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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第六章
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Love is the best service.

 こん棒を携えて最終決戦に挑む勇者はきっとこんな気持ちなのでしょう。


 まずそんな状況にならざるを得なかった結果を心底、憎むべきか。

 あるいは過程を憎むべきか。

 そもそも武器にこん棒という蛮族ちっくな結果をどう受け止めたらいいんでしょうね?


 出した結論自体、自分自身でも信じられないのですから。


 ともあれ今の自分はそんな気持ちです。


 生まれそのものを不幸に思ったほうが賢明ではないかと考え始めた頃には社宅に到着してしまいました。


 社宅の広場で自分は今の状態を再確認するように立ち止まりました。

 本当に忘れ物はないでしょうか?


 エドは当の昔に帰り、生徒たちも寮に送ったので後顧の憂いはありません。

 モフモフの食事がまだなので一度、社宅に帰って食事の準備をしてからシャルティア先生のお宅に伺うとしましょう。


 うっすらと漂う焼いたパンとアイントプフの香りを前に足を一歩、前に出した時、ヘグマントの社宅のドアがゆっくり開き、二人の女性が出てきました。


「こんばんわ、ご夫人方。エリノワールさんは今、お帰りですか?」


 自分が声をかけるとグラリアさんとエリノワールさんはにっこりと会釈しました。

 そのグラリアさんの背中にはあの赤ん坊の姿がありますね。


 若干、忘れていたのは言わぬが華でしょう。


「こんばんわ、ヨシュアン先生。お疲れ様です」

「お疲れ様です。なんでも商会の方へお弟子さんを連れられたとか……」


 ヘグマントから聞いたのでしょう。

 前回、第一試練のテスト用紙が盗まれた時に今後の対処として『教師同士でスケジュールを共有し合う案』が採用されました。


 案が始まった時は共有抜けや仕事の忙しさに忘れることもありましたが、職員室に教師専用の行動表を置いたことで今ではイージーミスもなくなりつつあります。


 さて、コロコロと笑い合うグラリアさんとエリノワールさんには申し訳ないのですが言わなければならないことがあります。

 

「……えー、そのですね」


 昨夜に続いて赤ん坊を預かってもらわなければなりません。

 流石に赤ん坊を背負ったままシャルティア先生とシリアスな会話なんてやってられませんよ。


「ヨシュアン先生。お疲れなのはご存知ですが赤ん坊もそろそろ寂しがっています。今晩は一緒に居てあげてくださいな」


 グラリアさんにあっさり先手を打たれました。


「そう! そうなんですよ」


 エリノワールさんも言葉が通じないのによくお分かりですね。


「私たちといるとふと落ち着きがない様子がありますので、もしかしたらと」


 エリノワールさんが少し困った顔と共に告げました。

 どうしてでしょう、その言葉が断罪人の声に聞こえてしまいました。


「今もヨシュアン先生がお見えしたら、バタつくのを止めました。おそらく、この子はヨシュアン先生を父親だと思っているのではないでしょうか」


 いやいやいや、困ります。


 父親だと思われても困りますからね。

 自分、独身ですし。かなり独身ですし。


「そうでなくともこの子はわかっているんです」


 情緒もほとんど発達していない赤ん坊なんですよ?

 その理屈ならグラリアさんやエリノワールさんを母親だと信じ……、あ、理屈じゃないんですかそうですか。


 感情で語られるともう反論しようがありませんね。

 諦める以外の選択肢はもはや遥か彼方です。


「赤ん坊にとって一番、怖いのはなんでしょうか?」

「色々と考えられますが一番ですか」 


 即答を避けるためにあえて言葉を反芻して、ほんのちょっとの時間を稼ぎました。


 さて、赤ん坊とはそもそも本能の塊です。

 泣くわ、喚くわ、吐くわ、緑のうんちを出すわ、もうやりたい放題です。

 そんな赤ん坊にとって一番、避けるべき事態は死ぬことでしょう。


 生物が本能的に避けようとするものであり、人類が行うほぼ全ての事業は死から逃れるための手段と言い換えても良いほどです。

 どうしてでしょう? 自分が言うなと妄想の中のシャルティア先生にボディブローを食らいそうになりましたが考えないでおきましょう。


 何より生を優先し、何より自らの心地良さを追求する。

 そうやって成長し、調整され、やがてできることが増えて、その一個一個に挫折しながらも満足もしていく、そういうものではないんですか?


「死ぬことですかね」


 それ以外の考えが浮かばなかったのでストレートに口に出しました。

 迂遠な言葉でマダムズを煙に巻くと怖いですから。


「それもそうですが私は愛着を失うことだと思っています」

「愛情ではなくてですか?」

「えぇ、愛情もです。愛情があればお世話をしたいと思いますし、情を持って抱きしめればかわいいと思います。腕の中で苦しくないように力を緩めたり、嫌な臭いで赤ん坊を困らせたくないと思います。そして、どんな子になるんだろうと想いを馳せます」


 グラリアさんのそれは囁くように何かを伝えようとしています。


「でも愛情は赤ん坊に抱く気持ちだけじゃないと思いませんか?」


 男女の間柄も確かに愛情と言えますね。


「言葉が通じないからお世話することでしか赤ん坊とは語れません。愛情のように湧きあがる気持ちだけでなく、積極的に愛情をあげなければなりません。それは愛情というよりも私は愛着だと考えています」


 愛着と愛情の区別ですか。

 単純に愛情も含めた行動全てを愛着という言葉に含めている、と解釈していいんでしょうか。


「主人の世話もまた愛着ですね」

「ときどき引っ張叩きたくなりますもの」


 カラカラと笑うのはいいんですがこの流れでご婦人トークに巻きこまないでください。


「周りに愛着を失う人がいるだけで赤ん坊は簡単に死んでしまうのです。風神ヒュティパ様は特に子供を愛していらっしゃるので」


 あぁ、風神ヒュティパ云々は巷の風習、考え方ですね。

 ヒュティパは知識だけではなく、生誕と死も司っていて赤ん坊の命を運び屋の鳥と共に運び、そして、同時に風と共に命を奪っていくそうです。


 その理由は子供が生まれるのが好きで、しかも遊ぶのも好きという無邪気さからです。


 子供のままで完成している神様だからこんな役割も与えられたのかもしれませんね。


 出生率の低さを神様のせいにして心を慰めているのです。

 そして、そんな理不尽の訳にされる神様にとっては正しい役割でもありますね。


「事情もお忙しいのもわかります。でも、何時か去り行くこの子のためにも今だけは愛着を失わずに居てあげてくださいませんか?」


 あれ? なんか自分が育児放棄している悪い父親みたいな話になっていませんか?

 何度か忘れただけでそこまで責められる謂れは……、いや、忘れてる時点で責められてもおかしくないんですが、そこはそれです。


「男性はお仕事優先とは存じますがこの子のためにもよろしくお願い致します」

「あ、はい。ご迷惑をおかけしてしまい、誠にすみませんでした、はい。以後、気を着けさせて頂きます」


 こん棒装備の勇者に足枷がはめられた瞬間でした。


「しかし、参りましたね……」


 ご婦人たちから逃げるべく自分は社宅へと足早に戻りました。


 不思議そうに見上げるモフモフの瞳を足元に、自分はため息をつきました。

 あー、どうしたものでしょう?


 今晩の話し合いに時間の約束はしていません。

 遅れる理由なんていくらでもつけられますし、逆も同じです。

 しかし、不思議とシャルティア先生は待ち構えているような気がします。


 遅れたらその分だけ不利なことも。


「すみませんがモフモフ。ちょっとの間、この赤ん坊を見てもらっても」

『構わないが良いのか?』


 外での話を聞いていたのでしょう。

 モフモフはじっと自分を見上げていました。


 愛着のあるなしは別です。

 シャルティア先生の目的を知ることは、いえ、シャルティア先生だけではなく教師陣全ての目的と過去を知ることは貴族院の思惑を暴くことに繋がります。

 例え教師陣全ての中にスパイが居なかったとしても何も知らないよりかはマシです。


「女性の部屋に行くのに赤ん坊を連れて行くわけにもいきませんよ」

『そうではない』


 モフモフの視線の先は、自分の胸元でした。

 自分の衣服――胸の部位を握る赤ん坊の手がありました。


 小さく、しかし、絶対に離すまいとする手。

 それは水分を含んだ瞳で自分にしがみつき、離したら死ぬとでも言わんばかりでした。


「……どうしろというんですか?」

『さもありなん』


 返事の期待なんてしていません。

 どうもこうも、あんな話をされた後にモフモフに預けて、そのままシリアスな話をするわけにもいきませんしね。


 わかっています。

 わかっているんですがどうにも抵抗しないと世間様に流されかねないというか、なんというか。


「モフモフ。食事は寮でお願いしてもいいですか?」

『……む。あそこでも構わないが』

「何時、帰れるかわかりませんので」

『背に腹は代えられんか』


 妙に重い足取りでのそりと立ち上がるとゆっくりとドアの方へと歩いていきました。

 もちろん、自分も一緒に外に出ました。


「妙に嫌そうですが、向こうの食事に不満でもありましたか?」

『食事に不満はない。ただ……』


 去り際、モフモフはお座りしたまま呟きました。


『子らに構われる』


 あぁ、モフモフは生徒たちに愛されていますからね。

 最初はおっかなびっくりだったティッド君ですら今では笑顔で撫でくりまわしに来るそうです。


 トボトボと歩くモフモフを見送った自分は、吐息と共に背を伸ばしました。


 大丈夫ですよ。

 今日はきっと五名くらい少ないはずですから。


 モフモフの心配よりも自分の心配です。

 赤ん坊を抱いたまま自分はシャルティア先生の社宅の扉を叩きました。


 窓から術式ランプの灯りが漏れているので間違いなく中に居ます。


「シャルティア先生。ヨシュアンです」


 名を告げるとあっさりと扉を開けてくれました。


「……相変わらず変なところで私の予想を超えてくるな」


 シャルティア先生はまだ教師服のままでした。

 ただアップにしていた髪型だけが降ろされていました。


「どうにも自分にはワガママな子でして。そろそろセロ君やティッド以外に聞き分けの良い子が居て欲しいものですね」

「一番、聞き分けのない男が良く言う」

「あがっても?」

「玄関先に立たせっぱなしにして恥をかかせるつもりはないさ」


 促され、自分は初めてシャルティア先生の社宅に入りました。


 その内装を一言でいうなら『清潔感のある部屋』でしょうか。

 凝った手間や内装を省いて、ワンポイントだけ明るめの色の敷物を使う等していますね。

 棚も机も、調味料一つとっても整理整頓がなされて扱いやすいようにされています。


 正直、酒瓶とか置いてあってもおかしくないと思っていましたが丁寧かつこまめに清掃しているようです。

 あぁ、いや、違いますね。


 『清掃しやすいように凝った内装をしていない』というべきでしょうか。

 目的がハッキリとした部屋で実際に使った形跡があるのに、どうしてでしょう。


 何故か生活感がありません。


 比較するわけではありませんが、ヘグマントの社宅にあった訓練器具やリィティカ先生の御宅にあった錬成道具のように個人の趣きというんでしょうか?

 そうした趣きがまったく感じられません。


「分析は済んだか?」

「いいえ。女性らしい部屋だと思っただけです」


 シャルティア先生が椅子に座りました。

 まるでそれを待っていたかのように赤ん坊はシャルティア先生に手を伸ばし始めました。


「ぁー」

「どうします?」

「無骨な男より私の方が良いということだろう」


 赤ん坊をシャルティア先生に近づけるとするりとシャルティア先生に抱かれました。

 喜ぶように手足を動かし、決して離さないように片手はしっかりと衣服を掴んでいます。


 さっきまで自分にしがみついていたというのに現金な子ですね。


「自分よりシャルティア先生に愛着があるのかもしれませんね」

「愛着? 愛情や愛とは言わずに愛着か。どういう話だ」


 先ほどのご婦人トークを説明したらシャルティア先生は赤ん坊を抱えたまま、片手で器用に己の耳を触りました。


「なるほど。愛情や愛着の区別が問題じゃないな」


 グラリアさんとエリノワールさんの言ったことをシャルティア先生はすぐに理解したようです。

 そして、自分が仮定した結論をあっさりとひっくり返しました。


「気持ちと身体の用法が愛情を愛着と呼ばせたわけだ」


 また聞きなれない概念ですね。

 心と身体の用法という視点で愛情を考えた時に出る結論ですか。


「愛情はもっと広義な意味を含むだろう? 男女の間や人と動物の間、師弟関係にだってある。一方、愛着はもっと親密な間柄だ。肌と肌が触れ合うほど近い距離で安心感を保てるように、限定的に、そうだな。安心感に比重を置いた考え方なんだろう」

「それだと極端な話、愛情がなくとも肉体的な接触や安心感だけで成り立つんじゃありませんか?」

「愛情があふれるほどあっても愛着がなければ子供は死んでしまうとも言えるな」


 要はバランスの問題なんでしょうか。

 今一つ、よくわかりません。


「ある種、即物的ではあるが実感の籠った話だ」

「シャルティア先生はよくわかりましたね」

「私だってわからんさ」


 どういうことですか、それ。


「ただそう思ったことを理屈にしてみただけだ」


 そう言ったシャルティア先生は赤ん坊を見つめていました。


「世間話をするために来たんじゃないだろう。ましてや赤ん坊を連れてきておいて睦言を囁くつもりもあるまいな」


 まさかシャルティア先生から本題に入るとは思いませんでした。

 探り合いの会話の果てに本題へと切りこむ予定でしたが……、仕方ありません。


「シャルティア先生が結婚をしない理由、それはシャルティロット家が滅びるからですね」

「そうだ。で、それを聞いたお前の答えは?」


 シャルティア先生が愛着の答えを導きだしたように、自分の答えもまた同じものです。


 しかし、これはシャルティア先生を傷つけるかもしれない答えです。

 そうでなくともシャルティア先生の傷に触るきっかけになるかもしれません。


 それでも自分はやらなくてはなりません。


「シャルティア先生が恩赦でシャルティロット家を潰すからですね」


 どこか生温かい瞳に見られながら、自分は頼りにならない武器を引き抜きました。


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