38 代官登場
私とリルリルは港の裏手の高台にある屋敷――通称「代官屋敷」に来ていた。
周囲にほかの家はなく、まるで城のようにそびえている。というか、小柄な城だ。
「そういや、島に上陸した時、港の奥に尖塔が見えていたような気が」
代官屋敷に接続される形で物見の塔が建っている。それが尖塔の正体だ。屋敷本体も含めて、間違いなく島で最も立派な建物だろう。
「普段寄ることはないからの。とっとと済ますぞ」
門の前にいた召し使いらしきおばさんに入れてもらう。その召し使いさんは城の分厚い扉も開けてくれた。
そういえば、こういうのって警備兵みたいな男じゃなくて、おばさんがやるのか。平時だからメイドの立場の人が担当するのかもしれない。
案内されて、廊下を歩く。古い建物だけど、汚らしくはない。学院の廊下をほうふつとさせる。
「それにしても、出向けとは偉そうな奴じゃな。ここの領主をやってまだ三年ほどのくせに」
リルリルは人の姿で文句を言っている。単純に、幻獣の姿では屋敷に入れない。
「もしかして、島に来た時にあいさつしておくべきでしたか? 錬金術師の出店ぐらいで領主にあいさつに行かなくていいと聞いていたんですが……」
「島の外の常識は知らん。大きな街で開業のたびにあいさつにやってこられたら、かったるいじゃろうが、島の場合はどうなんじゃろな」
ぶっちゃけ、こういうのって地域によって慣習が違うから学びようがない!
島の住人の大半が無礼と思っているなら、それは無礼なのだ。
途中で、おばさんから黒い頭巾をかぶった女性に案内役が変わった。
顔が見えないのが不気味だが、それを理由に拒否できる立場でもない。
にしても女性ばかりだな。本当に好色な男が代官だったら、どうしたものか……。
リルリルがそばにいるのだから身は安全だろうが、殴りつけたりしたらこっちも営業できなくなるぞ。
工房で朝を迎えた日から営業終了の事態になったら笑い話にもならないな……。
できれば穏便に済ませたい……。
リルリルは自分のほうが偉いという顔をしているが、本当に大丈夫か?
頭巾の女性の足が止まる。「執務室」と書かれたプレートのかかっている部屋の前だ。
「では、お入りください」
「は、はい……」
私はゆっくりとドアノブに手をかけて、ドアを開く。
「し、失礼いたしますっ!」
中には――誰もいなかった。
「あれ? 留守ですか……?」
おなかを壊してトイレにでも入ってるのだろうか。
相手が不在ということを想定してなかったので、どうしていいかわからない。
「リルリル、この場合、廊下側に顔を向けて待ってるほうがいいんですかね?」
「なんじゃ、そりゃ。そんな作法は聞いたことがないぞ」
「ですが、代官様は部屋にいないわけで……」
「あっははは! その様子だとまだ気づいてないようね」
案内をしてくれた女性が笑っていた。
その女性が頭巾をどける。私より少し幼い赤い髪の女子が立っていた。歳は十五歳ぐらいだろうか? きれいに編み込んだ髪にいくつか髪飾りがついている。
「こういうことよ!」
ん? 領主の娘か?
この年頃なら自分が島に赴任する際に残しておくのは不安だから連れてくるか。悪い虫がつきかねないからな。
「すみません、代官様がいないというのは、いたずらか何かなんでしょうか……?」
落ち着かない場所で、私は完全に空気に呑まれていた。
「えっ? まだ気づいてないの?」
「ええと……いい毛織物ですね。これ、北方の品でしょう。まさかこんな南の島で目にするとは思いませんでした」
「そうよ、いい品をさりげなく使うのが上流階級のたしなみ――って違う、違う、違う!」
女性は自分の顔を指差した。
「わたしがこの島の代官よ。召し使いだと勘違いさせたまま、部屋に案内したわけ」
「ああ、なるほど。……って、若いな! 私より若いじゃないですか。まだ小娘!」
「小娘は悪口でしょ! 驚いたからって、普段の言葉遣いが出てる!」
本当だ。曲がりなりにも謝罪に来たのだった。でも、いたずらを仕掛けてきたのはそっちだろとも思う。
「わたしはこの島の代官、エメリーヌ。伯爵家の出身だけど……傍系の愛人の子だから……自分で言うのもなんだけど、とても大物貴族の権力争いに首を突っ込む立場ではないの」
エメリーヌと名乗った小娘(小さい娘だから事実だ)が胸に手を当てて言った。
「そうじゃな。で、十二になった時に自分から島の代官をやると言って、やってきたというわけじゃ」
リルリルがつまらなそうに答えた。見知った顔という反応だった。
「あれ? リルリルは代官様のこと、ご存じですよね。だったら最初から言えよ」
「はん? 今から会いに行くのに伝える必要などないじゃろ」
むっ。一理あるので反論しづらい。こっちから代官について教えてくれと言ったわけではないし……。
「このエメリーヌは小娘にしか見えんが、それなりに頭は切れるぞ。筆記も簿記もできる。幼い頃から埋もれずに自分の力で何かしたいと思っておったらしい」
「周囲がいかつい男の領主ばかりだと、女の代官に舐めてかかってくるかもしれないけど、海に隔てられた島なら問題ないから。わたしが管理するのにはちょうどいい場所なの。権力争いからも無縁だし、王都のあたりよりはるかに温暖だし」
エメリーヌ(向こうのほうが若いのだし、心の中でなら敬称はいらないだろう)は薄い胸を張ってからからと笑った。言葉の発音が島のものと違う。王都の発音だな。
「わかります。学院の廊下なんて冬は屋外かと思うほど寒かったですし」
「あら、フレイアさん、あなたとは気が合いそうね」
よかった、話が合う都会人かと思ったが――
「それと、この部屋には客人用の椅子がないの。あなたたちには申し訳ないけど、苦情を言われる側だからそのまま立っててね」
エメリーヌはそう言うと、私たちの横を通って執務室の席に座った。
気が合うと思ったけど、ちゃんと叱るつもりではあるらしい。
「率直に言うね。フレイアさん、村全体に関わる大きな工事は代官の許可が必要よ。わたしからは、善意の作業か、反乱を企む者が罠を仕掛けているのか、区別がつかない」
エメリーヌは笑っているので、そんなに深刻な問題ではなさそうだが、連絡を怠った私の責任ではあるので、素直に謝った。
「このたびはご迷惑とご心配をおかけいたしました」
ついでにリルリルにも頭を下げさせる。だが、なかなか頭が下がらない。けっこう力を込めても、幻獣には効かない。
「ほら、謝ってください」
「余は守護幻獣じゃから謝らんっ!」
何言ってるんだ、この弟子!
「こういう時にはごめんと言っておけばいいんです!」
「言う必要がない! だいいち、代官と言うからには水の問題だって解決する義務があるんじゃ。それをやっておらんのも悪い! むしろ自分らができてなかったのに改善してくれてありがとうと礼を言うべきじゃ!」
くっ! 幻獣には本音と建前の区別がついていない!
本音をぶつけまくったら、収まるものも収まらなくなる!
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