68 高所からの景色
後日の朝、私は一人で港の小物を売る店に寄った。
「白の王国」もちゃんと店に置いてある。
私はマスタードの入った小瓶を一個、店員さんに渡す。
「千五百ゴールドですね」
「じゃ、マニッカで払います」
自分で名づけた名前というのは落ち着かないな。
「金額入力しますので、お待ちを」
私も金額を確認する。千五百の数字になってるな。
私は分厚いカードを出して、お店の箱型機械のところにかざす。
ピピッ
小気味いい音がした。
無事に買い物を終えたし、だらだら帰るかと思っていたら、港から村のほうへ抜ける道の途中にロック鳥姿のナーティアがいた。
「おや、奇遇ですね。おはようございます」
「奇遇ではありませんわ。今日はお時間もありますし、少しお礼をしようかと思いまして。乗ってくださいませ」
「ああ、工房まで運んでくれるんですか。それは助かります」
私はそう思って気楽にナーティアのふかふかの羽毛の背中に乗った。
人の背中に言うことではないが、超高級な肌触りだった。
結果は違った。
ナーティアは不必要なほど、どんどん高度を上げていく。
「あれれ……? そんなに高く飛ぶ必要なくないですか? もう、すでに山頂と同じぐらいの高さまで来てますよ!」
しがみつく手の力が強くなった。こんな高いところに到達したことは人生で一度もない……。学院の山林での実習もこんなに高いところにまでは行かなかったと思う。
「空からの景色をお楽しみくださいませ。パノラマというやつですわ」
そうっと、顔を上げる。
たしかにそこに広がるのは絶景としか言いようのない島の全景だった。
「これは人間では経験できない景観のはずです。ご堪能くださいませ」
「うれしいですけど……こんなことしてもらう必要ないですよ。お礼は何度か言われたと思いますし」
「形で示したほうがいいこともありますわ。かといって物を渡すのも無粋ですから」
「たしかに。これはしゃれた趣向ですね」
ナーティアは島の外側をゆっくりと一周する。普段行くことのない裏側にも集落があるのが見えた。
いざ空から見ると、この島もなかなか大きく感じる。考えてみれば狭いと言っても、島をぐるっと一周する道があるわけでもないので、島の全容を見ることなんてなかった。まして上から見るなんてない。
「これは空を飛ぶ生き物の特権ですね」
「だから、せせこましいことはしたくないんですわ。豪勢にやらないとロック鳥として格好がつきませんから」
これはナーティアの本音だろうなと思った。
風がなかなか強いが飛ばされそうなほどではない。温度も空の上は少し涼しい。気候的にもちょうどいい日をナーティアは狙っていたのだろう。
まだ新米錬金術師そのものだけど、それにしてはいい経験ができている。
「それと、わたくしはこんなふうにどこにでも飛んでいけますから――」
ナーティアの声のトーンが下がった気がする。もっとも、勘違いかもしれない。上空だと私の心も安定していないのだ。誤読だって起こしそうな気がする。
「フレイア様が島にいられなくなってもどこかにお連れいたしますわ。広い世界に何箇所か、新天地と呼べる場所だってあるでしょう。そこで暮らしましょう」
「ああ、代官屋敷での話を覚えてたんですね」
ほかに居場所などないと私は言った。ウソはない。ないのだけど――
「あれは交渉の最中の言葉ですからね? 別に現時点で島で憎まれてるわけじゃないですから」
「承知していますわ。あくまでも最終手段の保険とお考えください。長く続けば状況が変わることもありますし」
「あなたもいろいろあったんでしょうね」
長く生きている者の面倒臭さみたいなものもあるんだろう。
私はフレイアの羽根を撫でた。これはもふもふしたいからではない。それなりに気持ちはいいけど、目的はそこではない。
「まっ、まずは弟子に愛想尽かされないように、しっかりやりますよ」
「はい、勉強に励みますわ。まずは専門用語をマスターしなければなりませんが」
「真面目にやれば、きっとどうにかなります。私でもどうにかなったんですから」
ナーティアはゆっくりと高度を下げていく。
工房は空からでもけっこう目立った。
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「おい! 余も乗せて空からの景色を見せよ! フレイアだけズルい!」
「あれはお世話になっている師匠に対してのものですわ。あなたにする理由がありません!」
「余のほうがフレイアの弟子という位置づけじゃから、姉弟子じゃ。乗らせよ!」
一時間後、弟子同士が工房でもめることになった。
「乗り物扱いは断固として拒否しますわ! 無粋ですもの!」
そんな声を聞きつつ、私は思った。
錬金術について教育する前に、仲良くすることを学んでもらうほうがいいのではなかろうか。協調性って大切ですよと。
心の中の教授が「お前が言うな!」と大声でツッコミを入れてきた。




