45 教授襲来
「お前な、私が来ると聞いて、あわてて山に入って薬草とってきたな」
「痛いです、痛いです! ほっぺたつねりながら、ねじるのはやめてください! それと、なんで店に入った直後に気づくんですかっ! せめて問い詰めたりしてくださいよ! 密告があったとしか思えないような追及の仕方……」
その日、ミスティール教授はふらっと営業中の工房を訪れた。
で、棚のビンを眺めて、あわてて準備したことに気づいたというわけだ。
やはり無駄な抵抗だったか……。
「視線が行きやすい左の棚の目立つところに、南方の薬草の商品がこれ見よがしに置かれている。いかにも私を標的にした立ち回り方で不自然だ」
ようやく、教授はほっぺたをつねるのをやめて、土産らしき焼き菓子の木箱をカウンターに置いた。その程度では割に合わんな。
「うぅ……。失敗作を売ってるわけじゃないんで、いいじゃないでふか」
ほっぺたを引っ張られていたせいで、まだ変な声だった。
「商品の質に文句はつけてない。将来、大物の錬金術師になりたいなら、少しは研鑽しろ。せっかく王都と植生が違う土地に住んでるんだから、素材集めを楽しめ」
「素材集め自体は別に楽しいものでは……」
私のことを無視して、教授はリルリルのほうに頭を下げていた。
今日のリルリルは獣の姿をしている。こちらのほうでしか教授は会ったことがないらしい。
人間が小娘の姿と幻獣の姿、どちらに畏敬の念を覚えるかといえば、幻獣のほうなのだ。所詮こけおどし。されどこけおどし。
「お久しぶりです、幻獣リルリル様。フレイアはまともにやっていますか?」
「まともも何も今の余はフレイア様の弟子じゃからな。つまり、ミスティール様も大師匠ということで、とても頭が上がらぬ」
「ああ、代官様からの書状で軽く触れてありました。どこまで本気なのか測りかねますが」
「それはこの姿だからじゃろ」
そこでリルリルは娘の姿に変わった。室内なので、返信時の白い靄が目立つ。
「これなら、フレイア様の弟子ですと言っても違和感もなかろう?」
教授がどんな驚いた顔をするかと思ったが、そうでもなかった。ただ、しばらく無言ではいた。あまり目の前の獣が人に変わる状況はないから、正解を探すのが難しいのかもしれない。
「なるほど。私としましては、フレイアがサボりすぎないように目を光らせていただければありがたいぐらいで。あとはお任せいたします」
教授が余計なことを言った。それから私も見ずに右手を後ろに向けて、私を指差した。
「あいつはやればできる奴なんですが、いかんせん、工房を持ってからの目標と呼べるものがないんです。支えてやっていただけますと幸いです」
おい、私のほうがリルリルの師匠だぞ。
「はっはっは! やっぱり、そなたは親バカならぬ師匠バカじゃのう。なんだかんだと弟子がかわいくて仕方ないのじゃな」
今、教授がどんな顔をしているか回り込んで見てやりたい。こういうのは果敢に動くべしと回り込もうとしたら、その前に教授がこっちを向いた。
「しょうもない時にだけ、積極的になるな」
かなり強めににらまれたので、諦めて作業机に着席した。
教授は余っている椅子を持ってくると、そのまま作業机の隅に座った。
「今日は一日、営業の様子を見ておいてやる。しっかりやれよ」
「今日は閉店にしたいなあ……」
●
私は作業机で書庫から出してきた本を読んでいた。
いいかげんにしているわけではない。客が少ないので空き時間にだらけると、大半の時間だらだらすることになってしまうのだ。この工房が不人気なのではなくて、地方の工房というのは、どこでもこういうものだ。
教授もとくに注意をしてこないので、大きな間違いないはないと考えることにする。
途中、リルリルが庭園に教授を案内してお茶を出したりしたが、そんな休憩時間(教授にとっても、教授の視線がはずれる私にとっても)を除くと、教授にじろじろ見られてすごすことになった。
このまま閑古鳥なら接客で叱責されることもないなと思っていたのだけど、閉店間際にドアが勢いよく開いた。
三十代なかばぐらいの女性だ。おそらく見たことのない顔。港から遠いほうの村の人か? 少し息が上がっているようだけど、病人本人ではないな。体力はある。
「錬金術師さん、子供が熱を出しまして……」
そういうわけか。これは真剣にやらないと。私はすぐにカウンターに出向く。
「なるほど。熱の期間と、熱以外の症状を詳しく教えてください。それと、変わったものを食べたりしていませんか?」
状況を詳しく聞かないと、薬草の処方もできない。
錬金術師は薬草を扱うが、医者ではない。なので、病名の特定はできない。やれることはあくまでも対症療法だ。
「昨日、体が濡れたまま昼寝してたから、それでおなかを冷やしたんじゃないかなと……。昨日の夜も少ししんどそうでしたが、熱が出たのは今日になってからで……。症状は熱以外だと痰が出ていたぐらいで」
原因ははっきりしているわけか。
「ふむふむ。でしたら体を冷やした可能性が高いですね。ポーションで体力を回復させてください。痰に効く薬草も出します。解熱の薬草も出しますが、熱が下がらない時に使ってください。あんまり多用するべきではないので。もしこれで回復しないようでしたら、船で大陸に渡ってお医者さんを当たってください」
少し苦いと思うが、せっかく生薬のストックもあるので、こちらもポーションに混ぜる。この程度の調合ならたいして時間にならない。葉をすりつぶしたものをポーションのビンに入れるだけだ。五分でお母さんに渡した。
「ありがとうございます。帰ったらすぐに子供に飲ませます!」
帰ろうとするのを、「お待ちください」と引き留めた。まだ言うべきことはある。
「お母さん、確率的にはたんなる体調不良の可能性が高いですが、一日や二日は熱ぐらいしか症状が出ない病気も多いんです。たとえば三日目から下痢になったり咳が激しくなったりなんてこともあります。変化があったら、また来てください」
「は、はいっ!」
「何が原因にしろ、水分をたくさんとって安静にしてあげてください。それと、食事は固形のものよりパン粥のようなやわらかいものを。胃も疲れてますから」
「本当にありがとうございます!」
大きな声であいさつをして、お母さんは去っていった。あのあわてぶりだと帰る途中にこけそうだけど、大丈夫だろうか。
私は、ふぅと息を吐いた。
常備薬めあてのお客さんの時と比べると、病人が出た時の仕事は緊張する。
責任の重さが全然違うせいだ。人の命がかかっている。
今回はただの体調不良であることを祈ろう。
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