85 これはマスタードをつけよう
私とリルリルはまた顔を見合わせた。
ナーティアは鍋を持ってきていた。ここにイモ料理が入っているのか。
「毒のあるイモの料理なんて食いたくないぞ」
「絶対に毒は抜けてますわ。南方では家庭でも作っているところがあるような調理法でしたもの」
ここまで言われたら食べるしかないか。まあ、口がイガイガしだしたら悪いけど吐き出すとしよう。
「また、奇妙なものを持ってきたねえ」とクレールおばさんが鍋を覗き込んだ。
グロテスクなものじゃないだろうな……。
ナーティアが鍋をテーブルの空きスペースに置いた。私もリルリルも、あとオグルドおじさんも鍋に視線を送る。いったいどんなものが……。
そこにあるのは灰色のゼリー状の物体だった。
「想像してたのと違う! 本当に何!?」
まったく味が想像できない。色合い的にそんなにおいしそうなものには見えないが、プリンみたいと言えなくもないか。
「わけがわからん。ただ……」
リルリルが鼻をつまんだ。
「うっすら臭いのじゃ。生臭い魚みたいなにおいがする……」
「たしかに、ちょっと生臭いですね……。調理時間からして腐るには早すぎると思いますが……」
「これはそういうものなんです。腐ってるわけではありませんからご安心を」
あんまり安心できない。発酵食品は臭くてもうまかったりするけど、これはまた別だよね……。
「おい、これ、どういう製法なんじゃ? イモがどうやったらこうなる?」
「簡単なことですわ。まず、イモをゆでてつぶしてペースト状にしますわね」
ここまではサトイモのオムレツと同じだ……。
「そこに貝殻で作った灰に水を入れてかき混ぜ、その水をペースト状の中に流してぐるぐる混ぜますわ」
「えっ? 灰が入っとるのか、これ?」
石灰水ってそこで使うのか……。というか料理で石灰水を使うことなんてあるんだ……。
「何度もかき回していると、固まってくるのでそれをお湯でゆでますわ。それがこれです」
製法は比較的シンプルだけど、どういう食べ物なんだ……。
「ナイフで切り分けますから、皆さんどうぞ♪」
小皿に載ったゼリー状のものが自分の前に出された。
あんまり食べたくないが、ここで食べるのを拒否するのもまずいか……。
思い切って、噛んでみた。
味はなかった。
「まずいのじゃ」とリルリルははっきり言った。
感想に悩んでいたので、リルリルがいてくれると気が楽だ。
厳密にはこれがまずいのではなくて、味がないから生臭さがモロに来るんだよな。
「ええと……私もあまり好きな味ではないですかねえ……」
遠慮がちに私は言った。オグルドとクレール夫妻も変な味だなという顔をしている。
ただ、ナーティアにとったら苦労して作ったものを否定されたも同然なわけで、これで傷つかなければいいのだが……。
おいしくないと正直に言いたいだけで傷つけるのが目的ではない。
そうっと、ナーティアのほうに顔を向けた。
「それはそうですわ」
からっとした調子で言われた。
「あれ? おいしくないって知ってるんですか?」
「ええ。これそのものには味はありませんもの。食感を楽しむのが目的ですから。なので、濃い味をつけて食べるんですわ。この土地ならマスタードでもつければちょうどいいと思いますわよ!」
「先に言わんか! あと、おいしくない状態のものを食わせるな!」
リルリルが全員分の苦情を言ってくれたので、私から注意をするようなことはしないでおこうと思う。
マスタードをつけてもそんなにおいしく感じなかったので、今後はあまり作ってもらわなくてもいいかな……。私には合わないらしい。
「ところで、ナーティアはおいしいと思ってるんですか?」
「いいえ。どちらかというと苦手ですけど、食品になるということはお伝えしなきゃと思ったまでです」
「じゃったら、そう言わんか!」
「これは私もそう思います! 気を遣いましたよ!」
「でも、伝聞の情報だけで済ますなと錬金術師の本にも書いてありましたわ」
ナーティアがふくれた顔をする。
あ~、書いてそうだな。
それに自分で経験しろということは私もさんざん話してきた。ナーティアは忠実にそれを実行したのだ。
「リルリル、ナーティアは悪くありません。錬金術師として正しい心がけです」
「心がけなのはわかるが……作ってる奴がおいしくないと思ってるものを振る舞うのが料理を作る者として問題じゃと思ったんじゃ」
リルリルの言葉もわからんでもない。
「師匠に認めてもらえたので、それで満足ですわ」
ナーティアも溜飲が下がったらしい。それなら、万事解決だ。
リルリルも特殊な方法で食べられるか実際にやってみるという点まで批判してるわけではないので、これで話は終わった。
「これ、マスタードをびっしりつければ酒を飲むのに使えるぞ」とオグルドおじさんが言った。なるほど、酒を飲む人にはこれはこれでアリなのか。
「では、まだまだ余ってるので持ってきますわね!」
おいしいと思ってないものをたくさん作るのはダメです。
●
わずかな晴れ間が終わると、またしとしと雨が降る日が続いた。
もっとも、以前よりは気持ちまでじめじめしていない。
「おっ、廊下と比べても空気がよどんでおらん!」
店舗部分に入ってきたリルリルが元気に言った。尻尾もよく動いている。
「あの変な名前の魔導具、効き目があるみたいじゃのう」
「【除湿の石頭】です」
「やっぱり変な名前じゃのう」
店舗の隅には渇きの石に一定間隔で水滴を落とす装置が置かれている。湿気はとれるようなので、作業着もカウンターの後ろに置いてある。早く乾けば嫌なにおいも発生しづらくはなる。
リルリルが薬草園に出て、オオカミの姿になる。また鼻をくんくんさせていた。
それから、ワオーンと遠吠えした。思った以上に声が響いた。
なんで吠えたかわからないが、おそらくうれしいことがあったんだろう。
どうせお客さんもいないので、私も薬草園のほうに出た。石の上に緑のカエルを一匹見つけた。これがうれしいことなんだろうか。おそらく違うな。
「なんで吠えたんですか?」
「喜べ。そろそろ雨期は終わるぞ! あと数日で夏に入る!」
なるほど、それは吉報には違いないのだが――
「長くてつらい雨だったのに、それでも過ぎ去っていくと言われると急に名残惜しくも感じる、人間とは身勝手なものですね」
「なんでいきなり詩人みたいなことを言っておるんじゃ」
そこにナーティアも店舗のほうからやってきた。こちらは人の姿だが、やけに楽しそうだった。雨期が終わると聞いてたのだろうか。
「あの悪魔のイモ、南での名前を思い出しましたわ!」
「たしかに食用の地域でそんなひどい名前を使うわけないですよね。どう呼ぶんです?」
「コンニャクですわ」
「変な名前じゃのう」
「変な名前ですね」
自分のネーミングセンスはないくせに人様の名詞には厳しい私だった。




