
園にいる間はこんな日々がずっと続くものだと、愚かにも僕はすっかり思い込んでいたのだ。
エノンに人外がひっそり憑き始め、その事ですっかり慢心してしまった時に、起こった件だってあったというのに。
新入園生と思しき男女2人組が、エノンの聖域に侵入して来た事は、誰から言われなくても気が付く。
そしてその直後、エノンが温室から飛び出して来た。
「……何か、怖いんだ」
エノンの態度と言葉を受けて、その2人組の情報もすぐに集まった。
タッゾとレミ、兄妹らしい。
エノンが怖いと称したのは、なぜか妹のレミの方だった。
怖いという表現は実に的確だった。
こんなにも早く名前まで分かるという事は、新入園生の中で目立つ存在だという事である。
伝わって来た情報は、実に芳しくないものばかりだった。
入園式、そして興味のない授業もサボるか、もしくは寝ている。
容姿でも目立っているので、兄妹共に声を掛けられて応じてはいるが、とても将来に続く様な関係ではない事。
それらを聞いて、起こす行動は1つしかない。
『2度とこの温室に入り込むな。次は容赦しない』
僕は温室の扉に貼り付けた。
兄妹にお気に入りの場所を奪われたエノンは、お陰で元気が落ち、心なしかぼぅっしている事も増えてしまった気がする。
貼り紙で警告を与えて数日経つから、エノンの後ろに誰かいるという事も聞いているだろう。
それでも、2人は温室にやって来る。
ならば潰すのに遠慮はいらない。
その時期を見計らっていた矢先。
レミに追い掛けられるエノンを見た僕は、居ても立ってもいられず、その場を慌てて飛び出した。
「……エノンっ?」
飛び降りて駆け付けようとしたところを、仲間に引き留められ、あろう事かその間にエノンを見失ってしまったのだ。
僕は温室の側での成り行きしか見ていない。
今は別の場所を逃げているのか、それともまさか、温室に連れ込まれた……?
エノンの足はかなり速いし、それを持続させる力だってある。
だから捕まったとは思いたくないけれど、兄妹の噂を聞く限りでは、園に入れただけあって、強者らしい。
考えたくない事が浮かんでしまい、そのせいで僕の足は止まっていた。
その瞬間、隙を突いたとでもいう様に、僕は背後から羽交い絞めにされていた。
肉食獣が捕えた獲物にトドメを刺すかのごとく、強く噛まれた為、首筋に痛みを覚える。
一体いつ後ろを取られたのか?
しかも、勝ち誇った囁き声が耳元でした。
「いや~初めまして先輩、でいいのかな? と~っても、お会いしたかったです。1人で出て来るなんて、あの雛がそんなに大事ですか?」
「……なッ」
これは、たぶん兄のタッゾ。
エノンが雛呼ばわりされた事に腹が立ったが、逆上するわけにはいかない。
即座に後ろ蹴りを入れようとするが、予想済みだったらしく背後に密着した気配はサッと離れた。
更に続けて、振り向き様に繰り出した拳まで捕えられてしまう。
「お~、怖ッ。外見に似合わず、随分と好戦的ですね~」
ふざけた口調だ。
……が、油断のならない目をしている。
それが初めて接触した、タッゾに対する評価だった。
エノンの事さえなければ、一生関わろうとも思わなかったに違いない。
それでも現に対峙しているし、エノンの聖域を守る為に、潰すと決めた対象の1人だ。
まだ勝負が付いたわけじゃない。
近くにエノンの姿が見えないか探りつつ、まずは腕を取り戻そうと試みるが叶わず。
ならば、もう一方の手か両足を使うだけの事……そう思っていた。
それなのにッ!
「……んんッ?」
ぐいっと引き寄せられた途端に、重なった唇。
吐息と同時に深く入り込んで来た舌が、口腔を侵していく。
思考が一瞬消え去ったくらい熱く激しいキスは、エノンが額にして来るものとは全く違っていて……それが余計に僕の欲望を揺り起こそうとした。
キスされているからというより、やっとの思いで封じ込めているエノンへの欲望を、発露させられそうになった怒りから、頭の奥がシンッと冷える。
今度こそ僕は相手の鳩尾に、鋭く膝蹴りを食らわした。
突然の事に息を詰まらせ、体を屈めたタッゾの頭部に、容赦なく肘を振り下ろす。
「ぼ、暴力反対。降参です、参りました~」
魔力は載せなかったが、それなりのダメージになっているはずなのに、さすがというべきかタッゾは地面に膝も、手すら付かなかった。
本当に参っている様には全く見えなかったので、僕はタッゾから距離を取り、気を許さずに濡れた唇を強く拭う。
「2度と……」
エノンの聖域に入るなと告げようとした時、遠くの方から、追い掛けるのを止めたらしいレミのだろう声が聞こえて来た。
「ご飯っ! ちゃんと食べてよね、エノンっっ」
ここ数日がそうだった様に、これからエノンは僕の所へ駈け込んで来るつもりだろう。
いつも食べている場所に、目当ての僕がいなければ、エノンはがっかりするに違いない。
簡単に想像が出来た僕は悪態をつき、タッゾの存在など忘れて、教室へと取って返した。




