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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第五間章
329/374

騒ぎ立てるもんでもあるまい

 フードの人物はクレーターからハインツ目指して、ゆっくりと歩いてきた。

 両手を広げ、まるで恐るものなどないかのように歩く様子は余裕とも取れたが、それをこう表現する者もいるだろう。


 まるで『捕食』するように、と。


 しかし、それも突然、引っ張られるように後十数歩の距離まで押し返された。


「ほう……、主ゃ、ずいぶん重いの」


 ハインツはいつの間にか拳を固め、軽く前に突き出す構えを取っていた。


 なんてことはない。

 ただフードの人物を正拳突きで打ち据えただけだ。


 ハインツの間合いは一足一刀では収まりきらない。

 悠長に構えていたフードの人物はすでにハインツの間合いまで入りこんでおり、何かする前に殴られただけだった。


「見た目よりこの通り、重い体質でね……、それよりもその型。たしか『疾打しっだ』。そう呼ばれている【我地】だったか。緑の内源素を打ち出す技術、そう記憶されている」

「まるで他人事のような言い方じゃの」

「元、他人事だ」


 訳のわからない言葉にハインツは眉を顰めるが、疑問はさっさと頭から追い出してしまった。

 わからないものを解明する気はハインツにない。


「【我地】という技術は面白い技術だ。通常、内源素を消費した術式は人体に大きな負担をかける。にも関わらず【我地】から構築された術式は内源素の消費を極めて少なくできる。代償として決まった型をその通りに動かさなければならないようだが――」


 黄色い歯を見せ、滔々と語るフードの人物。

 人体を破壊するような拳を受けても平然とする様はどこか悪夢めいていた。


「【我地】に関する情報は少ない。その使い手がわざわざ情報を提供してくれに来たのだからな」

「教えて欲しいのなら教えてやろうかの」


 ハインツは戦闘中にも関わらず構えを解き、両腕を組んで胸を張る。


「陽が昇る頃から落ちる頃まで型を始め、微動だにせんようになったら合格じゃ。二十年ほどやれば誰でも普通にできるぞ」


 それはもう普通とは言わないだろう。

 忍耐もさることながら肉体的にも人生的にも苦行だ。


「そして実戦にて二十年。これにて修めじゃ。次いで残りの人生、証果さとりに入る」


 ようするにひたすら鍛えて、鍛えぬけとだけ言われても言葉っ面だけなら理解できるだろう。

 『強くなりたいのなら苦しめ』と言っているようなものなのだから当たり前過ぎて『何を言っているんだお前は』と逆に問われるレベルだ。


「生涯、修行じゃ。簡単じゃろう?」


 そして、そこに込められた意味はもっと膨大だ。

 自らの体を壊しかねない苦労、そしてその強さを維持できる時間、一時の強さのために何故、そこまでの修練を続けるのか。

 レゾンデートルに迫るほどの疑問の塔、その全てに『修行を続ける』という選択肢で答えなければならない。


 それに対してフードの人物は低い笑い声で応えた。


「強さとは苦痛であるということだ」


 瞬間、迫ってきたフードの人物の拳をハインツは受け流し、カウンターすら入れる。

 鋼鉄を殴るような音、しかし、それにも意に介さずにフードの人物はハインツめがけ振り下ろすように拳を叩きつけた。


 その拳をハインツはすり抜けるように『逃げた』。


 そして、それは正解だった。


「アナタはそこまでの力を得るためにどれだけの苦痛を重ねてきた?」


 叩きつけた地面が陥没する。

 まるで攻城槌で叩きつけたような異音と共に砕ける石畳と大地。


「苦痛を重ねる度に薄皮を重ねるような強さを身にまとい、その力を持ってして他者に苦しみを与えてきたのだろう」


 破壊は風を撒き散らし、ハインツの頬を破片と共にかすめていく。

 その威力にハインツは笑みを浮かべた。


 重さは力である。


 何かが何かを動かす時に働く力は重たければ重たいほど強大だ。

 そこに速度や硬さが加われば想像絶する力に変わるだろう。


 大地が陥没するほどの重さ、ハインツの疾打を受けてなお平然としている硬さとタフネス、そして、それらを行使する筋力で叩けば当然、大地くらい砕けて当然だろう。


 問題はフードの人物の背丈だ。

 どれだけの重さを詰め込もうとも背丈という器以上は入りきらない。

 人が人である以上、肉や血の重さは決められていて上限値も自然に決まってしまう。


 その上限値を優に超す重量はもはや異常だ。

 それでも達人のハインツがウェイトを見誤ることはない。


 例え人に擬態していたとしても正確に敵の体重と威力を理解する。

 もはやそれはハインツの本能にまで昇華されていた。


 その拳が危険だと理解する前に行動してしまっている。


「その力、ホンの一時の苦痛で修められるとしたらアナタはどうする」


 悠然と振り向く異常。

 それにすらハインツは笑みを浮かべたままだった。


「そんなもの決まっとろう」


 それどころか確信を持ったまま、獅子のように体を沈みこませる。


「修行一筋じゃ」


 今度はハインツがフードの人物へと間合いを詰める番だった。


 すれ違いざまに放たれる連撃は愚挙であった。

 うっすらと出る湯気は圧縮された空気に拳を突っ込んだが故に起きた発熱だろう。


 熱だけに留まらず加速時に突き出される拳は容易に己の拳を砕く。


 しかし、放った拳は無傷。


 この愚挙に耐えられるだけの鍛錬をハインツはこなしてきた。


 【瞬歩】による速度、疾打による拳速、そして、それらの速度に負けないように鍛えられた剛拳は加速しながらの打撃を可能にした。


 当然、そんなものを受けてフードの人物もただでは済まない。


 いくら重たかろうとも肉と血でできた体ならばグチャグチャにされて――


「では、それよりも巨大な力だったとしてもか?」


 ――は、いなかった。

 フードは微塵に変わったが本人は健在であった。


「この体もまた苦痛より生まれたものだ。力を得るために途方もない拒絶反応を繰り返し、変質する体と神経が痛みを生み出した。成り立ちこそ違えど苦痛より成り立つものである。ではアナタのソレと私の力、どう違う? そして、どこで差がついた?」

「主ゃ、変わっとるのぉ」


 さすがのハインツも飄々と肩をすくめるしかなかった。


 上半身を露出させたフードの人物。

 その肉体はもはや人ではなかった。


 醜く体を這う肉の筋はまるで木々に寄生されているようでもあった。

 剥き出しの筋繊維に傷跡のように体中を走るひび割れ。尾骨から伸びる細い樹木のような尻尾。それは獣ですらない、ただの異形。

 しかし、双眸には知性の光があり、かろうじて人の精神を宿していることがわかる。


 この世のどんな種族にも似ない異形の人型がそこにいた。


「苦痛の量で強さが変わるというのなら、手段などはどうでも良いとは思わないか?」


 ゆっくりと片手を開閉する度に見えないはずの筋繊維がぬらりと動く。

 人が隠そうとしたものをまざまざと見せつけられる醜悪さがそこにあった。


「【嘲笑う緑石】が生み出したヒメーレの力……、異種生体合成技術を。どのようにして【嘲笑う緑石】が保有した技術を奪ったか聞きたくはないか?」

「あぁ! 思い出したぞ!」


 異形の怪人を前にしてもハインツはマイペースにポンッと手を叩いた。


「なんじゃったか忘れとったがアレか。ヨの字に真っ二つにされたあの小生意気なガキんちょのことか! となると主ゃ、アレの後継者か何かかの」

「いいや。彼は本質的に人の話など聞きはしなかったよ。ヒメーレの力にしても研究から生まれたのではない。彼がより美味いものを追及するために自儘に作り上げた異形の技術、いや、技術というにはあまりに構成されていない。言うならば――美術わざだろう」


 引き継ぐことを想定されていない技術は技術とは言わない。

 後継を作り、創意工夫され、そして、世に浸透するからこそ技術であり、個人が目的を達成するための手段や手法は正しく技とだけ呼ばれる。


「美術は引き継げない。ただ盗むのみ」


 技能を才能というのなら、引き継がせる術もまた才能だ。

 技と術にはそれぞれの才能が必要で【嘲笑う緑石】には術に対する才能の一切が欠けていた。


 故に怪人は盗むしかなかった。


「【嘲笑う緑石】を知っていたようだが、ところで知っているか異国の拳士よ。【嘲笑う緑石】の遺体がどうなったか、ということを。両断された上半身、その身体は一体、誰が始末したのだろう? 彼の身体ケーゼはどこへ消えた?」


 お互い戦闘への意思は絶えていない。

 その中で会話が続いても彼らは次の相手の行動を予測し、ジリジリと小さく動いていた。


「答えは私の胃袋の中だ」


 その言葉にハインツは首を傾げた。

 単純に知識や技術を盗むことと食べることが繋がらなかったためだ。


「当時の私は【嘲笑う緑石】に仕える従者だった。彼の所業を間近で見る者でもあった。細作としての意味合いもあったのだがね。彼はさほどそうした者に興味がなかったのか私だけではなく多くの細作を抱えていたよ。もっともそのほとんどが彼の胃袋に収まったと考えると私は幸運だったのだろう。あるいは彼は本能的に私に気づいていたのかもしれない。だから彼は私を食わなかった。結果、生き延び、そして【愚犬】が去るのを見計らい、私はその遺体をかすめ盗った」

「ほうほう、して、その心は?」

「私は食えばその者の記憶を奪うことができる」


 あっさりと答えを返されてもハインツは首を傾げたままだ。

 つまり、彼もまた本質的に人の話を聞かない類だったと怪人は気づかないまま、次の言葉のために口を開く。


「ヤツらは面白がって私の力を【悪食三昧メンシェンフレッサー】と呼んでいたか」


 【神話級】術式保持者。

 その【悪食三昧】はベルベールの持つ人の心を読む力と似ていて、別のものだ。


「さすがに遺体は戦闘の影響か痛みが激しく、引き継げた記憶は一部だけだったが、補完すればこうしてヒメーレの力くらいは再現できた。ちょうど協力者もいたことだしな」


 ベルベールは現在の感情とそれを呼び水にして連なる記憶しか読めない。

 一方、【悪食三昧】は体験や認識すら奪うことができる。

 もっともそのために必要な行為として、相手の脳を食わなければならず、死体からしか情報は得られない。


「なるほどの。よぉーく、わかった」


 大きく頷いたハインツは笑顔のまま間合いを詰め、怪人の頭をぶん殴る。


 怪人が吹き飛び、砦の塀に突き刺さる。

 老朽化していた塀はその衝撃で瓦礫の山となる。

 それでもすぐに怪人は瓦礫の山から姿を現した。


「この体はマーヴォックと呼ばれる原生生物との合成を基本としている。もっとも堅き亜竜と言われた耐久、力……、は?」


 とたん、怪人はぐらりと体を揺らす。

 膝をつき、自らの身に何が起きたのかわからず、そして、その異変を起こした相手をまじまじと見てしまう。


「ようするに戦いたいだけじゃろ」


 殴った拳を見せつけるように怪人に突き出す。


 浸透打撃というものがある。

 どんな物体も互いにぶつかるときにもっとも損傷を負うのは表面だ。

 この表面に加わる力を内部に浸透させ、炸裂させる技術がある。


 原理は極めて簡単で拳に『拳以上の』重さを加えるだけだ。それだけで人によっては何日も食えなくなるほど内臓にダメージを負う。


 その単純な原理に強波形ごと殴るという荒業は確実に怪人の内部に浸透し、炸裂したかのような感触を与えた。


「その身体を使ってどれくらい強いのか、知りたいだけじゃろ」


 相手が態勢を崩しているのに容赦するほどハインツは甘くない。

 怪人のみぞおちに蹴りのめりこませると、相手の体重などお構いなしにそのまま蹴り上げてしまう。


 宙に浮いた怪人にすぐさま跳躍し、追いつくと背後から腕を掴み、ひねりあげ、延髄に足を置いてそのまま地面に叩きつけた。

 衝撃で関節と延髄を破壊する高難易度の組み技だ。


 まるでギロチンのようなその技は【伽藍崩し】という。


 それも宙に浮いたままでやる技ではなく、元はカウンターで肩と延髄を破壊する技なのだがそこは応用したのだろう。

 そのせいでより凶悪になったのは言うまでもない。


「グチグチとぬかしよるわ。言いたいことがあるのなら拳で語らんかい!」


 首が地面に埋まり、力なく体をだらりとしている怪人にハインツは吠えあげた。


 打撃が通じない重さや耐久力があろうとも体の構造は同じだ。

 人の体をしている以上、壊し方は変わらない。


 そして、ハインツは誰よりも人の壊し方を熟知している。


 現に頚椎を砕く音を足裏に感じていた。


「後、悔……、するぞ」


 声を出せるはずはなかった。

 身動きなどできるはずがなかった。

 頚椎を砕くということはそういうことだ。


 それでも怪人は常識を突破して、身動きし、声を発する。


 だが驚きには値しない。

 長く闘争の場に居たハインツは知っている。


 骨が砕けようとも死を迎えようとも動く輩がいるということを。

 ありとあらゆる戦略を無視し、人体の限界を無視し、信念と意志だけで敵を滅殺する存在がいるということをよく知っている。


 それは何も特別なことではない。


 野生の生物は例え明日、死ぬ身であったとしても今日を生きることを止めない。

 苦痛に満ちた生であってもしがみつき、全力で生き抜いた後に倒れ死のうとする。


「傷つけ……、たことを」


 ソレに気づけたのはハインツだったからだろう。

 ふいに違和感を覚え、とっさにその場から飛び跳ねた時には遅かった。


 足元から何かが伸び、ハインツの足を掴んだ。

 ソレらは捕食するように取り囲み、巻きつき、すぐにハインツの姿は見えなくなった。


 ※


 マーヴォックという竜がいる。

 そいつは山椒魚のような顔をし、背の低い木を背負って、六足でのんびりと歩く竜種である。どこか愛嬌すら湧く風貌とは裏腹に危険な竜種として認識されている。


 彼らは肥えた森の奥底で『極めて小さな縄張り』しか持たない生物である。

 遠くから眺める分は何もしてこないが縄張りに侵入すると突然、その巨大な体躯で襲いかかってくる。


 しかし、それは危険ではない。

 彼らが背負う木――【白鹿樹】の硬さや重さもまた驚異ではあるが危険とは言えない。


「ぐ――ぐぐ……、一瞬でこれか」


 うだる熱に怪人は呻いた。

 折れた頚椎と肩を治そうと体が勝手に治癒を始めたのだ。


 それどころか再生部が肉体から飛び出し、瓦礫を飲み込んで巨躯へと変貌していく。

 明らかに制御しきれているとは言えない光景だ。


 マーヴォックの危険性。

 それは凶悪な再生力だ。


 彼らは傷つけられると即座に部位を再生してしまう。

 その力は四肢を引きちぎり、胴体を引き離しても優に再生してしまうほどだ。

 それだけならまだ強烈な再生というだけで済んでいただろう。


 周囲すらも巻きこんで我が物にしてしまえば話は変わる。


 植物、岩石、動物――そして人間も。

 全てを巻き込み、全てを部位にし、そして巨大化していく。

 魂の一雫まで再生に注ぎこみ、最後は排泄物として凝縮された毒が排出され、周囲を汚染する。


 彼らの自滅によって古くからある巨大な森が消滅したことすらある。

 それゆえに冒険者たちどころか騎士団ですら手を出さない。

 国すら忌避する再生と猛毒の木竜、それがマーヴォックだ。

 

「(……彼奴が尾で死んだ、となれば抑制剤を打てる隙がある、が!)」


 ハインツを飲みこんだものは地面に忍びこませていたマーヴォックの尾だ。

 それもまた再生の力で相手を飲みこむことができる上に、怪人が制御しやすい唯一の部位だ。


 排出することも可能だが、今はハインツを出す理由もなければ余裕もない。


 再生と肥大化しようとする部位が熱を持って怪人を苦しめているからだ。

 意識を失えば本能の塊となって全てを飲みこんで破裂してしまうだろう。余裕なんてものはこれっぽっちもなかった。


 侵入者が一人だとタカをくくった代償だ。

 ここまでやるとは思わなかったというのが本音だ。


 一方で怪人が相手にしなければ勝てない相手だというのもわかっていた。


 どこの誰の差し金か調べるには新鮮な死体を食うのが一番だ。

 そうした都合もあって簡単に姿を見せたが、やはり迂闊だった感は否めない。


 強さを経験で体感してこなかった怪人の弱さとも言えた。

 しかし、その弱さを露呈する隙も省みる時間もなかった。


 聞こえてくるのだ。


 大木のように巻きつく尾の内側からメキメキと嫌な音が漏れているのを。

 それは確実に大きな音となり、やがて胎動するように膨れ上がる。


「……化物か」


 尻尾の爆散と共に現れたのはやはりハインツだった。

 おそらく再生速度を越えて尾を殴り続けたのだろう。

 その無茶な行動の結果が両の拳につく血だ。


 だらりと力なく垂れ下がった拳はもう握れはしないと一目でわかる。


 それでもハインツの戦闘意欲は失われていない。

 いや、前にも増してギラギラとしているのがよくわかる。


「主ゃほどではないぞ?」


 今の怪人はもはや怪『人』とすら呼べないだろう。

 肩から伸びた一対の巨腕。背骨は肥大化し、体重を支えきれなかった足が折れ、それももまた再生を始めていた。


 その姿はなんというか『人の首から岩の鎧を着た巨人が生えている』ような形だった。


 不安定なバランスのせいで巨腕を地につけ、どことなく六足の獣のように見える。

 それは奇しくも本来のマーヴォックの姿によく似ていた。


「さて、ようやく楽しくなってきたの」


 不敵に笑い、ハインツは両足を大きく開き、腰を落とす。

 両手はもう使うつもりがないのか、だらりと下げて怪人を見やる。


「……もはや後には引けんか」


 抑制剤を取りに行くという選択肢はない。

 ハインツがいる限り隙を見せるわけにはいかない。

 

 一刻も早くハインツを始末し、抑制剤を打つのがもっとも良い方法だろう。


 最悪、体が元に戻らない可能性もあるがそんなことを気にして戦える相手ではないともう理解してしまっている。


 その理解と本能が怪人の意識とは無関係に巨腕を薙ぎ払い、地面をえぐり、瓦礫を吹き飛ばす。

 衝撃波すら伴う腕に常人なら逃げようとするだろう。しかし、ハインツは前に出た。


 真正面から堂々と踏みこみだけで衝撃波を打ち消し、巨腕をすり抜ればそこは怪人の間合いだ。


 お互い、目が合う。


 心底、楽しそうなハインツの目に怪人は戦慄する。


「キサマ――死ぬのが恐ろしくないのか!」

「死ぬも生きるもただ結果ぎょうじゃ」


 反射的に打ち出した拳はハインツの足によって止められる。

 反対に打ち出された蹴り足を怪人はその耐久力で受け止める。


 巨腕も含め、四つの腕で迫る怪人にハインツはたった二本の足で全てを制してしまう。


「むしろ死にもせずに何が戦士か」


 加速する二人の攻防。

 それらは部分的に音速を越え、打撃音と共に甲高い音を響かせる。


 その度に怪人の体のどこかが灼熱し、気が狂うような痛みを発する。


 苦痛がさらなる力を生み、強靭となっていくのがわかる。

 一瞬、一瞬に強大な力を得ていくような気がしてくる。

 振るう拳が熱を伴い、より速さを増している。


 意識はさらに鋭く、細く、目で追いきれなかったハインツの動きがハッキリと見えてくる。

 極限の苦痛の中で成長を実感していた。


 再生の苦しみと痛みがさらに怪人を強くしていた。

 とどまらない高揚感が苦痛を凌駕し、灼熱の血が持てる全ての力を上回り始める。


 その力が最高潮に達した瞬間、彼の拳が無防備なハインツの腹部に突き刺さった。


「―――ッ!」


 喉から出たのは一体、どんな音だったのか。

 喝采だったのか、それとも気合だったのか。それすら怪人はわからずに吠えた。


 この力で殴れば人間の体など粉砕されるだろう。

 予感よりたしかな感触は脳内に一つの文字を浮かばせる。


 勝利。


 そして目の前にある光景は確かにハインツを捉えて動かない。

 大地に足を埋めこみ、『悪魔のように歪む口元』も動きはしなかった。


「(――うごいていない?)」


 うっすらと疑問が浮かぶのと視界の外から怪人の顎めがけ何かが駆け抜けるはほぼ同時であった。


 ※


 怪人の再生力はさすがのハインツも肝を冷やしていた。


 何せ破壊する度に再生されていくのだ。

 場所によっては岩石すら吸収して、以前よりも硬くなって再生してしまう。


 一撃で仕留めようにも相手の攻撃は苛烈でハインツも中々、大技を出す暇がない。

 そんな灼熱の血と破壊の嵐の中でハインツに天啓が降りてきた。


「蹴飛ばした先から元に戻るんなら『元に戻るより先に壊してしまえば良い』んじゃ」


 シンプルな理屈だが再生のスピードを超えられるかどうか話は別だ。

 しかし、思いついたら懸念はしない。不安にも思わない。


 やるかどうかすら問題ではなく、やれない理由はどこにもないのなら『できないはずがない』。

 そんな無茶な理屈の上に建てられた、理屈ですらない何かだ。


 本能にも等しい思いつきに準じる覚悟はとうの昔にできている。


 足りないのならより強く、より速く。

 己の技術全てを費やして破壊を続ける。


 【剛体】によって強化された足と強波形による浸透打撃、疾打と【瞬歩】による速度。

 【導歩】によって相手の【支配域】を制し、相手の攻撃すら最適な形に作り直した。

 【我地】によって内部から肉体強化し、最適な力で最高の一撃を繰り出し続けた。


 しかし、それでも竜の力はなお強大だった。

 瞬時に腕を生やし、より強靭となって復活してしまう。


 やや人類としておかしい部分もあるがハインツも人間だ。

 このまま動き続ければやがて疲弊し、巨腕の餌食となるだろう。


 だからこそ人は知恵を使い、力の差を埋めようとする。


 しかし、ハインツは違う。

 力の差があるのならどうしたらいいのか。


 こう考える。


 力が足りない、と。


 ならばどこから力を捻出する?


「――苦痛で強さがどーのこーのと言っておったな」


 途端、ハインツの褐色の肌が明るい色に染まっていく。


 【凶化支配】。

 己の肉体性能を十全に引き出すだけに飽き足らず、十全以上に発揮する肉体支配の一つである。

 そのままであれば理性さえも消し飛び、目に映る全てを滅ぼすだけの存在に成り下がるだろう。


 しかし、それはあくまで未熟な者が使えばという前提だ。

 完全に支配された【凶化支配】は使用者に絶大な威力を保証する。


 その赤褐色の肌はどこか怪人が再生の力で赤く染まっているのにも似ていた。


「そんなものはのぅ」


 限界を越えた力が空気を薙いで、威力へと変わる。

 一打一打放つごとに鈍く、重く、言いようのない異音へと代わり、やがては濁った連続音だけが静かな砦を埋め尽くす。


 振り下ろされる巨腕を逸らしながら蹴り砕き、生えてくる先から蹴り砕く。

 足も腕も肉体も、潰せるのなら潰せる分だけ叩き潰していく。


 修羅のような戦闘。

 生粋の殴り合い。

 奇跡的にも彼らは拮抗していた。


 その吹きすさぶ血の嵐は必然、一つに集約されていく。


 血線を描いて放つ蹴り足を引き戻すハインツ。

 その血は全て『相手を蹴り砕いて』ついたものだ。


 逆に怪人が突き出している拳以外のマトモな部分はなかった。

 すでに吹き飛んで、右足など皮一枚で繋がっているような状態だった。


 力が互角ならばどちらが勝つのか。

 少なくとも今回は戦いに対するスタンスがそのまま明暗をつけてしまった。


 怪人は気づかなかったのだ。

 強くなっていたわけではなく、余分なものが減って身が軽くなっていただけだったということを。

 己の行動がどんな理屈の元で生まれているのか、ということを。


 怪人は気づかないまま拳を振るう。


 怪人の拳はハインツに当たる寸でのところで先に蹴り足が届いていた。

 カウンターで放たれた蹴りは怪人の胸に大穴を開け、しかし、すぐに再生をしようと肉が盛り上がってくる。


 だが、それで良かった。

 致命的な損傷から再生だけに集中しようとする、その一瞬が欲しかったのだ。


 足をそのまま大地にめりこませ、拳を握り締める。

 自らの握力で拳から血が噴き出そうともハインツは怪人だけを見据えていた。


 たった一打。

 そのために内源素は螺旋の陣を伴って内部からハインツの拳に集中する。


 黄の源素を多く巻きこみ、構築し、浮かぶ怪人の顔面めがけ振り落とした。


「おっんだ後に言わんかい!」


 甲高い破裂音と共に延長線上の瓦礫が全て空へと舞い上がってしまった。

 それどころかハインツが足場にしている地面すらもめくり上がった。


 これらは当然の現象だろう。


 【我地】ア号。

 部分的にヘイエルド・ウォルルムを再現する崩拳だ。

 雷の速度で拳を叩きつけるだけの単純なものだが、単純故に見て避ける、防御するなどの一切が無意味と化す。


 言わば『質量のある雷』が地面近くで炸裂したのだ。

 いくら瞬間的だったとはいえ、衝撃波による周囲の被害は甚大ではない。

 当然、そんなものの直撃を受けた物体は霧散する。それは怪人とて例外ではない。


 砦がまだ原型を留めているのが奇跡と言えたのだろう。


 空中で体を入れ変えたハインツは重力に引かれるまま着地し、破壊跡を見やる。


「そも強さなんてものはの。結果ぎょうの中にゃぁありゃせん」


 同時にその威力は使用者にも襲いかかるのだが、ハインツは五体満足のままだ。

 鍛え上げられた肉体を複数の技術によって強化したのはもちろんだが、もっとも大きいのは正しい型のまま放たれたことだろう。


 反発力を極限まで抑える形状、肉体にかかる負荷を余すことなく逃がす動き、戦場において一切、ブレることのない思想と集中力。

 そのどれもが技のために構築され、筋繊維一本に至るまで完全にコントロールしてようやく【我地】ア号に耐えうる技術と成る。


 未熟な者が打てば己も含め消滅必然の一打。

 そして、打たれた者もまた消滅必然の一打。

 

「己が生き様ん中で『強いとはなんぞや』と言い続ける程度じゃ。それで一端、それでも切れ端じゃ。主ゃ良かったの。一足先に答えのない答えに辿りつけたぞ?」


 珍しくシニカルな笑みを浮かべ、荒れた息を整えると宙空に目線を彷徨わせる。


 そこにはもはや何もない。

 巨大な破壊跡を残すのみで誰も返答など返しはしない。


「そういえば道を知りたかっただけなんじゃが誰ぞ残っとるかの? またさっきみたいに戦いになると今度こそ潰れてしまうぞ?」


 まだ残っていた主塔を見上げ、なんとはなしに足を進めるハインツだった。


 ※


 それらの話を極めて大雑把に聞いたウォルカーは初め、ハインツを疑った。


 洗脳実験体を瞬殺し、あろうことかこの砦の主を拳だけで打ち倒したというのだ。

 ひょっこりと出てきたハインツに成せることかどうか材料が乏しくて判断が下せない。


 効率の上がらないウォルカーを騙すために新しい人員を用意したのではないかとさえ思ったが、そんな疑いなどハインツに背負われて外の景色を見た瞬間、全て吹き飛んだ。


 周囲は凄惨な有様だった。


 砦の塀は戦闘の余波で倒壊し、見晴らし台は完全に消滅してしまっている。

 主塔に至っては何故か傾き、その頂辺まで血の色がこびりついている。

 地面は穴ぼこだらけ以上に壮絶だとわかる。何故なら、地面の半分くらいがもうドス黒い赤なのだ。


 一体、何千人殺せばこんな血の量が流れるのか考えもつかない。

 ここで戦争が起きて、ウォルカーの気づかない間に戦争が終わったとさえ考えたくらいだ。


「……そうだ。彼が何者だったか知らねばならない」


 慣れ親しんだ血の匂いに懐かしさを覚え、ウォルカーは顔を背ける。


「強者だったと覚えておけばそれが手向けじゃろ」

「彼がたった一人で魔薬を広めているとは考えにくい。背後に何かしらの組織か、あるいは彼に命令していた者を少しでも掴み、国に伝えれば魔薬を広げる者が一人でも減るだろう」

「そんなもんかのぉ。さて、ランスになんと言えば良いもんか」


 ぼんやりと誰かの名をつぶやくハインツにウォルカーは知り合いの騎士なのだろうと勝手に結論づけた。

 それがこの国の主の名前だとウォルカーは夢にも思わないだろう。


 ウォルカーを背負ったままハインツはのんびりと、しかし、力強い足で主塔に向かう。

 ウォルカーの指し示す通り、怪人のねぐららしき頂上までゆっくりと進む。


 かつてそこは古兵士の指揮官が執務をしていた場所なのだろう。

 今では見る影もないほどがらんどうの部屋がポツンとあるだけだった。


 可能な限り証拠になるものや手がかりになるものを残さなかったのは万が一、己が滅びた時のための保険だったのだろう。


 それでも数少ない荷物から、彼が本当に【悪食三昧メンシェンフレッサー】と呼ばれていたことを示す書きかけの書類と砦の周辺地図、何も書かれていない羊皮紙が数点、そして『六本足の異形』が描かれているエンブレムがあった。


 ただそれだけだ。

 あまりにも何もなさすぎて情報のあるなしよりも違う部分が気になってしまった。


「人は善なるものでもなく、強いものでもない。生命は悪なるものでもなく、弱いものでもない」

「とんちか何かかの?」

「かつて私が師に問われた時の言葉だ」


 どうしてそんな言葉を今更、思い出してしまったのか。

 ウォルカー自身もよくわからない。


 ただ今回のことを思い返すとどう言っていいかわからず、似た言葉を過去から引っ張り出しただけなのだが、改めて考えるとその思想は自らにも根付いていることに気づく。


 何故、あんなにも人が救いたかったのか。

 何故、人を救おうとしたあまり道を踏み外したのか。


 全ては気難しかった師から始まっていた。

 その師すらももっと昔に誰かに何かを伝えられ、そうして言葉として紡いだのだろう。

 そして、ウォルカーの先には息子とリィティカがいる。


 あの二人もまた自らの思想を引き継ぎ、紡ぎ、繋いでくれている。


「人は簡単に悪に落ち、力をもって誰かを傷つける。振りかざしたその手を止める手がないのだ。その弱さをどうにかしようとして私は薬学の徒となった。何故なら薬はそんな弱さを埋め、紛らわし、時には相対させてくれるものだからだ」

「そんなもんは片手で拍手するようなもんじゃろ」


 今一つ要領の得ないことを言うハインツ。

 その返答の意味はわからないが意味がないとは思わず、ウォルカーは頷いた。


「彼にはそうしたことを伝えてくれる人がいなかったのだろうか。それとも、そうしなければ生きていけなかったのか。そして、何か伝えたいこともなかったのか」


 彼には疑念や警戒心こそあったが何故か悪感情だけは抱かなかった。


 アルベルタとの因縁で拉致されたことと逃亡抑止に足の腱を切られたこと以外は真摯に取り扱っていたようにも思える。

 そもそもメンシェンフレッサーが人の記憶を奪う能力があるのならば、拉致する必要もなかっただろう。


 それが技量までは盗めない力だったとしても、ウォルカーの意見を聞き、出来る範囲で要望を聞いていた。

 そうでなければ機材を理由に遅れを許すようなこともなかっただろう。


 それはまるで研究というものに対して真剣な気持ちがあったように見えた。

 職人であるウォルカーにはそうした気持ちがわかる気がして、痛む足を地につけ、その冥福を祈った。


「そういや腹ぁ減ったの。爺様もそろそろ飯にせんか?」


 そんな小さな共感などお構いなしにハインツはわずかにある適当なものを弄っては壊すを繰り返していた。

 貴重なものもあるかもしれないと注意したかったが、しかし、本当に重要なものかと言われると判断もつけられない。壊したとしても元はメンシェンフレッサーのものだ、注意する権利すらないのだ。


 結局、ウォルカーは黙認することにした。


「……地下に食料庫があったはずだ。一度そちらに」

「ほうほう。ならそいつと雉をさばいて豪勢にいくと……、むあ!?」

 

 ハインツが珍しく叫び声をあげる。

 懸命に手を腰にやり、目当てのものがないことに慌てる。


「なんと……、戦いの最中に落としてしもうたか」


 雉が入っていた革袋が紐からぶつりと切れているのに気づいて慌てて窓から身を乗り出す。

 そこには自身がやらかした破壊跡しかなく落胆するハインツだった。


 そんなハインツを横目にウォルカーは手元の資料を見やる。


 手にある証拠はどれも頼りなく、国がどこまで信じて捜査してくれるかわかったものではない。


 最悪、ウォルカーの経歴を全て国に話してでも信用してもらわなければならない、と別の覚悟が必要だとわかったくらいだ。


「しょうがあるまい。雉は諦めるとするかの」


 主塔の窓から見える森。

 その梢の先に肌色の雉が走っていったように見えたハインツだが、これも縁と思い、鳴る腹を一撫でするだけだった。



 腹ごしらえの後にウォルカーを背負い、森を再び歩き始めたハインツは陽が傾き始めてようやく思い出したかのように口を開いた。


「ところで爺様よ。王都にゃどうやっていけばいいんじゃ?」


 今まで知らずに歩いていたのかとウォルカーは思ったが、あえて言わないようにした。

 ウォルカー自身、ここがどこなのか知らずに連れてこられたのだ。

 それでもウォルカーが住む西部の領地から竜車で一日の距離だ。何か特徴さえあれば、なんとなく位置がわかるつもりだった。


 幸い、周辺の地図は手に入れている。

 地理しかわからないお粗末なものだが『どの方角に進めばいいのか』くらいはわかる。


 それらを手がかりに今はこの、どこか間の抜けたハインツに全てを託すしかない。


「(思えば私は誰かに託してばかりだな)」


 自らの不手際がいつだって誰かに向く。

 だが、後悔している暇はない。


 もしかしたら【悪食三昧メンシェンフレッサー】に仲間がいたら報復としてウォルカーやハインツを襲いに来るだろう。

 唯一の戦力であるハインツは両手に包帯を巻いている。見かねて手当したものだ。それもすぐさま良くなるわけではない。


「王都までは私が責任を持って道案内をしよう。だが、そのためにはまず森を出なければならない。今しばらくはこのまま進んでもらうことになるが……」

「ほうほう。なら爺様の足をするかの」


 こうして異形の森を出る頃になって異変に気づく。


 森の外側で盗賊らしき連中が野営をしていたのだ。

 鉢合わせする前に気づいたハインツが彼らを偵察し、その情報をウォルカーに伝える。


「……心当たりがある」


 ウォルカーを誘拐した偽兵たちは【悪食三昧メンシェンフレッサー】の仲間というわけなく、利害関係にある外部組織なのだということはなんとなく予想ができていた。

 ただ、それもメンシェンフレッサーが偽兵を殺したことで関係は悪い方向へと変わってしまった。


 彼らはメンシェンフレッサーに報復へと来たのだろう。

 あわよくばメンシェンフレッサーの研究や資材を奪い、彼ら自身がメンシェンフレッサーの代わりになるために現れたのだ。

 そして、そんなことになればウォルカーは再び捕まってしまうだろう。


 予想が正しいかどうかはさておき、次の拘束主はメンシェンフレッサーより劣悪な扱いをするだろうとハッキリわかる。


 なんとか彼らに気づかれず大きく迂回すれば、と地図を見ても森の入口は盗賊たちが占拠して出るに出られない。


 二人は知らないがこの異形の森は入るのが難しいわりに出るのは容易い。

 しばらく森に隠れていれば盗賊たちは勝手に自滅するのだが、そんなことを知らない二人は、特にウォルカーはなんとかして盗賊をやり過ごそうと考えていた。


「そのうち彼らは森に踏みこんでくるだろう。それまでに私を置いて一人で逃げてくれんか? こんな異国で死ぬようなこともあるまい。そも私を連れていこうと思わなければ一人で逃げられたはずだ」


 諦めるつもりはなかったが、足でまといになるのならいっそのことハインツだけ逃がそうと思っていたのだ。

 もっともハインツはやる気満々だったのだが、そんなことは付き合いの浅いウォルカーにはわかりっこなかった。


「如何なる強者も数には勝てない。貴殿が優れた武芸者であることは知っている。だが、だからこそ誰よりも数の強さは身に沁みているだろう」

「ほうほう。何やら後ろからぞろぞろ来とるようじゃな。竜車が、ひの、ふの、みの……、わからん。まぁ今の半分かの。増援じゃ」

「はやく、ここから去りなさい」

「のう、爺様よ。主ゃ、何を言うとるんじゃ? 向こう側は平地じゃからの。もう少ししたら一斉に森に入ってくるじゃろうな。ならば今が一番の好機じゃ。ちょっと行ってくるけぇの。何、雉を捕まえるより簡単じゃ」


 そうして飛び出したハインツを最初こそ呆然として見ていたウォルカーだったが、すぐにゆっくりと立ち上がった。

 途端、足に走る痛みに座りこみそうになる。


 腰まで来る痛みに顔をしかめながらウォルカーはハインツの跡を追っていく。


 足でまといなことくらいわかっている。

 救われた命を無碍にしても意味がないことも知っている。


 正解はここでハインツを待つことだ。


 それは揺るぎない真実で、決して間違いのない答えなのだろう。

 だが、その真実がハインツの命と引き換えならどうだろう?


「もう二度と私のために犠牲を強いるわけにはいかない」


 痛み続ける足を無理やり動かし、ウォルカーはハインツの跡を追った。

 

 それはもはやある種の強迫観念みたいなものだったのだろう。

 突き動かされるように這い、枝葉を払って騒がしい光へと向かう。


 カーテンのように垂れ下がる蔦を開いてウォルカーの目に飛びこんできたのは――


「――おぉ」


 ――騎士と盗賊とハインツが暴れまわる戦争模様だった。

 個が集団を圧倒するという非現実であり、ウォルカーの常識にない光景でもあった。


 猛獣のように駆け回るハインツが動く度に血が舞い、人体が壊れていく。

 その一撃一撃が致命的で薬や技術ではどうにもならないとわかる。


 ただ、ただ、殺戮が繰り広げられる。

 騎士たちですらハインツの繰り広げる殺戮から距離を取り、敵を包囲しようと駆け回っているだけなのだ。


 薬では救われない者を量産する行為にウォルカーの背筋に冷たいものが伝う。


 どれくらい呆然としていたのだろうか。


 騎兵たちが賊たちの道具を検分し始めている脇をストレスでも発散したかのような朗らかな顔をしたハインツがいた。

 こちらに気づくと虎のような笑みを浮かべ、ウォルカーに近寄ってくる。


 その両足を赤く染め、歩く度に赤い足跡をつけていく。


 何かを問うべきなのか。

 あるいは責めるべきなのだろうか。

 その全て、ウォルカーには分不相応に感じ、自らの感じたことを捨て去る。


 それは言うべきことではなく、そして、伝えるべきことは別なのだ。


「……ハインツ殿。私は騎士に全てを話そうと思う」

「ほう?」


 ハインツはウォルカーの過去を知らない。

 ただ、その瞳に映る覚悟の重さを知り、腰を落とした。


「私には後ろめたさがあった。自らの罪が公になることを恐れ、その罪が二人の弟子に向けられることを恐れ、そして、今、この光景にすら怯えている」


 ウォルカーの視線の先は騎士たちに向けられていた。


「いつまでも逃げてはいられない。私一人で全てを精算しようと研究を続けてきたがそれがまた別の過ちを呼び、新しい災禍となるというのなら禍根そのものを治療すべきなのだ」


 何故、彼らがここにいるのかウォルカーにはわからない。

 低いと思っていた可能性が現実になったことで、それに賭けようとしたのかもしれない。

 奇跡を目の当たりにして罪を国に背負わせようとする弱い心からかもしれない。


「それは一人では限界があるのだろう」


 一人で戦うのも、一人で背負うのも老骨には厳しかったのかもしれない。


 それでも、ただの気の迷いとは言わないつもりだった。


「結果、この首は飛ぶ可能性が高い。現王権者の敵であったのだから。その時にリィティカや息子にまた重たいものを背負わせてしまうかもしれん。だが、その全てを必ず私だけに留まらせるようにだけするつもりだ。この背の荷物は誰にも預けられん」

「ほうか」


 今まで聞きに徹していたハインツが口を開く。


「なんも言ゃせんよ。大の男が決めたもんをぎゃーぎゃー騒ぎ立てるもんでもあるまい」


 その覚悟だけをそっと掬い上げた。


「王都までの道を教えるつもりだったがすぐに私は拘束されるだろう。そのときにハインツ殿を近くの街まで送るように伝えよう」

「気にせんでええぞ爺様よ。どうせ道中は一緒じゃ」

「……着いてきてくれるのは嬉しいが心だけ受け取っておくとしよう」

「む? 王都にいくんじゃろうが。違うか?」


 言われ、ようやくウォルカーはハインツの言いたいことを理解する。

 ようするに『国に申し立てするなら王都に行くのだろうから一緒についていく』と言っているのだ。


「一度、私はこの領地で取り調べされる。私が王都まで行く必要は――」

「騎士が動くような大事じゃったのなら必ずランスはこのことを知っとるじゃろう。爺様が覚悟を決めるような事柄じゃ。ランスは直接、聞きたがるに決まっとる。間違いない!」


 ハインツは何の根拠か理屈かわからない内に勝手に納得してしまった。


 それも少しすれば誤解が解けるだろうと思い、ウォルカーはそっと口を閉ざした。


 見上げた空には紫色と藍色のグラデーションが広がり、そろそろ陽が顔を出す頃合だった。

 そういえばここに至るまで落ち着いて空を見上げていなかったことに気づき、ウォルカーは小さく息を吐いた。


「爺様は弟子想いじゃの」

「――あぁ。私の魂を受け継いでくれる子たちだ」


 そろそろ夜が明ける。

 そして、この事件が遠く離れたリーングラードの地にどれだけの影響を及ぼすのか。

 この場にいる誰一人として予想もつかなかったのだった。

 

 ※


 ハインツとウォルカーが目元だけの仮面をつけたメイド服の少女に出会い、慌ただしくその場から離れる頃。


 森の茂みがごそごそと音を立てて揺れていた。

 そいつはひょっこり顔を出し、竜車の姿を見送ると再び森へと向き直った。


「クカーッ!」


 そいつはハインツに羽を毟り取られ、鳥肌を顕にしている雉だった。


 甲高い声で喉を震わせると雉は森へと姿を消した。


 今の彼はどの生物よりも脆弱だ。

 飛ぶ羽もなく、冬を凌ぐ羽毛もない。

 狼に襲われたら一瞬で餌となる以外の選択肢はない、そんなか弱い生命だ。


 自然はそこまで甘くはない。

 彼の死は絶望的でどうしようもないことだった。


 それでも彼の目はギラギラと輝いていた。


 おおよそ鳥類とは思えない、猛獣のような目つきを見て、果たして誰が彼をか弱いと思えるだろうか。

 例え彼の向かう先が異形たちの犇めく森だったとして不安に思うだろうか。


 少なくとも彼はまだ生きることを諦めていないようだった。


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