40 お湯だ
「オイル漬けか~。おいしいとは思うんだけど、もっと島独自のものがほしいな~」
あっ、この反応はダメだな。
エメリーヌさんは舶来品らしい東方の紋様の扇子でぱたぱた扇ぎながら続ける。
「魚のオイル漬けって、大陸の海沿いのどこででも作ってるじゃん。となると、輸送コストが安い分、大陸の商品に勝てないと思う」
「おっしゃるとおりです」
魚は青翡翠島から離れたところも泳いでいるし、大陸の漁師たちもある程度、沖合までやってくる。となると、同じような魚が大陸側にも水揚げされる。
「難しい話だと思うけど、この島ならではの素材を使って、特産品を作れない?」
「要望はわかりますけど、それなら私より島の住人のほうが詳しいのでは? 私は島に来て一か月ほどの新参ですよ」
「逆よ、逆。島にずっと住んでたら、大陸で何がウケそうかなんてわからないって」
そういう側面もあるか。このあたりは言ったもん勝ちではある。
「別に期限を決めてるわけじゃないから、ゆっくりやって。報告書には島のために精一杯働いてくれてると書いてあげる」
「はいはい、継続的に努力しま――ん? 報告書って何ですか……?」
ちょっと気味の悪い言葉が聞こえた気が。
「遠隔地に学院の卒業生が赴任した場合、ちょっとしたことでも学院にお知らせする決まりなの。上水道再生に尽力したってことも入ってる」
「えっ……。それ、学院からお叱りを受けたりしませんよね……?」
上水道のことを書かれると、私が勝手なことをしたという話も伝わってしまう。
「叱るも何も、あなたはすでに学生じゃないでしょ。ただ、代官のペンで島唯一の錬金術師の能力を語るってだけ。そして、学院は代官の言葉を島の公式見解と受け取りがちってだけ。あははっ♪」
エメリーヌさんの顔がいやらしく笑っていた。また八重歯が見えた。
「結局、私の評価はあなた次第って言ってますよね!」
食えない人間だ。この人、悪代官め! むしろガキ代官か!
「安心して。わたしもフレイアさんと同じく島の外から来た人間だし。わたしは味方」
今度はいい笑顔でエメリーヌさんは言った。
「私が過去に読んだ小説だと、自分を味方だと言う人、だいたい敵なんですよね」
ちょっと口が軽くなった。
「たはっ♪ 特産品はできてほしいけど、年上のお姉さんの困った顔を見るのも楽しいな♪」
この代官、けっこう性格に難があるぞ……。
●
特産品問題は私の頭をずっと離れなかった。
畑を重点的に回ってみたり、カノン村の人から話を聞いたりもしたけど、島だけのオリジナル品種の農作物はないようだった。
私も島で幾度となくもてなされているけど、初見の野菜は見ていない。
「それでは、山のほうにも少し上がってみるか。新種が生えておる可能性もあるじゃろ」 とリルリルに言われてよく晴れた日に、山へと入っていくことにした。
暗青石の採取で入山したこともあるし、それぐらい余裕だと思っていたのだが――
「なんで、そんな道を行くんじゃ。こっちじゃ、こっち」
すぐに人の姿のリルリルは道から外れたところを登りはじめた。
岩肌の露出した崖みたいなところをひょいひょい上がっていく。
やってることは、いわゆるロッククライミングだ。
「ストップ! ストップ! そんなところ進めるわけないでしょ!」
「進めておるが?」
くるっとリルリルが顔を向けた。
本人ははしごでも上ってる感覚らしい。
「私はそんな野性味は強くないです! それと……ワンピースの中が見えそうなので、はしたないですよ……」
私は目をそらして言った。
ちょうど見上げるとのぞくことになる角度だった……。
「むっ。そういうのはやめよ。別に堂々と見られるのはよいが、見せるつもりのないものを見られるのは気持ち悪い……」
「堂々と見られるってどういう状況なんですか――と思ったけど、獣の時に恥ずかしがってたら変ですね」
「そうじゃろう。ただ……人の姿の時は、やはり羞恥心を覚えはするからのう。不思議なものじゃ」
リルリルもじわじわと落ち着かなくなってきたのか、次第に顔を赤らめて、ささささっと速度を上げて岩壁を上がっていった。
「あんまり見んようになっ!」
「加減してください! リルリルに全力を出されると、永久に追いつけません!」
「下るのは難しい! 上り専用じゃから無理じゃ!」
リルリルはそのまま先に行ってしまった。
仕方ないので、私は登山道から進む。
時間がかかるか、それが普通の人間の振る舞いだ。ほぼ垂直に山を進むことはしない。
「さすがにどこかで合流はできるだろ……」
●
なかなか合流できないまま一時間は歩いた……。
「弟子はどこに行ったんですかね……」
諦めて引き返すことも本格的に検討しだした頃――
「こっちじゃ、こっち~。こっち、こっち~」
遠くからリルリルの声がする。
事情を知らずに声だけ聞いたら怪異話みたいだなと思いつつ、そちらに向かうと――
リルリルが谷川の途中の淵になったところで水浴びをしていた。
ちなみに服は着たままだが、水浴びは水浴びだ。
「着衣で水に入るって、また豪快ですね」
オオカミが毛皮を脱げないようなもので、リルリルとしては常識的な行動なのか。
「フレイアも入ってみよ。気持ちよいぞ」
「足をつけるぐらいならいいですけど、全身つかると冷たいですから――ん?」
ぬるい。
最初にそう感じた。
ぬるいどころじゃないな。もっと温かい。
「これ、お湯だ!」
「そうそう。このあたりから湯も湧いておるんじゃ。野趣あふれるじゃろう?」
「野趣というか、大自然にそのままつかってるようなもんですね」
リルリルは気の抜けた、「ふあぁぁぁああ」という声を出した。
鳴き声みたいなものかと思ったけど、リラックスした時に人間が出す声だった。
私も足をつける。
「お~。ちょうどいい温度ですね」
最初は両手で上半身を支えるようにしていたが、結局地面に寝転がった。汚れるといってもしれている。
「これぞ、幻獣の隠し湯じゃ。登山道からも外れておるから、ほぼ無名じゃ。最近、特産品探しでバタバタしておるから少しは休め」
そうか、リルリルに気をつかわれていたのか。
打開策がぱっと出なかったのはほぼ初だったしな。




