52 山に何かがいる
結局、ねばねばに絡まっていたサルはサラサラにする薬液をふりかけて、山へ帰した。
ただ、食べるものがない状態で魔物に耐えろというのもひどい話なので、村と協議した結果、飢えた魔物用に商品にならない野菜を集落の外れに置いてもらうことにした。
魔物側も捕まるリスクはないほうがいい。
サルはリルリルの翻訳によると「ありがたい」と言ったそうだ。落としどころとしては悪くない。
もっとも根本的な問題は何も解決してないのだが。
「超大型の魔物というと、どんな大きさなのかのう?」
【片想い地面】のメンテナンスをしている横で、リルリルが私がわかるわけがないことを聞いてきた。
「リルリルも知らないということは、新入りの魔物ということですか?」
なお便宜的に魔物と言っているが、本当に魔物かはわからない。確認がとれるまでは魔物として扱う。
「昔から住み着いておるなら、サルたちの食糧問題も昔から起こっとるじゃろ」
「たしかに。ちなみにリルリルの家族が迷惑かけてるってことはないですよね」
「そんなの、おらんわ」
リルリルの家族関係自体はかなり気になるが、聞くべきではないな。複雑な家庭なのかもしれないし、親に捨てられた私が家庭問題に首を突っ込むのはおかしい。
「今日は工房、一時間だけ開けましょう。そこからは調査ということで」
「緊急事態じゃから、大目に見よう」
弟子が大目に見てくれるらしい。
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昼に聞き込みを行ったところ、脅威は知らないうちに迫っているようだった。
何頭もの馬が奇声を耳にしたと話した。街道を通る馬たちにとってみれば、もはや常識となっていたらしい。キアアアアアという不気味な鳴き声が山から轟くという。
港で働いている人も山のほうで何か大きなものが飛んでいるのを見たと言っていた。
で、港で話を聞いている時に、見覚えのあるメイドさんに声をかけられた。
「錬金術師のフレイアさんですね? 代官様が来てほしいと……」
魔物の話でなきゃいいんだけどな。石鹸の話でありますように……。
「山のてっぺんに巣食ってる怪鳥の話はご存じかしら?」
「石鹸の話ではなかったか……」
私は頭を抱えた。
執務室の壁には人相書きみたいな怪鳥の絵まで貼ってある。
体つきはふっくらとしていて、猛禽類のような殺伐とした感じはない。胸のあたりはふわふわして柔らかそうである。おっ、クッションとしての適性は高そうだぞ。
だが、迷惑をかけてる鳥なのは間違いない。代官の側からすれば犯罪者と同じ扱いだ。
「ちょうど今日知りました。それと、魔物は鳥で確定なんですね」
「怪鳥のせいで、レッドオーガザル、ケムクジャライノシシ、イッカクジカ、ナガミミアライグマその他、大型の獣や魔物が山のほうから逃げ出したりしていて、生態系に問題が生じてるようなの。わたしもゆゆしき事態だと考えてる」
「けっこう獣いるんだな!」
ナガミミアライグマってどんな見た目なんだ。少し見てみたい。
「まだ鳥の詳しい情報までは集まってないけれど、山で暮らしてるのは確実ね」
リルリルは人相書きをじろじろ嘗め回すように見た。
「こりゃ、ロック鳥じゃな。魔物でも最高位の奴じゃ」
やはりリルリルは獣についてよく知っている。
「こやつは住みやすそうな山や森を見つけると、そこを縄張りにする。この島の山は周囲のどこからもよく見える独立峰じゃろ。こやつが見張るのにはうってつけじゃ」
「引っ越すのは勝手ですけど、住民トラブルは困りますね。先住者への配慮はしていただかないと……」
「他人のことを考えるような鳥ではないぞ。天上天下唯我独尊で我が道を行くってところじゃな。こやつが居座ってる限り、ほかの獣は山で飯が食いづらくなって、どんどん人里に降りてくる」
それじゃ、猟師の人は大変だろうな。これまでと違うところで獣と出くわすことも増えるのか。
いや、そんな他人事で済ませられる話ではない。
「私も植物採取でうかつに森や山に入れなくなりますね……」
「無論、そなたに気づいたロック鳥が攻撃してくるし、生息域を変えた魔物に出くわすおそれもある。まともな採取は難しいと考えたほうがよいぞ」
私は天を仰いだ。天井には派手すぎない品のいいシャンデリアが浮かんでいる。
「それ、工房の大ピンチじゃないですか……」
もっとも、悪代官が認知してるというのは心強い。なにせバックに伯爵家がいる。
大陸から軍隊でも派遣して退治してくれるだろう。なんとかそれまで耐えれば……。
「エメリーヌさん、伯爵家から兵を集めて可及的速やかに追い出してください」「フレイアさん、あの鳥を追い出すことってできない?」
私とエメリーヌさんの声が重なった。
ん? なんかおかしなことを言われたような……。
「エメリーヌさん、ここは代官の権力で軍隊を派遣して厄介払いしていただきたく――」
「フレイアさんの錬金術で撃退できない?」
おかしい。話が通じないぞ。
「あの……たしかに錬金術師は何でも屋っぽい側面はあります。水路や街道の修理にまで一枚噛みました。ですが、今回は無理です。これは領地が荒らされてるのと同じですから、代官様で対応する案件です」
私は冒険者じゃない。ロック鳥になんて勝てるわけがない。
「それはわかってる。でも、わたしにも事情があるの」
「そうですか。まあ、本当に錬金術師の私に協力を仰ぎたいっていうのなら、手伝わなくもないですよ。錬金術師フレイア一人なら、この島で暮らす以上、やれることはやります。でも――」
私は横目でリルリルに視線を送る。
それから、再度エメリーヌさんの顔を見つめた。私は詰問するような顔だったはずだ。
「手伝ってほしいのは本当にこの若い錬金術師一人でしょうか? ほかに思惑ありません?」
「フレイアさん、それは……その……」
言い淀んだそれが答えだ。
「差し出がましい発言をお許しください。エメリーヌさんは私に依頼をしたいんじゃなくて、私の弟子である幻獣リルリルの力でロック鳥を追い払ってほしいんでしょう?」
私はリルリルの背中に手を置いた。
リルリルがどんな顔をしているかわからないが、今はどうでもいい。私は私の責任を果たすだけなのだから。
「リルリルは偉大な幻獣です。見事、敵を撃退できる可能性もあるでしょう。しかし、今回は敵の実力も未知数。弟子を危険な役目には出せません」
ここは毅然とした態度で。
大きいサルをどうにかするのとは話が違う。ロック鳥とリルリル、どっちが強いかまったくの謎なのだ。
私は腹が立っていた。
コマとして使われるのはまだいい。
身近な誰かがコマとして使われるのは納得いかない。




