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最終話     これからがクライマックスだろ

 情事のあとは、こんなに幸せな気持ちで満たされるものだっただろうか。リキヤの腕枕で、ルイナは切なさに震えた。触れ合っているところから伝わる体温が、言葉にできないほど温かく愛しい。

 恋い焦がれたひとと、ようやくひとつになれた。

「リキヤ……」

「ん?」

 ベッドの右側にふたり、じゃれ合うように抱き合っている。真ん中から左側は、激しい情交でぐちゃぐちゃに濡れてしまい、身体を横たえることができなかった。

 大きなベッドでよかった。最初はどうしてこんなに無駄に大きいのかと思ったけど、無駄ではなかった。

 淫魔の身体なら、精液は精気として吸収できるし、残滓も浄化するから、ベッドはあまり汚さない。不便な身体になったものだ。

「ねえ、あたし達、いつまでこうしていられるの?」

 幸せすぎて、失う未来が怖かった。どれほど強欲なんだろうと、自分でも呆れてしまう。

「いつまでって?」

「リキヤはいつか、リリス様に吸収されちゃうんでしょ?」

「まあな。リリスが封印から目覚めたら、さすがに無理だろうな」

「……そう、だね…」

「でもあと二百年以上、先じゃないか?」

「二百年…?」

「ルイナの寿命が先か、オレがリリスに吸収されるのが先か、微妙なとこだな」

「……うん…」

「もしオレが先に吸収されたら、お前が男になって、リリスを押し倒せばいい」

「な、なに言ってんの、リリス様を襲えるわけないじゃない」

 身分違いも甚だしい。会うことすら許されないひとなのに、押し倒せるはずがない。

「そうか? いけると思うぞ」

「無理だよ。それに、あたしもう…、たぶん性転換できない」

「なんで?」

「あたし、淫魔じゃなくなったの。気がつかなかった?」

「まあ、ちょっと違うかな、とは思った」

「ごめんね、リキヤ」

「なにが?」

「だってリキヤは、あたしが淫魔だから気に入ってくれたんでしょ?」

「別に、それだけじゃねーし」

「…………」

 淫魔でなくなった自分に、まだリキヤをつなぎ止めるだけの魅力が残っているだろうか。

 結局、淫魔の能力が喪失したことを打ち明けられないまま、性行為に及んでしまった。リキヤが幻滅していなければいいのだけど……。

「それに、いまの方がいいこともあるしな」

「いいこと?」

「お前、中出しされても大丈夫になったろ?」

「あ……」

 いま初めて気がついた。確かにさっき、迸りを体内で受けた。人間だったときですら、何時間も意識が朦朧としたのに、妖魔のリキヤから受けた精気に平気でいられた。

「相性が良すぎて、意識が保てねーんだよな、淫魔だと。魔界にコンドームとかねーし、ちょうどいいんじゃねえ?」

「……なんか複雑…」

 どうやら、精気に鈍感な体質になってしまったらしい。初めての相手はインキュバスだった。インキュバスの精気を受けた時点で淫魔になったから、鈍い自分というのも新鮮な感覚だ。

 だけど、リキヤがこんな自分をなんでもないことのように受け入れてくれているので、ほっとした。

「オレより、お前はどうなんだよ?」

「え?」

「オレの方がよっぽど、以前と違うぞ。お前はオレが人間だったから、やってみたかっただけなんだろ?」

 リキヤの言葉に、ルイナは目を見開いた。そういえば、初めてリキヤに会ったとき、人間の精気に興味を覚えたのだ。でも、リキヤがそのことに気がついていたなんて驚きだ。

「それは…、最初はそうだったけど、でも、リキヤは力弥だから。見た目が少し違うだけだし……」

「ふーん」

「だけど、淫魔と見習いじゃ、楽しめる幅が全然違うじゃない。いいの?」

「いい。そんなにマニアックなプレイをしたいとは思ってねーから」

 言葉使いは乱暴で、態度も横柄なのに、リキヤは優しい。以前と同じ…、いや、以前よりもっと優しい。

 ルイナは甘えるように、リキヤの胸に頬をこすりつけた。

「ねえ、リキヤはあれから、どんな十年だったの?」

「普通だよ」

「普通って?」

「普通に大学行って、普通に就職して……」

「普通に彼女できた?」

「……ルイナ、怒るなよ」

「なにが?」

「拗ねるなよ」

「だから、なにが?」

「普通に結婚して、子どもができた」

「結婚? ほんとに? リキヤが?」

「ああ」

「へえ、そうかあ。結婚か。なんか不思議。だれと結婚したの?」

「だれって、名前言ったところでお前がわかるはずねー…、あ、そうか、あのとき同じクラスだったんだ」

「同じクラス? あたしとミカゲがいたクラス?」

「ああ」

「……もしかして、菜月ちゃん?」

「え? なんでわかんの? つーか、よく覚えてんな」

「うそ、ほんとに菜月ちゃんなんだ」

「まあな」

「そっかあ、やるなあ、菜月ちゃん。力弥と結婚したんだ」

 夢の中の菜月を思い出して嬉しくなった。力弥に片思いをして、話しかけることもできずにいたのに、結婚したなんて、大変な出世だ。

 力弥を大好きな女の子と結婚したなら、力弥も幸せだったのだろう。なんだかほっこりした気分でいると、急に頭を叩かれた。

「痛い。なにすんの?」

「うるせー。少しは怒るか拗ねるかしろよ」

「ええ、なにそれ? 怒るな、拗ねるなって言ったの、リキヤじゃない」

「自分の男が他の女と結婚してたことを訊いて、幸せそうな顔になるやつがどこにいんだよ」

「もー、ひどいよ。暴君だ」

「うるせー、犯すぞ」

 この台詞は、いつかどこかで訊いたことがある。……いや違う。あれは、自分が見た夢の力弥が言ったのだ。

「……犯すなら縛る? それとも猿轡とかする?」

 イタズラ心で、夢と同じ言葉を返してみた。

「馬鹿。少しは抵抗しろよ。とりあえず、猿轡はしねー」

「…どうして…?」

「オレはお前の喘ぎ声で興奮するタチなんだよ」

「……リキヤ…」

「あれ? 前にもこんなこと、言ったっけ?」

 偶然同じ会話になったのだろうか? まさか、そんなことあるはずがない。リキヤは附に落ちない様子で「思い出せねーな」と首を傾げている。

 このやり取りは、リキヤの記憶の片隅に残っているのだ。

 あの夢は、自分が勝手に見た願望だと思っていた。だけどリキヤの記憶に影響しているなら、あの夢はいったい……?

 精気が尽きても、淫魔の資格を失っても、死なずに生き延びたのはどうしてなんだろう?

 淫魔と夢魔、両方の属性を持つ自分。

 リキヤは夢を通じて、十年間、そばにいてくれた。ルイナはいま、そう確信した。

「リキヤ、あたし、ムージ様に夢魔にならないかって言われたの。なってもいい?」

 あの夢の意味を知りたい。まだ魔界で必要とされているなら、できる役割で働きたい。

「なりたいなら、いいんじゃねえか? なんでオレに訊くんだ?」

「だってリキヤはご主人様でしょ?」

「ああ、そうだったな。じゃあ、ご主人様が夢魔になることを許可する」

「ありがとうございます、ご主人様」

 ふたりは顔を見合わせて、笑い転げた。

「リキヤ、あたし、力弥に会う前から、ずっと訊きたいことがあったの」

「なんだ?」

「リリス様は、どうしてアダムと別れたの?」

 離婚の理由は本人に聞けとベルゼブブに言われたが、いままでその望みは叶わなかった。

 リリスの記憶もあるいまなら、長年の疑問に答えてもらえるはずだ。

「はあ? そんなこと知りてーの?」

「うん、ずっと気になってたの」

「うーん、言葉で説明するのは難しいな。いまから実践してやろーか?」

 リキヤがなにか、悪だくみを思いついたような笑みを浮かべた。目の輝きがやたら怪しい。

「実践?」

「アダムがリリスにしたことを」

「…………怖くない?」

「怖くねーぞ」

「痛くない?」

「痛くねーよ」

「えっと……、じゃあ、して」

 なにをされるかわからないのは怖いけど、このままだと気になってしかたがない。

「おとなしくしてろよ」

 目をきつく閉じて待っていると、キスされた。アダムがリリスにしたことってキス…なんだろうか? そんな馬鹿な。神が夫婦として創った人間が、キスで離婚するなんてあり得ない。

「リキヤ…?」

「まだこれからだぞ」

 そう言いながら、リキヤは愛撫を再開する。さっきまでの性交と変わらない。

 これから、離婚原因に関わることが始まるのだろうか。

 ルイナはもやもやしながら、リキヤが施す行為を受け続けた。


 脚の付け根が痛い。一晩中、同じ体勢でセックスしたから、股関節が変な感じだ。

 正常位は嫌いじゃないけど、こんなに長い時間、正常位だけでしたのは初めてだ。

 正常位限定セックスを終了したあと、ベッドは右側にまで被害が広がってしまった。安眠には適さない状態だったので、別のベッドに移動するはめになった。複数のベッドがある部屋でよかった。

 移動する際、お姫様抱っこをされて、リキヤの成長を改めて感じた。

 以前の体格では、たぶん無理な運搬方法だ。

 それにしても、この部屋に入ってどれだけ激しい情交に耽っているのだろう。淫魔だったときでも、これほどの経験はない。

 見習いとしての初仕事は、さっきまでいたベッドのシーツを洗うことになりそうだ。

 リキヤは、様々な体位を変えていく性交を好む。

 どうしてこんな、らしくもないことをしたのだろうと考えて、昨夜の会話を思い出した。

「アダムと別れた理由って、もしかして正常位?」

「半分、正確」

「半分?」

「アダムの愛情は、支配することだったんだ」

「ふうん。そんな愛情もあるんだ。でも支配され続けるのは嫌だよね。男尊女卑もいいとこだよ」

 力弥は言葉も態度もオレ様で横柄だけど、支配されているとは感じない。これは、人間だったときも、妖魔になったいまも同じだ。

「まあな」

「アキラも女心がわかってないなあ」

「アキラじゃなくてアダムだろ」

「でもあたし、アキラにしか会ったことないんだもん」

「まあ、そうだよな。アダムとアキラは、結構本質が似てたしな」

「リキヤとリリス様はずいぶん違うよね?」

「転生の加減で似た性格になるか、違う部分が生まれ変わるか、色々なんだよ」

「アダムとリリス様は人間だったんだよね」

「ああ」

「なら、リキヤも人間だったんだよね?」

「そうだな」

「人間の恋愛だったら、告白して、キスして、セックスするのが順序でしょ?」

「まあ、それが正当だろうな」

「あたし達、最初にセックスしちゃったね」

「お前がオレんちまで、あっさり着いて来たからだろ」

「うん。だからさ、あたし達って、いきなりクライマックスだったのかな?」

「馬鹿。んなわけあるか。これからがオレ達のクライマックスだろ」

「そっか。うん、そうかも」

 いろんなことがあった。これからもきっと、自分達は様々な出来事にぶつかるだろう。だけどそのとき、リキヤが一緒にいてくれたら、その出来事すべてがクライマックスになるに違いない。

「リキヤ、おなか空いた」

 安心したら、急に空腹感を覚えた。精気は満たされたし、そのおかげで魔力もかなり回復したのに、食欲があるなんて、不思議な感覚だ。

「あ、そうか。淫魔じゃねーから、腹、空くんだ。なんか持って来させるか?」

「ん~、眠い…」

「じゃあ、寝ろ」

「身体、ベタベタする。気持ち悪い。お風呂、入りたい」

「風呂なら部屋にあるぞ、やたらでかいのが。入るか?」

「…眠い、無理……」

 話しているうちに、どんどん眠くなっていく。よく考えたら、ここ三日、ほとんど寝てなかった。その前は二年間、眠り続けていたのに、睡魔はやってくるらしい。

「なんだよ、まったく。子どもか、お前は」

「リキヤ、目が覚めても、そばにいてくれるよね?」

「……くだらねー心配してんじゃねーよ。そんな暇あんなら、つきまとわれる心配しとけ」

「…リキヤ、大好き……」

 ああもう、本当に寝てしまう。意識が落ちていく。せっかくリキヤと一緒にいるのに、もったいない。

「…ルイナ、寝たのか……?」

 眠くて返事もできなかった。

「……人間だったらこんなとき、愛してるって言うんだろうな」

 どうして半分寝かけているときに、そんな大事なことを呟くのだろう。目も開けられないから、リキヤがどんな顔しているかも伺い見ることさえ叶わないのに。

 でもまあ、いいか。これからはずっと一緒にいられるんだし、髪をなでてくれる手が、この上もなく、優しくて温かいのだから。

 インキュバスの館に迎えに来てくれたことが、なにより深い愛の言葉なのだから。

 次に目が覚めたとき、リキヤの寝顔を見られますように。そんな願いを込めて、ルイナは眠りについた。




       了




最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

初のファンタジーで、大苦戦小説になりました(^_^;)

途中でどうなるかとも思いましたが、読んで下さった方、お気に入りに入れてくださった方、評価してくださった方、感想を送って下さった方々に後押ししてもらって、最終話まで来ることができました。

心から感謝してます。本当に、ありがとうございました。


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