第92話 一つ屋根の下で
「やっと帰ってこれた!」
2週間の市ヶ谷音楽隊での任務を終えた私、虎咆ミーナは、自宅の最寄駅が近付くと、逸る気持ちを抑えられず、大型スーツケースをゴロゴロと引っ張りながら、急いで家路についていた。
最初は不安だった兼務先の音楽隊だったけど、色んなことが体験出来て楽しかった。
いの一番に、私の大事な人に話を聞いて欲しかった。
そして、2週間もお預けを喰らってしまって、心が末期の飢餓状態だった私は、早急に栄養補給をする必要があった。
早く、ユウ君の腕に抱かれて猫になりたい。
今は、平日の夕方。ちょうど学校帰りの時間だ。
「ニャニャーン! ユウ君ただいまー‼」
私は、スーツケースを玄関に投げ出すようにうっちゃって、お土産の袋だけを持って想い人の家の中に飛び込んだ。
こういう真似が出来るのは、幼馴染の特権だ。
「あら小娘、帰って来たのね。っていうか、人の家にインターホンも鳴らさずに入ってくるなんて、相変わらず非常識ね」
そこには湯上りと思しき、かろうじてショーツだけは身に着けて、首にタオルを掛けている、憎い女が立っていた。
想いもかけぬ光景に、私の手からお土産の袋が滑り落ちて、リビングの床を鳴らす。
「なんで、年増がユウ君の家にそんな格好で居るのよ……あんた、まさか……」
油断していた……。
私が不在なのを奇貨として、この女は自身のどす黒い欲望のはけ口をユウ君に向けたというのか……
これは教官と生徒うんぬんの問題ではない、れっきとした“悪”だ。
私は躊躇せずに、スマホの緊急通報ボタンを押そうとする。
と、私の指はスマホをもつ手に突き当たってしまう。
「まったく、早まった真似はよしなさい」
年増の方を見ると、先ほどまで私の手元にあったスマホが、奴の手に握られていた。
いつの間に⁉
奴の空間転移は、物にだけ直接作用させられないはずだ。
なのに、何で……
「返しなさいよ犯罪者!」
「は? 身体を動かして汗をかいたのでシャワーを浴びて、自宅内で半裸でいることの何が犯罪だというのです?」
駄目だわ、この女……
婚活をこじらせすぎて、とうとうおかしくなってしまっている。
自宅じゃなくて、生徒の家の中で半裸でいることが問題なのよ!
これは、警察よりも病院に連行する方が先かしら?
「あれ? ミーナ帰って来てたんだ。おかえモゴッ!」
「ユウ君、見ちゃダメ!」
リビングでギャーギャー騒いでいたら、ユウ君が学園から帰ってきてしまった。
私は咄嗟に、汚物をユウ君の視界に入れないように、自分の胸の中にユウ君の顔を抱き込んだ。
「小娘こそ何やってるんですか⁉ 教官の前で破廉恥な! ユウ様から離れなさい!」
「うるさい! 前回のユウ君の看病の時とは違って、今度こそは言い逃れの出来ない現行犯なんだから、覚悟しなさいよ年増!」
「フガモモッ!」
「ユウ様が苦しそうじゃない! 人質のつもり⁉ 心苦しいけれど、とうとう貴女を手に掛けなくてはならない時が来たようね」
言葉とは裏腹に、ちっとも残念そうではなく、嬉々とした残忍な笑顔で年増が口元を歪める。
「来いやこらぁ~‼」
私は、抱きかかえたユウ君の耳元を手で塞ぐと、音響爆弾 虎咆を発動するため、喉を開いた。
◇◇◇◆◇◇◇
「2人共、俺の家で何してんの? バカなの?」
「「すいません……」」
今日も生徒会の仕事で疲れて帰宅したと思ったら、いきなりミーナに縫いぐるみのように抱きかかえられるは、家で療養中の速水さん上半身裸で暴れるわで、本当に何でこうなったのかという地獄絵図だった。
「でもユウ君。この年増ったら、ユウ君の不在時に自宅に上がり込んで、貰い湯までしていたのよ!」
ミーナが興奮したように、速水さんを糾弾する。
「ん? それは問題ないよミーナ。だって」
「私とユウ様は今、一つ屋根の下で同棲していますからね」
俺が説明しようとした話を、速水さんが奪い取る。
「…………はぁ?」
ミーナが呆けた顔で聞き返すのを、速水さんが勝ち誇ったように答えを重ねる。
「あら、理解が追いついていない?小娘。私、ユウ様と同居してるのよ。伴侶として」
いや、だから速水さん。
正確な報告をしろっての!
伴侶って言葉には、確かに『一緒に連れ立つ者』って意味だから、相棒の速水さんが使っても一応、言葉の使い方としては合ってるけど、。
おかげで、ミーナが石像みたいに固まっちゃってるよ。
「は……は……伴侶って、そんな……まさか、先日の法改正で、魂装能力者は男女とも16歳から婚姻可能になったのを良いことに、ユウ君を騙して婚姻届にハンコを押させて……」
ミーナが案の定、伴侶を別の意味でとらえてしまっている。
っていうか、速水さんが俺を騙しているの前提の話なんだ……
それにしても、例の特記戦力協議会で骨抜きにした法案って施行されたんだ。
何歳までには結婚しろといった部分は削除させて、周囲からの婚姻の強制はNGな事を盛り込ませたので、魂装能力者側の権利は脅かされずに済んでいる。
と、そんなことより、まずはミーナの誤解を解かないとだ。
「違うよミーナ。ただ、仕事の関係で、速水さんとは今後、一緒に住まないといけなくなったんだ」
「何それ、軍の命令⁉」
「そうだね」
先日のような危うい場面もあったしな。
それなら、俺の側から速水さんは離れない方がいいとの軍上層部の判断だった。
「そんな命令、ユウ君のいつもの少将パワーを使って、突っぱねればいいじゃない!」
「いや、それは……」
敵に、俺の超長距離リモート飽和爆撃作戦のアキレス腱が、速水さんであることがバレてしまった以上、速水さんを自分の目の届く場所に置いておくという案は、俺も賛成だからだ。
これは、速水さんの身が心配というのもあるが、速水さんを喪えば、また世界中を泥だらけになりながら這いずり回る生活に逆戻りしてしまうのだ。
それは何としてでも避けたい。
「なんで、そんな歯切れが悪いのユウ君‼ まさか……ユウ君、この女に脅されて」
見た相手を凍りつかせるような冷たい視線をミーナは速水さんに向ける。
俺に関する話だと、原因は常に速水さんの方にありとするミーナの思考パターンは、少々偏った物の見方なので注意したいところだが、ミーナには特記戦力の事に関して明かしていないので、事情が説明しにくい。
「違うよ! その……仕事上、どうしても必要なんだ」
「そうよ小娘。これからは、私が赤ちゃんを育てるように、食事から排泄まで、ユウ様の身の回りの全てのお世話をすることになっているから。たまたまユウ様の近所で生まれただけの貴女は用済みよ」
俺の相変わらず歯切れの悪い回答に、さらに速水さんがミーナをヒートアップさせようと挑発の言葉をぶつける。
あと、しれっと入れてる排泄の介助は要らないです。
「私は、ユウ君が強制徴兵されて長年不在だったこの家の管理をずっとしてきたのよ! ユウ君の家の事は、なんだって知ってるんだから!」
「こわ……ユウ様、すぐに盗聴器の類が仕掛けられていないか、専門の業者を呼びましょう。この小娘が、何を仕掛けているのか解った物ではありません」
ギャースカ騒ぐ2人の前で、どちらにせよ、一人暮らしの気楽な生活は当分帰って来そうにないなと、俺は天を仰いだ。




