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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第五間章
333/374

少女たちの成長譚 その四

 まるで『初めからそうなるように広げられた』ような森の一角。

 すぐそばに学園施設を眺められる箇所に法国の居留地があった。


 彩の多いキルトと皮の天幕は眺めるだけで異国の香りがした。寒さに強いだけではなく、通気性も考慮されている天幕は寒冷地によく見られる形状でもあった。


 その隅に一つ、他とは違うおもむきの天幕があった。

 ただの革だけの、鮮やかさやのないソレは罪人や違反者を閉じ込めるためのものだ。


 薄暗い最奥に一人のヴェーア種が繋がれていた。

 四聖団訪問時にクリスティーナを切ろうとした罪人ガルージンだ。


 彼は身体を舐める痛みに耐えながらうめき声一つ上げていなかった。

 ただ頭の中で渦巻くのは『どうして理解されないのか』ということだった。


 帝国との戦争が始まる前までガルージンは法国の南東部の村で哨戒任務についていた。

 国境沿いの警備隊と違い、主に『警備隊の目を盗んで密入国する者』を捕らえる任務を主目的にして、村々を巡る巡回騎士の役割を担っていた。

 気のいい友人と共に不審人物や危険な原生生物を狩り、時には村人に感謝される、そんな日々を送っていた。


 そこには誇りがあった。


 何故なら二十年以上小競り合いを続けてきた敵国の近くで村を守ることは国を守っているような実感があった。

 感謝の言葉をかけられた時は『このために生きている』というようなやりがいさえ感じた。

 国を守るために強くなり、国のために働くという喜びがあった。


 だが、それもたった一つの判断で変わってしまった。


 村々に破格の値段で麦を卸していたヒト種の行商人がいた。

 彼の扱う商品は安く、目新しくはないが必需品ばかり取り揃えていた。


 何故、そんな儲けが少ない商売をしているのかと問うと行商人はいつもこう答えた。


「南東部は南西部に比べて厳しい土地ですからね。せめて価格を落として皆に行き渡って欲しいんですよ。あぁ、儲けならほら、別に麦でなくとも賄えますよ」


 大抵の人間は『そういうものなのか』という納得をし、利益を得ているので深く追求することはなかった。


「そいつは怪しい奴だ。もしかしたら帝国の細作かもしれない」


 そう考え、何度も調査し、何度も会話し、そして、行商人の信念は確かにガルージンに届いた。

 疑いは徐々に晴れていき、行商人相手に笑顔でいることもあった。


 そんなガルージンの様子を見た友人は仲良くしないようと忠告した。


「オレたちの仕事は村を平和にすることじゃない。小さな悪事は自警団や駐在兵に任せておけばいい。もっと大きな悪事を止めるために神命を受けたんじゃないか」


 省みてみれば友人の指摘は正しかった。


 行商人は実は帝国のリーガルで、法国の情報を盗むためにガルージンたちに近寄り、そして怪しげな人物がいると言ってガルージンたちを死地へと誘いこんだ。

 そこで死ねたらまだ救いがあったのだろう。


 捕まったガルージンたちは一人、また一人と殺されていった。

 最後まで残されたガルージンは仲間たちの悲鳴の声を耳で聞き続け、涙も枯れ果てた視界で同胞の苦悶の表情を焼きつけ、友が毛皮にされるところをまざまざと見せつけられた。


 己の迂闊さを呪い、拷問される仲間を救うこともできず鎖を噛み締め、そして、笑う帝国兵の姿に憎しみを抱いた。

 両手両足の腱を切られ、もはや戦闘者としても不能となった体を抱え、ガルージンは慟哭し続けていた。


 そのうえ、苦痛に耐えかねた仲間が漏らした地理情報は後に法国への侵攻の足がかりとなり、多くの人命を奪う結果につながった。


 ガルージンたちがいなくなったことに気づいた神殿騎士たちが助け出すまでの約九十日間、彼はずっとヒトの業を見続けていた。


 『敗残兵』となったガルージンはベッドの上で天井を睨みながら歯噛みした。

 全てを失ったガルージンが最後の最後にしがみついた答えは『ヒト種が悪である』というものだった。


 ヒト種だからこそ、あんな残虐な真似ができるのだ。

 ヒト種だからこそ、国を犯していくのだ。

 ヒト種こそが、ヒト種だけが、ヒト種が、ヒト種が――言葉にならない悪意だけが心に降り積もっていった。


 しかし、その憎しみと一つの出会いが彼をベッドから這い出させた。


 法国が侵攻された時、ガルージンはその復讐と憎しみを晴らすために最前線に立ち、多くの兵をその手にかけていった。

 その功績が称えられ神聖なる四聖団の一員に加わったのだ。


 仰ぎ見るべき女王と次代の姫を守るという仕事は暗く濁りきったガルージンの心に再び誇りを取り戻させた。


 一度は失われた誇り。

 地に墜ち、再び取り戻した新しい誇りだ。

 必ず守り抜きたい。この姫と共に。


 だからこそ、あの時。

 ゴワゴワとした派手なヒト種の子が姫に話しかけようとした瞬間――憎悪が弾けた。


「ヒト種ごときが高貴なる姫様に何事か!」


 ヒト種ごときが神聖なる姫に話しかけるとは汚らわしい。

 如何なる理由をもってしても許されざる行為だった。


 学園のヒト種は憤るだろうがなんてことはない。

 その気になれば全て殺してしまえば良い。

 このまま王城に攻めこんでもいいだろう。

 むしろ、その提案は万雷の拍手を持って迎えられてしかるべきだろう。


 しかし、ヒト種の子を切りつけようとした瞬間、そいつは現れた。

 展開していた【支配】の外から認識するよりも速く、ガルージンとヒト種の子の間に割りこみ、弱いはずのヒト肌で剣を受け止めたのだ。


「邪魔をするなヒト種!」


 激昂し、憎悪に満ちていたガルージンは幸いだったろう。

 そのとき、正気を持ってヨシュアンを見ていたのなら理解していたからだ。


 その目に詰まった、一切合切を捨て去った憎悪の純性を理解し、隙を作っていただろう。

 ただ戦士としての性能だけは狂っていなかったのか強烈な支配域を目の前にして警戒をした。

 あの一瞬で、もしも半歩でも近づいていたら殺されていたなどとガルージン自身も想像していなかったろう。


 決闘をするまでの間にヨシュアンが正気に戻っていなければ満身創痍程度では済まなかったということも、また気づいていなかったろう。


 そうして、こうやって繋がれている。


 何の音もさせない法国居留地で一人、ガルージンはひたすら苦痛と屈辱に耐えていた。

 もはやガルージンは理解を求めていない。

 ただ理解されることだけを求め、理解することを放棄していた。


 インガルズたちによって処刑されるその日まで彼は変われないだろう。


 そうするにはあまりにも様々なものを失いすぎた。


 浅く上下する呼吸が生み出す痛み。

 その間隙に静寂だけが耳にうるさい。


 そうしてしばらく経った時、ふとガルージンに疑問が生まれた。


 どうしてこんなに静かなのだろうか。


 ガルージンは知らない。

 今、四聖団は総員をかけてたった一人を救おうとしていることなど。


 少なくとも鎖で繋がれている間、ガルージンは何も知らされないし、知ることもできない。


「――あぁ、ガルージン。まさか、まさか君がこんなところに繋がれているだなんて」


 ガルージンの疑問に答えるようにそいつは大仰に驚いた格好をした。

 どこにでもありそうなフード付きのコートに首から奇妙な生物の首飾りをぶら下げた人物は慌てるように手を彷徨わせ、しかし、すぐに堪えるように頭に手を添える。


「……お前は」


 ガルージンはその人物を知っていた。

 顔は知らないが、そのキザな仕草と声だけには聞き覚えがあった。


「だが、わかるよ。君の受けた仕打ち、君の受けた理不尽な罰! そいつは君を理解しないヤツらの仕業だってことくらい、すぐにわかった。悲しい姿に僕は残念な気持ちがあふれて止まらないよ!」

「……どうやって、ここに入ってきた」


 頭が極論に染まっているガルージンであっても四聖団の警備は評価している。

 並の細作が入りこんでいたのなら即座に首を切られてもおかしくない厳重さを誇っている。

 同じように兵として働いているガルージンでもそう思うのだ。

 内情を知らない者からすれば鉄壁の守りだろう。


「知っているかい? どんな砦も開いていては入り放題さ。しかし、君はすごいよ。素晴らしい! ボクは君をただの医術で治しただけだ。なのにここまで動き、そして、思った以上の戦果をあげた!」


 大げさに語りながらもガルージンの腕は重力に従って落ちていた。

 両手を戒めていた鎖がいつの間にか外されていたのだ。


「それについては感謝している」


 戦果と言われ内心、皮肉かと思ったが何も言わなかった。


 もっとも皮肉を言われたくらいで恩義を忘れるほどではない。

 今、こうして助けられたこともそうだが、それ以上の恩が過去にあった。


 かつて医療施設で手足をもがれた虫のように這うしかなかったガルージンに近寄り、再び戦えるまで回復させる代わりに一つだけ言うことを聞いて欲しい、と提案してきた人物だ。

 彼を『敗残兵』から復讐鬼になるチャンスを与えた者でもある。


 ガルージンの肉体をクモの糸よりも細い糸とカギ爪のような針で両手足の腱を弄りまわしたと思ったら、手足がピクリと動いたのだから奇跡かと思ったくらいだ。


 フードの人物から覗く『白い狼の鼻』がフンフンと動く。


「こっちだって感謝しているさ。もっともボク自身はこの学園とやらに興味はないんだ。ただね、あぁどうやって説明しようか。そうだ。君ならボクたちの組織の名前を言ってもいいかな」


 とても嘆いたように頭に手を添えたと思ったら、次は大仰に手を広げ始めた。


「【レペツジェン】――この世のどこにもない言葉なんだってさ。語源はレプ……、なんだっけか。すまない、ずいぶん昔に師に教わったものでね。覚えていないんだ。でも意味は覚えている。複製、あるいは模造品。ははっ! この世のどこにもない模造品だなんて面白いとは思わないかい?」

「確かにアンタには感謝している。だが、その口調と仕草だけは好きになれないな」

「そうかい? うーむ、模倣先が悪かったか。ボク自身は気に入っているんだがね。何せ滑稽に見える、そんなヤツを警戒すると思うかい」


 くるくると手を回し、懸命に何かを訴えようとする仕草は確かに滑稽であった。


 仕草はともかく言われていることには納得できる部分がある。

 こんな大道芸人みたいな動きをするヤツは怪しすぎて逆に話しかけたいとも思わないだろう。


「ヒトは皆、己より下の者を見つけてホッとするのさ。自分は劣っていないと満足する。そいつのことを理解する必要はないのさ、そう見えるってだけで十分だ。毛の色が違う、肌が違う、目の色、仕草、形だってそうさ。その証拠に君の味方は君のことを理解しようとしたかい」


 まるで自慢するように白い鼻を見せつける人物に、ガルージンは言葉以上の何かを感じ取っていた。

 そうした他人の所業を見続けてきたかのような、それでいて戯ける様はいつも以上に真剣さがあったように思える。


 もしかしたらフードの人物はガルージンと同じような気持ちを味わったことがあるのかもしれない。


 もしもガルージンと同類だったというのなら、その『理解されない気持ち』を語るフードの人物にも頷けるだろう。


「ちょっと違うことをしただけでコレだ。酷いヤツらさ」


 そうしてフードの人物は首をゆっくりと振り始めた。


「だけど嘆いてはいけない。諦めてもいけない。理解されないなら教えてやるべきだ。知らしめるんだ。誰だってやっている。『俺はここだ、俺はこうなんだ!』と両手を広げて叫んでいる! 君の心の憤り、憎悪は全員が知るべきだ。知らされるべきだ。この世のどんな嘆きが君を生み出したか理解して、悔い改めるべきなんだ。弱さを知らしめることは勇気だ、勇気ある行いだ。勇気ある行いは決して挫かれない!」

「ヒトとヴェーアは相容れない、と」

「そのためにボクたちはいる。いいかい、挫かれない心に感動できるのはつまり共感できるってことだ。共感は必要なんだ。その点でボクたちはすごいぞ。誰もがそれぞれの目的を持っている。目的を共有しあえる。共感しあえる。そして、手伝いあえる。素晴らしいだろう」


 力を込める拳が痺れたように痛み出す。

 ヨシュアンによって全身に与えられた電撃傷は深い筋肉にまで到達している。常人なら今すぐ力を込めるのを止め、のたうちまわっていただろう。

 しかし、今のガルージンにすればむしろ痛みが逆に彼の憎悪を掻き立てていた。


「今回もそのために来たってところだけど、そうだな。本当は君に何かをお願いするつもりはなかったんだけど一つ、聞いてもらえないか! 契約を果たす、と言い換えるべきか、うん。だが、それは君の望みとそう違えないと思うんだけど」


 ガルージンの憎悪を見てとったフードの人物は裂けるようような顎を歪め、長い歯並びを外に曝け出した。


「君を貶めた四聖団と学園の奴らを見返してやりたくはないか?」


 ※


 夜が明けた森はとても穏やかだった。

 動物たちが目覚め、動き出す音。虫たちが動き回る音。

 木々の葉ずれの音や清水の流れる音ですら新鮮に聞こえる。


 それら全てが一つの秩序となって心地よく響き、ここにまたもう一つ、音が加わる。

 

 森で一夜を過ごしたヨシュアンクラスが目覚める音だ。


 子供たちがゆっくりと目を開けば暖色に染まる視界が一日の始まりを告げ、今しばらく微睡んでいたい誘惑に駆られる。

 肺にしみこむ肌寒い空気に毛布とくればそれも当然だろう。

 しかし、徐々に覚醒していく頭が使命感を思い出させ、アルファスリンをまどろみから引きずり出す。


 毛布を肩からかけて立ち上がると全員の寝顔がハッキリと映る。

 焚き火の前でうつむいているリリーナなどは見事なほどだ。


「むぅ、朝じゃな……、って、なんで見張りが寝ておるんじゃー!?」


 ようやく夜番のリリーナが寝ていることに気づいてアルファスリンは叫びだす。

 その声がヨシュアンクラスの朝の挨拶だった。


「……んぅ~、敵襲でありますか?」

「敵襲を報せる見張りが寝ておいて言う台詞ではなかろう! さっさと起きるんじゃ!」

「もう起きてるでありますよ~……」

「ポルルン・ポッカを抱いて横たわるではない! 起きろと言ったら起きんかー!」

「ファスリンは朝からげんきでありますなぁ……」

「元気!? 元気とか根気とかそういうのじゃなく驚きすぎて眠気なんぞ吹き飛んだぞ!」


 ポカポカとリリーナを叩くアルファスリンを横目に、ヨシュアンクラスの生徒たちは準備を始める。


「はいはい、ファスリンも朝のリリーナに構ってると時間がなくなるから」


 マッフルは呆れたようにため息をつくとリリーナの襟首を引っ張る。


「それにさ、起こし方を教えたじゃん。えー、リオ・ラム・プリム」


 小さな氷の粒を作り出して、そのまま首筋へと落とす。


「にゃー!?」


 とたん、目を開いて叫びだすリリーナを横目に再びマッフルは荷物の整理に取り掛かる。


「……なんというか容赦ないの」


 完全にヨシュアンに染まっているヨシュアンクラスだった。


「何を呆けていらっしゃいますの。行きますわよ。誰も足を踏み入れたことのない魔境へ。先生の生命を助けに」


 これにアルファスリンは大慌てで支度を始める。

 残り時間は一日あるかどうかだ。

 少なくとも次の日の朝までに学園に戻ってこなければ最悪の事態も考えられる。

 

 そう思うと自然、顔も引き締まる。


 ヨシュアンクラスは再び馬に乗り、カッポカッポと歩き出す。

 いつもなら先行させているリリーナは今回だけは皆と一緒にいた。


 ポルルン・ポッカが短い手で行き先を示しているのだが、あっちこっちに彷徨うことが多く、リリーナが迷子になりそうだったので一塊で動くことになったのだ。

 

 実際に森を移動したら藪に隠された坂や原生生物の縄張りに侵入し、歩くどころではなくなっていただろうが、ポルルン・ポッカの先導に身を任せたら不思議と何も起こらない。


 それどころか馬たちは平地を行くかのように安定した足取りで森を進んでいく。


 やがて森は針葉樹より広葉樹が多く見られるようになる。野営した場所が緑と茶色の森林空間だとするのなら、ここはもう緑の世界というべきだろう。

 足元もふさふさとしたコケ類がカーペットのように敷き詰められていく。

 岩、倒木、その全てにコケが張りつき、長い年月の間、人の手が入っていないことを意味していた。


 まるで緑の世界を飾るように、うっすらと光る珠が浮かぶのを見てヨシュアンクラスは感嘆の息をついた。


「あれ、フロウ・プリム?」

「緑の源素が活性すると発光する。あれは天然のフロウ・プリム」

「ふぇ~……」


 正確にはフロウ・プリムのように術式を組まれていないのでフロウ・プリムとは言えない。

 ただ緑の源素が発光しているだけだが表現としては間違いではない。


 セロが不思議そうな顔で緑の珠を目で追うと、ふと思い出す。


「せんせぃが前にみせてくれた術式みたいなのです」


 言われてアルファスリンを除いた皆がイルミンシア・プリムを思い出す。

 その様子を見てアルファスリンが少し眉を潜めた。


「(……そうじゃの。妾がおらぬ間、皆は一緒じゃったものな)」


 その思い出に混じれなかったことが少し寂しく感じる。


「いや、無理だし! 今、考えるとあの術式っておかしくない?」

「通常、フロウ・プリムに必要な構成陣が三つと考えると、あの無数の光は陣がいくらあっても足りませんわ!」

「先生は突然、絨毯のように話を広げる。展望もそう」

「ぁぅあぅ……、せんせぃはきっと、できるようになるって」

「アレを? ちょっと冷静になって考えようかセロ。あの時の術式ってあんまりよく知らないんだけど何級って言ってたっけ?」

「言っていない。けど等級ならわかる。以前、先生からもらった本の最後に陣が描いていた。戦略級だった」

「個人で戦略級の運用!? 【タクティクス・ブロンド】でもあるまいし、どうすればそんなことができますの!!」


 一頻り、衝撃的な事実を知った全員はひどく遠い目をしてしまった。


「……あぁ、つまり、あたしらってあと半年で人間やめちゃうんだ」


 その様子を見たアルファスリンは一つ汗を流しながら『思い出を共有しなくて良かった』と思ってしまったのだった。


「お、おそらくアレじゃ。連携陣で使えという意味じゃろう」


 身バレは避けて欲しいだろうヨシュアンを慮って、アルファスリンは指をピンと跳ねて言い放つ。


「連携陣って皆で別個に術陣を作って組み合わせて一つにするってヤツ?」

「例え、そうだとしても一人で戦略級を使える理由にはなりませんわ」

「う、うむ。それは……、アレじゃ。おそらく何らかの手段で使えるようにしておるのじゃろう。妾が遺跡で見たときは複数の術式具を当たり前のように身につけておったからの。中には戦術級らしき術式を平気で放つ術式具があったぞ」

「構成陣を代替えするような術式具……、奥深い」

「術式具といえば先生は最近、新しい靴を履いてるでありますなー」

「あぁ、あの蹴られたら痛そうなヤツね」

「新しいオシオキ道具とばかり思っていましたわ」


 若干、会話内容は不穏当だったが気を取り直した一向は先に進む。

 すると、すぐに目の前に緑の壁が飛びこんできた。


 まるで覆いかぶさるかのように斜めに伸びた木々。

 人っ子一人、入りこめそうにないくらい密集した木々に、びっちりとこびりつくコケと蔦のカーテン。

 植物でできた壁が今にもこちらを飲み込もうとしているように見えて、ヨシュアンクラスの生徒たちもゴクリと生唾を飲んでしまった。


「どう考えても自然にできたようには見えない」


 どうやらここが目的の場所だと察し、生徒たちは馬から降りていく。

 傍にある枝に馬を繋げるとエリエスは冷静に分析を始めた。


「うむ。これは一種の結界じゃろう。ここまで見事な不定術式は見たことがないぞ」

「不定術式というのは?」


 さっそく新しい単語に飛びつくエリエスだった。


「術式にはヒトが使う術式の他にもう一つ、種類があると知っておるか?」


 アルファスリンの問いに皆はそれぞれ首を振ったり、知らないといった仕草を取り、次の言葉を待っていた。


「我々が学んでおる術式の正式な名称は形状術式と呼ぶのじゃ。世の法則と綿密な関係にあり、目に見えて作用がわかりやすいことからなのじゃ。それと違い【空魚】やおそらく【苔斑こけまだら】のように一見して何の意味があるかわからない、そもそも必要なのかすら定かではなく、人の身に再現できぬ、自然より生まれたものを知っておろう。アレを不定術式と呼ぶ」

「……なんて?」


 話についていけなかったマッフルが大きく首を傾げ、隣ではリリーナも同じようにしていた。

 ついでにポルルン・ポッカも同じような仕草をしていたのは単にモノマネしたいだけだった。


「つまり、私たちが習ったものは決まった形を描くのに対して、不定形でも効果を発する術式がある、という話」

「はぁん? 変わった術式もあるもんだね。でもヒトには使えないんじゃ意味ないじゃん」

「そうじゃが、身近にも不定術式を使うものがおるぞ」


 ポルルン・ポッカがわかっているのかわかっていないのか『うきゃー』と鳴きながら手を上げる。


「もしかして原生生物なのです?」


 ポケーとしていたセロだが、ふと術学の授業を思いだし、そのまま答えを口に出す。


 原生生物と動物、この二種をハッキリとわける線引きの一つに『術式を使う』ことにある。

 一見して術式を使っているように見えない原生生物でも、自らの体型維持や生命維持に術式を使っている。


 本来の授業内容ではなかったが余談ついでにヨシュアンが言っていたので、つい覚えていた知識だ。


「不定術式の効果はまるで生き物のように形を変えながらも、その性質を変えぬことにある。この結界にしても切ったり、焼いたりしたところでみるみる内に元通りになってしまうじゃろうな」

「どんな影響を受けても最初に定められた目的通りに動く術、興味深い」


 若干、エリエスの頬が明るくなっているのをマッフルとアルファスリンはジト目で眺めていた。


 その説明を聞き、クリスティーナはなんとなく腑に落ちたかのように緩やかに顎を引いた。


「ようするにこれは巨大な扉か何かで資格がないと中に入れない、そういう術式ということですわね」


 教師や冒険者たちが調べきれなかった本当の理由を目の前にしてようやく理解したのだ。

 そして、ふと彼女たちはポルルン・ポッカを見やる。


 これが扉であるというのなら間違いなく鍵はポルルン・ポッカだ。


 リリーナがポルルン・ポッカを地面に下ろす。

 するとポルルン・ポッカはトコトコに二歩ほど歩き、そして、その場に腰かけ、横たわり始めた。


「いや、サボんなくていいから早く開けてくんない?」


 その『怠けたいから怠ける』みたいなどうしようもなさが誰の目からもよくわかったのでジト目で睨む生徒たちだった。


「リリーナみたいなことやってるとオシオキするかんな」


 若干、リリーナが不服そうに唇を尖らせたが身から出た錆である。


 ポルルン・ポッカは『仕方ないなぁ』と言った感じでのっそりと立ち上がると、足踏みし始める。

 何やら面妖なダンスを披露し終わると今度は生徒たちの目の前で異変が起きる。


 生徒たちは学園に来てから色々と超常のものを見てきた。

 ヨシュアンのオシオキ術式に始まり、遺跡事件の魔獣、増えるポルルン・ポッカなど様々なものだったろう。


 慣れているつもりがあった。

 どんな驚くことも、まだ上があるという認識でいた。


 しかし、光景は生徒たちの眉を動かし、口を開かせるには十分だった。


 端的に言えば木々の壁が開かれていく。


 ただそれだけだ。

 その動きがなんだったのか、どういう風に動いているのか、地面を見ても跡は残されておらず、そこから推測することができない。

 ただ結果として木は横にズレて、一つの道を作り出した。


「……まるで夢をみてるみたいなのです」


 ぼんやりと呟いたセロの一言がおそらく全員の胸中を語っていたのだろう。


「なんと、妾らの秘術がこうも簡単に……」


 アルファスリンだけは別の感想で驚いていた。


 原理としては四聖団の使う道路作りの術式に近い。

 元は雪をかき分けるために自然の構造に干渉し、道を作るものだ。

 木々を脇にどかす程度なら四聖団の術式隊だけでもできるだろう。


 しかし、個人認識と同時に最小限の力で運用することは視野に入れていない。

 ましてや起動に必要な源素の大半を周囲から調達し、使用した後は周囲にばらまくような、循環機構を組みこんだ術式なんて見たことがない。


「ぁ……、ポルルン・ポッカが行っちゃうのです」


 トコトコと歩いていくポルルン・ポッカに導かれ、生徒たちはお互い頷きあって進んでいく。


 ※


 壁の中に入った瞬間、森の空気は変化した。

 先月、リリーナが感じていたような、あるいは先日、アルファスリンが感じていた『包まれるような雰囲気』に近いものが漂っていた。

 しかし、それもどこか残り香のような薄らとしたものであったため、二人は何とも言えない顔をしていた。


 当然、やはりというか他の子供たちは何も感じない。

 精々が『清涼な場所だな』とか『静かだな』と思うぐらいだ。


 物珍しげに周囲を見回りながら先導のポルルン・ポッカについていく。


 広葉樹そのものは珍しくないが葉の大きな蔦に絡まれ全身がウロコの鎧みたいな風貌になった木や苔が混じる樹皮、小さな白く長い虫が触覚を忙しなく動かしながら去っていく様など目移りしそうなものはいっぱいある。


 そんな道中はあっという間に過ぎていく。


 森の広間らしきところで寝そべっている四匹のポルルン・ポッカたちの傍を通り、生徒たちが案内されたのは一本の大きな木だった。


「皆、気分悪そうだよな」

「……流行り病かしら? 【ポルフィルの実】はあの子たちも治せるのではなくて?」

「むぅ、ポルルン・ポッカの不調は妾もよくわからんのじゃ。今は放っておくしかあるまい」


 治し方がわからない病より、治り方がわかるヨシュアンの病を優先すべきなのは建設的な意見だろう。

 時間が限られていることを考えればわからなくもない。


 しかし、以前、助けられたことがある生徒たちは何とも言えない顔で大木を見上げる。


 その根元には以前、ヨシュアンが見た白い少女の幻影が寝ていたのだが、今は誰もいない。

 見上げる生徒たちの中で一番、目がいいリリーナが「あったであります」と指差すと、皆もすぐにそれを見つけ出す。


 硬い果皮に桃色の髭のようなものが包み込んだ奇っ怪な実。


「アレじゃ! 【ポルフィルの実】じゃ!」

「しかし、こうして実物を見てみますと……」


 緑の葉をつけた枝から突然、『硬そうな桃色の実』がぶら下がっていると非常に目立つ。

 鳥に食ってくれと言っているようなものだ。


「美味しくなさそうですわね。それに見つからないのがおかしなくらい目立ちますわね」

「どんな味がするでありますか?」

「リリーナちゃぁん、食べようとしたらダメなのですっ」


 這い上がろうとするリリーナにしがみつくセロ。

 そんなドタバタを横に、アルファスリンは目を細めた。


 相談しなければ、この場にたどり着けなかっただろう。

 仲間がいなければ、自分の過ちにすら気づかなかっただろう。


 一人でここまで来ることもできず、指を加えてヨシュアンの死を見続けていただろう。


 だけど、ここまでの道のりを考えていくと、まるで導かれているようにさえ思える。

 その不思議な導きにアルファスリンはそっと心の中でパルミア神に祈った。


「これなら感染は防げそう」


 よく見れば一つだけではなく、複数の実がチラチラと葉っぱの影から姿を見せていた。


 その一言は誤解を完全に解けなかった名残だった。

 どれだけアルファスリンが説明しても結局、『低いかもしれないが感染の可能性もある』という部分だけは真実、嘘共に否定できず、今、アルファスリンがその言葉を聞いて肩を落とす原因ともなっている。


 もう祈る気分もなれず、じっくり話しても軽く話ても深みにハマりそうで、何とも言えないアルファスリンだった。


 次にどうやって採ろうかと誰かが考えた瞬間、ポルルン・ポッカはするすると木に登ると手短の【ポルフィルの実】をポイッとつまんで放り投げてきた。


 慌てるヨシュアンクラスたちだったが、ちょうど腕を伸ばしていたアルファスリンの手のひらに吸いこまれるように落ちてきた。


「……うむ! かたじけない!」


 これでヨシュアンが助かる。

 その感触が間違いなく手にある。

 これは人の生命を助ける重みだ。


 重量すら感じられない実が重く感じられる。


 握り潰さないように【ポルフィルの実】を包みこむと桃色の毛が手のひらをくすぐってくる。


「いくぞ! 今から帰れば十分に間に合う時間じゃ」

「待って」


 エリエスの冷静な制止にアルファスリンは駆け足を踏みながら振り返る。


「感染者分にいくつかもらう」


 『それはもういいんじゃ!』とツッコミたかったアルファスリンだが、アルファスリンにも責任があるため、何も言えずに口をパクパクさせるだけだった。


 ただ予想外のところからアルファスリンに助け舟がやってくる。


 木の上からスルスルと降りてきたポルルン・ポッカだ。

 ポルルン・ポッカはエリエスに向かって、ゆるやかに首を振る。


「ダメ?」


 ピコピコと一生懸命、手足を振り回し、逆にエリエスはうんうんと頷き返す。


「来訪者に付き一個限定らしい」

「何それ、特売品みたい。でも実際、あんまり感染しない病気って話だから感染者がいなけりゃそれで済むじゃん。最悪、ここにあるってわかったなら先生がなんとかしてくれるんじゃない?」


 一抹の不安を抱えた瞳のエリエスだったが、なおもジェスチャーを繰り返すポルルン・ポッカを眺め、一つ、頷くことで納得の色を見せた。


「帰る」


 善は急げとばかりにエリエスは来た道を帰ってしまう。

 セロやリリーナが追いかけ、クリスティーナは肩をすくめ、マッフルはため息一つしてから同じように去っていく。


 アルファスリンは事態をボケーっと見送ってしまったがハッと我に帰るとすぐさま小走りで皆の跡を追いかける。


 ふと何かの気配を感じ、一瞬だけ【ポルフィルの実】のあった木を見たがそこにはやっぱり何もいなかった。

 彼女たちを見送るようにポルルン・ポッカが手を振っているだけだ。


 アルファスリンも手を振って、その場から立ち去っていった。


 彼女たちがいなくなった後、ふっと金色の髪が木の後ろをたなびいたのだがソレを知るものはポルルン・ポッカだけだった。


 ※


 植物の壁から飛び出すように外に出たヨシュアンクラス。

 そのすぐに背後の壁が閉じていくのを見て、次、また来られるのかどうかを考えてしまった。


 何がある、というわけでもない。

 ただのポルルン・ポッカの住処だ。

 驚くほど不思議な場所で、出てしまった今でも余韻を覚えるくらい、心のどこかがゆっくりと震えているのがわかる。


 ここに来ればまた会えるとか、何か隠されていないかとか期待しなかったわけではない。


 一つ言えることは、これは切れ端だったということ。

 世界にはこんな場所もあるのだという、確かな切れ端を生徒たちが感じていただけだった。


 半信半疑だった『空の海』も、今では信じられる気がする。

 もっともリリーナは実際に見たので疑いようもないのだが、それでも『空の海』以上の何かの広がりを感じられていた。


「まぁ、今回みたいにまたひょっこり顔を出すかもしんないしさ」

「そうですわね。今はぐったりしていたようですけれど、どうせ次に会う時はピンピンしているに決まっていますわ」


 クリスティーナもマッフルも目的を忘れたわけではない。

 ただここで無為に過ごすよりも先に進むための言い訳を口にしただけだ。

 それで踏ん切りがつけば、それでいいのだ。


 ただお互いの言いたいことがかぶったために、一気に眉が険悪な角度に持ち上がったくらいだろう。


「うむ。その通りじゃ。我々には使命がある! 使命を果たした後にできることを考えれば良い!」


 喧嘩されても困るアルファスリンは無理やり話をまとめて、馬を指差す。

 このまま馬に乗って学園まで帰り、ヨシュアンの社宅に向かうだけだ。


 アルファスリンを先頭に全員が馬に向かって走り出した時は、誰もがそのことだけを考えていた。

 時間は十分で、見通しは明るい。


 アルファスリンにしてみれば初めて己で決めた目的を果たし、初めての皆との冒険を終わらせ、そして、全てを成功に導けた瞬間だったのだろう。


 だからこそ気づかなかった。


 森が異常なまでの静けさに満たされていたことに。

 一切の音もしない、虫の音すら聞こえない、緊迫した空気だったことに。


 ただ一人だけ『一番、最後を走っていたリリーナ』だけはその異変と泡立つ空気に、ふと顔を上げる。


 それは必然のような幸運だった。


 そいつが着地し、毛むくじゃらの手を伸ばしてアルファスリンを捕まえようとした際にリリーナだけがそこに割りこめた。

 リリーナはとっさであったものの手を掴んだと同時に片足を高く上げていた。

 カウンター気味に足は相手の首筋めがけ伸び、『伽藍崩し』に持っていこうとし――


「邪魔だ!!」


 ――たった一薙ぎ、片腕を振るうだけでリリーナは振り飛ばされた。


 膂力の差で負けたことにリリーナは空中で驚愕の顔を浮かべる。


 目の前でリリーナが真横にすっ飛んでいくところを見ていたアルファスリンは呆気にとられたまま一歩、後ずさる。

 そんなアルファスリンの背後からすり抜けるように空気の塊が発射された。


 リリーナが飛び出したと同時に異変を察し、術式の準備をしていたエリエスだ。


 破裂音が土を舞わせ、両腕で顔を守った闖入者。

 視界が妨げられたと認識したと同時に、クリスティーナとマッフルが飛び出し、飛び蹴りを叩きつける。

 その間にセロがアルファスリンの袖口を掴んで、後方に下がらせる。


 クリスティーナとマッフルが剣を抜き、防御ごと貫こうとした瞬間、


「―――!!」


 闖入者は吠えた。

 大音量と風の威圧に身動きが取れなくなった二人を無造作に腕で薙ぎ払う。


 ほぼ十数秒の出来事だった。


 後方に下がり、改めて場を見てようやくアルファスリンはその闖入者の姿を思い出す。


「汝は……、ガルージンか!」


 以前、見たガルージンは法国兵の鎧をまとっていた。

 しかし、今はどうだろう。


 荒い息を付き、目はギラギラと憎悪に濡れていた。

 毛皮に覆われた肉体を外に出し、肌の表面は稲妻のような、血管のような細長い管が走っている。その火傷跡から流れる血のせいか、よくわからない脂で毛並みを汚し、お世辞にもガラが良いとは言えない姿に変わっていた。


「……あぁ、お探ししました姫様。隊長が心配されておいでです。私と共に帰りましょう」


 風貌が伴っていない敬いが逆に不気味だった。


「突然、現れて何を言っておる! これから帰るところじゃ! そこに馬がある! それより汝は拘束されておったじゃろう、何故にここにおる!」

「そこのヒト族と共にですかな」


 今にも吐き出しそうな口調でアルファスリンに問う。

 大人から受ける侮蔑の眼差しにアルファスリンは少し肩を震わせる。


 しかし、相手は部下だ。

 ひるむ理由にはならないと再び胸を張る。


「当然じゃ。先のことは不問とするが故に大人しく裁きを待つと良い」


 少し離れたところでリリーナが立ち上がるのを見つつ、アルファスリンは言葉を返す。

 本来ならば突然、現れて警戒させたことや反撃したこと、もっと文句を言ってやりたいが時間が惜しい。


「――不問? アレを罪とするのならば、やはり我らが姫はヒト族に毒されたか!」


 言い切ったアルファスリンにガルージンはもう、隠すことなく怒気と憎悪を言葉にこめて叫ぶ。


 そして、あろうことかその主人に向かって駆け出し、爪を振るうために大きく腕を引き絞る。

 

 その動きを遮ったのは横手から放たれた一本の矢だ。

 アルファスリンとガルージンの間に突き刺さった矢は牽制であり、その射手はもちろんリリーナだった。


 リリーナでも戦闘は避けられないと思ったのだろう。

 すでに次の射撃準備を入っていた。


 もう一度、放たれた矢がほんのわずかなガルージンの停滞につながる。


 そのわずかな時間はエリエスが術式を使う時間に変わる。


「リューム・エゾフラム」


 どうやらエリエスも容赦するつもりがないようで、ガルージンにためらいもなく指先を向ける。

 陣から放たれた無数の空気の粒弾がガルージンの毛皮に突き刺さる。


「邪魔をするな!」


 その咆哮にまだまだ迫ろうとした空気の粒弾が弾かれてしまう。

 これに驚いたのはエリエスで、その驚きによって術式が霧散してしまう。


「悪いけど術式師はエリエスだけじゃないんだよな。ウル・ラム・シルド」


 マッフルが悪い笑みを浮かべながら地面に手を添えると、ガルージンの腹めがけ土の壁が射出される。

 本来なら土の壁が足元からせりあがり、攻撃や術式を遮る術式だが、マッフルはそのせり上がる部分に注目したようだ。


 腹部を痛烈に打ちすえたガルージンが顔を歪めたが、すぐにバックステップで距離を取る。

 ガルージンの居た場所に剣閃が走ったからだ。


 マッフルの攻撃を囮にクリスティーナが【幽歩】で近寄ってきていたのに気づいたのだろう。


「あのまま切られておけば良かったものを……」


 クリスティーナが悔しそうに細剣【レピンド】の腹を摩り、ピンと地面に向ける。


「私、忘れていませんわよ。貴方が私にした蛮行、それだけではなく先程の無体も!」


 結構、恨みつらみが残っていたクリスティーナだった。


 リリーナとマッフルはアルファスリンの元へと走り寄っていく。

 相手の狙いがアルファスリンだと相手の行動から予測したのだろう。


「なんのつもりじゃ、ガルージン!」


 ガルージンの行動はもはや立派な反逆。

 先に突然、現れた時はとっさだったためにいくらでも言い訳が立つが、今回は違う。

 明らかな害意が見て取れた。


「ヒトに毒された者などもはや姫とは呼べん! そのような汚れた姫などは法国に不要!」

「貴様が言えた言葉か! ただの兵である貴様が!」

「言えるとも! 法国は我らが血を持って守ってきた国である! 我らの流れた血は全て法国のためにある! その意気、その意思、骨一本、血一滴に至るまで法国の至上目的のためにあり、断じてヒト族と迎合するためではない!」

「我らが主神たる氷の女神パルミア様が授けた目的は一つ。全ての魔獣の駆逐じゃ! ヒトを殺せなどとは言っておらぬ! そのためならば我々は他国と手を結ぶと決めたのじゃ。それが法国の意思じゃ!」

「そのような弱腰の法国だから我が友は死んだ!」


 思いもしなかった言葉にアルファスリンは目を剥く。


「仲間が死んだ! 皆、笑われながら毛皮となった! そのような所業をするヒト族の汚れた手など握れるか!」


 狂気にも似た目つきで口角に泡を吹かせ、吠えた。

 その形相、その悪意には確かに真実も含まれているとアルファスリンにも伝わってくる。


「真に強き国ならば! 真の法国ならば他国など食いつぶしてしまえばよい! そうして大陸全てを支配し、一つの意思を持って神の使命を全うすべきなのだ! だがヒトはなんだ! 何一つまとまろうとせず、何一つ種族を労ろうともしない! 残酷な本性をそのおぞましいヒト皮に包み、我らに毒の刃を突きつけようとする! そのような種族を大敵への戦列に加える価値もなし!」


 だからこそ、まったく理解できない。

 それらはアルファスリンが見てきていない物の一面だからだ。

 姫に手を出すほど狂わざるをえなかったガルージンの気持ちがわからない。


「悪しきはヒト! ヒト! ヒト族だ!」


 アルファスリンも王となると決めた以上、ガルージンの気持ちを受け入れるつもりはない。ヨシュアンを見殺しにするつもりも友を捨てるつもりもない。

 それでは生命を削る者たちになんにも報いることはできない。


「貴様のような邪悪で惰弱なヒトの思想に染まった姫を台頭させるわけにはいかん! これは真実の正義だ!」


 ならば答えは決まっている。


「だってさ、ファスリン」


 マッフルが剣を持ったまま、ガルージンに親指を向ける。

 ここにいる全員、あまり状況を理解しているわけではない。

 ましてやガルージンのことについて知っているわけではない。


 彼女たちが知っているのは一つだ。


 きっかけはやはりアルファスリンだということだ。


 アルファスリンが悩み、打ち明け、手を借りようとしなければここにはいない。

 ヨシュアンを助けようとしたことが全ての始まりだったのならば何かを決意し、言葉を返すのはやはりアルファスリンでなければならない。


「貴様が何を見て、何を経験してきたか。妾は知らぬ。汝は国のために戦ったのじゃろう。じゃがガルージン。汝が妾の邪魔をするためにそこに居るというのなら」


 腰に手を回したガルージンが取り出したのは一本の剣。

 昔から彼が使い、そして誉れと共に戦った戦友でもある竜刀【巻き舌】だ。


 ジャラン、と音を立てロックが外れると蛇のように刃がのたうち狂う。

 地面をえぐり、空を裂き、威嚇するように風切り音が場に響く。


「妾は目指すべき王と法国のために汝の所業を許すわけにはいかん!」


 その言葉にクリスティーナは剣を強く握ることで答えた。

 マッフルは深く腰を落とし、まるで盾のように前衛に立つ。

 セロの膝は震えていた。だが、それも大きく目を瞑り、顔を叩いて真正面を向く。

 エリエスは無表情のままだったが戦意を瞳に宿している。

 そしてリリーナはアルファスリンの少し前を陣取る。


 完全後衛のセロ、後衛のエリエスとアルファスリン、中衛にリリーナ、前衛にクリスティーナとマッフルを置いた、誰もが即戦力として行動できる雁行陣を取る。


「そこをどけガルージン! 妾が通るぞ!」

「断る! 純血の誉れを忘れた姫に仕える価値なし!」


 それはおそらくアルファスリンにとって王を目指す上で初めて現れた最初の敵だった。

 故に避けて通ることだけはどんなに頭をひねっても考えついていなかった。


 ※


 同じように動き回っていてもまだ余裕があったはずだった。

 少なくとも今までの授業ではできていたことで、スタミナ管理も経験に基づいて疎かにしていない。

 全ては教わった通り、やってきたことだ。


 下段から這うように迫る敵の切っ先。

 かと思えば横から削り取ろうとする剣の群れ。

 前後左右、縦横無尽に二人を狙う剣閃。


 王国の規格で作られた模造剣や木刀を使う学園生徒たちからすれば、それらの攻撃は訓練で体験できない類だ。

 慣れていない攻撃のせいだと言うつもりはクリスティーナとマッフルにはない。

 そんな言い訳をするくらいなら、舌を噛むくらい跳ねっ返った生き方をしていた。


 実際によく食らいついていた。


 【弱支配】でなんとか攻撃を予測し、辛うじてガルージンの剣をさばけていたからこそ、まだ二人は生き延びられていた。


「しつこいガキめ!」


 ガルージンのイラついた声に二人は内心、『しつこいのはどっちだ』と言い返しそうになる。


 エリエスやアルファスリン、そしてリリーナの援護射撃がなければ、セロの氷の盾がなければ、あるいは防具を着てなければズタボロに切り裂かれていただろう。


「くっそ! やりにくい!」


 バクバクと鳴る心臓は止まらない。


「ならば――!」


 相手の訳のわからない攻撃筋を防ぎきるよりも打って出るべきだ。


 そう考え隙を見て飛びかかろうとしたクリスティーナの死角から刃が飛び出してくる。

 無理やり体をひねり、刃が胴当てをかすめる。


 後一歩、反応が鈍かったら足か胴を裂かれていただろう。


 クリスティーナのリカバリーに入ったマッフルは目の前で踊る剣の腹を盾で叩く。


 しかし、その程度のシールドバッシュでは剣筋は鈍らず、逆に肩から肘にかけてを薄く斬られてしまう。

 それでもその無理やりの行動はガルージンの竜刀【巻き舌】を一度、引っ込めさせることに成功した。


「……これが多節機構剣ってヤツか」


 マッフルは痛みでちょっと顔をしかめてもガルージンからは目を離さない。


 少しでも油断すれば生き物のように跳ねる竜刀【巻き舌】に絡め取られてしまうからだ。

 まるでガルージンを中心に蛇がトグロ巻いているようにすら錯覚する。


 もっとも蛇に睨まれた蛙というほど二人は大人しくはない。

 動き回れるし、口も動く。剣を振り回すにしても不調はない。


 ただ、ものすごく息がしづらい。

 本来、まだ余裕があるはずのスタミナはすでに尽きかけている。


 何よりも困惑させていたのは『そんな、いつもと違う状態であると今の今まで認識できなかった』ことだろう。


「所詮は新兵……」


 ガルージンの呟きに二人は眉を潜める。

 自らの変調を敵が知っているということに少しの焦りと不安がよぎる。


 それもそのはず、ガルージンからすれば、その現象をよく知っている上にすでに通り過ぎたものだ。

 そもそもが兵ならば誰もが通る道だ。


 逼迫した空気。

 負けることが許されない立場。

 一つ、間違えれば死ぬという単純なルールが支配した場。

 

 それは『殺し合い』という緊張感。

 生徒たちは初めて殺し合いを体験していた。


 震えて剣が持てない者すらいる戦場で生徒たちはよく動いている。

 頭を動かし、ガルージンの剣を受け続けている。

 それだけで驚嘆すべき成果と言えるだろう。


「これ以上、長引かせるわけにもいかん。今すぐにでもはらわたを引き裂いてくれる!」


 その成果は見えないだけで、ちゃんとガルージンを苦しめていた。


 本来ならば最初にアルファスリンを捕獲できたはずなのに、あっさりリリーナに防がれている。次にエリエスは散発的に術式を撃つように見せかけて、目や口、人体の急所を正確に撃ち抜こうとしている。


 この二人のせいでガルージンは身を守らざるを得なくなっていた。

 クリスティーナとマッフルが蛇のようにと感じた動きは多節機構剣術の中では防御技術に当たる。

 自らの周囲に多節機構剣を巡らせることで射術を防ぐ構えだ。


 攻勢に打って出られないからこその防御体勢だと、生徒たちは気づかない。


「――ふんッ!」


 それも時間の問題だった。

 スタミナが切れかかっている今は相手にとって攻勢の好機、裏返せば自分たちの危険だ。

 そのことをクリスティーナとマッフルはわかっていても動けなかった。


 ボールでも投げるかのように、大きく腕を振り下ろすと竜刀【巻き舌】が伸び、前衛二人の足元を舐め、勢いのついた土が大きく二人に襲いかかる。


 土砂から身を守るようにクリスティーナとマッフルは蹲る。


 単純な目潰しだが、この場においては絶大な効果を発揮する。


 目の前に己の生命を脅かす相手がいるのに、見ることすらできない。

 そのことが混乱を呼び、人は無様に剣を振るうだろう。


 命の危険に晒されている前衛を救ったのは、誰も予測していないものだった。


「死ね――ぐッ!?」


 もう三歩、それこそ一秒もあれば到達できるはずの距離で突然、ガルージンは仰向けにひっくり返った。


 まるで見えない腕に鼻先を殴られたかのような動きだ。

 

 ガルージン自身、予想外だったようで鼻を押さえながら、よろりと立ち上がる。

 涙目の向こう側から矢と風の弾が打ちこまれたことすら、どうでもいいのか、雑な動きで回避してしまう。

 

 予測外の出来事を観察するために距離を取り、戦場を見渡してみればすぐにガルージンは悔しげに口端を歪めた。


「物理結界だと!? 姫か!」

「貴様に言っておいてやろう、ガルージン! この物理結界は妾ではない! セロじゃ!」


 アルファスリンは勝ち誇ったように胸を張り、疑問に答えた。

 その手前でセロは俯きながらも両手を前にして、術陣を形成していた。


「……あいてのこうげきを、最初にとめる、とめるのです」


 ガルージンに睨みつけられてもセロは目を逸らさない。

 その行為に腹が立ったのか、ガルージンの目はさらに血走っていく。


「ファスリン。相手に言ってやる必要はない」

「む? しかし、驚かせてやりたいじゃろう?」

「ヨシュアン先生とヘグマント先生なら減点する。それにファスリンの手柄でもないのに威張っても意味がない」


 エリエスにダメ出しされて、しょぼんとするアルファスリンだった。


「でも、誇らしくなる気持ちはわかる。物理結界を飛ばせるようになったのはセロが頑張ったから」

「……エリエス、お主。そういうことを言えたのじゃな」

「……侮辱された気がする」


 エリエスは不満そうにアルファスリンを眺めるのだった。


「ガキどもが……ッ! ふざけやがってッ!」


 ガルージンは鼻から流れる血を勢いよく吹き出し、口に溜まっていた血も吐き出す。


 その短くも貴重な時間で、前衛二人は顔の土を荒く落としながら身を整える。


「ぺっ、ぺっ! 頭から土かぶったし!」

「土くれ愚民らしいではありませんの、そんなことより私の高貴な肌に土をぶつけるとはいい度胸ですわ!」

「あんたのドリルに土、入ってるし、何それ、身体を張った一発芸? 土を削れるってところ、見せたいの?」

「汚れた『まな板』は黙ってくださらない?」


 目潰しには驚いたが、驚きが逆に二人に余裕を取り戻させた。

 ガルージンが警戒して、攻撃の手を緩めたからでもあるのだろう。


「……黙るかどうかはあたしの勝手。ところで、あんた、【ティキティキ・タン】って覚えてる?」

「……あら? やれますの? 肩で息をしているように見えますわよ」

「そっちこそ。疲れて足がもつれたって踏んづけるからね」

「貴女こそこっちの足を引っ張らないように注意してもらいたいですわね。あのような視野狭窄なヴェーア種に遅れを取ったとは思われたくありませんもの」


 クリスティーナもマッフルも、ほんの少しの余裕で気づく。


 今、この場は殺し合いという状況であり、卑怯卑劣は当たり前で、どんな手を使ってでも相手を倒さなければならないということに。


 ならば、こちらも正々堂々にこだわる必要もないだろう。


「んじゃ、見せますか」

「違いますわよ。そんなだから教養の授業でみすぼらしい点数をとりますのよ。こういう時はこう言いますの――」


 ならば、それは二人の領域だ。

 殺意や害意はなくとも、二人は同じようなことを日常的に行い続けてきた。


 教師という、圧倒的上位者相手に決して退くことなく、全力で己をぶつけ続けてきた。

 『教師なら大丈夫だろう』という、ある種の絶対の安心から来る全力の行使。


 それは逆を返せば、相手への気遣いなど一切、しないということでもある。


「――魅せてやりますわ」


 タッ、と軽い音を響かせ、二人はガルージンへと走っていった。


 ガルージンもまた迎え撃つように走り出す。

 彼もまた生徒たちに一切の容赦をするつもりはない。


 そう言う意味ではようやくクリスティーナとマッフルは相手と同じ立場に立てたのだろう。


 ※


 教養実習室が小さく揺れる。

 誰もがその犯人に目線を向けると案の定、クリスティーナとマッフルがもつれ合うように倒れていた。

 クリスティーナのドレスを踏んづけたマッフルが勢い余ってクリスティーナを押したのだろう。


 教養の授業ではよく見かける光景で、もはやエリエスですらため息をつくくらいだ。


「また貴女は私の礼装を! 破けたらどうしてくれますの!」

「あんたが足を踏むからじゃん! 足の爪が割れたらどうすんの!」


 ピットラットが手を叩くと、一同は顔を上げる。


「まるで【ティキティキ・タン】ですな」


 失敗点を告げられるものと思われたはずなのに、ピットラットからの言葉はよくわからないものだった。


「質問です。【ティキティキ・タン】とはなんですか?」

「古い喜劇『オフィティアとヴィヴァルチェ』の第二幕、第一場。【ティキティキ・タン】とは、その場で演者が刻んだ、とても独特な踊りの名称です。三拍の輪舞曲と非常に簡単なものなのですが演者同士がわざとお互い、ズレた動きをすることで不思議な関係性を観客に伝えます」


 ピットラットは穏やかに微笑む。

 言い含めるような気配はなく、あくまで質問だけに答える。


 その間に生徒たちはちゃんと聞こうと耳を傾ける。


「総じて、息の合っていない演者同士に言われもしますな。しかし、それだけではありません」


 その様子に満足しながら、ピットラットは少しだけ顎をさすった。


 ※


 アルファスリンの目から見ても、その動きはデタラメだった。


 クリスティーナが放った突きのすぐそばにマッフルが居て、下手をすればマッフルに突き刺さっていただろう。

 そのマッフルもまた剣に貫かれるなんて関係なしに剣を振ろうとしている。

 お互いの剣がぶつかり合うくらい近しく、身体が当たりそうなくらい近い。何時、事故が起こるかヒヤヒヤするような密着具合なのにどうしてか接触しない。


 お互いがポジションすら奪い合い、援護というより同士討ちに近いはずの動きなのに、何故かうまくいっている。


 デタラメなリズムによって放たれる剣は受け手のガルージンも苦労しているように見える。

 うまく二人を捉えられないようで、蛇のような剣閃が二人をかすめて弧を描いていく。


「……どうなっておるんじゃ、どうして、あんなに動き回れるんじゃ? ぶつからんのが奇跡じゃろ? 女神の加護でもあるのか?」

「アレは二人だからできる滅茶苦茶。呼吸するように反目できて、同じくらい相手のことを知り尽くしている上に剣術は互角、それでいて性質が違うから――」


 今、クリスティーナの刃がガルージンの頬をかすめる。

 今までの攻撃が【巻き舌】に阻まれていたというのに、一歩ずつガルージンを捉えようとしている。


「――拍子さえ合えば、あんな動きになる」


 エリエスの瞳に不安はない。

 できて当然、とでも言いたげな瞳だ。


 その瞳に導かれるようにアルファスリンも戦場を見る。

 下がっても食い下がるくらい攻めっ気のある二人に、とうとうガルージンは【巻き舌】を刀剣に圧縮して使い始める。

 対する二人はレイピアと片手剣。

 攻めて片方は防がれても、もう片方が追撃として攻めていられる。


 それでなお思ったように斬れないのだから、単純な手数が技術を上回っていても相手が上手だということだ。


「高い技術によって調和が取れた、見た目よりもずっと難しい舞踊。それが【ティキティキ・タン】」


 語りながらエリエスは準備運動をし始めている。

 見ればリリーナも同じように援護射撃を止めて、身体をくの字に折り曲げている。


「援護しなくとも良いのか?」

「んー、次は暗転でありますよー」


 その一言でアルファスリンは理解する。


 噛みつくように食い下がるクリスティーナとマッフル。

 その顔は青く、唇が紫で、息も浅くなってきていることに。


 ※


「情念を知ることだ」


 学園施設の大図書館では一つの教本を中央に置いて、皆で眺めながら授業を聞く。


 写本とはいえ本は貴重だ。

 生徒の数だけ用意していられない。

 そのため、アレフレットが考えたのはこの授業形態だった。


「本にはそこに込められた情念がある。どんな瑣末なもの、間違い、句読点、走り書きにすら情念が宿る」


 質問などは話し終わったらするものと決められているため、生徒たちはじっと耳を傾けていた。


「情念を知れば、お前たちはそこから彼らのしたかったことが読み取れるようになるだろう。言葉の切れ端や文脈、筆圧の加減から想像しろ。しかし、それだけでは情念を理解できやしない。例えばこの本――『論の十戒』は論理について語られている。証拠を集め、事実の繋がりを重視し、理論として過不足なく組み上げることにあると説いている。だが、彼はそのことについて、とても腑に落ちていないことがわかる。何故だかわかるか?」


 中央の本にアレフレットは手を伸ばす。

 アレフレットが歴史を語る時は文字通り、雄弁だ。


 なのに手先は優しく、文字をなぞる。


「筆者が『論の十戒』を書き上げた時期は哲学的考察がもっとも盛んだった。神の意思を理解し、飛躍的思考を重要視した哲学が横行していた。わからないことは神の意志である、そんな信仰がまかり通っていた。彼自身、出自は自然哲学者だ。飛躍する哲学と冷徹な論理の境目にいた。論理の『神の意思の無さ』に後ろめたさを覚え、それでも後世に続くであろう神への信仰に限界を感じていたのも事実だ。最後の文字は子羊のように震えているのが、ここでわかるな」


 その言葉にエリエスは想像する。


 深い羊皮紙の本に囲まれ、澱んだ埃と一筋の明かりに照らされた、暗く沈んだ著者の横顔が。

 苦悩が眉に染みついて皺となり、弱々しく書き続ける姿を幻想し、そこまでで途切れてしまう。


 彼がそこまでしなければならなかった意味を明確に理解できないからだ。

 執念を実感するには生徒たちはまだ経験不足だったのだろう。


「お前たちが何かを見るときは決して手を抜くな。知ることで知られる、計れない重さを知れ」


 想像しきれていない生徒たちの様子に気づいたアレフレットは、ゆっくりと本を閉じた。


 ※


 スタミナを犠牲にした猛攻だったが、凌ぎきればなんてことはなかった。

 ガルージンから見て、クリスティーナとマッフルの顔色は悪く、チアノーゼを起こしているのがわかる。


 自分の限界を越えるような動きをしているのだろう。

 だからこそ、ガルージンは再び身を守ることに徹した。

 やがて自分から崩れていく瞬間に切りつけてやれば良かった。


 しかし、ガルージンもタダでは済まなかった。


 初戦の流れと違い、立て続けに繰り出される剣撃を防ぎすぎたせいで焼けつくような痛みが腕に蓄積されていく。

 薬品によって痛覚は鈍麻していても、痛覚自体がなくなったわけではない。


 効能を越える行動を起こせば当然、痛みも蘇る。

 痛みで判断を間違えないことだけを注意しつつ、周囲にも気を配る。

 後衛の動きがないことだけが気になったが、密着するようにお互い動き回っている以上、迂闊な射撃ができないだろうと推測していた。


 その推測は覆される。


 密着を引き剥がすかのように足元から飛び出してくる大地の壁。

 視界を妨げて、前衛二人のスタミナを回復させるつもりなのだろうが、それは予測済みだった。


 拳で土の壁を破壊し、追撃のために足に力をこめたガルージンへと飛びかかったのは無表情な少女――エリエスだった。


「――何ッ!?」


 前衛と後衛をスイッチするという暴挙に一瞬、我を忘れる。

 後衛本来の役割を考えれば、土壁ごとガルージンを吹き飛ばすのがセオリーだ。

 そのセオリーを蹴ってまで予測を越えてきた。


「この悪ガキどもがッ!」


 効率やセオリーを度外視し、予測だけを凌駕しようとする思想は悪ガキそのものだ。


「違う」


 エリエスは接近しながらも言葉短く否定を投げかける。

 ガルージンの放つ拳に向かい、エリエスは拳をぶつける。


「駄々をこねているのは貴方」


 小さく、触れれば壊れそうなエリエスの拳は、あろうことかガルージンの拳と拮抗する。


「俺が聞かん坊だとでも言うつもりか!」

「アルファスリンの話を聞いてなかった」

「惰弱に染まれと! 何も知らぬガキ風情が!」

「そんなことは一言も言ってなかった」


 直後、ガルージンは背筋に嫌な感触を覚え、半身をひねって振り返る。

 そこにはいつの間にか背後を取っていたリリーナの手掌が迫っていた。


 慌ててガルージンはリリーナの手掌を掴む。


 その掌から風の塊が渦巻いている以上、掴む以外の手段はなかった。


「一体、何をどうすればこんなモノに育つ!?」

「食べて、寝て、勉強したらでありますよ?」

「ふざけるな!?」


 スタミナを超越した猛攻の連携。

 前衛と遜色ない働きをする後衛。

 明らかに体格が違うにも関わらず拮抗できる筋力。

 物理結界の変形、応用。


 どれを取っても十四、五の少女が得られる技術ではない。


 支配による観察は基本中の基本だ。

 しかし、根本的に少女たちはガルージンの理解を超えていた。


 ※


 クリスティーナの次に錬成が苦手な者がいるとしたら、それはリリーナだろう。


 別に調合が苦手なわけではなく、材料も調合比も完璧に覚えてしまっている。

 そのせいで作りたい、という気分にならないせいだ。


 どこか真面目にやれない気分のまま、適当にガラス瓶の中に材料を放りこんでいく。


「ダメですよぅ、ちゃんと相手のことを考えて作らないとぉ」

「量と比率は正確でありますよ?」


 言うとおりにしているので間違っていない。

 そのことを伝えると、リィティカはゆっくり首を振った。


「量では計れないものってあるんですよぅ。例えばぁ、身体が辛い人がいたら、ほんの少しだけ『水の蜂巣』を多く入れたりするんですよぅ。一番、品質がいいものってぇ、その人の身体に合わせたものですからねぇ」


 授業で教えるだけならリリーナは間違っていない。

 リリーナが錬成物を正確に作ると知っているから、もう一段階、上の技術を教えたくなったのだ。


「実際に薬を飲む人は苦しんでるんですからぁ。ちょっとでも楽になりたい、痛みを和らげたいと手を伸ばすんですぅ。苦しんでいる人に自信のない薬をあげられますかぁ?」


 教師としては間違っているだろう。

 それでも教えなければならない大事なもののためにリィティカは語る。


「苦しめたいためにお薬を作るようならぁ、先生は怒りますからねぇ」


 リリーナだけではなく、全員に。

 中にはクリスティーナのように、その領域にたどり着いていない子もいるが、教えておく分には何も問題はない。


 ※


 荒い息をつきながら、クリスティーナは腰のポーチから疲労回復薬を取り出す。

 マッフルも同じように疲労回復薬をガブガブと飲んでいる。

 

 何かあったら、という理由で普段から作り置きしていた疲労回復薬だ。


「……今日は当たりですわね」


 リリーナが作った疲労回復薬は妙に甘い。

 どこからともなく持ってきたハチミツを加えてあるためだろう。


「……まっじぃ」


 マッフルが渋い顔をしているのは、おそらくクリスティーナが作ったものを飲んだせいだろう。

 作ったものは全部、一纏めにして保管しているせいで誰のものかわからなくなることがよくある。

 いざ飲んだときに当たりか外れか考えることは仲間内で楽しむ、ちょっとしたトピックであり刺激だった。


 遊びは置いておいて、目の前の攻防に集中する。

 身体は休めていても状況は理解しておかなければならない。

 これは今まで、クリスティーナとマッフルが体験したことがない、殺し合いなのだから。


 エリエスとリリーナの腕を掴んだガルージンは二人を振り回し、放り投げる。

 距離を取って【巻き舌】を伸ばすつもりなのだろう。


 しかし、ガルージンは【巻き舌】を振っても伸びないことに気づき、驚いた顔をする。


 リリーナの指先から細い糸のような術式が伸びていることに気づかなかったのだろう。


 リリーナは進化し続けている。

 以前、遺跡で見せた風の刃はさらに鋭く、さらに伸縮性を増し、意志が反映されやすい形として、あぁいう形に進化したのだろう。


 よく見れば、風の糸に紛れて細いワイヤーまで混じっている。

 風の糸だと物質に触れ続けられないと理解して、あえて混ぜたのだろう。


 その結果、ガルージンの【巻き舌】に完全に巻きついて機構を封印したのだ。


 ヨシュアンから教えられた対多節機構剣を十全に理解し、完全に対応していた。


「ひどい話ですわね」

「あんたの頭の話? それともリリーナのこと?」

「……リリーナですわよ。わかってるくせに挑発しないでもらえます?」


 疲弊しているというのもあるが、喧嘩には発展しなかった。

 お互い、喧嘩する状況でもないとわかっているのでマッフルも素直に体力回復に務める。


「あんなに簡単に、その場で編術なんて誰にだってできるものではありませんわ。自主訓練もしてないのに……」

「あんた、それ、最後のところだけ言いたかっただけでしょ」


 エリエスはまだいい。

 彼女は積極的に自主訓練に参加していたし、何故か近接戦闘に熱心だったのもヨシュアンからもらった教本のせいだと理解している。

 しかし、リリーナは違う。


 彼女は自主訓練に参加せず、それどころかパンツを奪うなどして邪魔をしてきたくらいだ。

 もちろんリリーナが『構って欲しかった』という理由と、生徒たちが『無茶をしないため』という二つで犯行に及んだことくらい理解している。


 理解していても納得できないこともある。


「まぁ、リリーナだしなぁ。それに何もしてなかったわけじゃないじゃん」


 それは文化祭の時の一件でよくわかっている。


 ただ半年の授業を誰よりも先に結実させただけなのだ。


 そして、それは『今やリリーナだけではない』。

 言いようのない、確信じみた感覚をクリスティーナとマッフルの二人共、味わっていた。


「嫉妬してる場合? って言いたいけど言っていい?」

「言ってるようなものじゃないですの。それにわかってますわよ」


 前を向けばエリエスは執拗にガルージンの手足を狙っていた。

 繰り出される拳や剣を冷静な瞳で観察し、紙一重で避けつつ拳で殴りつけている。


 エリエスの近接戦闘技術がガルージンよりも優れているわけではない。


 己の組み立てた戦術に対して、一切の恐怖がなく、退くことがないからだ。

 ガルージンが無意識に出すフェイントや視線誘導にも引っかからないのも有効に働いている。

 思いっきりが良すぎて、逆に当たらないのだ。


 そして、リリーナがサポートとして優秀すぎた。


 ともすれば練兵として数えられるくらい巧みだった。

 ガルージンがエリエスに拳を振るえば、その斜め横からガルージンの足を蹴る。

 その蹴る位置もいちいち正確で、間接部を狙ってくるのだ。


 脱力した足と振りかぶられる腕。

 この場合、どうなるかというと体勢が崩れる。


 その崩れている内にエリエスが近づいてきて、容赦なく蹴りを入れようとする。


「アレで仔兎とか、ないわ」


 【仔兎のグリーヴ】。

 強化するのはもちろんのこと、蹴りが当たると同時に爆発するので始末に負えない。

 ヨシュアンのネーミングセンスを疑ったマッフルだった。


 強烈な一撃を持つエリエスに合わせて、リリーナはサポートに入る。

 徹底的にガルージンを邪魔するスタンスだ。

 離れたら術式、近寄れば強烈な一撃、牽制はリリーナが完封、ほとんどガルージンは詰んでいるようなものだ。


 それも今だけだ。


 リリーナはともかく体格的にスタミナのないエリエスは、涼しい顔をしていても汗が出ているのがこちら側からでもわかる。

 体力はすぐに尽きるだろう。


「ファスリンも準備、できてる」

「む? 妾は大丈夫じゃが、本当に補助をセロだけに任せて良いのか?」


 アルファスリンに頷いてから、セロを見る。

 セロは元来、戦闘には向かない性格だ。

 戦闘を見るだけでも表情が歪む。


 それでもセロは我慢して、前を向いている。

 いつでも仲間を守れるように物理結界を作る機会を伺っているのだから、クリスティーナとマッフルは押し黙る。


 いつからだろうか。

 庇護の対象として見ていたセロをちゃんと仲間として扱うようになったのは。

 クリスティーナやマッフルができないことをし始めたのは。


「大丈夫。セロはできる子ですわ」


 成長の兆しを持つ仲間を足手まといとは思わない。

 特にクリスティーナは安心してサポートを任せていられる仲間として扱っていた。


 クリスティーナが前衛に集中していればセロは守れる。

 そして、そんなセロがクリスティーナを守ってくれるなら、それはとても良い関係だと素直に感じていたからだろう。


「次の暗転で、決着をつけますわよ」


 クリスティーナの一言は皆の総意だった。


 そのときが来るまで、クリスティーナとマッフルは息を整える。

 体を巡る疲労回復薬の効果もあって、二人は急速に力を取り戻しつつあった。


 ※


 体育の授業は半分が筋トレ、半分が練習試合だった。

 騎芸のような特殊な授業は稀で、練習試合のバリエーションだけは豊富だった。


「ひぅっ」


 容赦なく丸太のような腕がセロの頭の上を通過する。


 こうした個人戦は当たり前で、時には多対一、一対多、多対多というようなものも含まれる。

 その中で生徒たちにもっとも恐れられているのが一対一。


「恐るな! 前に向かっていかんと殺されるぞ!」


 ただし、相手はヘグマントだ。

 ヘグマントの叱咤と同時に繰り出される一撃は、セロだけではなく、多くの年少組の恐怖だった。

 セロの場合、恐怖どころの問題ではない。

 寸止めされないと死んでしまう。

 冗談ではなく、授業の初期の頃は寸止めで気絶したことすらあった。


 パクパクと口は開けど言葉は出ない。

 その状況にヘグマントは鼻から息を出した。


「セロ! 何が恐ろしい。痛みか? 俺か?」


 全部とは言えないセロだった。


「どれも取るに足らん! 真に恐るべきは己に負けることだ! 恐怖から一歩足を進めてみろ! その分だけ新しいものが見える!」


 言われてもわからないセロは目を白黒させる。

 仕方なくヘグマントはゆっくりと地面にドカリと座る。


「……むぅ。まず前に出る理由を説明してやろう。【支配】はわかっているな? 相手を知り、主導権を握る。そして、もう一つ、極意がある。主導権を握り続けることだ! 元よりな、武術というものは相手を圧倒するために作られている。退がることは構わん。それは身をかわす手段だ。だが、お前のソレはただの恐怖からの逃げだ」


 あまり長々と喋るのがムズ痒いのか、ヘグマントはそっと顎をさする。


「それでは主導権を握り続けられん。そして、こうした事を身体で理解しなければ、急場では役に立たん。もしも、どうしてもできないというのなら、できないなりに別の手段でその位置にまでたどりついてこい」


 その後、術式有りの試合でヘグマントは驚くことになる。

 勇気を出して物理結界を張ったら、寸止めできず、思いっきり物理結界と拳がぶつかってしまったのだ。

 その大きな音にセロが驚いて気絶したのは、まぁ余談だったのだろう。


 ※


 【巻き舌】は封印された。

 敵の引き出しの多さに惑わされたのも事実だ。


 しかし、もっと苦しい状況は何度も体験してきた。


 ガルージンには敵よりもずっと長い間、鍛えてきた自負があった。

 自負はそのまま彼の実力に直結していた。

 エリエスの足の危険性にいち早く気づき、決して当たらないように立ち回ったのも、リリーナの牽制や隠形からの攻撃を察して、なんとか避けていられるのも経験から裏打ちされた、たしかな実力の成果だった。


 それでも敵が多様な攻撃手段や発想を持っていることには素直に舌を巻く。

 これが他国の政策によって生み出されたものだと考えると正直な話、敵対して良かったとさえ思う。


 法国が強くなるためには、他国が強くなってもらっては困る。

 三十名もの特殊兵の内、五名を抹殺できる機会なんてそうそう訪れるものではない。


 理解はしている。


 現状の法国がリスリア王国と共同歩調を取っていることも。

 そして、己の行動が法国そのものに刃を向けていることも。


 理解していても止まらないのが感情だ。

 そうしかできない己の生き様に是非はない。

 その不格好な生き方しかできなかったからこそ、今がある。


 否定をしても仕方がない。


 同時に感情に任せ、全てを衝動のまま壊すことは甘美だった。

 憎々しいヒトの子とは言え、相手を滅ぼす過程で発生する暴力の行使がどうしようもないくらい気持ちを高揚させる。


 原始本能に身を任せ戦う有様は正しくヴェーア種そのものだ。


「―――ッ!!」


 己でも何語かわからない叫びを上げて、腕を振るう。

 その先はエリエスだ。


 だが、当たらない。

 髪の毛のいくつかを巻きこんだだけで本身に当たる気配もない。


「……貴様ぁッ!」


 原始本能が叫ぶ。

 攻撃しても当たらないことがイラだって仕方がない。

 沸騰した頭でも、敵の観察は続けているので、どういう理屈で避けられているか理解しているつもりだ。


 それでも、その冷静な瞳が視界に入る度にイラつきは増す。

 まるで己の不明を叩きつけられているようで腹が立つ。


 そして、エリエスばかりを狙えばリリーナがいつの間にか風の糸をガルージンに絡めていた。


 頑丈なヴェーア種の毛皮は風の糸で切れるようなことはなかったが、一瞬、身を封じられてしまう。

 そして、とうとうエリエスの【仔兎のグリーヴ】がガルージンの腹に突き刺さる。


 弾ける重さに、口から血が吹き出す。

 内臓の一部を損傷したようだが、それでも問題なかった。


 蹴り足が伸びきった瞬間、風の糸を引きちぎってエリエスの足首を掴む。


「まずは一匹――!」


 思いっきり逆さに吊り上げ、地面に叩きつけようとした時、細い腕が首に回された。


 その瞬間、ガルージンは憎悪を忘れた。


 しっかり踏んでいた大地がなくなり、腹筋に絞められていた胃が浮き上がり、攻撃も防御も忘れて、ただ地面に背中から叩きつけられた。


 驚くよりも先に何をされたかを理解した。


 後ろから首を引っ張られ、足を駆られ、腰で投げられたのだ。

 その上で首を折ろうと落ちてくる足を必死で避ける。


 まさかエリエスのサポートをせずに攻勢に回るとは思っていなかった。

 サポートに徹しているならエリエスを助けるために何らかのアクションを取ることまでは予測していたが、助ける素振りも見せずに追撃までしてくる。


 転がりながらも立ち上がると視界の端に映っていたのは、空中に舞うエリエスだった。

 拍子で離してしまったのだろう。


 しかし、そのエリエスが見えない壁にでも張りついたように、空中でピタリと止まった時、ガルージンは嫌な予感が背筋を撫でた。


「(まさか、あのガキが自分で助かることを予測していたのか)」


 物理結界がエリエスを受け止めたのだと理解する前にワイヤーがガルージンにまとわりつく。

 地に縛りつけられたまま見上げるリリーナは『してやったり』と言った顔だ。


「仲間を助けずに敵を討つ、貴様もまたヒトに染まったか」

「ん~、助けたでありますよ?」


 確かに叩きつけるのを防いだのはリリーナだ。

 だが無防備なまま、宙を舞っていたのも事実。


「アレ以上、助けるとエリリンは拗ねるであります」


 やる気のないような、どうしようもない様はまるで老成したような、無邪気なような、ひどく不思議な顔だった。


 ※


「発想が逆だ、バカ」


 ピシャリと教鞭で頭を叩かれ、マッフルは呻く。

 黒板に描かれた数式を間違え、間違った理由を聞いたところ、完璧な正論で返されたのはまだいい。


 ここでマッフルは屁理屈をこねてしまった。

 『方程式とか商人でも使わない』と言ってしまった結果が勇者の剣より鋭い目線だった。


「お前たちがしていることは目的のためではない。そも目的に必要な能力や技術をお前たちは明確に把握しているのか? 商人に必要な技術に本当に方程式が必要ないと言い切れるか? 使用できる場が来た時にお前たちが切り開く武器として、覚えるんだ。これは数学だけの話ではなく、全てに置いて言えることだ」


 マッフルの屁理屈が本当にそう思って言ったわけではないことくらい、シャルティアもよくわかっている。

 ちょうどいい機会だから言ったのも事実だろう。


「それが繋がって最終的に目的のためになる。想像つかないという理由で覚えることを諦めるな。やってやれないとは言わさないぞ」


 シャルティアの言葉は厳しいが、その言葉をちゃんと理解するまでにはまだ時間がかかる。

 それでも、シャルティアの言葉は生徒たちの胸に残る。


 例え彼女のことを忘れても、その意味は血肉となって生徒たちに流れ続けていく。


 ※


 クリスティーナとマッフルが先に前衛で身体を張ったのは情報を集めるためだった。

 敵の手札を明かすために二人は限界ギリギリまでスタミナを使い切った。


 次に続くエリエスとリリーナが安全にガルージンを捕獲できるよう、出来る限りを振り絞った。


 セロは可能な限り、危険な状況を阻止すること。


 それぞれはそれぞれの役割を果たし、十全に動き回れたと言ってもいいだろう。


 実際、生徒たちはよくやった。

 ルーキーですらなかった生徒が法国の正規兵士、それも精鋭でなる四聖団の一員を相手に捕縛まで漕ぎつけた。

 大金星と言ってもいい。


「るぅぉぉぉぉぉぉぉぉ――!?」


 風の糸とワイヤーにつなぎ止められていたガルージンは叫びながら立ち上がる。

 毛皮にワイヤーが食いこみ、ブチブチと皮膚とワイヤーが切れる音が鳴り響く。


 変化は一瞬だった。


 白目を剥き、毛が逆立ち、口角からヨダレをだらだらと垂れ流している。

 膨張した筋肉が血を大量に送り出し、真っ赤に染まる。


 理性を飛ばし、自身の肉体を強化する手段は多くある。

 薬物や訓練で自発的に成ることが可能だ。


 ガルージンが使ったものは後者。

 生徒たちも知らない支配――【狂支配】。


 そして、理解も瞬時だった。


 リリーナの脳裏にかすめるのは今までの戦闘の流れ。

 今までのガルージンは防御ばかり固めていた。

 防御技術の予測はもう慣れた。しかし、攻勢に出た時はどう予測するのか。


 偏った情報しか与えられていなかったことに気づき、リリーナは焦る。


 今、ガルージンを解き放てば誰かが死ぬ。


 危機感に煽られるまま、風の糸の術式を強く構成しなおす。

 巻きつけすぎたワイヤーが指に絡み、リリーナの指から血が流れても決死でガルージンを妨害する。

 

「―――ッ!」


 叫びと同時に、膨張した筋肉が糸を断ち切る。

 そうなれば解き放たれるのは暴食の獣だ。


 反動でバランスを崩したリリーナ。

 物理結界の中でようやく動き出したエリエス。


 この二人にガルージンを追いかけるだけの時間はなかった。

 彼女たちが唖然としている間にガルージンは地を駆けていた。


 クリスティーナとマッフルも慌てて、ガルージンを止めに入るがその速さに棒立ちのままだった。


 前衛全てが抜かれ、誰も声も出せないまま。


 ガルージンはアルファスリンの元まで辿く。


 アルファスリンが驚きの呼気を漏らすよりも先に――


「―――ッ!?」


 ――黒い拳がアルファスリンの腹部を貫いた。


 ※


「負けられない戦い、ですか」


 教室には珍しく神妙な顔をしたクリスティーナが、じっとヨシュアンを見つめていた。

 一方、ヨシュアンは『これは困ったな』という風に頭を掻いた。


 クリスティーナがこんなことを言い出す理由をヨシュアンは理解していた。

 遺跡事件で仲間を守りきれなかったことについて、今もどこかで自分を責めているのだろう。

 自主訓練もそうした気持ちの延長線にあることもわかっている。


 その上で『再び暴走しないようにどう教えるべきか』を考え、げんなりするヨシュアンだった。


「精神論みたいな話になってしまいますが、入念に下準備すべきですね。想定しうる全ての可能性に対応できるように、己の出来る全てを持って、常に挑むことを忘れないようにしなさい。必要なら予測を超えることも必要です」


 言われ、クリスティーナは困惑する。


「想像しなさい。予測を超えるという意味を」


 その身を持って守護の意志を体現するというのなら、己の持ちうる技術の何を使い――


「創造しなさい。予測を超えるという予測を」


 ――どんな想いを持って、技術の何を磨き、重ねていくのか。


「限界の一つや二つ、超えなさい。大丈夫です、負けられないのならそれくらいできるでしょう」


 彼女たちに語られた半年間の全ては、確かに意味があった。

 それぞれの能力は等しく結実し、そして、土をかぶったまま、小さく芽吹いていく。

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