86 ウェンデという名前
「雨期が明けたぞ~!」
私は空の上で叫ぶ。
痛いぐらいの太陽光が降り注ぐけど、生乾きで臭い服を着るよりはマシだ。
もちろん私に羽が生えてばさばさ空を飛んでるわけではない。
ロック鳥になったナーティアの背中に乗せてもらっている。
ちなみに私の横には人の姿になったリルリルも乗っている。
白い足をばたばた動かしているので、ごきげんのようだ。
「重いですわ! 本当にオオカミは乗せたくありません! あと数分で降ろしますからね!」
「それでよい、それでよい。雨期が空けた記念じゃ。余も今度、道を走る時にいくらでも乗せてやろう」
そう、雨期明け記念で私はナーティアに乗せてもらっている。
記念することがなくても頼めば乗せてくれるけど、近場の移動だとロック鳥の姿が目立ちすぎておおげさになるので、意外とタイミングがない。
リルリルは「余もおまけで乗せよ」と言って、なかば強制的に娘の姿で乗り込んだ。おまけのほうがはるかに重いんだけどな。
「まっ……お荷物のことを忘れれば、気持ちがいいのはわたくしも同意いたしますわ」
ナーティアは優雅に島の中心の山を軸にして、ぐるっと時計回りで進む。
疲れたらすぐに降りると言っていたが、まだまだ大丈夫そうだ。
「まっ、どうせすぐに暑すぎて嫌になるんじゃがな。毎年のことじゃ」
「たしかに南の島の夏は暑そうですね……」
今度は作業着が汗でぬれまくるのか。
でも、生乾きは起きづらいはずだから大丈夫だ。
島の南側の海がくっきり見えだしたあたりで、港から遠いほうの集落がまた目に入った。
雨期も終わったし、そろそろ一度あっちの集落にも行ってみようか。
私はあくまでも青翡翠島唯一の錬金術師だからな。顔は出してるほうがいい。
工房にも週に一度の定休日というものはある。基本的に港の店に合わせている。
急病人が出ればそうも言っていられないので、何があろうと労働を拒否するなんてことはできないが、幸い今のところ、緊急事態は経験していない。
この定休日を有効に使うことにした。
「明日の定休日は島の南に行きます」
いつでも行けると言えば行けるのだけど、だからこそ後回しにできてしまう。
明日行くことに決めた。
「ということで、ナーティア、移動はよろしくお願いいたします」
夕飯の最中、私はそう切り出した。
リルリルがクレールおばさんから教わったサトイモのグラタンを作った。灼熱のように熱いので冷めるまで雑談の時間になった。
「言うまでもありませんわ。師匠のためにどこまででも飛んでいきますから」
「空も最初は少しは怖かったがの。慣れてしまえば、走るより楽でええわい」
「あっ、当たり前のように乗る気になってますけど、あなたは自分で走ってください。嫌味ではなくて本当の意味で」
ナーティアが左手を前に突き出した。
ロック鳥でもまだぐつぐついってるグラタンは食べられないか。
「えっ? 前も飛べたんじゃからええじゃろ?」
「平気なふりをしてましたけれど、途中で降りるか何度も迷うぐらいつらかったんですわよ! それを毎回馬車代わりに使われるのは困りますし、不愉快ですわ」
「あそこは余の足でも遠すぎるんじゃ。真ん中あたりでおっくうになる。アップダウンも多いしのう」
思いのほか、リルリルが渋い顔をした。
そういえば、一回も南の集落まで連れていってやるという話にならなかったな。
島の守り神なんだから一度ぐらい案内しといてよと思わなくもない。
「と・に・か・く! あなたを乗せるのは禁止です。わたくしが来る前からずっと島を走り回っていたんですから、それでいいじゃありませんの」
リルリルは頬をふくらませて、むすっとしていたが、これは言い返す言葉がない時にやるやつなので、ナーティアの勝ちである。
ただ、それを聞きながら私はまずいなと思っていた。
今回、けっこう大荷物になるんだよなあ……。
薬草自体は軽くてもビンが重いし、液体が入っているビンはもっと重い。
「あの……誠に恐縮なんですが、今回、荷物の重量がそれなりのものになりそうでして……」
「師匠の荷物持ち程度、やって当然ですわ。それに――」
ナーティアはリルリルのほうを見ずに指差した。
「ビンといっても、あの方よりは軽いと思いますし」
まだリルリルは頬をふくらませていた。少しは言い返せと思う。
「あ~、そうじゃ。こうするのがよいのう」
いきなり、リルリルがわざとらしく声を上げた。
「せっかく初めて南の村に行くんじゃし、一度目の旅は徒歩で行くのもよかろう。定休日じゃから時間もあるしのう。帰りは鳥で飛んで帰ればよい」
行程事態を全員の徒歩にする作戦か。意図は露骨だけども――
「そうですねえ。たしかに本来なら自分の足で向かうものですし。一度ぐらい歩いていくのは普通か……」
それに、いきなり便利な移動手段で村を訪問するというのは、自分が偉いですよと言ってるように見えかねない。
空を飛んできた奴が、「港に出るのも遠くて大変ですよね」なんて言うと印象が悪そうだ。
そういうことを雑に処理したせいで、学院で処分された経験がある身としては慎重に行きたい……。カノン村の人みたいに毎日のように会うわけじゃないから、印象も好転させづらいし。
「うん、徒歩の案を採用します」
「よし、全員で歩いていくのじゃ!」
「リルリルは仲間はずれが嫌なだけでしょう? どうせすぐ合流するからいいじゃありませんの」
「いいや、錬金術師は見聞を広めるべきじゃ。ルートの途中にどんな草花が生えているか見るのも立派な仕事じゃ」
見事な意見だ。思わず拍手したくなった。
でも、錬金術師は見聞を広めるべきだとか、その見習いが言うなよ。
「まっ、徒歩のルートを知らないままというのもよくないので。往路は徒歩、復路はナーティアに乗せてもらうということにしたいと思います。荷物もオオカミのリルリルに積めばいいですし」
「よし、だらだら歩いていくぞ――えっ? 余に積むのか?」
「そりゃ、そうでしょう。ロック鳥の姿のナーティアがビンを背負って走るわけにもいかないですし。全員が歩くならリルリルに積みますよ」
ナーティアもこれで納得したらしく、満足そうに笑っていた。
どっちの機嫌もとるバランス感覚が必要なのだ。
なんか、強国にはさまれた中小国のかけひきみたいで嫌だな。
本体のサイズで考えれば、まさにそんな感じだけども。
ところで開店数か月で、弟子が二人いる錬金術師って世界にいるんだろうか?
「そういえば、南の村ってなんて名前なんですか?」
南の村とか集落とかしか呼んでない。近場のカノン村も名前を意識することないんだよな。村の数が少ないので固有名詞がなくてもやっていける。
「ウェンデという名前じゃな」
「あっ、過去に聞いたことがあったような……」
人間の記憶力なんてそんなものだ。




