The possibility of tourim
火狐。
突き抜けた先で模す獣と言うならコレほど『適任』な原生生物もいません。
火狐は砂漠に住む狐で体毛は薄茶というか砂色というか、環境に溶け込む毛色をしています。
なので今のマッフル君と色が違うように思えますが、実のところ、火狐の体毛は赤でもあります。
普通の狐よりリスに近い体格なのでよく大型の捕食者に狙われるんですよね。
そんな被捕食者に抗うために火狐は赤の源素を纏い、食べられないほど熱くなって身を守ります。
その熱量は時に天敵である砂漠狼すら焼き殺し、十倍以上の体躯の陸竜すら屠る破格の狂暴性を誇ります。
己の身を守るため、恐怖に打ち勝つため、そして、敵を倒すために体毛は赤く染まり、その色合いと能力が火狐と呼ばれる所以です。
そのマッフル君が考えた『強さ』が火狐だったとしたら。
アレはマッフル君の決意そのものに術式が応えた姿です。
上位者を焼き殺す砂漠の小さな赤。
捕食者を上回るために自らを燃やす獣。
商人の感性が導き出した代償の形。
マッフル君にしかできないトゥアリム。
『エス・トゥアリム【ロートフックス・エディション】』です。
「一方でこちらの喧騒たるや水の如しですね」
観客の様子は二転三転と変化していました。
沈黙からの阿鼻叫喚は今、再び沈黙へと移り変わっていく様を自分だけが他人事のように感じられました。
こうなるとあらかじめわかっていましたからね。
「どういうことだ、これは」
シャルティア先生は胸の下で腕を組んで訊ねてきました。
先ほど膝を叩きこんだヒトとは思えない態度です。
「エドの秘術ですからね。何が起きても不思議ではありませんよ」
遠まわしにエドのせいにしてみました。
「あらぁん。どちらかというとソレはヨシュアンの領域じゃないかしらん?」
後ろからヒョイと現れたのはエドでした。
その顔は笑っていますが眼だけは『こんなの聞いてないんだけどぉ?』と責め立てていました。
「術式だって色んな学説や論文があるのよねぇ。ヨシュアンの術学論はこういう不思議にぴったりだと思うんだけど」
これは解説しろと言いたいわけですか。
ナカテーについて黙りながらトゥアリムの特性を説明するのは少し難しいんですがね。
少し迷っている間に決闘場で進展があったようです。
「――――――ッ!!」
マッフル君は喉奥で唸り声を放ち、飛び出しました。
得物があるのにも関わらず、手のひらを押し当てるように前に突き出し、その動きはグランハザード目掛け一直線でした。
単純な速度だけならリリーナ君以上、初動がわからなければもっと速く思わせられるでしょう。
ですが残念ながらテレフォンパンチならぬテレフォンムーブです。
「うぉ!?」
グランハザードが呻き、片手盾でマッフル君の腕を跳ね除けました。
ブランクがあってもグランハザード、流石に見え見えの一撃をもらってやるほど甘くはありませんでした。
腕を跳ね除けられたマッフル君はその勢いのままグランハザードを通過して、空中でクルリと体を変え、まるで地面にしがみつくように四つん這いで着地しました。
そうして上げられる顔。
その動き、その表情に観客たちの血の気が引きました。
「おぉ……、マジかよ」
グランハザードも顔が引き攣っていました。
マッフル君の顔がすごいんですよ。
もう、歯とか剥き出しで涎とかぶちまけてるんですよ。
真っ赤な耳を真後ろに伏せ、耳先は立て、しっぽはもうパンパンに膨れています。
完全に殺意全開モードですね。
「……成功だと思ったのだけど」
エドがポツリと呟きました。
腰を捻って顎に手を乗せる研究者としての目つきでマッフル君を眺めていました。
「完全に暴走してるわねぇ。発動まではうまくいったとしてもトゥアリムは心の強さを強化にする術式だったはずよん。あんなに狂暴化するなんて」
「マッフル君の常識の壁の向こう側にあったのがあの姿なんでしょうね。しかし、本当なら憧れや芯となるもの、心の強さだけを形にして強くなるはずが本音や闇も取り込んで変化したと考えるべきでしょう」
それっぽいことをエドに言いましたが嘘です。
いえ、ある程度は本当のことも言っています。
【ナカテー】を知るまでなら自分もそう考えていたと思います。
マッフル君を獣少女に変えた形状変化も【ナカテー】に行ったことがある者なら大体、想像がつくと思います。
自分があの世界で黒い人狼になっていたようにトゥアリムの変身は【ナカテー】での姿を現理世界に反映させる術式です。
自分が黒い人狼になった時、膂力が上がっていたとなるとトゥアリムでの変化もまた身体能力が強化されていると言っても間違いではありません。
結果として強化されるのなら強化術式と見てもいいでしょう。
そして、この術式も自分の師であるクソジジィが【ナカテー】を知っていたのではないかと疑う一つの理由にもなっています。
「つまり、暴走じゃなくてアレがマッフルのトゥアリムとやらか?」
シャルティア先生が半開きの眼で油断なく見据えられておいででした。
ちょーこえぇです。
「心という『現象』を身に纏う術式。心の形を強さにする術式。心を鎧う術式。耳とかしっぽとかついていますがアレ、全部が鎧と同じですね。つけ外しできるかどうかは知りませんがまぁ、まとめればこんなものです」
あの鎧、もしかしたら痛覚があるかもしれませんがそこまではわかりません。
ともあれ今のマッフル君は心に飲まれているのと同じです。
ちょっと追い詰めすぎましたかね?
「……本当ならそれだけでしたが、これは良くない流れです。単純に術式に振り回されているのですから」
これではグランハザードと戦えるだけです。
懸念は早速、現実に変わりつつありました。
地を駆るマッフル君を前にグランハザードは盾を前に受け止める構えです。
理性を失ったマッフル君は危機感も持たずにグランハザードに飛び掛かりました。
さて、問題です。
突破力に優れ、機動力のある兵科を騎馬/騎竜兵科あるいは騎兵科と言います。
この騎兵科の特性を台無しにし、時には屠った武器とはなんでしょう?
「―――――――――ッ!?」
グランハザードの着る浸食鉱性多関節鎧――長いですね、新多関節鎧でいいです――の具足が変形し、幾つもの杭が『ぬかるんだ地面』に打ちこまれました。
間もおかずマッフル君の手が盾に触れた瞬間、ソレはマッフル君の体を貫きました。
複数の杭によるカウンター。
盾が幾つもの長槍に変形し、マッフル君の体を突き抜けていました。
そう、答えは長槍です。
見た瞬間、飛び出しそうになりましたよ。
よくよく眺めればマッフル君の体を貫いているわけではありませんでした。
脇腹、股下、首元、身体に通されると身動きしづらい箇所ばかりです。
いくつか貫通している箇所もありますが、それらは全てトゥアリムによって作られた鎧部分です。
急停止と長槍の衝撃はさぞマッフル君の肺を圧迫したでしょうね。
吐き出した空気を吸おうとした、その硬直。
一秒にも満たない硬直の間に長槍はマッフル君を捕まえる縄へと変わっていました。
「近接の戦い方そのものが変わりそうな光景ですね」
「しゃらぁッ!?」
裂帛の気合と共にグランハザードは盾に張りついたマッフル君を膂力に任せて地面へと叩きつけました。
すぐに盾に体重をかけてマッフル君を地面とサンドすれば、あら不思議。
もう勝負がついてしまいました。
「……決着か」
シャルティア先生がため息のように溢した言葉でした。
それは何を期待して、何を考えて、何に落胆し、何を殺そうとしての言葉だったのでしょうか。
マッフル君は唸り声をあげながら、それでも必死に藻掻いていました。
「いえ、まだです」
足が自然と一歩、前に出ました。
こんなに簡単に終わっていいはずがありません。
マッフル君の努力が、こんな形で終わって誰が納得できるというのです。
同時に息を吸い、最初の声を出そうとした時です。
「――しっかりなさい! この絶壁愚民!!」
甲高い声が【居留地】に響きました。
結界石の前で無駄に腕を組み、眉毛を逆立てる巻き髪に誰よりも驚いたのは自分でした。
「そんな簡単に負けてよく貧相な胸を張って親に歯向かえたものですわね! 恥ずかしすぎてこっちも赤くなりますわ!!」
クリスティーナ君の声にグランハザードは少し意外そうな顔をしたものの、手を緩めるつもりはないようです。
片手でマッフル君の頭を掴み、『ぬかるんだ地面』に後頭部を埋めこみました。
こうなるといくら術式の力があっても女の子。
大の大人の本気に勝てるわけがありません。
「何のために【タクティクス・ブロンド】の指南を譲り! 何のために皆に心配させて!何のためにここまで鍛え上げてきたと言いますの! そこで無様に負けるためだったと言いますの!!」
事情がわからない人にはこの悲鳴のような怒声の意味はわからないでしょう。
わかっているのはクリスティーナ君の後ろにいる、エリエス君、セロ君、そしていつの間にか移動していたリリーナ君も色んな瞳をしながらも同じ気持ちだったということです。
マッフル君の夢はマッフル君のものです。
誰かと共有するものでもなく、誰かが代わることもできません。
しかし、尊重はできます。
夢を目指すマッフル君に愛着だって持てます。
「情けない……! 情けない! 情けない! そんな無様な姿……ッ!」
愛着があれば気持ちを同じくできます。
負けて悔しい気持ちの一部を共有できます。
だから、これは応援です。
見栄っ張りなクリスティーナ君らしい応援の仕方です。
小テストで負けて、実は本当は応援したくないけれど、それ以上に負けるのは許したくないクリスティーナ君の傲慢です。
「いっそ私の手で始末してあげますわ!!」
新たなツン成分の発露も虚しいまま飛び出そうとするクリスティーナ君を羽交い絞めにするのはリリーナ君、足にしがみついているのはセロ君です。
エリエス君は無表情で拘束術式を使っていますし、もうたった一瞬で周囲は巻きこまれないように避難しています。
色々思うところはありますが周囲の適応力がすごいですね。
「お前の生徒だぞ。なんとかしろ」
「アレであの子たちの優しさだと思えば結構、耐えられますよ」
「周りの迷惑だから止めろと言い換えた方がいいか?」
「迅速に対処させていただきます」
ですが術式を使うまでもありませんでした。
怒り顔だったクリスティーナ君の顔がポカンとしていたからです。
その視線の先に目をやればすぐに答えは出ました。
押さえこまれたマッフル君から出る白いモヤ、いえ、あれは地面からです。
「ぐぅ――!」
これに溜まらず逃げ出したのはグランハザードでした。
マッフル君から十数歩の距離まで転げながら逃げ、荒い息を吐いていました。
「は? なんだそりゃ?」
グランハザードの奇行を見て、椅子からガタリと身を乗り出したのはメルサラでした。
「水蒸気か」
メルサラの問いにシャルティア先生が即座に答えを導きだしました。
その通り、あの白いモヤは地面の水分が蒸発した水蒸気です。
良い手ですね。
単純な熱や術式の炎だったら新多関節鎧が防いだでしょう。
あの新多関節鎧は耐熱、耐電、耐冷、理想的な術式耐性を持つ鎧です。
隙間を塞ぐことで全範囲術式にも耐えきるでしょう。
もっとも危機感さえ覚えていれば、という注意書きが付きますがね。
もしも普通の人に炎か水蒸気、どちらに突っこみたいかと問われたら間違いなく水蒸気を選ぶでしょう。
何故なら炎よりも水蒸気には危険なイメージが少ないからです。イメージ、重要ですね。
「んなこと見りゃわかんだよ鉄火女!」
……鉄火女ってもしかしてシャルティア先生のことですか?
邪神系鉄火探偵とかもうワケがわかりませんね。
「あぁ、驚く余地すらなかったな」
「あ? オレがいつビビッたってんだ? テメェらのために代わりに驚いてやったんだよ。こんなん、考えるまでもなく三秒だ」
「おっと私は二秒だ」
「……テメェ、鉄火女。調子ノってんのか?」
いきなりヒートアップしないでください。
その無駄なプライドの張り合いは命に関わりますよシャルティア先生。
ちなみにシャルティア先生の精神と命を守るためにメルサラの圧は自分が弾いています。
「水蒸気の熱伝導率は空気以上ですからね。水蒸気に合わせて赤の源素を放出しているんですよ。熱の下がらない水蒸気を浴びせられたグランハザードはたまらないでしょうね」
「知っているさ」
「わかってんだよ、うぜぇな」
即座に言い返されました。それも凄まじい勢いで。
落ち着かせようとして説明までした自分の優しさを返してください。
「青に赤を混ぜるっつー、ムダなくせにイヤらしいクソッタレさにムカついただけだ」
珍しく皮肉を言われました。
確かにアレはメルサラではなく自分寄りの戦略ですね。
実際、メルサラの言う通り、源理法則からみればムダな攻撃でした。
しかし、現理法則、物理の側面からすれば結構、効果的です。
単純な話、グランハザードは驚いたんですよ。
拘束中でもっとも警戒すべきは炎による攻撃でした。
正面から来る炎の攻撃を予測していたグランハザードはいきなり水蒸気を浴びせられ、想定外の攻撃に防御が間に合いませんでした。
だから鎧の隙間から入ってきた水蒸気の熱に火傷し、驚き、身を離しました。
現に今、グランハザードはマッフル君から距離を取り、警戒をしています。
その間にもマッフル君は顔を伏せたまま、よろよろと立ち上がりました。
仕切り直しには十分な時間と距離です。
そして、この一連のやり取りはある意味を持ちます。
「――――――――――――――ッ!!」
再びの咆哮に観客はまた狂人の猛攻が始まると予感したでしょう。
そして、再びグランハザードに返り討ちにされるところまで予測したでしょう。
想像通りにまた飛び出したマッフル君。
火傷を我慢しながら再び打ち出されるグランハザードは再びスパイクを展開しました。
しかし、スパイクを目前にマッフル君は両足で急ブレーキをかけ、大きく足で大地を薙ぎました。
弾ける泥がグランハザードの顔にかかり、視界を塞ぎました。
急制動、薙ぎ払いの反動を無駄にすることなく跳躍するマッフル君、グランハザードの頭上を悠々と飛び越え、着地したのはすぐ背後。
そして、振り向きと同時に振りかぶられた左拳。
それはグランハザードの背中に突き刺さり、直後に火炎が弾けました。
はい、殺意高いですね。
殺す気ですか?
ちなみにこの技術、マッフル君の夏休みの宿題で作った術式と同じものです。
衝撃を受けると衝撃を殺すために弾ける炎に、突破力を増やした火炎の拳です。
「ムダに飛ぶんじゃねーよ」
なんだかイラッとした声でメルサラが呟きやがりましたが言いたいことはわかります。
自分やメルサラからすれば、まず相手の目の前で悠長に足薙ぎをして泥を被せる、までの行為がムダですし、そもそも相手の背後を取るのに飛ぶ必要はありません。
おそらく相手の横合いから背後に回ろうとすれば、泥で足が滑る可能性を嫌って飛んだのでしょうが、【支配】の強い相手だったら飛んだ音だけで予測、足を掴まれて叩きつけられるまでのコンボが目に浮かびます。
ですが、マッフル君ですからね?
自分基準を押しつけないでください。でないとモフモフと自分とエドを除いて誰も着いてこられません。
さて、思考を止めて、目を向けたのは燃える人型。
傍目から見てもヤバそうな黒煙を上げるグランハザードに観客が息を呑みました。
悲鳴一歩手前の沈黙です。
親殺しを見てしまったとか考えてしまっているんでしょうね。
ですが一拍の沈黙の後、グランハザードの身に纏わりつく炎が弾け飛びました。
おぉ、驚きましたね。
鎧がマントみたいに翻って炎を吹き飛ばしました。
即座に元に戻ったところとスパイクの維持時間を合わせて見ると、形状によって長時間、形を変えていられないようですね。
硬い、単純なものほど長く、柔らかく複雑なものほど短く。
思考から鎧に向かって、ある種の命令を出しているのを鎧がキャッチしているようにも見受けられます。
そうなると浸食というのも実は別の意味を持つのかもしれませんね。
【虚空衣】の反応から見てもありえそうな話です。
こうして実践を見れば段々、新型のスペックが明らかになってきましたね。
「マジか……、こいつッ!」
お前の娘ですよ、グランハザード。
一方のマッフル君は顔を伏せたままでしたが、口元は隠されていませんでした。
その口端からぎゅいっと牙を剥きました。
「……チョッとずつ、ワカってきた」
声、声がおかしいですよ。喋り慣れていない南部の人みたいにカタコトです。
まだ完全に制御しきれていませんね。
瞳はまだ鋭く、呼気も荒いですが理性を取り戻しつつありますね。
再び向かい合う父娘を余所に視界の端でメルサラがずっこけるかのように椅子に荒々しく座り直りました。
「あのガキャ! 今更かよ!」
その上、頬杖までつきましたよ。
たぶん、色々やったのに成果が出ないからイライラしていた上に、そんな己自身にもイライラしていたんでしょうね。
はは、これが自分たちの苦労ですよ。
一度、二度程度でできるようになる子ばかりじゃないんですよ。
わずか一週間でできることなんてたかが知れているもんです。
「さて、これでようやく土俵に立てましたね」
「その上で勝算は?」
シャルティア先生の声に自分は少し、言葉を止めました。
何も答えられない問題ではありません。
答えは出ていて、なおかつ決まり切っているからです。
ただ今のシャルティア先生に聞かせるべきかどうか、ほんの少し考えただけです。
それがどんなに余計なお世話だったとしても何だかんだでシャルティア先生は決闘に期待をしています。
期待させるようにした自分のせいです。
「教師として問われたら答えて見せろ」
チラリと見たら断崖絶壁みたいな視線がありました。
これは、本当に余計なお世話だったみたいです。
「そうしなければ私たちは一歩も踏み出せないんだ」
そう、ですね。
身についているかどうか確認して、太鼓判を押してようやく『教えた』と言える世界です。
そして、教師の仕事はそこからどうすべきか、頭を悩まして、次の『教えた』に向けて努力をするんです。
教えて、確認して、次の教えの準備までして一歩。
それが自分たちでしたね。
「この状態では九割九分、マッフル君が負けます」
「なら、勝つ方法は一つだな」
その一つのために一週間があったと言っても過言ではありません。
自分やメルサラの修行すらもソレのためにありました。
「今、この場でトゥアリムを制御しきり、成長するだけです」
グランハザードもそろそろ『いつものスタイル』に戻る頃合いです。
覚えた全てを使って、どこまでやれるか。
培った夢を目指して、どこまでやれるか。
才能をこじ開けてください。
それだけが夢への階段を駆け上がれる、最低条件です。




