口づけもまだなのに
その日の朝。
学園の前に調査隊が整然と並んでいました。
これから【宿泊施設】奥の森――西側の遺跡へと向かう前に学園へと『分かる形で見せる』のは通過のための儀礼的な挨拶と、本来なら最初の時点で行われなければならなかった国政施設への滞在許可のためでしょう。
何故、この出発前に儀礼的な話を持ち出したかですが、つまるところ仕切り直しの意味合いが一番なのでしょう。
ガルージンの件はお互いに不慮の事故であり、確執は持ち合わせないという暗黙の了解を周囲に知らせるためです。
あの決闘で調査隊が出した結論のようです。
後の外交に響かず、臭いものには蓋をする行為ですが、面倒になりたくないのはやっぱりお互い様なのでしょう。
「神務代行ヘルメ=フィリネ・パルミドーヴァ・ユーグニスタニア様より貴園へと三国協定により定められし上級魔獣出現に伴う調査要請を認めたものである。多方の事情により四聖団が代表アルファスリン・ルーカルバーラ・ユーグニスタニア様に代わりアンドレアス・フリアグルが授ける。慎んで受けられよ」
アンドレアスさんが胸を張りながら、綺麗な書簡を神官に手渡し、アレフレットが受け取ってから学園長の手に渡されました。
本当ならこの役目はアンドレアスさんではなくアルファスリン君の役目なのですが、あの子は今は生徒の身分ですからね。
『学園生徒は在学中、ありとあらゆる身分から解放され、学園に帰属する生徒として過ごす』という学園の規則を調査隊が尊重した結果、アンドレアスさんが代行を勤めています。
そこまで徹底しなくとも、とは思いますが、調査隊にとってはけじめなのでしょう。
「拝領しました。こちらはランスバール・シュバルツ・アインデンスト・ヒア・トール・リスリア陛下より賜りし書簡にございます。お納めください」
これまたアレフレット、神官経由でアンドレアスさんに手渡されました。
それぞれの書簡には儀礼的な挨拶から始まる色々が書かれているのでしょう。
その中身を簡単に言うと『調査のために通るけどいい?』『OK。どんどん通りなよ』です。
これだけで言い表されるのなら口約束でもいいのでしょうが、大人には手続きが必要になります。
その多くは後に問題を起こさないためのものなのですから、慎重にもなります。
やがて鋼鉄の音を響かせ、七不思議花畑へと向かっていく姿は雄壮なのでしょうが、あそこがレギィのせいで生まれたと思うと自分にはシュールにしか見えませんでした。
さて、こうした事務仕事は終わり、自分たちは通常の学び舎に戻ってきました。
実はこの時、インガルズさんとアンドレアスさんは自分に一言、声をかけていきました。
「くれぐれも姫様を頼む」
「姫様はやんごとなき身分の方。どうか、どうか、その玉の肌に傷をつけず、心を羽のように軽いままで勉学に打ちこめるように――インガルズ殿? まだ話は終わっていないがどうして私の腕を掴んで、引きずっていくのだ」
「次に会うのは調査の時か。また会おう」
目の前でいともたやすく連れていかれるアンドレアスさんたちもまたシュールな光景なのでしょう。
しかし、なんとなく含むものを感じたので職員室に帰ってからシャルティア先生に相談して見ました。
「今までの行動からお前の行動原理を読まれてるぞ。下手に手を出すよりも生徒という立場でお前の近くに置いておけば、絶対にお前はアルファスリン姫を守ろうとするだろう? それが例え、私たちが相手だとしてもだ」
ジト目と共に言われたのでグウの音も出ませんでした。
インガルスさんたちがどういう見解の下でそう判断したか、聞きたくありませんね。
自分の不明を突きつけられるのはしばらく無しにしてもらいたいものです。
代理の道案内もなんとかジルさんに頼むことができ、調査隊も道案内さえできればいいと言ってもらえました。
もちろん後日、自分とアルファスリン君が遺跡に向かう予定に変わりはありません。
これも一つの疑問ですが、遺跡への出発順をズラすという、こっちからの提案に素直に同意したのは一体、どんな判断だったのでしょうか。
アルファスリン君絡みだということは間違いないのでしょうが、安全だからというのは少し理由が足りていないように感じられます。
調査隊の一部がまだ学園前の謎広場に逗留しているところを見ると、なんらかの懸念が残っているようですね。
この辺はインガルズさんたちによる氏族同士の微調整が原因だと睨んでいます。なので当面は無視、あるいは気にする必要はなさそうです。
「しかし、まぁ……、散らかしましたね」
今日も授業に向かうために廊下を歩いていると、この光景に目を覆いたくなります。
廊下に並べられた、物、モノ、もの。
たった一週間とちょっとで、よくもまぁここまで並べられたものです。
文化祭準備中で時間が足りないから掃除が最低限になってしまうのは仕方ありません。
先月が清掃月間だったのも合わせると余計に酷く感じてしまうだけです、きっとそうです。
調査隊が出発したということは、もう文化祭開幕まで間近だということです。
居並ぶ道具たちのほとんどに共通点があります。
部屋の中に入れておくと匂いの元になる絵の具箱、置く場所がない大道具、特に場所を取っているのは舞台の飾りなどです。
これは生徒たちの催しが観てもらう出し物中心だからです。
それぞれのクラスが決められた時間内で出し物をしていく形式なので、時間を有効活用するのなら演劇に代表されるような『観るものや感じるもの』に偏ってしまうのもわからなくもありません。
もっとも当の本人たちはそんなことを気にしている余裕はないでしょうね。
「さて、今日も先生は放課後に用事がありますので手伝えません」
教室に入ってすぐに言い放ったら、生徒たちからブーイングが飛んできました。
「打ち首じゃ! 打ち首にしてくれるのじゃ!」
お姫様が非常に恐ろしいことを口にしてきました。
権力がある分だけ冗談に聞こえません。
「先生はクラスに協力しようという心がけはありませんの!」
「決闘終わったんなら、こっちも手伝ってよ」
机に張りつきながら不満をぶちまけるクリス&マッフルコンビの言いたいこともわかりますが、先生も断腸の思いなんですよ。
エリエス君ならわかってくれますね?
「……先生。北の湖は今、葉が赤くなり、とても賑やかです」
エリエス君の瞳は未だかつて見たことがないくらい巨大な『不満』が渦巻いていました。
それはアレですか? 先生を埋めようとか考えていませんか?
エリエス君は最初から目的のために手段を選ばない部分がありましたが、ここんところ、別の意味で手段を選びませんね。
「エリエス君。君が初めて作った脚本で、舞台に力を入れているのはわかっていますがやむを得ない事情です。具体的には君たちの危機管理に関わることなので先生も本腰を入れなくてはいけません。一応、先生は調査隊が帰ってくるより前には帰ってきますので、それで許してください。ちょうど文化祭前日ですね」
具体的と言っておきながら詳細を語らない自分は少し、腹黒かったかもしれません。
「なんで調査隊が来てから先生、忙しそうにしてるわけ? 調査隊が理由ならもう調査しに出かけたじゃん。先生も後からファスリンと行くなら今日、暇じゃん。危機管理って何さ」
マッフル君の問いに大量殺戮兵器を取りに帰るから手伝えないとは言えません。
困りましたね。
生徒たちも別に先生を困らせたいからではなく、純粋に文化祭準備や劇の完成度を高めたいと考えてるから、手助けを必要としています。
「ダメな先生でリリーナたちは苦労するであります。渡る世間は大人の暴虐ばかりなのであります」
リリーナ君はセロ君を抱き寄せて、肩を震わせ泣く真似をするのを止めなさい。地味に響きます。
ほら、セロ君がきょとんとしていますよ。
絶対、意味がわかっていません。
「わかりました」
本当のことが言えないのなら、せめて納得させる努力はすべきですね。
「エリエス君とセロ君は以前、先生と一緒にお風呂作りの材料調達に出かけたことがありましたね。その時、魔獣が出てきたと思います」
その時、魔獣が出た周辺は原生生物や動物がいなくなると言ったはずです。
二人は覚えていたのか、小さく頷きました。
「この辺は文化祭が終わったら調査隊が特別授業をしてくれる運びです。魔獣の危険性を授業するんですね」
「もしかして、また出てきますの?」
遺跡事件の時、クリスティーナ君も怖い思いをしたので不安なのでしょう。
「いえ、出ないようにするために調査隊が向かったのです。ともあれ、魔獣がいると原生生物や動物は出てこないのですが、その性質の他にもう一つ、自然の現象が絡んできます」
魔獣が出て、空っぽになった縄張りがあるとしましょう。
その魔獣が退治された後、原生生物や動物たちは縄張りに帰ってきます。
この帰ってくるのが問題になります。
「空白の縄張りに本来、いないはずの動物や原生生物が紛れこんだりします。なんらかの理由で放浪している狼や竜脚類、時には獰猛な生物が縄張りを主張し、周囲の生態系を荒らすことがあるんですよ。今回の魔獣は強力な種類だったため、大きな空白が出来てしまいました」
その結果、危険な原生生物が寄ってきやすい状態になっています。
こればっかりは調査隊でもどうにもできません。自然の結果ですからね。
「君たちが生徒会活動を健全に行うためにも、森を色々と調べなければなりません」
「それって今しなきゃいけないの?」
「残念ながら、初期調査は絶対です。定期的にやっておかないといけないことです。冒険者たちは気にしなくていいでしょうが君たちや先生たちはリーングラードに住んでいるのですから、確認調査は必要です」
一応の筋は通したつもりです。
食ってかかる形で前のめりだったクリスティーナ君とマッフル君も少し、背もたれに体重を預けました。
本来は守衛たちの仕事なのですが、マッフル君は守衛の仕事範囲を知らないために首を傾げながらもひとまず矛先を下げたようです。
「疑うようでしたら魔獣に詳しいアルファスリン君に聞いてみなさい」
間違いではないので、ここはダメ押しの説得です。
忘れがちですがアルファスリン君は教会の元締め――神務代行の正統な候補ですから、魔獣関係の知識なら自分よりよく知っていると思います。
「うむ。そうした話はよく聞くのじゃ。しかし、それは地域調査官の――」
「というわけでわかりましたね? 先生もこう、文化祭を手伝いたい気はあります。もう徹夜してもいいくらいです。しかし、どうしてもやらないといけないわけです。大人は悲しいですね」
「――喋ってる途中じゃろ!」
プンスカと頭から煙を出すアルファスリン君の頭を押して、余計な口を塞ぎました。危ないところでした。
「それに無闇に角に触るで――にゃうんっ!」
なんか変な声を出しましたよ?
あまりの出来事に手を離しました。
プルプルと肩を震わせながら涙目になるアルファスリン君。
その様子にだんだんと周囲の視線が冷えていくのがわかります。
「婦女子の角に触るなんてどういう了見ですの! 先生! 見下げ果てた変態ですわ!」
「うわぁ……、生徒の角に触るとか先生、引くわ」
「待ちなさい。角ってそういう意味なんですか? というか君たちはヒト種で角はないでしょ? その気持ち、わからないでしょう?」
なんで、いきなり同調できるんですか。
アルファスリン君を安心させるようにクリスティーナ君とマッフル君が両側から抱きしめます。
その行動にアルファスリン君は顔を俯かせて、何かをこらえるように小さな手を握りしめていました。
通常、角は極めて感覚の鈍い構造です。
骨に爪などの硬質化した皮膚が張りついたものなので、感触や痛みなどに鈍いように作られています。
そんな性感帯みたいな敏感な神経はない――あ、そういえばこの子の角、触った時に温かかったですね。しかも、薄皮を纏っているところを見ると、もしかして神経、通っていますか?
「先生は公衆面前で生徒を辱める天才でありますな。セロリンも気をつけるでありますよ」
「……せんせぃ」
何が一番、堪えたかというとリリーナ君の悪い笑みではなく、セロ君の憐憫の目でした。
こうなったら救いはエリエス君しかいません。
そう思い、目を向けてみるとエリエス君だけは無反応かと思いきや、手帳を開き、何事かを書きこんでいます。
「……有角人種の角は敏感。先生、質問があります」
「先生が質問したいところですが、はい。聞きましょう」
「もう少し反応を見たいので、もっと触ってみてください」
「それは質問ではありません」
敵しかいませんでした。
「うぅ、口づけもまだなのに、角を触られたのじゃ……。妾はもうどんな顔で嫁にいけばいいのじゃ……」
そんなに大事な部分なら帽子でもかぶってなさい。
「アルファスリン君。触ってしまったのは申し訳ありませんがアレは不幸な事故です。わかりますね? 先生にも知らないことくらいあります。えぇ、大丈夫ですか?」
「文化祭の準備も手伝わんし……、手つきがやけに気持ちよかったし……、そのくせ全然、優しくせんし、そういえば最初に比べて容赦がなくなっとるし、文化祭の準備も手伝わんし、態度で示さんし妾はどうしたらいいのじゃ……」
文化祭の件を二回も言われたら、先生がどうしたらいいかわかりませんよ。
「わかりました。今日の術式の授業は座学を軽くやってから文化祭準備にしましょう」
「聞いたか皆の衆! 言質は取ったのじゃ! 今より練度を高め、必ずや四聖団をもてなし大歓声を我らヨシュアンクラスに捧げさせるのじゃー!」
アルファスリン君は突然、立ち上がり、椅子の上に立って演説を垂れ流しました。
北国のお姫様はたくましいですね。
ちなみに色んなツッコミは放棄しました。
それより先生は拳を鳴らすのに忙しいですからね。
悪ふざけをした前列三人に稲妻を纏うゲンコツで机と仲良しにしました。
しかし、勢いで二人と同じ威力を叩きこみましたがアルファスリン君は大丈夫でしょうか?
見た感じ、耐え切れているところを見ると抗術式力が高い種族なのかもしれませんね。
「さて。仕方ないので約束通り、授業を文化祭準備に割り当てましょうか」
ため息と共に言うとリリーナ君とエリエス君は顔を見合わせました。
今月は授業時間が短いというのに、さらに時間を圧迫するような約束を交わしてしまうとは。
確かに罪悪感がなかったわけでもありません。
この子たちの命を守ることも重要ですが、生徒たちにとって文化祭準備も大切なことです。
どちらか片方を優先するわけにはいきません。
両方を優先して、しかし、その努力は決して感じさせてはいけません。
少なくとも【無色の獣】なんて訳のわからない存在のことなんて、知らなくてもいいことです。
この子たちが無意味な事象に気を取られず、思う存分、勉学に励んでもらいたいのなら守っていることも、隠れて戦うことも、知らなくてもいいんです。
結果として、この子たちが安全であるのならそれで十分です。
「それでは次は前半授業ですね。教養の授業は教養実習室ですから着替えの時間を考えて前もって移動しておきましょう」
学活を終え、廊下に出ると後ろからトコトコと追いかけてくる気配がします。
「どうかしましたか? セロ君」
振り向くとやはりセロ君がいました。
「先生。ちょっと待ってなのです」
そういうと体の前で両手を握りしめて、「ん~っ」と力み始めました。
源素の集まる気配を感じ、不思議に思っていると途端、セロ君が笑顔を見せました。
すると、ぽんっと音を立てて、セロ君の顔の横に花が咲きました。
花びらは白く、中央は黄色い、一輪の小さな花がクルクルと動いていました。
精神感応術式による幻覚ですね。よく知っています。
「――すごいですね」
あまりの驚きに平坦な声が出てしまいました。
すぐさま、しょんぼりした顔をするセロ君。横の花も萎れました。連動するんじゃありません。
「あぁ、いえ。そうですね。いくつか聞きたいことがあります。レギィの教本に精神感応術式は書いてなかったと思いますが」
「前にお手紙がきたのです」
なるほど。レギィはわざわざセロ君のために精神感応術式を書いて送ったんですね。
レギィのことだからコツみたいなものをびっしり書きこんでいたに違いありません。
うん。セロ君は何一つ悪くありません。
ただ言わせてください。
セロ君にいらないことを教えてんじゃねぇですよレギィ。
「そうですか。わかりました。よく頑張りましたね。えらいですよ」
セロ君の頭を撫でてあげると、みるみると笑顔が戻りました。
そして、横の花は水を得たように瑞々しい色へと変化しました。だから連動するんじゃありません。
「レギィさまが『可愛く見せるのも女の子の仕事』だって書ぃてあったのです。せんせぃ、演劇に使えそうなのですか?」
「えぇ、もちろん。こんな隠し球があるのならセロ君の出番が楽しみですね」
「良かったのです」
ホッとしたような顔をするセロ君。
「だから、先生も無理しないで頑張ってなのですっ」
その『だから』という言葉は繋がっていませんでした。
何がどうで、何を頑張るのか、セロ君は本当のことを知らないでしょう。
それでもこの子は自分の小さな変化に気づいて、励ましに来たのでしょう。
本当にそんな気持ちがあったのかすらわかりません。
「セロ君も勉強を頑張りましょう」
セロ君の頬を撫でて、肩をポンと叩くとセロ君も謎の納得をしてから、クルリと背を向けました。
その小さな背中を少し見送って、自分はこの騒がしい廊下を歩きます。
戦うための言い訳が真実に変わったような、不思議な実感がこの胸にありました。




