第111話 安座名のご老公の憂鬱
「また東方連合国の高官から亡命希望の打電がありましたわ」
「フォッフォ。ありがとうの周防の嬢ちゃん。菓子食うかの?」
統合幕僚本部の元帥室に報告に上がった真凛に、安座名のご老公が応接ソファで、好々爺よろしく茶菓子を勧める。
「いただきます。30人目からは数えるのを止めました」
「フォッフォ。既に、亡命政府で内閣が組閣できるほどの数じゃな」
「国家元首経験者が3名も含まれているのは笑えませんけどね」
高級な茶菓子を無感情に口にしながら、吐き捨てるように真凛は蔑みの声を上げる。
責任を取らない大人への嫌悪と失望を感じる程度には、まだ真凛も子供の純粋さを持っていると言えるなと、安座名のご老公は思ったが、それを目の前の少女に指摘するのも野暮かと口には出さなかった。
「これが国家の最期の瞬間じゃよ。高い純度の情報に触れられる者から、沈む船からいの一番に逃げ出す」
「どいつもこいつも、ペラペラと国家機密を喋って自身の売り込みに必死で、哀れですわ」
「もっとも、今から動いているようでは遅いがな。損益分岐点を割りこんだ事はこちらもお見通しなのじゃから」
「それだけ、平作美鈴特務大佐の存在が彼の国にとって重要だったのですね」
「物資と資源の貧困さも、技術の劣勢も、全て彼女一人で引っくりかえせるという希望があったからこそ、内国の企業は自国へ投資していた。魂装能力者という一個人に頼り切った末路じゃよ。まぁ、ワシらにとっても、耳の痛い話ではあるがな」
「安座名のご老公。ひとつお耳に入れたい事が」
苦笑いしながら湯呑茶碗に口をつける安座名のご老公に、真凛が神妙な顔で報告を始める。
「このたびの平作美鈴の存在についてですが、我が国の諜報能力をもってしても、その存在自体を掴むことは出来ませんでした」
「ふむ。先の、神谷第一席の敵地孤立の原因となったバッテリーと対峙して、初めてその存在を把握したからのう」
「東方連合国の者たちが、文字通り自身の命運をかけていた事業です。お金も人も相応の規模で動いていたはずです。こちらの諜報の網に何もかからなかったはずがありません」
「そなたのエスピオとて、万能ではあるまい? それに1人では国の全てに目を光らせることはできまいて」
安座名のご老公の声は、まるで勉強を頑張る孫娘を労わるような慈愛に満ちた、好々爺然としたものであった。
しかし、その好々爺の顔が、次の真凛の言葉で歪む。
「奴らの隠蔽が日本側から行われていたとしてもですか?」
「……確証はあるのか?」
好々爺としての顔は脱ぎ捨て、安座名のご老公に軍の元大将閣下としての厳しい顔が蘇る。
「ありません。しかし、確度の高い推測はできます」
真凛の言葉に、安座名のご老公は無言で続きを促す。
「今回の件は、巧妙に隠されていたというよりも、情報の偽装がなされていたと思われます」
「なるほど。秘密のヴェールに覆われている箇所すら探知できなかったのなら、そういうことだろうな」
「もし東方連合国側に、高度な情報偽装の能力があるならば、今回もその力を使って、平作美鈴特務大佐を失ったことを全力で隠すはずです。逃げる高官も、発覚が遅れる方が都合が良いでしょうから、情報偽装を命じたはずです」
「そうだな」
この点については、安座名のご老公も素直に首肯した。
自身が事前に感じていた違和感と同じであったからだろう。
「しかし、情報偽装は今回行われなかった。それは、もう意味がなかったから。すでにバレてはいけない相手に伝わってしまっているから、と考えるのが自然です」
「それが、なぜ日本側で情報偽装が行われていたという論につながる? ステイツやユーロの未知の魂装能力者が関与した可能性もありえる」
「牙を抜かれたかつての大国にそんな力も度胸もありませんわ。仮にその力があったとしたら、真っ先に媚を売るのは我が国にでしょうしね。もはや世界の滅亡阻止という大目標を投げ捨て、緩慢な死を受け入れた者たちが、今更こちらの邪魔をするなんて大それたことをするはずがありません」
「…………」
「外交資料を見ましたか? 日本側の質問状に、即座にステイツとユーロは、こちらの靴を舐めんばかりにへりくだった文書を大使が持参してきたようですよ。これまで以上の、視察も監察も受け入れると、命乞いをするように」
安座名のご老公が黙りこくったのは、ステイツやユーロがこの件に関与している可能性が低いということを、解っていたからだ。
「そして、日本において、そんな事ができる魂装能力者となると……」
「……その先は、ワシの方で預かる。手出しは無用だ」
反論のない安座名のご老公の様子を見て、真凛が結論を導出しようとしたところで、ストップが入る。
「ご老公なら、そう仰っていただけると思っていました。それでは、お待ちしています」
結論を奪われたことを気にも留める様子もなく、真凛は恭しく礼をして元帥室を後にする。
真凛が退室した後、しばし安座名のご老公は思考をフル回転させた脳を休めるべく、元帥室の応接ソファに座り、天井を見上げる。
「まったく……若いのはどうしてこう、厄介事ばかり好き勝手に起こしてくれるんだか。わしの隠居が遠のくばかりじゃ……」
天井を仰ぎ見ての独白は、天井に跳ね返って自分に返ってくる。
そして、自身もかつては若き情熱に燃えていた若手士官であったことが思い出されて、顔をしかめる。
「橘も、泡を噴いとらんで、もっとシャンとせい! 小娘相手に情けない!」
この部屋の主であり、ストレスがとっくにカウントGを超え、執務机で白目を剥いている橘元帥の頭をひっ叩いたのは、おそらくは安座名のご老公の八つ当たりであった。




