62 支払方法を考える
「ロック鳥というのはずいぶん威勢がいいものなんだねえ」
翌日、村でクレールおばさんに出会うと、そんなふうに笑われた。
「つまり、一日で村にまで話が広まっているということですか」
「そりゃ、昨日のことなんて翌日には島全部に広まるだろうよ。まして、今年久しぶりに営業しだした工房のことはみんな興味があるってもんさ」
一応、『錬金術工房 大きなオオカミ』って名称をつけてるのだが、全員が工房と呼ぶ。私もリルリルも工房って言ってるしな。お客さんが来た時ぐらいしか言ってない。
田舎は噂が広まるのが早いというのは事実なんだな。どういう経路で伝播しているのか本当に調査してみたい。
明け方のハトみたいに空から声が聞こえてくるわけでもないから、人伝いに話は流れているはずなのだ。
それはそれとして――
「島のあらゆる場所に噂が届いたということは、この人がお金の使い方をわかってないことも伝わってるわけですね」
私はついてきていた人の姿のナーティアを指差した。
隣に人の姿のリルリルもいるので一見すると高貴な姫たちの集まりのようだが、ものすごく野性的である。
なぜかナーティアは手柄でも立てたみたいに胸を張っていた。本当に神話の時代から生きてるのだろうか。ロック鳥の寿命なんて本にも書いてないしな……。
「かつてはこの青翡翠島を力で支配しようとしていましたわたくしですが、今ではフレイア様の門下として島を守護する立場でございますわ」
「そうだねえ。もう島でナーティアちゃんのことを知らない人はいないと思うよ」
おばさんが右手を振る、おばさん特有のしぐさをしながら言った。
そりゃ、お金の話すら一日で広まるのだから、ロック鳥が工房にいる話が知られてないわけがない。
「島すべてに認知されたならここからのトラブルは起きなそうですね。一件落着です」
「解決したとは呼べんじゃろ。強引にもほどがあるわい」
リルリルは反ナーティアの立場なので、当然こういうことを言う。
だが、トラブルが起きなそうというのは事実かもしれない。
「人間の世界にはツケというものがあるのでしょう? ならばツケというものを利用すればわたくしは泥棒にはなりません」
「島を勝手に支配しようとしてたのはどこの誰じゃ」
「そんなことを言ってたら、この島の代官は島の守り神のあなたの許可を得たのですか? 所有権を勝手に設定したのは人間でしょう?」
「あのなあ、それは……鋭い指摘だからよう答えられん」
思いのほか哲学的(?)な指摘が来て、リルリルが降参した。
たしかに人間の歴史がはじまる前は所有権などないわけで、誰も何も所有してないなら泥棒も存在しないのか。
「その降参はツケにしておきますわ。わたくしが負けた時に相殺といたします」
「こっちが潔く負けを認めたのに、セコすぎる。それは無粋じゃぞ」
「うっ……無粋と言われるのは困りますから撤回します……」
よくわからないが、不仲ななりに二人とも引くところは引いてくれるのでそこはありがたい。クレールおばさんも笑っていた。
「まっ、うちのごはんはいつまでもタダだから料理をこさえるのが面倒ならくるといいよ。食事はにぎやかなほうがいいからねえ。自分たちで野菜を作ってるうちは、そうそう飢えたりしないさ」
「しょっちゅう利用いたします」
「ツケだと言ってもよいぞ。代わりにクレールの畑を耕してやる」
ツケか。
そういえば、ツケというのは変なシステムだな。
のんべえが常連の店で使う時ぐらいしかありえないように思っていたが、システム上はほかの商売でも可能ではある。
なぜ、それが広まってないかといえば、率直に言って、踏み倒しの危険があるからだろう。
払わずに逃げる不届き者が想定できるから実現ができない。
のんべえがちゃんと払ってるのか不明だが、のんべえにとってなじみの居酒屋に出禁になるリスクは大きいだろう。半日歩かないとたどり着けない店では常連になれないし。なじみの居酒屋の価値はそれぐらい高いから、ツケが成立する。
ここは島だから、逃げ出す不届き者のリスクは大陸よりかなり低い。
誰それが金を払わないなんて話もすぐに広まるから、一般常識程度の世間体を気にする人間は無茶はできない。食い逃げなんて翌日には全島民に知れ渡るのではないか。
それでもツケが広まってないとすると、ほかの理由がある。
単純に、購入したもののお金をすぐに払ってない状態が落ち着かないのだ。
購入者側の心の問題だ。
もしかしたらツケにしている間に、家のお金を盗まれてるかもしれないし、火事にあうかもしれない。だったら先に払って債務を帳消しにしたい。
なら、先に支払うのはどうだ?
支払いが先に完了してるなら、もっと安心できるのでは?
いや、それだと大量の金を置いていったナーティアと同じだよな。そんなことをあらゆる店舗でできるわけはない。
だいたい、個人と店舗の間でやれば「一週間前にお金を置いていったぞ」「いや、もらってない」なんてトラブルが多発すると思う。先に払ってたか個別に確認できない。
うわあ、面倒臭そう……。
「やけに考え込んどるのう」
目の前にリルリルの顔があった。
「わっ!」と声を上げて、私は椅子からひっくり返りそうになった。
人の顔が近いというのは単純だけど本当に驚く。
「そこまで派手に反応せんでもよいじゃろ。それだけ熟考しておったフレイアが悪い」
「なんで驚かせたほうが偉そうなんですか。罪人はそちらです」
「悩んでおるんじゃったら、行動に移したらどうじゃ。理論ばかりの錬金術師はダメなんじゃろ。読んだ教材にも書いておったぞ」
リルリルは錬金術の基礎的な教科書と心構えを記した本などを読ませているが、土台になる知識はほぼ入っているようだ。
「それはそうなんですけど、行動に移しようがなくて理詰めでやるしかない分野もあってですね……いや、待てよ」
行動に移してないことがあったのを思い出した。
「リルリル、ナーティア、本日は飲み会をします。ナーティアの歓迎を兼ねて」
ナーティアは当然という顔で、リルリルはなんで島に迷惑かけてた奴の歓迎会をしなきゃならないのだという顔をしていた。




