31 森の奥を探検
翌日の午前中、私たちは工房の庭のさらに奥地へと向かった。
ちなみに私は事前にクレールおばさんから汚れてもいい農作業着を借りている。
リルリルは純白のワンピース姿だ。
泥が飛び散りそうな場所に白のワンピース!
それだけ見ると正気の沙汰ではないが、獣姿になって水浴びでもすれば汚れもきれいに取れるらしい。
この世界がリルリルばかりだったら、洗濯という概念は消えるんじゃないか。
「うわぁ……想像以上にぬかるんでますね……」
庭の裏手はそのまま森へと続いているのだが、土と岩の上を水がすべるように流れていたり、ところどころ小さな沼のようになっていたりする。
「陰気じゃなあ。あの工房も錬金術師のものというより、禁忌の黒魔法使いの棲み処みたいに見えてきたわい」
「嫌なこと言わないでください。気持ちはわからなくもないですけど――うわっ!」
私の体が宙に浮く。
コケでぬかるんだ岩を踏んだらしい。
やってしまった! これは尻を打つやつだ。なぜか、ゆっくりと体が沈むように感じる。
だが、尻を打つ前に体が止まった。
リルリルが私を両腕で受け止めてくれていたのだ。
「危なっかしいのう。余がおらんかったら、頭を打ってたかもしれんぞ」
「お手数をおかけしました。そ、それにしても……元の姿を知ってるとはいえ……この姿勢は変な感じがしますね……」
今、私は格好だけで見ればリルリルにお姫様だっこされているのだ。
しかも、今の少女の見た目だとリルリルのほうがはるかに華奢で腕も細い。
そんなリルリルに抱えられているので、自分が十歳ぐらいの子供になったみたいな気がした。
お姫様だっこされているというむずがゆさも加わって、なんとも言えない感情だ。
ぼかしてるんじゃなくて、この感情をどう名づけていいかさっぱりわからないのだ。
学院でも女性同士の恋愛を扱った小説を読んでいる生徒はいたはずだが、その手の小説も登場人物は両方学生か、学生と教師だったりして、今のシチュエーションのものはなかったと思う。
しいて言えば、自分より小さい相手に抱えられる背徳感と表現したらいいだろうか?
いや、背徳感は聞こえが悪いな。たんなる違和感か……。やはり恋愛小説的ではない。力持ちの少女なんて出てこないし。
「まだ、しばらくすべる岩場が続くし、このまま抱えていくほうが安全じゃな。そこでくつろいでおれ」
「いえ、以後気をつけますから。けど、せっかくですし、もう少し味わっても……いい、かな……」
たまには、こんなふうにお姫様だっこされるのもいいのではないか。もふもふ的なものとはまた違ったよさはある。
「頭を打ってもないのに支離滅裂なことを言っておるな。動転しておるのなら、やっぱりそのままでおれ」
私は素直にリルリルに従った。
次から庭の裏手に踏み入る時は鉄兜みたいなものも用意しよう。
●
森の奥に進んでも湿気は減らなかった。
それどころか、水辺に多いシダやコケの数が増えてきた。
「リルリル、耳はよいほうですか?」
「ほかの幻獣と比べてどうかはわからん。出会うことも普通はないからな」
しまった。質問が人間本意すぎた。たしかに基準がわからなければ幻獣での話になる。
「いえ、人間と比べてです。私より耳はよいですか?」
「きっとよいじゃろうな。それがどうかしたか?」
「耳を澄ませておいてください。このあたりに水源がある可能性が高いです」
「ふむ」
リルリルは耳(人間の形態の耳)に手を当てた。
そして、いきなり走り出した。
「あっちじゃ! あっちにある!」
「走られても困ります! 追いつけませんって!」
どたどたと暗い森の中を走っていくと、リルリルがドヤ顔で立ち止まっている。
「ほら、そこじゃ、そこ!」
「おお~。ちょろちょろどころではなく、ごぽごぽ出てますね」
かなりの水量の水が岩の間から湧き出ている。
近くに泉のようなものはないが、その代わりに周囲が湿地のように満遍なくびちゃびちゃになっている。
「おそらく、これが庭の湿気の原因ですね。かつては庭のあたりからも水が出ていたんでしょう」
リルリルは湧いている水を手ですくって、ノドをうるおす。
それだけでも絵画のように絵になるなと思った。
こんな森で純白の衣装の女性がいるだけでも、妖精か亡霊かの二択だからな。現実感に乏しい。
「うむ。美味じゃ。味も匂いもない。上水道として使える水じゃな!」
「ということは、この水を村まで運ぶことができたとすれば、それで水の問題は大幅に改善できますね」
リルリルはついでに湧き水で顔をぱしゃぱしゃ洗っていた。
清楚な見た目と豪快な行動がいまいち合ってないけど、余計なお世話だろう。
「しかし……」
顔を上げたリルリルの表情は少し曇っていた。
「ここから村までなかなかの距離ではないか。水を通すといっても、骨が折れるな」
「たしかに、一から作り上げるとなると、とんでもない土木量になるでしょうね」
もっとも、私はもっと楽をするつもりだが。
なお、リルリルに全部任せるという意味ではない。
私はシダをかき分けて、痕跡を探す。
「リルリル、すみませんが、ここから左手の側に何か人工物がないか、よく見てもらえませんか?」
「人工物? 村からも外れておるし、そんなんあるか?」
「上水道は何十年か前までは機能していたわけです。ならば、その一部が残っていてもおかしくはないでしょう」
「そういえば、なんか森の中に作っておった記憶はあるな!」
「……まあ、言った直後になんですが……高温多湿ですし、朽ちている危険も高いですがね」
「なかったらなかったの話じゃ。行くぞ」
リルリルがシダの中に突撃していく。
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