80 雨期には負けない!
雨期が来るぞとリルリルが鼻で知らせた情報は正確だった。
翌日の夕方から雨が降り出して、丸三日近く断続的に続いた。
そのあともわずかな晴れ間をはさんでまた雲がやってくるということが繰り返し起こった。
災害級の大雨なんてものではないが、その代わり期間が長い。
降ってない時でも空を見るとたいてい曇っている。
仮に晴れ間が出ていても傘なしで出歩くのはリスクだ。
むしろ、晴れ間から雨に変わる時は短時間で一気に降る時もあるから傘はあったほうがいい。そういう時は怖くなるような強い雨がざっと来る。
はっきり言って、あまり楽しくない季節だ。
それと、リルリルが服の心配ばかりしていた理由もわかった。
「まずいですね。薬草園の土の確認に出たいのに、乾いてる作業着がない……」
部屋干ししている土で汚れた作業着はどれも少し湿っていて、とてもじゃないが着たいと思えるものではなかった。
「じゃから言ったじゃろ。洗濯した作業着が乾かんから、いくつもストックがいるんじゃ」
「甘く見ていました」
「そなたが悪い」
ナーティアに薬草園の確認を頼もうかと思ったが、完全に雑用だからな。
罪悪感を覚えるぐらいなら私がやったほうがいい。
そういや、ナーティアはどこにいるんだと思ったら、書庫で立ったまま初学者用の本を少しずつ読んでいた。リルリルがはさんだらしい付箋がたくさん入ったままになっている。リルリルは読み終えているので、ナーティア専用になった。
「座って読めばいいのに。書庫で立って読んでると知的には見えますけど」
「立っておかないと眠ってしまうんですわ」
たしかにこの手の本ってやけに眠くなるんだよな。
「雨が多い時は、こうやって本を読むのがいいですわ。空を飛ぶのも楽しくありませんし。雷も怖いですし」
「ロック鳥も雷は怖いんですね」
「当たっても死にはしないと思いますけど、空で大きな姿をしていると、よく落ちるんです」
「スケールの大きな話だ……」
この工房なかば神話の部分に足を突っ込んでるんだよなと思った。
着るしかないので生乾きの作業着で薬草園を見てまわった。
雨期がある場所に建っている工房だから土も水はけのいいものを使っているはずだが、だからといって一年目から過信しすぎるわけにはいかない。
この目で確認しなければ。
とくに問題もない。いい土を使っていると思う。根腐れを起こしてる薬草もない。
まずいところがあるとすれば――
「生乾きの服が臭いですね……」
肩を落とした状態で私は庭から店舗部分に入った。謎の敗北感が体を包んでいる。
「うわ……。雨期の化け物の匂いがするのじゃ。鼻がいいとこういう時に困るのう……」
私が普段座っている店舗部分の椅子を占有していたリルリルが鼻をつまんだ。失礼な。
生乾きの匂いって遠くまでわかるタイプのものじゃないはずだが、リルリルの嗅覚だとすべてわかってしまうのか。
「今日はすぐお風呂にしたほうがいいですかね……。でも、また外に出ることもありそうだしな……」
「湿気をとる魔導具は作れんのか? むしろ作れ。しょっちゅう生乾きなのは嫌じゃ」
これには私もむっとした。「簡単なものでいいから料理作ってよ」と言われた気分だった。それを言ってるのって、普段はどっちかというと私なのだが。
「そんなぽんぽん作れるものではありませんよ。まして、目的に合わせてすぐに調整できるものでもありません。適したアイテムがないとどうにもならないですよ」
「水を吸い取る石はあったじゃろ。過去にも魔導具用に使ったはずじゃ。あれを利用できんのか? 水を吸い取るという原理は変わらんじゃろ」
水を吸い取る石というのは「渇きの石」のことだ。水分を一気に閉じ込めてしまう力を持つ。雑草を枯らすことなんかに使った。
「渇きの石は水分のあるものに直接触れないと効果が出ないんです。でないと、渇きの石がある部屋が常にカラカラに乾燥してることになります」
渇きの石の発動条件を細かく調べたわけではないが、少なくとも室内に置いているだけで効くなんてことはない。
その証拠に渇きの石が採れる場所が死の砂漠になってるわけでもない。
水分のあるものに触れて、刺激が発生する必要はある。
「これだけの湿気がある空間ならもう石に触れてるようなものと思うんじゃがな。別だと言われてしもうたらどうにもならんが」
リルリルも言うことは言うが、やる気が感じられない。
しかし、やむをえないか。蒸し蒸しする部屋はすべての意欲を奪う。ここで元気になれと言われても無理だ。湿気というものは人間のやる気を奪う力でもあるんじゃないか。
すべて雨期が悪い!
私は何をするでもなく空いている席に座った。小雨のせいか、お客さんも来る様子はない。
たいして何もやってないのに妙に疲れるなあ……。
……。
…………。
――お前、そういう甘えは抜けないものだな。
「あっ! すみません! 授業中に油断しました! ……って、あれ?」
ミスティール教授にあきれられたと思ったが、いない。というか、ここは学院でもない。
椅子に座ってそのまま寝てしまっていたらしい。起こしてくれよとリルリルに責任転嫁したくなったが、そのリルリルも寝ていた。
さっきから一時間弱たっている。
その間、お客さんも来てないということである。暇な職業だ。暇だからこそ、日々の仕事を言い訳にもしづらい。
立派になりたくはないが、教授にあきれられる人間にはもっとなりたくない。
雨期には負けんぞ。
「いっちょやるか」
私はなんとなく腕まくりをした。
それで作業着を着たままだと気づいた。
生乾きのまま寝ていたのか……。
リルリルを起こすか迷ったが、他人の安眠を妨害するのは性格が悪すぎると思ったのでやめた。
あと、起きたらまた生乾きで臭いとか言ってきそうだし。




