60 ロック鳥の弟子
暑すぎる。
これは南に位置する青翡翠島の宿命ではあるのだが、それにしても長らく王都で暮らしていた自分にはまだ慣れない。冬はちょうどいいのかもしれないが、その前にもっと暑い夏が本格的にやってくるだろう。
私は椅子に溶けるように座り込んでいる。錬金術の仕事も家事も何一つやる気がおきない。
もっとも、今は少しマシだ。
横から風がやってくるからだ。
「どうですか? フレイア様、涼しいですか?」
ナーティア(人型)が羽の扇子で風を送り届けてくれるからだ。それで工房の室温が大幅に下がるわけではないが、だいぶ楽だ。
こういうのは涼しく感じるという心理も大切なのである。
「うん、いいですよ。二度寝してしまいそうです」
「日々の疲労がたまっているのでしょう。二度寝もまたよいですわね」
こうやって全肯定してくれる弟子の存在はありがたいものだ。
「おい、暇人ども、朝食ができたのじゃ」
そんな空気は一気に破壊された。
リルリル(これも人型。オオカミの姿だとドアの通り抜けが難しい。
ロック鳥のナーティアにいたっては工房にすら収まるかわからん)が部屋に入ってきた。幻獣のくせにエプロン姿が案外似合っている。
「あっ、くるしゅうない、くるしゅうない。今行きま――ぐっ!」
腕を思いっきり引っ張られた。強制的シットアップだ。
「何様じゃ。すぐ来い。で、しっかり食え。二度寝も何も昨日はそんな働いとらん。山や森を歩いたわけでもない。そこまで疲れるわけないじゃろが!」
それはそうだ。そもそも疲れてるなら二度寝も何も一度目の就寝が長くなる。
「あの、オオカミさん、僭越ながら師匠に対して礼を失してはないで――」
「ぐうたらも正せん弟子は従者ですらなくて、ただの追従者じゃ」
ナーティアに何を言われるかわかっていたようにリルリルが即座に返した。
問題は言い返すだけでなく、追撃が来るということだ。
「あと、買い物一つできん奴に師弟の話を説かれてもむなしい。長幼の序を説く赤子のごとく滑稽じゃ」
ナーティアはロック鳥の羽の色のごとく、かぁっと顔を赤くしていたが、こちらはすぐには何も言わなかった。
ということは、けっこうクリティカルな指摘だったのだ。
もっとも黙ったままなんてことはない。それでは一方的な敗北になってしまう。
「だって、ロック鳥のわたくしにお金を要求するだなんておこがましいではありませんか!」
「そうやって威張りちらしておったから、退治されたんじゃろ。心を入れ替えたようで何も変わっとらんな。たわけ。港の商人が困惑しとったわ」
わなわなナーティアはふるえていたが、連れ出される私に続いて食堂に入ると、蒸し鶏のサラダをばくばく食べだした。私の向かい側に二人が座っているので、状況がよくわかる。
「まったく! なってませんわ! でも、おいしいですわ!」
「怒るのか、褒めるのかどっちかにせんかい」
「どっちも間違っていないなら主張するのはおかしなことではありませんでしょう? 隠し事のほうが悪徳ですわ」
「真面目なあほじゃ」
リルリルもあきれながら、ちょっとだけ褒めていた。
ナーティアは大きいし、ムカつくから食べないという選択はとりづらいのだ。リルリルの料理の腕は相当なものがあるからな。
なお、私はどっちかに肩入れして緊迫した空気が出るのが怖いので黙っていた。
師はあまりしゃべらないほうがいい。沈黙は金。
余計なことして学院で処分された私の言葉だ。説得力がある。
でも、そろそろ何か言えというリルリルの視線を感じた。やむをえない。弟子を尊大にしてしまったのは私の責任でもある。
「え~と、錬金術師というのは少量でも効果の激しい薬草を使うこともあります。それはご存じですね?」
「知っとる」「ええ」
「ということは、できるだけ冷静でいなければいけないということです。あわてふためいて処方を間違うと命にかかわりますからね。え~、お二人とも理解してますよね?」
錬金術師の一般論を出してなだめる作戦。これは師匠らしい振る舞いだ。
「余は冷静じゃ。腹を立てたりはしとらん」
うっわ! 面倒臭い奴!
こういう学生、学院にもいたよなあ。怒ってませんって言って怒ってる人。前提を認めないから議論の余地がない。
もう一人のナーティアはどうだろうかと顔を向けた。
「わたくしもロック鳥の誇りを傷つけられた時には断固として立ち向かいますわね。そこは譲れません」
こっちは名誉を盾にしてきた! 騎士みたいな価値観!
「そうですね~。今日も一日、錬金術師の勉学に励みましょ~」
いいかげんに私は言った。ウソではないから別にいいだろう。
●
ナーティアはロック鳥である。現在も島にそびえる山の山頂付近で暮らしている。
私とリルリルに倒されてから、自分をやっつけた相手に弟子入りしたいと言ってやってきたので、追い払うのも居心地が悪いし採用した。小さな島だから頻繁に顔を合わせるし。
それと人の姿に化けられるというのも大きい。巨大なロック鳥の姿のままでは錬金術の指導なんてできないので、お断りするしかなかった。
あと、ナーティアの言葉遣いはきれいなので、指導も楽ではないかと思ったのだ。ふんぞり返りたいわけじゃないが、師を師とも思わない奴は指導できない(リルリルはギリギリ合格とする)。
学院でもどの教官の元にもいられず放校になる学生がたまにいる。貴族の子女が入学することもあるが、そういう連中の一部には頭を下げられない奴もいるのだ。
話を元に戻す。その点、ナーティアは礼儀正しそうだし、指導はしやすいと思った。
そんなことはなかった。
人の姿で各地を旅したり学んだりしてたリルリルと比べると、ナーティアははるかに獣側に近かったのだ。
昨日、夕飯は魚料理にしたいとリルリルが言ったので、私はナーティアに買い物を頼んだ。
パシリにやらせたわけではない。私は工房の勤務時間中である。
お客が来ないので買い物より暇なのは否めないが、勝手に店を閉めるのはまずい。仕事の性質上、急病人が出て、あわてて薬を求められることもある。
「おやすい御用ですわ」と言って、ナーティアはロック鳥の姿になって飛んでいった。




