87 南への道
さて、翌日。
さすが雨期が抜けただけあって、空もからりと晴れている。
荷物はリルリルが人の姿の状態で袋を背負うことになった。
リルリルのほうはこれぐらいの荷物はどうということはないらしい。
「荷物はオオカミの背に乗せたほうが楽なんじゃありませんこと?」
「余だけ人の姿でなかったら、なんか家畜みたいじゃろ。守護幻獣としてそんなん嫌じゃ。メンツってもんがある」
出発前に戸締りをしていたら、二人が前でそんな話をしていた。
メンツか。弟子がどちらも偉いので私も気にはしている。
人間もそうだが、偉い存在ほどメンツが大切になってくる。
「それじゃ出かけますか。ルートは詳しくは知らないんですが、いったん港に出てから北上するんですよね」
「そうじゃな。工房やカノン村から北上する道はない」
少し面倒だが、村と村を結ぶ道なんて需要がないし、これはしょうがない。
「よし、ウェンデ村に向かって出発!」
●
朝十時前に港まで出ると、そこから代官屋敷のほうに坂を上がっていく。
代官屋敷は坂のてっぺんにあるのだが、途中で代官屋敷とは違うほうに進む道があることに気づいた。北へ下っていく道だ。
「これまでもこの道は通っていたのに。意識していなければ見えないものですね」
「知らん道があったからって全部試しはせんじゃろ」
すぐに下り坂は平坦に変わった。少し薄暗い以外はどうということのない道だ。
「順調ですね。これなら昼前には着いちゃうんじゃないですかね」
「う~む、まあ、余なら楽勝じゃが……。うん、そうじゃな」
意味深な反応だなと思いつつも、とくに突っ込まないようにした。
私が途中でバテると思ってるのかもしれないが、錬金術師は瞬発力はなくても持久力はある。野山に分け入ることも多い職業だ。ぐうたらな私ですらリルリルに出会う前に山に入っていったぐらいだ。
速足でウェンデ村まで行って驚かせてやろう。
――約二時間後。
「バテました……。リルリル、オオカミの姿になって運んでもらえませんか」
「残念じゃが、荷物が重くてできぬのう。ずっしりと肩に食い込んでくるわい♪」
さらっとウソをつかれた。師匠なのに意地悪をされている。
「フレイアを運ぶぐらい訳もないが、一回ぐらい島を歩いて感覚をつかめ。そなたも体験が大切だとか抜かしておったじゃろ」
「ぐぬぬ……。正論を言われてしまった……」
「こんなことなら、さっき通りかかった馬車にでも乗せてもらうんでしたわね」とナーティアが言った。
たしかに村に向かうとおぼしき商品を積んだ馬車が私たちを追い越していった。
荷物の重量がある馬車にも抜かれるペースだったのか。
「いや、私も少しぐらいのアップダウンは覚悟していましたよ。水分補給も汗をかいた時の替えの服も持ってきていました。でも、アップダウンの回数が多すぎるでしょ! 上がる下がる上がる下がる上がる下がる……普通、一回や二回峠を越えたら着くと思うじゃないですか!」
ルート分岐からしばらくは下り坂と平坦な道だから油断していた。
そこから何度も上りと下りがやってきた。
下る時はいいんだがしばらくするとまた上り坂がやってくるんだよな。そこで心が折れそうになる……。
「しかも、下りきったところに池みたいな水たまりもありますし……。整備がされてなさすぎます!」
汗で着替える前に飛び散った泥水で着替えることになりそうだった。
「まあまあ。フレイア様、ゆっくりとまいりましょう」
ナーティアが扇子で風を送ってくれる。
だが、風がなまぬるいのであまり涼めない。気温が高いのが悪い。
「にしても、地形の制約があるとはいえ、もう少しいいところに道を作れそうな気もしますけれど。空も飛べないのに、こんな苦行みたいなところを歩かなくても」
ロック鳥のナーティアは疲れはまったくないようだが、単純に同じような道の繰り返しに飽きてきているようだった。
ロック鳥は世界を見ているし、まして鳥類の基準で考えればアップダウンを歩き通すのは空しいことに思えるんだろう。
「これでもマシになったんじゃぞ。はるか昔はもっとでこぼこが激しかったんじゃからな」
「せめて海沿いにできませんの? そしたらここまでの坂はありませんわ」
「かつて、海沿いに道はあったぞ」
「なんだ、じゃあ、その道を復活――」
「高波が来るとなあ、たまに人間が海に連れていかれるんじゃ」
背筋が寒くなった。
こんな涼の取り方は望んでないぞ。
「その……軽はずみな言動でしたわ。謝罪いたします」
ナーティアも生き死にのことなのですぐに頭を下げた。根は悪い子ではない。
「そなたが謝る必要は一切ない。とんでもなく昔の話じゃし、そんなことを言えばこの坂の連続で力尽きた病人じゃっておる。じゃが、そんなことはあらゆる道で起こるじゃろ。道もない山中に死体が置かれておるほうが問題じゃ。別に悪霊が化けて出るなんて話も聞かんし安心せい」
リルリルはさばさばしているが、島の守り神の立場からすれば、海沿いの道で事故があった時は忸怩たる思いだったんだろうか。
生きてきた時間が私と違いすぎて、なかなか想像できない。
むしろ、気楽に想像しようとするのが失礼であり、不遜なのだ。
かといって、ずけずけ真相を聞けることでもない。
わからないままにしておくのが正しいこともある。
「それで、安全のために森の中をうねうね南北に進むルートに切り替わったと。途中で谷筋を何度も越えるからやけに高低差がある道になってますね」
「そういうことじゃ。といっても、この道の原型みたいなものは古くからあったぞ。森に分け入って、木の実なりを探すこともしておったじゃろうし」
たしかに一本しか道がないのは危ういですね。サブルートはあったほうがいい」
南のウェンデ村の人が工房に来た経験はほとんどないが、そりゃ、これだけ遠いと行きたくもないよなあ。
しかも港に出ても工房はそこからまた遠い。片道約四十五分。疲れた足ならもっとかかるかな。往復だけでちょっとした旅になってしまう。
「夜道は真っ暗でしょうし、これは港のお店で夜に食べたら、泊まっていくしかないですね」
「実際、そういう需要は港の宿でもかなりあるようじゃぞ」
「闇の中をひたすら歩き通すのに比べたら、悪霊のほうがマシかもですね……」
想像するだけで怖い。ランタンを持って歩くにしても難しい。
「というわけで、大変じゃと思うが、一度はその大変さを味わっておけ。同じ釜の飯を食うみたいなもんじゃ。毎回楽に移動してると思われんほうがよい」
「リルリルのおっしゃるとおりなので、このまま歩きます……。でも疲れたら愚痴は言います。疲れるのはそれはそれで嫌なので」
「ほいほい。愚痴りたくなるのはわかるので、受け止めてやるわい」
移動途中に植物を調べるなんて余裕はもうなかった。調査のほうはまたリルリルに運んでもらってやるとしよう。




