少女たちの冒険譚 中後編
森の中で一泊したヨシュアンクラスは朝一番に起きて、身支度を整え始めた。
予定と違った部分と言えば朝ご飯にお肉が使われたことだろう。
ツィーゲン・シュトライフェンの肉の残りを凍らせていたお陰で朝から英気を蓄えられた五人は意気揚々と森を往く。
しかし、そんな陽気な旅路も採取依頼をしなければならないため、すぐに二手に分かれた。
「もっと使えるようになればレギンヒルト試練官みたいに物理結界を投げることもできるはず」
「レギィさまみたいに、なのですか?」
騎竜をゆっくり歩かせながらエリエスはセロに物理結界の利点を説明していた。
タンカーとして経験が浅いセロの成長を促したいのだろう。
エリエスもタンカーをしたことがないので、もっともタンカーとして印象に残る存在――レギンヒルトをベースに、授業で聞いたことやタンカー役だったマッフルの動きなどから想像し、戦術的価値を理屈で説明する程度だ。
こうまでしてセロの戦闘行使力を上げようとしているのは、ヨシュアンクラスの戦闘総合力に大きな貢献をもたらすと考えたからだ。
一方でセロはエリエスが親切で教えてくれていると思って、素直に話を聞く。
エリエスの言うことはいつだってもっともで、わかりやすいから自分のためになると信じている。
足を引っ張りたくないという気持ちもあるのだろう。
二人は考えは根本で噛み合っていなかったが不思議と問題はなかった。
お互いに利益があったから、と言えばもっともらしい理由だが当の本人たちに伝えても首を傾げるだけだろう。
お互い純粋な感情のまま、見事に噛み合っていた。
「タンカーも前衛。多くは防御のために足をとめるけれど攻撃もする。セロは今、攻撃手段がないから壁しかできない。どんな状況にも対応できるように、手段は多い方がいい」
「はぅ……、あのぁの、大変なのです」
突然、慌て真剣な顔をし始めるセロをエリエスは無表情で見ている。
「物理結界の術式がつかえないのですっ」
言われて少し試してみたのだろう。
しかし、いつもはちゃんと構築されるはずの陣の手応えが薄く、結界も発動しない。
「また術式がつかえなくなったのです……」
体調不良で術式を使えなくなった時を思い出したのか、目に見えてしょんぼりし始める。
「たぶん、白の源素がない」
「……ぁぅ」
ヨシュアンが自由自在に術式を使うので時々、生徒は勘違いしていた。
術式に対応する源素が周囲になければ、そもそも術式は使えない。
学園内は【屋外儀式場】の効果で複数の源素が漂っている状態だ。
自然界ではなかなか発生しづらい白や黒の源素も儀式場から漏れ、学園内に漂っている。
こうした周囲の環境による使用術式の制限を突破するために【ザ・プール】という技術があり、源素結晶というタンクがある。
「先生はちゃんと空間源素量も考えてオシオキ術式を使ってる」
「それは知りたくなかったのです……」
「術式師は周囲をちゃんと見ないといけない」
「セロは役立たずなのです……」
「問題ない。今からでも間に合う。物理結界だけに頼らず、今までの授業からできることを考えればいい」
物理結界が使えないセロは学園で一番、弱い。
クリスティーナはツィーゲン・シュトライフェンへと無警戒に近づくセロを慢心と言ったが、実情はもっと酷かったわけだ。
満足に身を守ることもできない。
そこまで考えてセロは周囲を見回してみた。
今、手の届く範囲にエリエスしかいない。
他の三人はリリーナの先導で採取依頼の物品を集めている。
さっきまで忘れていた森の暗さを思い出し、フルフルと身体を震わせる。
「セロにしかできない何かがある」
「……ぅん」
エリエスに身を守られながら、必死で今までの授業を思い出し、それは仲間たちが帰ってくるまで続いていた。
※
採取と討伐、二つの依頼をこなしたヨシュアンクラスに残された目的は二次依頼をこなすことと遺跡を見つけることだ。
二次依頼は帰りにできると踏んだマッフルは仲間と合流して、すぐに遺跡を目指して騎竜を走らせた。
枝葉や地面に露出した根っこなど障害の多い森の中で疾走させるわけにもいかず、早足だったが十分に人が歩くよりも速い。
視界の悪い森はまるで悪い夢だったように抜け出し、今はもう針葉樹林の多い、木々の隙間が広い森へと変わっていた。
従って視界も良く、ヨシュアンクラスはあっさりとソレを見つけた。
「はぁ……」
ソレは背の高い木を傘のように差した、石造りのお堂みたいだった。
「なんかちっさいなぁ」
誰がついたものかわからないため息は残念だったからではない。
想像していた遺跡より小ぶりだったのは認めるだろう。
一軒家より少し背こそ高いがそれ以外は特別な様式も碑文もない。窓もないせいで建物としては非常にシンプルだ。風化した壁石に根付いた苔がカーペットのようにあちらこちらに張りついて森と同化してしまっている。扉も何もなくポッカリと闇を広げている入口に、ここが件の遺跡だと説得させられる。
その、ただ、それだけのことに意味なく圧倒されてしまったのだ。
長い年月、そこにあったという痕跡に十年と少ししか生きていない少女でも感覚的に何かを思わせたのだろう。
「こんなところに本当に宝物がありますの? たしかに雰囲気は認めますけれど」
クリスティーナの懐疑的なジト目にマッフルは取り合わない。
「いや、明らかに隠されてるって感じじゃん。遺跡は見つかりにくいものほどイイ物が眠ってるって誰か言ってたしさ」
「頼りない情報ですわね」
圧倒こそされたがしばらくすれば、そんな気持ちも薄れていく。
「中に階段が見つかったであります」
代わりに首をもたげたのは好奇心だ。
そして、一番、好奇心を我慢しないリリーナはさっさと騎竜から降りて、こっそり入口に近寄っていた。
「リリーナさん、危ないですわね! 入口に罠が仕掛けられていたらどうするんですの」
「冒険者さんが遺跡を見つけた時に入口くらい調べてるであります」
正論だったためクリスティーナも口を噤む。
確かに入口の近くの苔が踏み潰されている跡がある。最近、入口に誰かが入った跡だ。
「……とにかく、どうしますの」
クリスティーナからすれば遺跡を見つけた時点で目的を果たせているようなものだ。
中に入り、宝物があるかどうかは見てから考えるというスタンスのせいだろう。
一方、マッフルには遺跡の入口が宝箱の鍵穴のように見えて、少し興奮してきていた。
「とりあえずさ、騎竜をその辺に繋いで、軽く何か食べてから中に入るってのはどう?」
遺跡は危険、という認識をマッフルなりに解釈する。
中で確実にご飯が食べられる保証はなく、水場があるかわからない。
ここで水を確保してから臨むというのも安全策の一つだ。
他に意見もない以上、マッフルの案はそのまま通った。
もちろん、中に入らないという選択肢はない。
良くも悪くも中がどうなっているか全員、興味があるのだ。
少し早めの昼食は木の実や果実などの軽いものだ。水場が近くになかったことだけは運が悪かったが、朝からあまり時間も経っていないため水筒の水も減っていない。
準備を整え終わると、ヨシュアンクラスは並んで遺跡の入口を見やる。
「リリーナとあたしが色々調べながら入っていくから、クリスティーナはエリエスとセロを守りながらついてきてよ」
「ほーい、であります」
「どうして貴方が一番先を歩くのですの」
「あんた、ストライカーじゃん。タンカーもできるあたしとスカウトのリリーナが前に出るのは当然じゃん。それともセロを前に歩かせる?」
「そんなわけありませんわ! 非常識極まりないですわね」
「あんたに非常識って言われたら、もう立ち直れないわ……」
お互い一瞬だけ睨み合って、すぐに離れる。
平時だと授業中であろうとも試練中であろうとも喧嘩している二人ではあるが今は喧嘩している場合ではない。
少なくとも第一試練終了後でヨシュアンに『ふざけた気持ちのままで事に当たるな』という言葉は胸に残り、そして、お互い意識していないうちにヨシュアンの言葉を守ろうとしている。
本能的にヨシュアンの言葉が『仲間を守るための言葉』だったと理解しているのだろう。
そろりと遺跡へと入っていくマッフルとリリーナ。
入ってすぐ感じたのは乾いたカビのような匂いだ。
次に入口から入ってくる光で薄らと室内の様子が見て取れる。
外から見たのと同じ、石造りの室内。
すぐ奥にポッカリと開いた穴には階段が続いており、その闇色にゴクリと喉を鳴らす。
術式ランプを灯すと壁や床がそこにあるとハッキリわかり、なんとなく安心したマッフルだった。
「階段にも足跡がついているであります」
「じゃぁ、少しの間は罠はないかな?」
「ん~、とりあえずここは大丈夫っぽいであります」
なのでまず、外で待機している三人を遺跡内に呼ぶ。
クリスティーナは一瞬、遺跡の匂いに顔をしかめたがすぐに何事もなかったように地下へ続く階段を見つめている。
「これでただの物置でしたらお笑いですわね」
「物置だったらいいじゃん。だって道具を置いておくとこだったら宝物だってあるかも」
「お気楽ですわね……」
「たぶん、もっと奥は深いでありますよ?」
同じように階段の奥を覗いていたリリーナの、ポツリと確信のこもった呟きにクリスティーナとマッフルが反応する。
「どうして?」
「こうしたらもっとわかりすいっぽいでありますね」
拾った小石を階段の奥に投げると、コツン、と音がした後、もう一度、コツン、と音がする。
ここからわかることは、少なくとも地下二階以上の深さの階段が『折り返し』もせずに続いていることになる。
このことに気づいたエリエスが顔をあげた。
「建物の構造は空間的な理に基づいてる」
ヨシュアンが建造したシャワー室を手伝い続けたエリエスだったからこそ、気づくことができた。
「シャワー室も先生が考えた効率的な形があった。ここは外の様子から祭殿のような宗教的な構造ではなく、実際に誰かが使うために作られたと考えて間違いない。なら、この遺跡にも効率がある。地下にずっと続く階段を作ったのはこの先に元々、空いてあった場所と繋げるため」
「どちらでもいいですわ。行ってみればわかりますもの」
エリエスの推測が本当かどうかも階段を降りてみればわかる。
マッフルもリリーナもそう考え、一歩ずつ階段を降りていく。
慎重に行動するために術式ランプを胸から外して、手持ちに切り替える。
恐怖はあった。
森を往く時もそうだ。
夜番の時は誰かが起きていても不安があった。
闇の向こうから何か得体の知れない化物が出てこないかと、心のどこかが硬かった。
その全てを我慢していたか、というと、そうでもない。
「(なんかドキドキする……)」
先頭に立つという一番、危険な役回りにも関わらずたまらなく叫びたくなるような気持ちがどこかにあった。
階段を下りる音、見慣れない斑点模様の壁、匂いすらも新鮮に感じ、一歩ごとに何かに近づいていく気持ちを強く感じていた。
不謹慎かもしれないが『何か起こってほしい』とすら思ってしまっていた。
後に続くクリスティーナ、彼女は遺跡探索にやや否定的だったが、そんなクリスティーナですら何か起こることを期待してしまっていたのだから無理からぬことだろう。
果たして、何かは確かに起こる。
階段の一番下まで下りきったマッフルとリリーナの前に長い通路が続いている。
その中間点に黒く小さな塊がもぞもぞと動いているのだ。
すぐさま手持ちの術式ランプを胸にかけ、【ホルニース】に手をやり、小盾を前に出すマッフル。
リリーナも一歩、マッフルの後ろに引き、背中の弓を構える。
「なに、あれ。原生生物?」
「暗くて良くわからないであります」
術式ランプを投げようかと思ったが、そんなことをしなくても彼女たちには手段がある。
「フロウ・プリムであります」
緑の光に照らされて現れたのは小さな人型の生物だった。
ハニワのような顔が描かれた葉を顔につけた仮面の生物はまるで追跡された犯罪者のように光から顔を背けてしまう。
「えっと……、なんだっけ? 前に見たことあったような」
「ん~、ポル? ポロロン? ポロロン・ポン太であります」
「あー、そんな感じの名前! 思い出した、前に学園に向かってきた原生生物たちの中に居たっけ」
ポルルン・ポッカは名前を間違われて「うきゃー!」と抗議の声をあげる。
「何事ですの。何かあったら本隊に連絡を出すのが先行の努め――」
突然、フロウ・プリムの光が階下で広がればクリスティーナでも不思議に思ったのだろう。
エリエスとセロを伴って降りてくるとポルルン・ポッカを見て目を丸くした。
「えっと、どこかで見たマヌケな生き物ですわね」
「ポロロン・ポン太でありますよ?」
「名前までマヌケですわね」
「違う、ポルルン・ポッカ」
エリエスの正解に気まずい空気が流れる。
「そうそう、ポルルン・ポッカ。あたしはなんか違うなって思ってたんだけどね」
「リリーナもちょっと違うと思ってたであります」
二人は失敗をなかったことにしたようだ。
「別に私は信じてなんかいませんわよ。ただ取るに足らないことだから、感想を言っただけですわ」
そして、クリスティーナはしなくていい言い訳をするだった。
「で、どうしてこんなところに原生生物がいますの?」
恥ずかしさを有耶無耶にして安心していたマッフルとリリーナはハッとする。
奇妙な相手だがポルルン・ポッカも原生生物だ。
遺跡に出てきたということは人を襲うかもしれない。
「う、うきゃー?」
そう考え、慌てて戦闘態勢を取るマッフルにポルルン・ポッカは両手をあげて驚き、あたふたとあちこちを走り回るとコテン、とコケた。
そして、弱々しい手で上半身を起こすと『おそわないで……?』と情に訴えかける。
白々しさにクリスティーナとマッフルはやるせない気持ちが湧いてくるのを止められなかったし、止めようともしなかった。
リリーナはもう判断を放棄したのか、事の成り行きを見守るつもりで一歩、引いてしまっている。
エリエスもリリーナと同じような判断だ。
「うきゃ、うきゃ~……」
ポルルン・ポッカもダメ押しで弱々しさを訴える。
ツィーゲン・シュトライフェンのような騙してくる可能性もあるだろうが、マヌケに見えすぎて信じる以前の問題だ。
「ダメなのですっ」
ただ一人、その弱々しさを本気に受け取った子がいた。
セロである。
これにクリスティーナとマッフルは頭を抱えた。
その心境を一言で言うのなら『またか』だったろう。
「セロさん。貴方、まだ懲りていませんの。昨日、ツィーゲン・シュトライフェンに近寄って怖い想いをしたばかりでしょうに」
「でも、でもなのですっ」
「なのです、じゃなくて。そいつ、かばってどうすんのさ。原生生物だし、前に学園を襲ってきたし」
クリスティーナもマッフルもセロを責めたいわけではない。
ポルルン・ポッカをどうにかしたい、という気持ちもない。
そもそも襲ってこない原生生物は基本、放置だ。
ポルルン・ポッカを討伐する依頼も受けていないので、ポルルン・ポッカをどうするかはヨシュアンクラスの気分次第、と言ってもいい。
一番の選択は見逃すことだろう。
学園を襲ってきた個体と一緒とは思えないし、何より、なんとなく学園を襲ってきた理由が悪意のないもの――ようするに遊びの一環――のように感じられるのだ。
なので一概に危ない生物とも言い難い。
ようするにポルルン・ポッカの処遇を決めかねていた。
そんな時にセロがポルルン・ポッカをかばうのでクリスティーナもマッフルも、反射的に反対意見を言っているだけになる。
「セロが好きにしたいようにすればいい」
エリエスの意見は単純明快だった。
ポルルン・ポッカがこの遺跡探検で役に立つビジョンが浮かばない。
逆に言えば役に立つ場面もあるかもしれないのだ。
判断ができないため意見もない。ただセロに同調しただけだ。
「はーいはーい、リリーナは賛成であります」
リリーナは面白そうだという意見だけでセロの味方をする。
ポルルン・ポッカに緑の源素の気配が濃厚だったのも好印象だったのだろう。
意見は二対二だがセロを含めれば三対二。
この結果にクリスティーナはため息をつき、マッフルは『しょうがないなぁ』という顔をしただけだった。
「セロさんは少し、己を省みたほうがよろしくてよ」
「はぅ……」
クリスティーナの言葉はセロを心配してのものだ。
馬に髪を食べられ、ツィーゲン・シュトライフェンには指を食べられかけている。
こうまで動物に食べられるそうになる子は珍しいとも言えるだろう。
言い方こそ厳しいが純粋な心配からの言葉だ。
「べ、別に心配してるわけでは――」
「はいはい。心配してないんでしょ。だったら素直に言えばいいじゃん。セロをいじめたいって」
「なっ! そういうつもりで言ったわけではありませんわ! 逆ですわ! 大体、人の言葉の途中で割りこまないでもらいたいですわ――はっ!?」
勢いで『心配している』と口に出してしまって赤面するクリスティーナだった。
ニヤニヤとしてクリスティーナを見るマッフル。
「ひっかけましたわね! この愚民!」
流石に怒りすぎるとヨシュアンの言葉も通用しないようだ。
つかみかかるクリスティーナに迎え撃つマッフルは置いておいて、ポルルン・ポッカを抱えてエリエスとリリーナの前に立つセロ。
「……せんせぃなら飼ってくれるのです」
「先生は馬はダメって言った。原生生物は言ってみないとわからない」
「う~ん、先生は頑固でありますからなー」
生徒たちから妙に期待値が高いヨシュアンだった。
ちなみにヨシュアンに実際に言うと問答無用で『元居た場所に還してきなさい』と言うだろうが、生徒たちは期待を胸にポルルン・ポッカを連れて廊下を歩いていった。
「うきゃー?」
ポルルン・ポッカはセロの腕の中で意味なく、声をあげる。
何を考えているのかそのハニワ顔の葉っぱからは想像つかないが、どこかホッとしたような空気を放っていることだけはよくわかった。
※
道中は全くと言っていいほど何もなかった。
ドキドキしながら左右の分かれ道のどちらに行くか仲間と悩み、地面の中まで侵入してきていた木の根に頭をぶつけて怒り、笑い、ポッカリ空いている穴に落ちそうなセロをクリスティーナとエリエスが助けたり、リリーナが見つけた謎の生物のしゃれこうべはセロだけではなくクリスティーナとマッフルすら驚かし、ポルルン・ポッカもいつの間にか仲間みたいな顔で生徒たちのアレコレにいちいち驚き騒いでいた。
その全ては不注意からの事件ばかりで遺跡による罠なんてものは一つもなかった。
彼女たちにとって運が良かったことは『侵入者』が先に罠を全て潰してしまっていたことだったろう。
安全で、しかし、そうとは知らない彼女たちは一つ一つに戸惑い、首をかしげ、導き出される答えに満足していった。
そして、最後の扉に辿りつく頃には彼女たちは忘れていた。
ここはどうしようもなく『遭遇』してしまう、何かがある非日常の場所であることを。
開いた扉。まず目に飛びこんできたのは禍々しい球状の卵だった。
奥の台座にめりこむように存在感を放つ卵。
おおよそ大きさは人一人分くらいだろうか。
黒革のような表面に、複数の帯を歪に捻くれさせて球体にしたような、見るだけで鳥肌が立つ存在感。
生物としての本能が告げる。
アレに近づいてはいけない。
生徒たちは本能からの警告に忠実に受け取り、扉から先、一歩が踏みこめない。
「うん? こんなところまでやってくるなんて……あ、そうか。全部、壊したからかぁ。すぐに人が来るとは思ってなかったから、いや、失敗したなぁ」
今までの浮かれっぷりに水をかけるような、奇妙で底抜けに明るい声。
卵に圧倒されて気づかなかったが、ちゃんと見ればだだっ広い石室の中央にローブを着た少年がポツンと立っていた。
彼の足元には源素結晶がいくつも並べられていて、それぞれが死にかけたみたいに淡く点滅していた。
死にかけた、という印象は正しかったのだろう。
ヨシュアンクラスの誰もが気づいていないが、幾つもの源素結晶は一つ一つ、サラサラと静かに壊れては消えていた。
まるで奥の卵に源素を吸収されているように死滅していく源素結晶。
その中でももっとも奇妙な源素結晶は陽炎を固めたような結晶だ。
それが無色の源素結晶だと生徒たちは知らない。
判断できない以上、もっとも事態をよく知っていそうな相手を見るしかない。
「貴方、一体、こんなところで何をしてますの!」
クリスティーナが警戒心を隠さずに声を張り上げる。
「何って……、あ。君たちは見たことがあるよ。あの時、窓から顔を出していたね。よく覚えているよ。あの男が飛び出してきた部屋に居たし、となるとすごい偶然だよ!」
場の雰囲気など知ったことじゃないとばかりに楽しそうに肩を揺らす少年。
誰も少年の言葉を理解できない。
それは当然だろう。
そもそも『馬と騎竜に殺意をぶつけて暴走させた本人』でないと言葉の意味はわからない。
あの時、この少年は森に潜み、呑気に馬と騎竜の手綱を引いている牧場主を見て、ふと悪戯心を起こした。
学園に居る全ての人間関係を把握するために思いつき、そして、少年の試みは成功する。
暴走馬と暴走騎竜を見ようと窓から顔を出した生徒たちと教師は、まんまと少年の策に乗ってクラスの人員と教師の配置を覚えられてしまった。
もっとも、少年にとってこの程度は情報収集の一つに過ぎない。
何か役に立つかと思って、手遊びで起こした行動の一つだ。
「ふざけていないで所属と目的を言いなさい! さもないと――」
「お話しようよ」
いつの間にかクリスティーナの目の前に現れた少年に、反射的にクリスティーナは身を引きながら【レピンド】を抜くと同時に斬り払う。
「そんな怖い顔しないで。クルクル頭の妹ちゃん」
「な――!」
だが、少年は一歩、後退するだけでクリスティーナの斬撃を避け、さらに余裕の雰囲気で間合いギリギリを保っていた。
「そう! そうだ、妹だ。そっか、そういう考え方もあるよね。お母様の続きなら僕たちにとっては妹と同じだ、うん!」
「は? 妹? 貴方のような兄を持った覚えはなくてよ。私の兄様たちは貴方のように訳のわからないことを言うようなおバカさんではありませんわ」
「よくわかんないけど、あんまり良さげなことをしてるように見えないんだけど」
マッフルもいつの間にか抜き放った【ホルニース】を相手に向かって突き出している。
打ち合わせたわけではないがクリスティーナが少年の相手をしている間にマッフルは周囲の状況と相手の手足を観察していた。
一瞬でこちらまで間合いを詰めてきた時は焦ったが、何より一番、危ないと感じるのは『絶対に入りたくない部屋の中で平然と楽しそうな態度をし言葉を吐く』少年自身の存在だ。
稀に酒場などに居る、どこか茫洋としていて目線の合わない浮浪者の姿に何となく似ているように感じるのだ。
頭のネジが飛んでしまった者と会話しているような、独特の噛み合わなさが特にマッフルの警戒の線を震わせる。
少年との会話はおそらく無意味だと判断する。
倒してヨシュアンに引き渡すか、それとも不審者がいると報告するか、どちらにしてもこうして相対した以上、選択は限られている。
選択肢を考えているだけでもマッフルはヨシュアンクラスで、もっとも相手の危険度を理解していたと見るべきだろう。
「エリエス、アレって何やってると思う?」
一番先に考えておくべきことは相手の目的だ。
あの怪しげな儀式めいた行動に奥の卵。何かの関連性を疑って当然だろう。
「アレは儀式術式。たぶんあの卵の封印を解くための特殊な術式だと思う」
「あたしも同じ意見。で、どうしたらいいと思う?」
支配域を広げたマッフルのすぐ傍でエリエスは少年を見る。
圧倒的に情報が足りない。
それがエリエスが考えたことだ。
卵と少年の関係性。
卵の正体、少年の儀式が本当はなんなのか。
ようするに結論がでないのは相手から有用な情報を引き出せていないせいだと考え、エリエスは決して相手の行動を見逃さないように注視する。
「貴方は何をしてるの?」
「ん? それは――あれ? 君は?」
少年がエリエスを見て、すこしたじろぐ。
「あれ? おかしいな。ツヴァイシュバルツでは見たことない子なのに……」
『ツヴァイシュバルツ』。
その言葉にエリエスの心臓が跳ね上がる。
エリエスはそんな言葉を聞いたことはない。
記憶にない言葉なのに何故か落ち着かない。
今は集中してなければならないのに心臓の音が邪魔をする。
真っ赤な手が心臓を鷲掴みにしているみたいに苦しく、呼吸が鈍く、不規則なのを自覚している。
その度に精神抑制法で落ち着こうとするが、うまくいかない。
「もしかして君は僕たちの後にお母様に作られたの?」
「なんのことですか?」
「僕を見て、何も思わないの?」
さっきから心臓がうるさいくらいだったが、異常だと悟られるわけにもいかない。
エリエスは首を振ることもなく、じっと相手を見る。
「おかしいなぁ。共振してるから君は僕の仲間だと思ったんだけど、どうなんだろ? 僕もお母様の研究を全部、知ってるわけじゃないから」
「貴方の母親が指示したというのなら、その人の目的と名前は?」
「アルベルタ・サヴァルシュバルツだよ――知ってるだろ?」
アルベルタと聞き、エリエスは平衡感覚を失ったみたいに頭が偏り、マッフルに腕を掴まれる。
「エリエス!?」
「大丈夫です」
アルベルタの名前を聞いた瞬間、赤い手が見えた気がしたのだ。
それも一瞬だったため、なんとか踏みとどまれた。
心臓の音は相変わらず、うるさい。
何よりもエリエスを戸惑わせるのは『その全ての言葉がどうしてもわからない』ことだ。
何が起きているか、何をされているのか、何に『恐怖』を覚えているのか――その全てが理解できないことがもっとも恐ろしい。
「そうか。やっぱり君は僕の、僕たちの妹なんだね。きっとゴタゴタしてたからちゃんと調整できてなかったんだ。だって、あの男が攻めてきたからね」
「母親の命令でここにいるの?」
「お母様は死んだよ。君たちだって知っているあの男――【愚犬】ヨシュアン・グラムに殺されたんだ。でも」
生徒たちはヨシュアンの名前が出たことに驚く。
戦争経験者だとは生徒も知っている。
あまり語りたがらないために生徒たちはぼんやりとしか知らないが、それでも誰かを殺し、生き抜いてきたことくらい知っている。
しかし、まさか殺した相手の親類に出会うとは思わなかったせいだ。
ただ、それでもヨシュアンが悪い、と考えなかったあたり生徒たちのヨシュアンに対する信用度は高かった。
何か事情があったのだろうと勝手に予測して庇っていた。
本人たちも何故、庇ったのか気づかないくらいに当たり前に結論がでていた。
「すぐに会える――僕たちのお母様はちゃんと帰ってくるんだよ」
ただ言葉の続きは生徒たちの誰一人として、理解できない言葉だった。
死んだ者は生き返らない。
これは絶対のルールであり、誰にも覆せない。
子供だって知っているし生徒たちにもわかることだ。
狂人――その言葉が頭によぎる。
「これは第一歩だよ。お母様の研究を成功させて、皆が、家族が一緒になるためのすごい計画なんだ」
少年は熱に浮かされたように声高に声をあげる。
絶対のルールなんて関係ないと、当たり前のように口にする。
「その時はきっと昔みたいに笑顔で、物語の続きを聞かせてくれるんだ。クリック、クラック。クリック、クラックって。だから僕はクリック・クラックだ」
エリエスはその言葉の全てを理解不能で片付けた。
もう何も入りきらないように思考が停止し、何の感動もなかった。
途端に体調は良くなる。
心臓の鼓動はいつも通りになり、冷静に物事を考えられるまで元に戻った。
一体、何故、この場で不調に至ったのか理解できないが、真相の究明をしている場合ではない。
理解できたことは一つ。
この少年はとんでもない理屈を目指して、この遺跡で何かをしようとしている。
そして、その秘密を知った生徒たちを生かして返すとは到底、思えない。
戦わないという選択肢はない。
退却、早急に学園に戻り先生に報告を目処に、ひとまず少年の無力化を目指す。
エリエスは地面を踵で三回、叩く。
それは緊急時の『退却戦』を意味するサイン。
「よくわかりましたわ」
クリスティーナからはエリエスの不調はすぐにわかり、同時に復調したことも理解した。
サインからエリエスの目的も理解する。
なら、完全にエリエスが使い物になるまで前線が身体を張る。
エリエスの退却の合図に命を預ける覚悟をする。
考え、言ったと同時に少年に飛びかかる。
部屋に入りたくない、なんて気持ちは覚悟と共に捨て去っている。
今度はやられた分をやり返すみたいに【瞬歩】で距離を詰め、肩口めがけて【レピンド】を突き入れる。
「おっと、危ない」
剣と身体の隙間に入られ、無防備をさらす形になる。
恐ろしい反応速度に内心の驚愕を隠しきれず、顔にも出てしまう。
反撃を受けると覚悟した直前で、クリック・クラックはあざ笑うように間合いをあける。
舐められた――一瞬、そう考えすぐに答えがわかる。
【支配域】にひっかかる後ろの気配。
クリスティーナに隠れる形でマッフルも飛び出していたことに気づく。
もしもあのままクリスティーナを攻撃していたら、マッフルから攻撃を受けていたのを察知して退いたのだろう。
態勢を整えて、二度ほど【レピンド】で宙を裂き、一応、マッフルに感謝を示す。
「貴方がおバカさんだということが、よくわかりましたわ」
「そうそう。ようするにさ、悪巧みしててなんか危ないことをしようって腹積もりなんだろうけどさ」
クリスティーナの素直じゃない、しかし、素直な態度にマッフルはちょっとだけ肩をすくめて、小盾を前に腰を落とす。
一瞬で間合いを詰めてくる挙動と速度、まだ攻撃してこないから無傷だが終始、『動きを支配されている』かのようにやりづらい。
相手の方が【支配】に優れている証拠だ。
敵はクリスティーナとマッフルよりも強いことは最初からわかっていた。
一人では勝てない。
授業以外で共闘する場面がない二人は自然、力を合わせる選択を取った。
この敵わない相手に立ち向かうという、緊張するはずの状況でもクリスティーナとマッフルは適度なコンディションを保てていた。
授業において、敵わない相手と闘うことなど数え切れないほどあったためだ。
体育の授業の終わりに、必ず行われるヘグマントとの実戦式の試合。
その積み重ねが土を重ねて安定感を育て、ヨシュアンは精神抑制法という水で彼女たちを育んだ。
「なんかわかって欲しかったら、わかるように言ってよね」
少年はその言葉を理解できないように首を傾げる。
「そんなにわからないかな? 単純なことなのに」
「単純すぎてわかんないってこと!」
「わかった。君たち、バカなんだね」
「あんたが言うな!」
「たしかにこの愚民は頭が悪いですけど、貴方にだけは言われたくありませんわね」
「あんたもだし! ていうかあんたが一番、頭おかしいし物理的にさ」
こうしてバカな掛け合いをしていても決して油断しない。
そして、同時に出し惜しみもしない。
「リオ・ブランラダム」
「エス・ウォレイ」
クリスティーナの周囲をキラキラとした粉のようなものが降り注ぐ。
マッフルの小盾に炎が巻きつき、盾を大きくするように炎を吹き出させる。
「新術式の実験台にしてさしあげますわ」
「ふぅん?」
クリック・クラックは気のない返事をして突っ立ったままだ。
それがクリスティーナの勘に触るが、ここで心を乱すと術式が解ける。
まずはマッフルがクリック・クラックに向かって走り出す。
身体を小さくするように盾と剣を両方構えた特殊な構え。
まるでボクシングのファイティングポーズみたいな姿はクリスティーナから見ても異質な構えだ。
「仕方ないなぁ」
クリック・クラックは針のような金属色の突起をいつの間にか握っていた。
同じ形状の武器をもう片方にも握り、二刀流の構えだ。
まるで手のひらから生えたかのように唐突な武器の出し方に二人も不思議に思うが、すでに間合いに入っている。
相手の右針を盾で受けるのと、マッフルの【ホルニース】を左針が受け止めるのはほぼ同時だった。
鍔迫り合い、マッフルが渾身の力を込めてもクリックはビクともしない。
だが、それは都合が良かった。
力をいなされる前にマッフルの術式が発動し、至近距離で爆発が起きる。
以前、ヨシュアンの宿題で描いた術式は失敗作だった。
ヨシュアンが指摘したように『至近距離で衝撃と熱を撒き散らす』術式はマッフルをも巻きこむ自爆術式だ。
しかし、それをエリエスがアドバイスし、今では相手に向かって前面へと爆発の威力を与えるアレンジが施されている。
代わりに威力が下がり、範囲こそ人一人分程度に収まっているが至近距離で使うのなら十分な効果だ。
さすがに爆発するとは思わなかったクリック・クラックは全力で身体をよじりながら爆発の範囲から逃げる。
この時、身体をよじったのは衝撃を分散させるためだろう、しかし、それが大きな隙になる。
『幽歩』で追撃するクリスティーナ。
マッフルが術式を使ったと同時に追撃の構えに入ったようだ。
まだ爆発の余波が残る中に飛び込んでくるとは予測できなかったクリック・クラックはほとんど反射的にクリスティーナを迎撃する。
まっすぐ、最短距離でクリスティーナの首筋を狙った針は硬質の音と共に弾かれる。
「いただきましたわ!」
クリスティーナの宿題の術式は防御用だ。
回避型のストライカーであっても未熟なクリスティーナはまだまだ防御が甘い。
カウンターに滅法、弱いと自覚していたのだろう。
だからこそ、クリスティーナは自らの身を守る術式を欲した。
ストライカーが沈んだ場合を想定し――想定できなかったクリスティーナが悩んで生み出した『沈まないための術式』だ。
在る心が形となるのが術式の方向性であるのなら、クリスティーナの術式は間違いなく形が想いに応えたのだろう。
これもエリエスのアイディアで負担を減らし、展開速度と展開後のクリスティーナの動きを阻害しないよう小規模に収まっている。
針の先端は今――クリスティーナの首元に生まれた手のひら大の氷の盾に受け止められている。
だが、クリスティーナの細剣はクリック・クラックに届かなかった。
単純に先に動きを止められたせいでリーチが足りなかったのだ。
この状況で相手に術式を使われてはたまらないクリスティーナはすぐにクリック・クラックから逃げるように間合いを広げる。
しかし、術式は使われず、クリック・クラックは態勢を整えただけだ。
再び間合いを保ったまま向かい合うクリスティーナたちとクリック・クラック。
余裕があるのは依然、クリック・クラックの方だった。
※
クリック・クラックの方が有利なのにも関わらず戦闘が長引いている。
この疑問にエリエスが一番、早く気づいた。
「……リリーナ。大丈夫だから行って、たぶん二人だと無理」
術式を使っている素振りも見せず、なおかつ術式を使っているクリスティーナたちと拮抗しているという事実ともう一つが勝機に繋がった。
「今ならリリーナだけで勝てる」
「わかったであります」
「うきゃ?」
途中、ポルルン・ポッカが不思議な踊りを踊っていたが誰も意味を見いだせず黙殺した。
部屋に入るのが嫌だったリリーナは『さっきよりもマシになっている』と気づき、躊躇なく扉から先に足を踏み入れた。
エリエスが気づいた意図も、リリーナは大体、本能で悟っていた。
何故か術式を使わないクリック・クラック。
元々、術式が使えないという可能性はない。
この場で儀式術式めいた何かをしていた以上、クリック・クラックは『生徒たちが学んでいない』術式が使えると考えるのが自然だ。
おそらく『生徒以上の使い手』であるとも。
なのに強化術式も使わず、不利を承知で二人を相手にしている。
儀式術式を行っている以上、術式が使えないのだ。
つまり、今のクリック・クラックは本来の実力が出しきれていない。
そして、ここからもう一つの推測が成り立つ。
不利を飲まねばならないほどクリック・クラックにとって儀式術式は大事なものだということだ。
目的と言ってもいいのだろう。
ならば『相手の目的を阻害する』のも戦術の基本だろう。
軽くクリスティーナたちの肩を叩くリリーナ。
「二人は卵をなんとかして欲しいであります」
「言っときますけど、すばしっこいですわよ」
「うにー、であります」
先行であり、戦闘時は後衛であるはずのリリーナが前に出ても誰も疑問に思わない。
クリスティーナとマッフルも気にせず、卵に向かう。
クリック・クラックにしてみれば一番、嫌な手段だろう。
追おうとしてリリーナに遮られ、少しだけムッとした口元が見える。
その変化にリリーナもエリエスも推測に間違いがないと判断する。
「君は……、エルフ? すごいなぁ、今の『施設』は人種だけじゃなくってエルフを基盤に調整できるんだね」
「楽しいところでありますよ?」
「知ってるよ。苦しくて痛くて、皆、楽しかったからね」
「ん~ん、違うであります。苦しくて痛いのもわかるけど基本、楽しいところであります」
リリーナはあまり深く考えない。
感性だけで生きていると言ってもいい。
その感性がクリック・クラックを『同じなのに受け入れない』という選択肢を取っている。
それはまるで『森を切り倒し、開墾する人種』のように見え、そして極めつけは奥の卵だ。
アレは『生物として受け入れてはいけないもの』だ。
孵化させてはならないものだとハッキリわかる。
「なんか嫌な感じがするから本気を出すであります」
今、怠けてはいけないことも理解している。
もしもここで頑張らなかった場合、その責任は他の誰かに向かう。
それはリリーナが一番、嫌いなことだった。
第一試練までは頑張らなくても大丈夫だと思っていた。
リリーナが頑張らなくても全員、頑張っているし負担にならない程度なら怠けていても問題はないだろう。
そう考え、エリエスの作戦だから大丈夫と根拠のない思考停止でセロを危険な目に合わせてしまった。
ヨシュアンはそんなリリーナの慢心を怒った。
ダメなことだと理解させる形でちゃんと怒り、そして、その気持ちを知らなければ今も手を抜いていただろう。
考えなければいけなかったのだ。
エリエスを信じることを言い訳にするだけでなく、今の状況、周囲がどうなっているか。
今、己のできる全力を出せる場所はどこか、何ができるのか。
何ができないのか――考えるべき部分はたくさんあった。
少なくとも毎日、何かを目指して頑張っている妹たちの重荷になってはいけない。
リリーナは重荷を少しだけ軽くさせる立場だ。
そう考えたリリーナの最初の一歩はスカウトという役目以上の力を手に入れることだった。
「リュー厶・ブレドであります」
リリーナの宿題だった術式はヨシュアンですら意外なものだった。
スカウトの役割を補強するような術式かと思っていたからだ。
なのにリリーナが選んだ術式は――近接術式。
リュー厶・ブレドは手の先から短い圧縮空気の刃を吹き出し、敵を切るものだ。
「はは、奇しくも同じ二刀流だね」
アレンジにより変化したリュー厶・ブレドは高コスト術式だった。
両手から吹き出す風の刃は通常のものよりも長く、小剣くらいの長さがあった。
「でも知っているかい? 風の刃はもろいんだよ」
クリック・クラックの【瞬歩】に合わせるようにリリーナも【瞬歩】を使う。
お互いが【瞬歩】を使いあった場合、ぶつかる。
【瞬歩】はその使い勝手の良さの反面、極めて難しい技術だ。
己の反射神経を越えた移動法なので距離を決めてから行う。
緑の強化術式リュー厶・ウォルル厶を肉体で再現する歩法だ。
間合いを掴み損なえば自ら刃に貫かれに行くようなものだ。
答えは鋼を叩く音が示した。
風の刃で鉄を弾くという結果にクリックすらも目を見開く。
風に薄く反対属性である黄属性をまとわせるという奇っ怪な発想により、鋼を弾く力に変えているのだ。
左、振り下ろす、弾かれる。
右、横薙ぎ、弾く。
ギィンギィンと徐々に早くなっていく双剣同士の応酬に、観察に徹していたエリエスすら息を飲み、入っていけないセロはその危うさに目が離せない。
クリスティーナやマッフルすら卵を目指している格好のまま、足を止めてしまった。
「一……、二……、三……、であります」
停滞を意味する鍔迫り合いすらも事細かい目線と筋肉の動きにより苛烈に動き回る静寂であり、一撃一撃が精彩な一閃は互いの支配が導き出した解答ゆえの脈動する停滞であった。
ともすれば教師のように見本的なリズムと、エルフ特有のしなやかさは鞭のようにクリック・クラックの双剣を欺き、時には火花を散らして、その場に足を止めさせている。
リリーナは強化術式を使っていない。
条件はクリック・クラックと同じだ。
ではクリック・クラックの肉体性能とリリーナは同等かと言うとそうでもない。
クリック・クラックの方が肉体面ではずっと高い。
一重にリリーナがクリック・クラックと拮抗できているのは技術の性質と差が如実に現れただけだ。
「一、二、三、であります」
ヘグマントの教えた基礎技術が根付き、ピットラットが叩き込んだ舞踏術が一切の無駄を排除し、そしてヨシュアンが教えてきた精神抑制法が安定の術式技術を保証し、エルフとしての【支配】の性質がリリーナの中で融合していた。
そして、同時に解を得た。
「(――先生たちはすごかったのでありますなぁ)」
思考にもならない、感性が出した結論だった。
ヨシュアンはクリック・クラックの性能を【戦術級】の中位と看做していた。
その基本性能と拮抗するまでに至ったリリーナは、その場に立って初めて理解をした。
現時点までに教わった全ては無駄ではなかった。
当たり前のような、しかし、当人には中々気づきづらいものだろう。
何度も繰り返して教わる全てにどこかリリーナは鬱屈していた。
なんで、こんなことを何度もしなければいけないのか。
なんで、ずっと走り回らなければならないのか。
なんで、座ったままで人の話を聞かなければならないのか。
奔放な精神を我慢で抑え、妹たちのためと素直に言うことを聞いていたリリーナは本人が気づかない部分でストレスを煮凝りのように固め、心の底に沈めて、時にセロに抱きついたりクリスティーナやマッフルをからかうことで発散し、学園生活を営んでいた。
だが、こうして理解してみれば煮凝りなんてものは見当たらない。
あるのは返す刀が、受け流す形が、挙動を掴む目線が、心持ちが、その全てが最適化されたことで晴れていく、快感にも似た開放感だ。
振り下ろされるクリック・クラックの右針を、振り上げる左の風刃で弾き、ノーガードとなった胴体に蹴りを入れる。
咄嗟に後ろに飛んだクリック・クラックが間合いを空けた。
「ザル厶、であります」
開放、発動を意味する追加の術陣がリリーナの風刃を鞭のように伸ばし、クリック・クラックの足元に絡みつき、その態勢を崩す。
リリーナが望んだ心の形は近接ではない。
もっと先を見据えた、しかし、リリーナの精神性に即した形だ。
通常、発動に必要とされるリュー厶・ブレドの術陣に追加術陣を加えることで形状を変化させるという換装式を採用し、近距離ならば硬質な風の刃、中距離ならば風の鞭へと効果を変える――いわゆる【多節機構剣】に近い術式を完成させていた。
これにはヨシュアンも文句なしで合格点を――遅れた分だけ減点して与えたほどだ。
リリーナはありとあらゆる局面に対して等しく有効な形を欲っしたのだった。
そして、クリック・クラック相手にリリーナはチャンスを得た。
クリック・クラックは地面に腰をついて、立ち上がるまで一挙動を費やすだろう。
実力が拮抗している間でその一挙動は致命的な遅れだ。
【瞬歩】で間合いを詰め、一刺しで心臓を止めるべく風刃を突き立てる。
「いいや――無理だよ」
後、もう少しのところで風の刃がリリーナの手から掻き消える。
掻き消えた術式は波動となって周囲に撒き散らし、その衝撃でリリーナはたたらを踏んでしまった。
その原因はリリーナにはわからないだろう。
周囲に浮かぶ無色の源素が『部屋に入りたくない気持ち』を抱かせ、そして、同時にリリーナの術式効果時間を削っていたことを。
知らされざることは決して知り得ることはできない。
実力が拮抗した者同士の一挙動の遅れは致命的な隙ならば、まさに今、この瞬間、立場は逆転した。
クリック・クラックの突き出した左針が逆にリリーナの心臓に届く――
「リオ・ラム・シルドなのですっ」
――ことなく、氷の盾によって阻まれる。
しかし、セロの術式では完全に針を止めることはできず、氷の盾は完全に破壊された。
その一瞬で十分だった。
壊れた術式の波動に押されるようにリリーナは全力で足を駆使して後退する。
受身を取るつもりはなかった。
体勢なんて気を配っている暇はなかった。
ゴロゴロと転がりながらも、しかし、リリーナの中に刷りこまれた受身の技術が本人の意図しない形で勝手に受身を取っていた。
すぐ立ち上がらなければ追撃を受けると考えたリリーナだったが、立ち上がるまでクリック・クラックは何もしなかった。
「危なかったよ。あともう少し早かったら間に合わないところだったけど」
ただ呑気に立ち上がり、一息ついただけだった。
どうして追撃しなかったのか。
何故、術式が消えたのか。
それらの疑問に解答を導き出す前にぞわりとリリーナの肌を悪寒が舐める。
嫌な気配が広間の奥から吹き出してきている。
クリック・クラックから目を離すのも危険だが、それよりも恐ろしい気配に目をやらずには居られなかった。
「クリクリ! マフマフ!?」
リリーナが見た物は卵から飛び出す触手が天井を砕き、その破片がクリスティーナに落ちてこようとしていた瞬間だった。
※
セロは自分が何をできるか、何をすべきか、じっと前衛の戦いを眺めながら機会を伺っていた。
リリーナとクリック・クラックの攻防はセロの目で追えるものではない。
しかし、決定的な瞬間は絶対に訪れる。
そうでなくとも備えておいて無駄にはならないはずだ。
果たして、その時は来てしまった。
リリーナのリュー厶・ブレドが掻き消えた理由も考えない。
それはエリエスの仕事でセロの仕事は今、この瞬間だった。
「リオ・ラム・シルドなのですっ」
リオ・ラム・シルド。
シルドの術韻は元来、使用者の目の前に術式で作り出した何かを展開する術式だ。
要するに緑ならエアクッションを、赤なら火を、黄は雷を、そして青は水の塊を作り出す。ただそれだけの術式だ。
盾代わりの障害物にするだけの術式も結界のアレンジばかりを考えていたセロにとってはその出現位置を大きく広げる成果に繋がった。
物理結界ばかりに頼っていてはこの場の活躍はなかったろう。
レギンヒルトの戦う姿が脳裏に刻み込まれていたことも一つの原因だったのだろう。
憧れるだけの少女は今、この瞬間に足を一歩、踏み出す。
憧れを見ているだけではなく、憧れを目指す少女になった。
セロの願い通りにリリーナは助かり、九死に一生を得る。
「良かったのです……」
ちゃんと気持ち通りに動けたこととリリーナが助かったことにホッとする。
セロには高い肉体強度も、性能もない。
術式にしても物理結界くらいしか取り柄がなく、術式の成績はマッフルより上であっても攻性術式を相手に撃つのに躊躇いなどもあって実戦では戦闘行使力はあってないようなものだ。
唯一の力でもあり、防御の要であった物理結界も白の源素がなければ使えない。
何もできないセロは、だからこそ何かをしたかった。
そこまでの意識があったかどうかは確かではないが、少なくとも戦うクラスメイトが安全であるために何をしなければならないのかを意識できるくらいには成長していた。
ただ怯えているだけでは、誰も助けられない。
第一試練においても怯えて足を引っ張ってしまった。
迷いが足を引っ張るとヨシュアンに窘められた。
それが何よりの怖さだと知った。
だから、助けたいという気持ちを前に、怯えて迷いたくない。
その気持ちがセロの集中力を高めていた。
クリック・クラックの追撃にリリーナが傷つかないように集中し、全てを見ていた。
結局、クリック・クラックは追撃しなかったのだが代わりに想像を絶することが起きる。
全てを見渡せる位置に居たからこそセロは見てしまった。
なんとか卵を壊そうと剣を叩きつけているクリスティーナとマッフルの目の前で卵が割れる瞬間を。
禍々しい木の枝のような触手が天井に伸び、なおも成長する触手が天井を壊す。
その様子はまるで世界そのものを飲み込もうとするようにも見えて怖気が走り、集中力がかき乱されてしまった。
ちょうど成人の半分くらいの大きさの瓦礫がクリスティーナの頭上に落ちてくるのをただ息を吸って驚くことしかできない。
「クリスティーナさんっ、マッフルちゃん……っ」
もうもうと立ち込める埃に隠された二人の姿に胸が締めつけられて、身動きしかできなかった。
「ぁぅっ」
非力なことも忘れて駆け寄ろうとしたセロをエリエスが止める。
「入っちゃダメ」
「でも……っ」
エリエスは無表情のまま、じっと埃の向こう側を見つめていた。
その横顔に心配の色を見たセロはグッと我慢する。
助けたいだけの気持ちではダメなのだ。
広場は戦闘区画内で、そこに非力なセロが入りこめばクリック・クラックに狙われるかもしれない。
そうなれば足でまといだ。
触手に捕まればどうなるかすらわからない。
そもそも天井がまた壊れてセロに落ちてこない確証もない。
エリエスとセロにできたのは仲間の無事を祈ることだけだった。
反射的に足を折り、祈りの体勢に入ったセロの視線に奇妙なものが映る。
「うきゃ?」
ポルルン・ポッカだ。
ポルルン・ポッカはセロの入っていけない扉のすぐ向こうに立っていて、「うきゃ」「うきゃ」と踊っている。
「うきゃー」
「うきゅっ」
しかも、なんか増えていた。
「うきゃきゃ」
「うききゅっきゃー」
「うきゅー」
そして、三匹になった。
流石に目が点になるセロだった。
「うっきゃー!」
そして、爆発的に増えるポルルン・ポッカに何の感想も言えないセロだった。
「……増えた」
「……増えたのです」
この瞬間だけは友達のことを忘れても仕方なかったのだろう。
※
彼らに一つの指令が下るより少し前。
そのずっと前にモフモフはポルルン・ポッカの集落に一匹、ポツンと座っていた。
今しがたポルルン・ポッカより全てを聞いたばかりだ。
『―――ッ!』
喉を震わせ、辺に響かせるように声を広げる。
場所はどこでも良かった。
森の奥に足を踏み入れたのは人に見られたくなかっただけだった。
森の守護者は森に居る全ての者の位置を知っていた。
そして、どこに居ても言葉が届くと知っていた。
遠吠えは守護者を呼ぶ合図だ。
『聞け! 我が同胞の願いを聞け!』
返答はなくても良かった。
『森に同胞の子らが居る! 慈心非心を受け入れる子らである!』
親愛なる守護者に問いかける。
『彼の子らを導け! 親愛なる守護者よ!』
森はただざわめくだけだ。
『同胞との約束のため、我らが積年の同胞よ! 我が切実なる願いに応えよ!』
しかし、返答は意外なものだった。
眷属鬼の卵を孵化させた者が居り、そこに子供たちが居るという一番、最悪な返答だったからだ。
同時にもう一つの情報も得る。
『そうか。ならば同胞に伝えよう』
眷属鬼の居場所を知ったモフモフはすぐにその場から駆け出していった。
その走りに焦燥はない。
守護者の眷属たる『森の子』が生徒たちと共に居ることもまた聞き、時間的余裕があると理解したからだ。
だがグズグズしても居られない。
ヨシュアンの匂いを手繰り、屋上に到着したモフモフはヨシュアンと『おまけの女』も背に乗せて、夜を往く。
背に乗る同胞の手が汗ばみ、焦りに焦がれていることに胸を痛めながら――
※
ポルルン・ポッカたちの行動は恐ろしいほど迅速だった。
「な――! なんですの!?」
クリスティーナをかばったマッフル。
その下半身にのしかかる瓦礫をどかし、マッフルを救助したかと思えば、別のポルルン・ポッカがクリスティーナを担ぎ上げ、一気に門へと走り出していく。
マッフルの行動に焦り、罪悪感を覚える間もなく行われたためクリスティーナはもう慌てることしかできなかった。
リリーナもまた運ばれていく。
ただリリーナに余裕があったのは見ていたからだ。
クリック・クラックを威嚇するように囲むポルルン・ポッカの姿を。
「およよ~、であります」
クリック・クラックの針に何匹か貫かれていたが『あれではポルルン・ポッカの処理に忙しくリリーナたちを追いかけてこれないだろう』と確信できる程度には安心できる光景だった。
ただ少しだけポルルン・ポッカが可哀想だと思ったが、今は現状を把握するのが先だと流れに身を任せていた。
「……驚き」
「はぅ、はぅ~なのですっ」
その様子を眺めるしかできなかったエリエスとセロも、まるで波に攫われるように次々に遺跡の外へと運ばれていく。
怒涛の展開にエリエスですら思考放棄を選択するほどだった。
というより、どこからツッコんでいいかわからない。
この場にヨシュアンが居たら的確かつ果敢にツッコミを入れていただろうが人生経験の浅い生徒たちはただ流されるのみだ。
やがて、全員が外に放り出されるとエリエスは正気に戻る。
すでに空には月がかかり、慌てて術式ランプを手元に引き寄せる。
「マッフルは?」
その一言にクリスティーナは倒れたままのマッフルに駆け寄る。
泣きそうな顔のまま脈を計り、呼吸を確かめ、心臓の音を聞き、生きていることを確認して地面に腰を落とした。
こうして触っているというのにマッフルは気絶したまま起きてこない。
「……どうして」
クリスティーナとマッフルはお世辞にも仲がいい間柄ではない。
いつだって喧嘩しているし、お互いがお互い、気に入らない。
いけ好かない愚民だったのにあの瞬間、マッフルはクリスティーナを助けた。
クリスティーナはあの瞬間、自分のことしか考えられなかったというのに。
「……私の不注意で」
「うきゃー」
「愚民の癖に生意気ですわ!」
「うきゃきゃ~ん」
「愚民らしく己の心配だけしていれば……」
「うきゅ、うきゃ?」
「うきゃうきゃうるさいですわね! この謎生物! 少しは静かにしてくださいません!」
クリスティーナの心情の吐露も台無しだった。
ヨシュアンクラスを運んだ大量のポルルン・ポッカはまだこの場に残って、生徒たちを守るように傍にいる。
「セロ。救急箱」
「は、はぃ、なのです」
マッフルの頭から血が流れている。
おそらく瓦礫が落ちたときに頭にかすめたのだろう。
掠めるだけで十分な威力だ。
打ち所が悪ければ普通に死ぬ大きさの瓦礫だった。
完全に足が挟まっていたので捻挫――悪くて骨折くらいしたかもしれない。
頭に包帯を巻き、怪我がないか足を見るとやはり赤く腫れている。
これでは目が覚めても、痛みで動き回れないだろう。
「………」
何が間違っていたのだろうか。
仲間に損害が出た。
それは戦術行動中ならありえる可能性として、真っ先に考えることだ。
その上で、どれだけの損害を減らして目的を果たすか。
戦術とはそういうものだ。
全ての行動にエリエスは間違っていなかったはずだった。
しかし、問わずにいられない。
クリック・クラックの行動、目的。
自分たちの立場を考えれば、あそこで戦わない選択肢はなかった。
クリック・クラックを行動不能にすれば安全に退避できた。
例え敵わなくても確実に退避できる手段をエリエスは持っていた。
エリエスが考えた宿題の術式は面単位を覆い尽くす黄属性の弾幕術式だ。
それは相手の行動を抑制し、その輝きで目を眩ませる『制圧とかく乱の術式』だった。
確実に撤退するために戦闘に参加せず、ずっと機会を狙っていた。
なのに、実際はどうだろうか。
卵が孵化した瞬間、事態は急変した。
エリエスの想定外のことが一瞬の内に次々に起こり、対処すらできず流れるまま遺跡の外に放り出されてしまった。
あの時、あの流れの中でどうすれば仲間が傷つかずに済んだのだろうか?
ここに彼女の答えを導いてくれる教師はいない。
「皆、無事だったでありますよ?」
知らず、拳を握るエリエスにリリーナが優しく宥めるように語りかける。
「……わかってる」
アレを見た瞬間の怖気はヨシュアンクラス全員が感じていたことだ。
「先生に事態を話すために早くこの場から去るべき――」
地面が小さく揺れる。
振動は嫌な予感だけを膨らませた。
次に振動が起きた時、予感は確信に変わる。
「――もしかして」
ポルルン・ポッカたちが一斉に騒ぎ、生徒たちを守るように弧月陣の並びを取る。
それは遺跡の地上部であるお堂を貫き、空に突き刺さった。
ぬらぬらとした疫病のように斑点のある黒色の触手はさっき見たものよりも活力があり、激しく揺らめいている。
アレが外に出ようとしている。
今度こそ、間違えない。
戦術目標を改め直して、戦術を組み立てていく。
だが最悪はどこまでも続く。
先の振動と触手に当てられた騎竜たちは我先に逃げようと繋がれた縄を枝ごと折って逃走してしまう。
慌てて指笛を鳴らしても騎竜たちは帰ってこない。
逃走のための移動手段は失われてしまった。
「リリーナ。もう、これは私たちでは手に負えない。だから先生を呼んできて」
遺跡から学園までどれだけの距離があるか、言わなくてもわかるだろう。
しかし、確実に学園に辿り着けるのはリリーナしかいない。
肉体性能、エルフの才覚、どれをとってもリリーナ以上の人選はない。
「セロとクリスティーナはマッフルを連れて、この場からできるだけ離れて。救援が来ても見つかりやすいように南に向かって」
「わかっていますわ」
最低限の荷物をセロに手渡し、マッフルを背負うクリスティーナ。
すぐに行動に移そうと何歩か歩いて、ふと気づく。
エリエスがついてこない。
「何してますの! 早く行きますわよ」
「ダメ」
「何がダメですの! まだ表に出てきていない今の内ですわよ」
この行動にリリーナは察してしまった。
「私はなるべく学園側から遠い西へと誘導しつつ、機会を見て逃げる」
エリエスから聞きたくない答えが返ってくる。
「だから、それは!」
「エリリン! ダメであります! 皆、一緒じゃないとダメであります」
「確実に多くが生き残るにはこの方法が一番」
一番、消耗の少ないエリエスがこの場に残り、足止めする。
エリエスを犠牲にして逃げろと言われているのだ。
クリスティーナは今なお『無表情なまま』のエリエスに瞬間、頭に来る。
罵倒したい気持ちが喉まで出かかる、逃げようとした一歩の距離が遠ざかってしまう。
それでも心の冷静な部分がエリエスの方法が一番、犠牲が少ない方法だと理解してしまう。
口惜しかった。
何も反論できず、罵倒もできない。
何を言ってもきっとエリエスは反論し、頑なに作戦に固辞し時間を無駄に使うだけだ。
そもそも何を言いたいのか言葉も出てこない。
「この……っ!」
クリスティーナの背中にはマッフルの暖かさがあるのだ。
ここでクリスティーナがマッフルにしてやれることは借りを返すためにマッフルを背負って、逃げることだけだ。
「恨みますわよ!」
本当に言いたかった言葉はそんなものではない。
だけど、触手はもう一本、もう一本と増えてきている。
直に表に出てくるだろう。
わかっているのだ。
エリエスがこんな作戦を立てたのはクリスティーナに力がないせいだ。
全員を守れるくらい強かったら、エリエスはもっと別の手段を考えついていた。
「セロさん、行きますわよ」
「……エリエスちゃん」
本当はセロもエリエスに何かを言いたい。
一緒に逃げようと言いたい。
だけど、エリエスの背中は何を言っても聞かないような拒絶感があった。
何度も何度も振り向く度に願わずにはいられない。
考えを変えて、一緒に逃げてくれないかと。
だけど、エリエスは頑固だ。
それはセロが一番、よく知っている。
森の向こう側に消えていくクリスティーナとセロ、そして護衛のつもりなのか十数匹のポルルン・ポッカがついていくのをエリエスは殊更、見送ったりしない。
むしろ目の前の化物がどれほどのものか、どうすれば逃げきれるのか考える時間の方が大事だった。
「エリリン、本当に大丈夫でありますか?」
まだ動かないリリーナが眉を八の字にして聞いてくる。
「リリーナが急げば急ぐほど皆、助かる可能性が増える」
エリエスは理屈を前に出した言い方をしたが、これにリリーナは胸を締めつけられる。
リリーナが頑張らないと皆が死ぬ、と言われているようでなおさらだ。
「リリーナは急ぐであります。だからエリリンは絶対に無茶しちゃダメでありますよ」
その瞬間、リリーナは走り出した。
後ろは見ない。
リュー厶・ウォルル厶を断続的にかけながらの強行軍だ。
一秒でも早く、誰よりも早く、ヨシュアンの元へと駆けていく。
周囲に誰もいなくなったあと、エリエスは茫洋とソレが出てくるまで待った。
「……一人で残れたら良かったけど」
ポルルン・ポッカたちはエリエスを守るつもりなのか、離れていくつもりはないようだ。
被害を増やすつもりはないが正直に言うと戦力は多い方がいい。
何故、ポルルン・ポッカが生徒たちを守ろうとしてくれているのかエリエスからではわからないが、それでも少しだけ心強かった。
そして、それは現れた。
三日月の薄い光と術式ランプの光をスポットライトに現れた異形の化物。
イソギンチャクのような、タコを逆さまにしたような奇っ怪なフォルムに蠢く触手を張りつけた『枯れ木のような』生物。
どう形容すべきかエリエスにはわからない。
逃げきれるのか、ちゃんと注意を引けるのか自信もない。
それでもエリエスは囮になることを選んだ。
ただ絶望的状況で生き残る手段を模索する。
彼女はその気持ちの元がどんなものなのかまだ気づいていない。
その、さっきまで感じていなかったのに溢れる気持ちを寂しさと、作戦を固持した気持ちを罪悪感とも気づかずに。




