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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第三間章
217/374

布の厚さに遮られて 前編

 帝国が誇る武力【キルヒア・ライン】の本部【ビルレスト】はちょうど王城を本隊に見立てるのなら左翼の位置にあった。


 本城と尖塔でつながった城。

 ぐるりと尖塔が立ち並ぶ要には必ず緩衝帯のような建物があり、【ビルレスト】もその一つだ。


 高い塀で囲まれた副城は見る者を圧迫し、攻城戦に備えて付けられた返しは余計に襲いかかってくるような強圧を感じさせる。

 彩もなく、灰色がかった石で構成され、唯一の出入り口でもある城門を抜ければ見下すように睥睨する建物群が出迎える。


 見る者を威圧するように作られた、全てが攻撃的な城。


 【キルヒア・ライン】に所属する本隊正騎士はここで訓練から手続きに至る全てを行う。

 外周部隊も『どこどこをどう周り、どういう風に動くのか』をちゃんと報告してから外周守護につく。

 故に正騎士たちの出入りは激しい。

 

 今日も誰かしら門兵に挨拶しながら通りがかる者がいるが、その黒騎士は少し不審に思う。


「……なんかピリピリしてんな」


 門兵がいつも以上に神経を尖らせているように見えるのだ。

 彼は外周部隊でも下っ端に位置する若い正騎士ではあるが、【キルヒア・ライン】の訓練に三年も耐えてきた強者だ。

 門兵が広げている【支配域】がいつもより広く張っているような気がして、違和感を覚えているのだ。


「あぁ、なんだ。聞いてなかったのか?」


 連れも同じ黒騎士だが少しだけそれぞれの部位が違う。

 細部も違っているが【キルヒア・ライン】の特注術式防具『黒装』は個人に合わせたチューンナップがされている。

 それぞれが同一規格でありながら個人能力を最大限まで伸ばせるように仕上げられている。


「ウチの物騒な華が筆頭にお呼ばれされたんだとよ」

「華――あぁ」


 二十代くらいの正騎士は曖昧な顔で言葉の意味を理解した。


「いちいち目くじら立てるようなもんかね」

「個人的には強ければどうでもいい。人語を喋れて規律が守れて、人間であれば良しだな。だがな、やっぱりいるもんさ。居るだけで問題になる類がな」


 三十代くらいの正騎士は答える。

 お互い、歳は離れていてもタメ口だ。

 【キルヒア・ライン】にも上下はある。それも他所よりも厳しい規則だ。

 しかし、どんな規則も個人の関係までは取り締まれない。


 彼らはお互いの長所と短所が噛み合う間柄だ。

 それは武でも同じでお互いがお互いを補え合うので自然と対等の関係を築けている。

 休暇の日には一緒に酒を飲みに行くくらいだ。

 

「そういうのは和を乱す。規律を乱して、軍規を変える。軍隊がいちいち方針を変えるようじゃ務まらない。俺たちの仕事は一つだ。だから『【キルヒア・ライン】は帝王陛下を守らない』。俺たちは――」


 次の言葉を告げようとした瞬間、ドンッと鈍い音が頭上の橋から響き渡る。


 パラパラと落ちてくる小さな砂利。

 それを見上げた二人は眉根を潜めて、次は肩をすくめた。


「物騒な華の機嫌が悪いに一杯かけるぜ」

「なら、そうだな。先輩方がいつもの因縁をつけてきたからぶちのめした……、ていうのはどうだ?」

「賭け率は同じか。ま、いいんじゃねぇかな」


 騎士二人は動じずにさっさと建物の中に入っていった。

 これから彼らは外周部隊のスケジュール確認と次に仕事が入るまでの庭内訓練が待っている。

 いちいち確かめる必要はない。


 どうせ何があったのかなんて仲間がおしゃべりで教えてくれる。

 だから、なんの憂いもなくこの場を去っていけた。


 彼らにとってささやかな賭けの内容はどのように転んだのか。

 それは数日後の話になるが、この時はどちらが勝っても良いと二人は思っていたくらいだ。



「それは命令でしょうか。ディザン筆頭殿ッ」


 【ビルレスト】の一部屋に二人の人物がいた。


 一人は部屋の中央で立ち、握り拳を震わせていた。

 多くの噂の的であり、誰もが彼女についての話題を聞いたことがあるだろう。

 男性社会のど真ん中たる騎士社会に、女でありながら騎士の名を戴いた人物。


 女性にしては高い身長。

 凛々しい顔つきに綺麗な姿勢は見ただけで几帳面だと他人にわからせるが、今はその顔も苦々しく歯噛みして、獰猛な牝狼を思わせる。

 漆黒に濡れた黒い髪を後ろで無造作に束ねていても、女性としての品よりも研ぎ澄まされた武芸者然とした印象を受ける。

 黒に金の刺繍の入った軍服を身に包んでいる今は、男装の麗人のように見えてしまうだろう。

 事実、【ビルレスト】の受付の女性事務員に黄色い声で出迎えられた記憶は新しい。それどころか毎回のことだ。


 もちろん、その声援に苦い顔で何事かを告げるのもいつものことだ。


「不服か。オルナ・オル・オルクリスト」


 もう一人は短い顎鬚を整え、四十くらいの男性だった。


 すでに白髪に近い髪色、鋭い眼の奥に見えるクリアブルー。

 そこに居るだけで場の空気が重くなるような重厚な雰囲気を身に纏い、軍服は似合う似合わない以前に自然だ。

 まるで肌の一部のように着こなし続けてきたからだろう。


 アウルス・ディザン。


 『帝国首都防衛長官並びに【キルヒア・ライン】筆頭騎士』という長い肩書きを持つ男。

 祖父に近衛兵団隊長、父に猛将という最強の血統を背負い、現帝国の七武神の一人でもある。


 号は【獅豪】。

 純粋な剣技に置いては帝国随一に挙げられ、術式騎士としても必ず名が挙がる。

 密かにオルナが憧れている人物でもある。


「それが命令とあれば不服はありません! この身は帝国の守護として投じた身ッ! 竜の臓腑を持ち帰れと言われるのであれば胸を張って進み、之を成しましょう! 三千の兵を足止めせよと申し付けられるのであれば全滅してご覧にいただけましょう!」

「ならば問題はないな」

「――しかしッ!」


 本来、アウルスの命令に口答えは許されない。

 【キルヒア・ライン】の全指揮系統を担う筆頭と、たかが外周部隊の正騎士。

 上下関係というのなら社長と一般社員くらいの差がある。


 そのうえで規律の厳しい【キルヒア・ライン】で上の命令に不服でも言おうものなら、懲罰という名の拷問が待っている。

 最悪、この場で殺されてもおかしくない。


 それが許される理由は二つ。


 一つは騎士オルナが【アルブリヒテン】に選ばれた騎士であること。

 女性であっても騎士になれたのは本人の努力はもちろんのことだが、【アルブリヒテン】の影響がなかったわけでもない。


 【アルブリヒテン】を奮う者は帝国の勇者であり、初代所有者にして決闘神ルーカンに選ばれた者でもある。

 いわゆる聖剣に選ばれた勇者のような立場を与えられ、同時に帝国を脅かす相手を叩きのめす義務を背負わされる。

 オルナは騎士になりたいと帝王に告げ、それが叶えられる形で【キルヒア・ライン】にいる。


 アウルスと言えども建前上で、安々と処分してしまうわけにはいかない。


 ましてや本人の任務態度や実力を考慮すれば、処分してしまうのはあまりにも惜しい。

 これでもアウルスはオルナを気に入っているのだ。

 あくなきまで強くなろうとする姿勢。女性とは思えないほどの剣才。


 近頃の若者以上に骨がある、と。


 もう一つの理由は今回の件だけはアウルスも強気に出れない理由があった。


「いいか。これは議会において決定づけられた正式な任務だ。誰もがお前しかいないと口を揃えて言った。私もそう思う。この繊細かつ大胆さを要求され、なおかつ配属された装備を着こなせるのは……、我が【キルヒア・ライン】ではお前しかいない。そう言えば賊に壊された『黒装』はまだ直っていなかったな。ちょうどいい」

「買っていただけたのはありがたく存じます……ッ!」


 議会が承認したとなれば、もはや否とは言えない。

 しかし、オルナも必死だ。


 剣気にも似た怒りで身を震わし、拳は血が出るほど強く握り締めたままだ。

 この場に子供がいれば卒倒するほどの威圧が滲み溢れていた。


「覚悟を決めろオルナ。如何に嫌がろうともこれはもう私でも覆すことができん」


 若い殺気を平然と受け流すアウルス。

 少し残念そうな瞳をしているのはアウルス自身、反対したのだろう。

 しかし、あっさり反対は覆され結局、何の力にもなれなかったのだろう。


 その後ろに隠された努力は嬉しく思いはするものの、やはり納得いかない。


 もはやオルナには任務を受ける以外の選択肢はない。


 そんなことはオルナもよくよく知っているだろう。

 だが、そんなものを吹き飛ばす『モノ』がこの場において一番の問題であった。


「アレを着ろというのですかッ!」


 オルナが指差した先。

 整然とした部屋に剥製でも飾るかのような気軽さで置かれている奇妙な服が原因だった。

 いや、それは服というよりも――


「着ぐるみを着た騎士などどこにいるのですかッ!」


 ――着ぐるみだった。


 頭とお腹が大きく、ずんぐりとした鷲を象った着ぐるみがドテンと鎮座していた。

 騎士剣をデフォルメした太い剣が腰ベルトにぶら下がっていて、鷲の騎士をイメージされているのだろう。

 ただ少し、奇妙な点は目玉が大きいことだ。

 ギョロ目になっていて、土台に支えられても頭までは支えきれない様子が溺れ死んだ死体のように項垂れていて不気味極まりない。


 一種、異様な空気を纏うこの着ぐるみ。


「名前はワシューくん、らしい」

「名前なんて聞きたくありませんッ!」

「そうか。なかなか愛嬌のある顔をしていると思わないか?」

「顔以前ッ! 顔というかもう存在がですッ! 受け入れがたい!!」


 元々、こうした子供向け、あるいは女の子受けするものをオルナは嫌う。

 嫌うというよりも似合わないので避けているのだ。


 その結果、同性とも会話が弾まないのだがそれを知る者はいない。


「そもそもがだ。建国祭には多くの者が集う。壇上からご観覧いただく帝王陛下の御姿は多くの安寧をもたらすだけでなく、その御姿を不埒な者にさらすことになる。我々【キルヒア・ライン】はそうした不埒な者から帝王陛下の御身守護を司らなければならない。だが『黒装』のない者を警備にまわすわけにもいかない。身元が一目でわからんしな。そして、お前の『黒装』は間に合わない。建国祭は来週だ。そこでだ。何を思ったのかお前のために忌まわしきイルメントルートが代わりの装備を持っていると言い始めた。すでに微調整を残すばかりでほぼ出来上がっていたところを考えると前々から計画していたのかもしれんな」


 そう、それがこの事件の発端でもあった。


「そして、仕上がったのがコレだ。奴曰く、通常警備では見えない相手もまさか着ぐるみに騎士が入っているとは思わないだろうから隙が生まれる、とのことだ。ご丁寧に【キルヒア・ライン】の紋章でもある鷲を元に作られている……忌々しい。だが、あろうことか『黒装』以上の性能が秘められている」


 元々、『黒装』の基本構造や理念を作り出したのは【クロイツ・ライン】だ。

 【クロイツ・ライン】は戦争で使う道具や武器、防具、新術式などを作る部署なので当然、イルメントルートの息がかかっている。


「……コレがですか?」

「あぁ。対術式、対衝撃、そして斬撃にまで強い耐性がある。その分、重く身動きが取りづらいのが難点だが重さは『黒装』ほどだという。【キルヒア・ライン】の人員なら十分、運用が可能だ。それと最後の難点は……」


 まだあるのか、とオルナは心の中で叫ぶ。

 これ以上は聞きたくないのだが、直立のままで耐える。


「男の体格では着れない、というところだ」


 色々と耐え切れなかった。


 天を仰ぎたくてもオルナは仰げない。

 騎士が無闇に空を仰ぐわけにもいかない。

 首を晒せば、それは死を意味するからだ。

 

「以上だ。受けてくれるな?」


 やれ、と言わないだけ優しいと取るべきだろう。

 実質はやる以外の選択肢がなくても、だ。


「……【アルブリヒテン】は」

「当然、置いていけ。隠れた警備という題目だ。お前だとわかってしまっては元も子もない。代わりにワシューくんの腰の剣、使えるそうだ」


 ディフォルメされていて幅広で短身の剣をじっと見つめるオルナ。

 アレを振り回す光景をイメージして、苦々しい顔をする。


「(マヌケだ。マヌケすぎる……ッ! どうして私がこんな不格好な着ぐるみを着て人々を守らなければならないのか! 巷の人々はコレに守られたいのか! さっぱりわからない……。これは本当に騎士がやるべきことか!)」


 と、苦悩していたのだった。

 そんなオルナの苦悩をアウルスもわからなくもない。


 だが、それをいちいち口には出さない。

 すでに知っている答えではあるが、あくまでオルナ自身が掴まなければならない。


「陛下の護衛は本隊が行う。お前たち外周部隊は城兵や警備兵と協力して市や催しを見回り、怪しい者や良からぬ輩を叩きのめせ。我々には独立した裁定権はあってもあくまで緊急時のものだ。程度によるが裁定は法の下で行われることを忘れるな。以上だ。返事は」

「身命賭して成し遂げさせていただきます」

「そうか」


 苦悩はしていても返事は早いオルナだった。

 そのまま踵を返して部屋を出ようとするオルナにアウルスは手を伸ばして引き止める。


「ソレは今、持っていけ。ちゃんと整備もしておかないと急場で困るぞ」


 つまり、建国祭まで着慣れておけ、ということだ。

 引きつった顔のまま思った以上に重たいワシューくんを担いで出て行くオルナだった。


 退室し、橋の途中でついつい床を殴ってしまったのは余談だろう。

 ちょうどその下を人が通っていたがそんなことはお構いなしだ。


「(……あの賊と関わって以来、ロクなことがない。いや、以前よりそうだったかもしれないが輪にかけて酷くなっていないか? さては新しい呪いか何かか!)」


 あんまりな状況に以前、出会った賊のことを思い出す。

 理解できない精神性とつかみどころのない性格。

 魔獣のような術式を纏い、悪夢めいた術式技術でオルナを出し抜いたその男と出会って以来、なんとなくツイていない気がするのだ。


 別に何かが変わったわけではない。

 実力が落ちたわけとか訓練がうまくいかなくなったとか、そう言った類はない。

 ただ何かうまくいかない。


 元々、色々とうまくいかないことばかりだが、そういう類とは違うとオルナは思っている。


 顕著な例として、何故かオルナに近寄ってくる人間が少し、増えたのだ。

 それは同じ【キルヒア・ライン】の人間であったり、アウルスの嫌いなイルメントルートであったり、時にはミーハーな声をあげる女性であったり、調子でも悪いのか顔が真っ赤な騎士見習いなどなど、とにかく何かの折に人の気配がする。


 以前のオルナの周囲には誰も近寄らなかった。

 オルナ自身、それが当たり前だと思っていたし、人と会話をしない日もあった。


 その分、集中して剣に触れ、振るうことができた。


 これは人と関わっている分だけ剣に費やす時間が少なくなったために起きたことなのだが、当のオルナは気づいていない。


「(何かこう、本来あるべき運命があったとしたら、あの日に別の運命に切り替わったような変な感覚だ……!)」


 人生において、そうした不思議な転換期のようなものはいくつか存在する。


 たまたま女性が落としたリンゴを拾って、その女性と仲良くなるような。

 たまたま早起きしたら誠実そうな男性に出会い、助けてもらったりするような。

 劇的に変わるわけでもなく、他愛もない出来事ばかりなので気づく者は稀にしかない。


 オルナにとって賊が奇妙なそれに当たっただけなのだろう。

 

「(いや、違う。これは私の不明のせいだろう。私がもう少しちゃんとしていれば防げた事態だ。それを人のせいにするなんて弱気が過ぎる!)」


 別に好きだとかそういう気持ちはない。

 そもそも帝国に仇なした時点でオルナにとっては敵でしかない。

 そう――最悪の敵だった。


「(敗北したからだ。私があの時に敗北して、むざむざ帝国の不利益になってしまったことを思った以上に気にしていたからなのだろう。だから上手くいっていないように感じてしまう――つまりは私の気合が足りない!)」


 気合かどうかはともかく、概ね正解ではある。


 ただ一つだけオルナは気づいていない。


 以前のオルナと今のオルナはほんの少しだけ違う。

 影響を与えたのは間違いなく賊――遠い地で困った教え子相手に頭を悩ます教師ヨシュアン・グラムであろう。

 そしてもう一人、いる。

 

「(このままではあの賊と王国のクライヴ・バルヒェットに再び見えた時、そうでなくても奴らのような強者と出会ってタダで済むとは思えない。本当に気を入れ直さないと)」


 ヨシュアンは問いの形で、クライヴは武の形でオルナに影響を与えた。


 その影響でオルナはほんの少し他人の意見や正義というものに耳を傾けるようになっていた。

 自分の正義は変わらず胸にあるが、他の正義を胸に強くなろうとする者やオルナの及びもつかない考えでなった強者の強さを見てみたいと思うようになっていた。


 その結果、以前まで撒き散らしていた『人を拒絶するような空気』がほんの少し和らぎ、そうした気配に敏感な人はオルナを『少しは話せる人かもしれない』と思わせていたせいとは当の本人はまったく気づいていない。


 自分の変化ほどわからず、他人はよく見ているという話だ。


「(いつまでもウジウジしていたところで何も変わらない。任務に全力を尽くし、そのための努力が必要ならばするのが騎士だ)」


 この日より訓練用の庭で奇妙な生物が素振りする姿が見られた。

 明らかに浮いた存在。

 決して人前で着ぐるみを脱ごうとしないワシューくんの存在は最初こそ驚かれ、ヒソヒソ話の対象とされていたが二日、三日と経つうちに誰も触れようとしないものに成り下がっていた。


 中身の存在が周囲に浸透したせいだろう。


「(そう。周囲がどうこうではない。私は私のなすべきことをなし続ける。別に恥ずかしいとかそんな話じゃない!)」


 着ぐるみのせいかまた人が近寄らなくなったオルナではあったが、同時にほんのちょっとだけ一人で良かったと思えたオルナだった。



 建国祭の歴史は初代帝王の即位を起源とする。

 多くの部族の集まりだった帝国に初めて帝王という、もっとも強い男を王に戴く日の記念とし、毎年、この夏の日を建国祭にしたのが初まりだ。


 何をするというものでもない。

 ただ集まり、帝王の言葉を聞き、そこからは浴びるように飲む。


 だが、それが凄まじい。

 元より気性の激しいハイランダーたちの生み出した祭り。


 夏の只中ということもあり涼ついでにエールやワインを浴びる。

 テンションの上がった帝国民が砲弾のように夏の果物や野菜を投げつける。

 帝都中央に流れる川に飛び込み、帝国万歳と叫ぶ者もいれば、屋台からはモウモウと煙が上がり火事かと疑われ水をぶちまけられる。

 喧嘩はもはや祭りの風物詩だ。


 各所では至るところで催し物が始まり、商売人たちは走り回りながら売買と補充を繰り返す。

 周辺の都市からも商品が流れ込み、帝国中の人間がこの日のために集まり、にわかに活気づく。


 こんな火を点けたように騒がしい日々が一週間も続くのだ。


 だが、この年の建国祭は少し違っていた。


 最初に異変に気づいたのは【テルリット・ライン】のテレンツォ特務官だった。


「ん~? まぁた変な感じだねぇ」


 猫のように細い目、何を考えているかわからない曖昧な顔。

 そんな彼の顔の四分の一を占めているのは陶器のようなツルツルした仮面だ。

 右目をすっぽりと覆い隠している奇妙な顔のくせに、どうにも印象に残らない。


 もしも彼がその仮面を捨てて人に紛れ込めば、もう誰も彼を見つけ出すことはできないだろう。

 居るのか居ないのか定まらないような不思議な存在感があった。


 その彼は祭りの日でも忙しい。

 むしろ人が多く集まる日ほど色々な報告が飛びこんでくる。


 最近、変えた屋敷の執務室で積み重なった羊皮紙の束の中で奇妙な報告を見つけたのが原因だ。

 開いては焼却用の樽の中に羊皮紙を放り込んでいく作業の中で、ピタリと一つの報告書をマジマジと見始めた。


「どうしたもんかねぇ」


 祭期は人の出入りが激しく、この日のために前日どころか前月から多くの人や物資が運ばれてきている。

 その中に他国の間諜が紛れ込むのは当たり前の話だ。


 そうした者たちは前もって怪しいと睨んであるので、怪しい者たちに関係する商会や貴族は要チェック対象として影から監視を強めている。

 だが、それ以上に目立ったのは南部側からの人間が多いことだった。


「南部で何かあったのかね? リスリア側が引き受けてくれたからこっちは楽だったんだけどなぁ」


 背もたれに体重をかけて、宙空を睨むようにブツブツ言い始めるテレンツォ。

 その姿を見咎める者はいない。

 ここにはテレンツォしかいない。


 諜報に関する情報を多くの者で処理するわけにはいかない。

 ましてやテレンツォは【テルリット・ライン】の長だ。

 最重要な情報が集められているので秘密を知る者を増やすわけにもいかない。

 なのでテレンツォが仕事をするときは常に一人だ。

 せいぜい情報という荷物を持ってくる侍女と――命令を受けるために駐在している特務官が何名かいるくらいだ。


「むぅ……」


 テレンツォがぶらぶらと足を動かす。

 彼が何かを考えている時についやってしまう癖のようなものだ。


 南部は巨大な沼地を隔てた向こう側にあり、砂漠が広がる地域だ。

 沼地のせいで帝国もあまりそちらへと人員を動かすことができず、南部のほとんどが未開拓地域となっている。


 これはリスリアも同じだ。

 故に独自文化を築き、自治意識が強い彼らは問題の種になりやすい。

 例えば帝国民とは違う宗教観を持ち、突然、火を焚き出したり、それが元で火事になったり、注意した者と喧嘩になりやすい。

 逆に帝国民のプライドを知らずに傷つけ、決闘騒ぎに発展することもある。

 文化の摩擦が一番、起こりやすい相手なのだ。


 これらの行動のせいで帝国民は概ね、南部の人間を野蛮な原住民か厄介者のように扱う。

 先に距離を取っておけば被害を被らないという考えだ。

 多くの国民がこれに倣って問題を避けようとしてきていた。


 むしろ南部の人間を多く引き取る政策を取りながら表面上、目立った文化的な問題を起こさなかったリスリアの内政に驚くばかりなのだが、これは余談だろう。


「まぁ、それはいいんだけどね」


 物見遊山で南部の人間が増えた、と考えるのが自然だろう。

 何らかの理由で帝国の建国祭が南部で有名になり、今年は少し参加してみようか? なんて気軽さでやってきたと考えれば心に優しい解答と言えるだろう。


 しかし、テレンツォは特務――情報を扱う部署だ。

 そんな楽観的な姿勢を見せたら最後、帝国は手痛いダメージを喰らうかもしれない。


 なのでまずにありえそうな部分を考える。


 南部の人間が帝国に訪れる最大の理由は貿易だ。

 南部でしか取れない調味料やトウモロコシなどの穀物、カボチャやピーナッツなどの野菜類は食糧面で不安を抱える帝国にとってはありがたい客である。

 同時に南部の人間からすれば、帝国の高い技術で作られた術式具や武器、防具なんかは興味深い物品だろう。


 建国祭で物資が動くことを見越してビジネスチャンスだと思った南部の人間が大量にやってきたと考え、


「いや、ないわー」


 すぐに却下。

 そして、また新しい考えを頭で構築する。


 南部は武装集団でもある。

 水という限られた資源を奪い合う過程で同じような部族で日常的に殺し合っている。

 南部の傭兵と言えば、帝国騎士もかくやという実力を持つ。


 彼らが動くということはそこに争いの火種がある、ということだ。

 では帝国が争う相手と言えば、これも五万とある。

 リスリア王国、法国、異種族に山間部の魔獣、敵なんてゴロゴロしている。


「ん~、っぽいなぁ」


 争いに来た、という考えは悪くない。

 これを起点にもっとも最悪な状況は建国祭に乗じて帝王暗殺だ。

 何故、どうしてなどは考えない。

 そんなものは最初から潰すか、全て終わった後で調べればいい。


 現実味はかなり薄いと自覚している。


「まずは情報収集かな」


 机に置かれたベルを振るとすぐに扉が開かれる。

 軍服に身を包んだ男もまた没個性を形にしたような男だった。


「『白面』を連れて、ちょっと何人か拉致って来て。やり方は任せるから」

「了解しました」


 男は何が、とも、どうして、とも聞かない。

 鷹揚に頷き、一言だけ返答してすぐに扉を抜けて出て行った。


「さて、何が出てくるかな~」


 【テルリット・ライン】はこうした『非合法な手段で帝国を守る』ためにいる。

 おそらく南部の怪しい人間は捕まえられた後に拷問で知りうる情報、全てを吐き出させられるだろう。


 法律すら【テルリット・ライン】を縛れない。


 彼らを縛れる法律は一つ。

 帝国という集合体を存続させること。


 彼らにとって帝王は帝国の要であって、致命傷ではない。

 故に帝王を守るという気概がもっとも少ない部署とも言える。


 ただし、帝王がいれば帝国も安泰なので絶対に殺させるつもりなんて毛頭ないのだが。


 しばらくして特務官が『まだ無辜の民だった誰か』から一つの情報を仕入れてくる。

 それは『魔薬を使い集団でパレードを襲う』というシンプル極まりない、しかし、どうしようもなく覿面な戦術方法だった。


 テレンツォがこの情報を聞いた時にはすでにパレードが始まっており、テレンツォの指示で『あらかじめ作戦を潰せる段階』ではなかった。

 遠くで騒がしい歓声を聞きながら、


「仕方ないなぁ。どうせ正面から来るなら、こっちは裏口を潰そうか?」


 しかし、テレンツォは淡々と仕事に励む。

 楽観的な口ぶりとは裏腹に、相手にとっての致命傷になる手段を選び、それは――


「悪い芽は根元からバッサリいかないとねぇ」


 ――テレンツォにとって歩くくらい簡単な選択だった。



 帝王の挨拶は始まりの日に行われる。


 尖塔のバルコニーより姿を現した帝王に、この日のために解放された城内の広間に詰め寄った人々が喝采をあげる。

 熱狂、興奮、熱気、歓声、歓呼、賞賛。


 声は混在し、地震かと思うくらい人々の肌を震わし、一瞬だけ夏の熱を吹き飛ばす。


 むしろ自分たちの熱気の強さに熱中症で倒れている者がいるくらいだ。


 帝国にとって帝王とはそれだけ偉大であり、そして帝国そのものを表している。


 そんな大歓声相手に微塵も臆したりせず、帝王は凛然とした趣で国民たちを睥睨する。

 そして緩やかに手を挙げるとピタリと熱狂が止む。


「この喜ばしき日に集った余の民よ。聞くがよい」


 落ち着いた、どこまでも沈むような声色。

 しかし、一切の聞きづらさや淀みはなく、耳に入り込む言葉だった。。


「帝国は今、雌伏の時である。我らが帝国は創立より常に耐え続けてきた。過酷なヴィラリック山脈より現れる魔獣、竜骨山より飛来する竜種の襲撃。他に穏やかな地こそあれ何故、この場に帝国が築かれたか――」


 帝王の声は一人、一人を諭すように紡がれていく。


「――我らの祖霊は積み上げてきたのだ。圧倒的な逆境、凶悪な種族の壁。そうした壁に誰一人として顔を下げなかった。ただ前を向き、顔を上げ、胸に気炎を宿し、鋼を片手に立ち向かい続けてきた。多くの英霊がこの地に眠っているのは我らを根ざすため、また流れ込む悪逆の徒を塞き止める堰としてであった。聞けよ民よ」


 帝王が指を空に高々と掲げる。


「この唸る風に耳を傾けよ」


 瞬間、尖塔を抜ける豪風が吹きすさぶ。

 まるで帝王の合図と共に風が生まれたようにすら感じる。


「この地に眠る祖霊、そして英霊は皆、勇者であった。ならばその子らである我らもまた勇者である。余の帝国は腰を曲げた老人ですら、まだ言の葉すら語れぬ子であっても、心に剣があるのならば皆、勇者だ。その証拠に隣り合う民を、その眼を見るが良い。強き気炎を感じるだろう。三国の力が均衡している今こそ耐え、機を待て。そして時が来たのなら皆一様に勇者として剣を掲げよ。前線で、防衛線で、砦で、道で、田畑で、川で、山で、家で、この空の下で自らの持つ剣を掲げよ」


 朗々と語られる帝王の言葉と風の音を共に聞きながら。


「痛みを知れ。人の尊厳は同胞に肩を貸しあえることにある。獣畜生にはない人の強さ、それは主神ルーカンが認め、定めたるものである。そして――」


 誰もが決して聞き漏らさないように傾聴している。

 それら全ては自ら国民のためにあると彼らは知っているからだ。


「喜びもまた分かちあえ。余の民よ。帝国の礎たる柱たちよ。今日という日を分かち合い、楽しむが良い!」


 その言葉を最後に帝王は口を閉じた。

 一拍の静寂。


「ヴィルヘルム陛下!! 陛下!!」

「帝王万歳!! 帝国万歳!!」


 大爆発のような喝采の声があがる。

 城すら揺さんとばかりに熱狂に身を委ねる。


 帝王ヴィルヘルムは再び民を睥睨し、悠々とバルコニーから姿を消す。

 演説用に作られたバルコニーはその気になれば術式が届く距離だ。

 不埒な者が帝王に害意を向けて術式を撃てば、まさかの事態もありえる。


 言ってしまえばバルコニーは危険地帯でもあるのだ。


 長居し続ける理由はなく、また帝王の姿を見せ続ける理由もない。


「ウルグス。あの文言を考えたのは誰だ」


 廊下をカツカツと歩く帝王の傍にはいつものようにウルグスが控えている。

 その後ろを候爵位たちがつらつらと並んで着いていく。


 これも毎年の恒例行事だ。

 帝王のスピーチの後、帝王主催の催事が執り行われる。

 これに出席できるのは候爵位たちとウルグスのような宰相、そして各ラインの長くらいなものだ。


「アウルス筆頭です」

「……早急に他国との緊張を緩和する政策を考えたほうがいいな」

「それは」


 ウルグスは言われ、すぐに思い出す。


 王妹殿下であるシリアリースのことだ。

 ヴィルヘルムの妹であるシリアリースは一度、死んでいる。

 その死を秘宝で一時的に止めている限り、生き続けられるだろう。


 しかし、その代償は半年分の記憶だけしか持ち続けられない、というものだ。


 そんなシリアリースを救うためにヴィルヘルムはありとあらゆる術式や宝具を求め、その中でも目をつけている物品がいくらかある。


 一つはリスリア王国の奇跡を起こす聖剣【樫の乙女】。

 一つはユーグニスタニア法国に存在するとされる秘宝【海の角笛】。

 そして、最後はどこにあるか、どんな形もわからない秘宝【黄金数術の秘本】である。


 他にも【震える者たちのランプ】、【きらめくメノスの王杓】【深緑瓶詰みどりのつめあわせ】など、シリアリースを治す可能性を秘めた物もある。

 帝王の秘密を知ったウルグスもまた、こうした物品を集めるようにと冒険者に頼んでいる。


 事が事なだけに兵士を動かすわけにもいかず、もっぱら探索はウルグスが見込んだ信頼の置ける冒険者に任せてある。


「(こう考えると歴代の帝王陛下たちと違うな)」


 歴代帝王は皆、様々な理由こそあれ領土支配、果てはユーグニスタニア大陸の覇権を握ることこそが恒久的平和の手段と考えていた。

 武力による単一民族のみの支配。


 複数の種族が交じり合うから争いになる、そう考えられていた。


 しかし、現帝王ヴィルヘルムの理由は違う。


 彼にとって大事なものは妹だけで、そのために必要ならこの世の全てを滅ぼしてもいいと考えている。

 領土支配すらどうでもいいのだ。


 この弱気に見られる言葉にしても『シリアリースを治したいのは山々だが今のやり方だと絶対に欲しいものが手に入らないから手品を変えよう』くらいで言った言葉だ。


「(故に歴代帝王の中で、もっとも苛烈で恐ろしい帝王、なのかもしれない)」


 ウルグスが子供の頃、十代のヴィルヘルムがシリアリースを手にかけようとした暗殺者を冷めた目で切り捨てた光景を覚えている。

 目的のために一切の感情を動かさないヴィルヘルムは冷徹で合理的だ。


 ウルグスですらシリアリースがいなければ使い捨てられるだろう。


「今代で帝国をこれ以上、大きくすることは不可能だ。法国と王国の足並は高い思想で同調している。和を乱す工作もできるだろうが実質、両国の絆を固いものにするだけで終わる。ならば外敵を排除する方向ではなく、外敵を取り込むしかあるまい。運がよければ余が生きている間にあちらの切り札くらい盗めるかもしれんぞ」


 戦争がしたい派閥の貴族はこれを聞き、一瞬だけ顔を強ばらせる。


「しかし、陛下。弱腰では他国に隙を突かれるやもしれませぬ」


 戦争賛成派の貴族の一人が口を出す。

 ウルグスは内心、「いらないことを言う」と思った。


「今は雌伏の時と重々、承知の上ですが歴代帝王陛下の方々を慮るのであれば強気の帝国の形は崩せはしませぬ」

「では、やってみせろ」

「は?」


 まさかの言葉に貴族はポカンと口を開けた。


「貴様に戦時の全権を貸し与える。全軍を以てして両国を下して見せろ」

「え……、いえ、私は」

「できんのか?」

「いいえ、そのようなことでなく、その……」

「(そりゃできないだろうさ。この貴族は候爵の位であっても利潤で栄えた家系だ。戦争が起こったら儲けられると考えて戦争肯定派に所属しているのだろうけど、本人に戦経験なんてないも同じだ。せいぜいアウルス筆頭に全権を任せて、後方で金換算するだけだろう。勝てばそれでこの貴族は今以上に栄えられるだろうが、負けた場合、責任だけ取らされるんだ。そんなリスクの高いことは誰かに任せたいのが本音だろう)」


 貴族は帝王相手にできないとも言えないので、しどろもどろになってしまう。


「(リスリアは内紛で傷ついているとはいえ【タクティクス・ブロンド】が揃ってしまっている。法国もあの【戦乙女】のせいで士気が高い。仕掛ける時期でないことは誰の目から見ても明らかだろう。勝てるとしても大きな損害が出る。そこを見れなかったのはあの貴族というよりもあいつの周辺が急かしているせいだろうな)」


 この貴族自体、戦争したい気持ちなんて薄い。

 戦争利益にだけ目を向けて、民そのもののダメージを考えようとしなかったのは彼と癒着している武器商たちにそれとなく請われたせいだ。


「遠慮はいらんぞ。やれると思ったのだからこそ諫言したのだろう」

「い、いえ、すみませんでした。浅慮なばかりに浅はかな献策を口に出しました」


 内心、首を跳ねられるかどうかヒヤヒヤしっぱなしの貴族ではあるが、ウルグスにはわかる。


「(あぁ、また貴族をいぢめて楽しんでいるな、この人)」


 ヴィルヘルムという帝王はとにかく意地が悪い。

 こうして何かと忠臣たちの慌てふためくような言葉ばかりを口にする。


「(ここらで助け舟を出しておくか)」


 この貴族はどうでもいいが、彼が持つ商売の才能は帝国に必要なものだ。

 ここでこの貴族が死んでしまうと新しいコネクションを作り直し、一から信頼関係を作らなくてはならなくなり、非常に面倒なことになる。


「こちらの姿勢は崩さずに相手の要求だけを切り下げていきましょう。要は強気でありながら譲歩する姿勢を見せればいいのです。両国とも帝国との正面衝突は避けたいはずでしょう。我々も前法国戦での損失が癒え切っていません。これ以上、戦争せずとも帝国の利益になるのならそうすべきです。差し当たって今回は交戦案だけではなく商案、両方を議会に提出してもらえませんか?」


 一瞬、ウルグスに言われ貴族はムッとしそうになったが、内容が助け舟だと理解すると、


「なるほど。まぁ、宰相殿がおっしゃられるのであれば致し方なく。帝王陛下のご意向にも沿うようですし」


 自らの失言なんてまるでなかったかのように、大仰にふんぞり返っていた。


「(調子のいい男だな。今、貴方の発言で帝王陛下が切り捨てる側に置いたことも理解できないのか?)」


 帝王の意地悪は相手の反応を楽しむだけではない。

 問い詰められて代案が出なかった時点で、彼は今後、ヴィルヘルムから厳しい目で見られるだろう。


 彼が全てを失う時。

 彼自身が築き上げてきたコネクションや信頼は全て他の誰かの手に渡っており、彼の代わりが既に台頭してきているだろう。


 この男がこれから致命的なミスをしない限り、それは続いていく。


「(そして、それは私も含まれている。帝王陛下の願いを果たすまで有能であり続けなければならない。だが、それは私の望みでもある)」


 シリアリースを救う、その願いはヴィルヘルムもウルグスも変わらない。

 全てを騙し、全てを利用し、望み叶えるその日まで二人は躊躇わないだろう。


 もしかしたら未来永劫、叶えられない望みであってもだ。



 南方の民族であるハーシェルは金がなかった。

 彼の家は南方では珍しくもない、トウモロコシ畑を作る農家で万年貧乏な家だった。


「へぇ、あんた砂漠の人かい。南方の土地は砂しかないって本当かい?」

「いや、そんなことはないぜ。砂漠つったって砂しかない場所なんてごく一部でなんていうかこう……閑散した森か枯れた芝生ばかりって感じを思い浮かべてくれたらいいさ」

「ふぅん。じゃぁさ……食べ物なんかはやっぱり畑か?」

「水を引くのがいつも苦労するくらいで、まぁ、こっちと変わらないさ」


 彼は十歳になってすぐ家を出た。

 家に居ても生きていく糧はほとんど得られず、少しでも収穫が少なければ飢えて死んでしまう。

 砂漠の枯れトカゲで飢えを凌ぐくらいなら、いっそ家を出て冒険者になったほうがまだ生きる可能性があった。


 そうしてキャラバンに乗って家を出たのが七年前だ。

 そこから冒険者ギルドで生きるための手段と技術を実地で学び、ここまで生き延びてこれた。

 こうした人間は少ないわけでもない。

 しかし、決して多いわけでもない。


 半数は彼のように成人してしまう前に手癖の悪い冒険者に騙され、囮になって食い殺されたり、荷物持ちと称して殿を努めさせられ殺されたりする。

 遺跡の罠にかかることもあれば、ほんの少しの些細なミスが原因で野垂れ死ぬこともある。

 死は常に彼の傍にあり、今か今かと首に鎌をかけようとしていた。


 しかし、彼は運が良いほうだったのだろう。

 親切な冒険者に技術を学び、生きる方法を教わった。

 そして一人前になる頃、恩返しをしたいと言ったら『俺がしてやったようにお前も誰かに困っている奴がいたら手助けしてやれ』と笑いながら去っていった。


 そうして今の彼はようやく少しだけ余裕があるくらいの冒険者になれたのだ。


 こうして野良のチームを組んで仕事し、終わったら一杯やるというのは冒険者同士の別れの儀式でもあり、仕事終わりを意味していた。


 ハーシェルと話しているこの男も同じだ。

 縁があればまた組むこともあるだろう。

 特別な感情を抱いていない限り、チームで活動していない限り、割り切った関係でいるのが一番、後腐れがなくていいと教わっていた。


「そうそう。南方にだって花畑があるんだぜ。黄色い小さい花がな、ここみたいに綺麗なヤツじゃないけどな。トゲトゲしているけれど、まぁ、あるんだよ」

「……あぁ! そういえば話は変わるけどな」


 男は話の途中でふと思い出したような顔をし、ずずいと顔を近づけてきた。

 反射的に顔を引いてしまったハーシェルだが、男の仕草が秘密の話をするものだと気づき、すぐに顔を近づける。


「最近、南方絡みで良い仕事があるって話を聞いたことがあるんだが……」

「良い仕事? ギルドの掲示板に割の良さそうなヤツは見たことがないぞ」

「いや、ギルドを通していないそうだ」

「そりゃダメだろ」


 どんな冒険者も所属するギルドというものがある。

 一口に冒険者ギルドと言っても複数があり、冒険者は基本、どのギルドの依頼を受けてもいい。

 何せ資格のドッグタグを作っているところは一つしかないのだ。

 これは創始者が最初に複数の店が乱立すると予想を立てて、国にお伺いを立て、資格は国家が管理するようにしているからだ。


 ある意味、冒険者は国家資格ということになる。

 これは三国協立で定められた冒険者法に属する知識だ。


「ギルドを無視して依頼を立てたとあっちゃ、ギルドの面子に泥かけているようなもんだろ」


 ただやはり商売敵という面もあってか、冒険者同士にも縄張りのようなものがある。


 あそこのギルドで良く依頼を受けているヤツだから、このギルドでは受けさせてやらない、なんて子供じみた言い訳がまかり通っているのだ。

 だから冒険者が次に大きな街で活動する時は今まで世話になったギルドの系列か、ギルド員同士が知り合いの店に顔を出すようにしている。


「逆だよ、逆。そういうヤツらがいるなら、入りこんで情報をギルドに売っちまえばいいんだ。そうすればギルドの看板の面子も立つし、無法者を成敗してやったという拍がつくだろ」

「そうか。そういう考えもあるのか」


 冒険者法は資格のみを取り扱っているのであって、不正でない限りギルドの運営にまで口は出せない。


 こうした不正は大抵、ギルドが寄ってたかって潰すので不正依頼なんてものは表に出てきたりはしない。


「(そういえば噂で聞いたことがあるぞ。不正依頼を潰した協力者は金一封が出るって)」


 それどころかギルド側もその冒険者に良くしてくれたり、所属チームが助けてくれたりする場合もある。


 冒険者として独り立ちし始めたハーシェルにとって、ギルド内で覚えが良くなれば今以上に余裕が出てくるだろう。

 ちまちまと稼いで実績を積み上げていくのが一番だとわかってはいるが、彼はまだ若く、向上心もあった。


「南方の出っていうのなら、もしかしたらもしかするかもよ」


 こんな危ない橋を渡る必要はないと思う部分もある。

 しかし、有名な冒険者の多くは逆境を好機に変えて、今の地位にいるのだ。


 そっと上を眺めたら、吹き抜けから見える二階で飲んでいる冒険者たちの姿があった。

 彼らはこの酒場でも一番の場所で、酒を浴びるくらい飲める程度には稼ぐチームだ。


 いつか俺も、なんて考えを抱く若い冒険者も少なくない。


「もしもその気なら、麻のローブをかぶった背丈の小さいガキを探せ。大抵、昼のギルド周りに居るってさ」


 確かに裏切る前提なら悪い話ではない。

 話だけ聞いて素直に頷き、すぐに帰ってギルドに報告してしまえばいい。

 まるで告げ口屋のようなやり方だが、先にギルドの縄張りで不正を働いたのは向こうだ。


 その後の話をハーシェルはあまり覚えていなかった。

 どうすれば一番、怪しまれずに済むだろうかなんて前向きに考えていた時点でハーシェルはこの事件に首を突っ込むつもりだった。


 次の日、すぐにギルドの周辺を歩いてみる。

 商店道や主道路は人が溢れ返り、スリにあったり、喧嘩に巻き込まれるからこの時期の帝国で活動したことがある冒険者ならわざわざ主道路を歩かない。

 民家と民家を抜けるようにしても必ず主道路にはたどり着いてしまうため、その時は強引にでも通り抜ける。


 何本目かの筋を通った時に、ふと不思議な人集りが目に付く。


「……なんだ、ありゃぁ」


 子供が多い見世物と言えば道外師か大道芸人かどちらかだろう。

 この人の多さならさぞ大道芸も儲かるだろうとぼんやり見ていたら、その中心にいた何かが動き始めた。


「うわっ」


 つい声が出てしまう。

 それは人物ではなく物体だった。


 ギョロリとした死体のような目に鷲を象ったような顔、腰には変に胴太な剣をぶら下げた姿は鷲の騎士のように見えるが、どう見ても凛々しさや厳粛さからは程遠い。

 ハーシェルから見た騎士像というものから途方もなく離れた姿だった。


 その着ぐるみに子供達が襲いかかっていて、着ぐるみは全力で子供たちを怪我しないように立ち回っていたのだがついに捕まってしまったのだろう。

 押しかかるように子供のおもちゃにされていたのだが、ついに中の人の我慢も限界なのだったのだろう。


 子供を貼り付けたまま立ち上がり、ガッツポーズなんかしていた。


「……大変だな。あぁいう仕事も」


 夏ということもあってただ歩いているだけでも汗が出てくるのだ。

 そんな中、あんな暑そうな着ぐるみで仕事をしないといけない店員も大変なんだろうと感想を抱いた時にはもう、着ぐるみへの興味はなくなっていた。


 今は謎の不正依頼を暴いてやることを考えなければならない。

 特に一番の不安は後ろ盾がないことだ。

 なので、こっそり朝方に懇意のギルドに顔を出し、それとなく今日のことを伝えてある。


 ギルド側も無理をしないようにと言ってくれたが、そこは危険と隣り合わせの職業。

 いつものことだと笑い飛ばして出てきた。


 やがてハーシェルが主道路から脇道に入り、完全に姿が見えなくなった頃。

 その後ろ姿をじぃーっと眺めている着ぐるみが居た。



 騎士オルナの我慢は限界に近づいていた。

 まず開催の挨拶で他の【キルヒア・ライン】たちと同じように警備に着くと思っていたのに配属された場所は広場に入る城門の前に居ることだった。

 まだこれはいい。


 元々、外周部隊はさらにその周辺の警護につく。

 そういう意味では本隊に一番、近い場所で仕事ができたと言えるのだ。

 そこは少し、嬉しい気持ちだったオルナだが、実際に配置に立ってみるとイメージと違った。


 帝王のために集まる国民たちがいちいちジロジロとオルナを見るのだ。

 皆は着ぐるみを見ているのだが、中にいるオルナにとっては見られていることに変わりはない。


「なんだこいつ! 変なの!」


 何より面倒なのは子供だ。

 子供は大人のように自制心なんてものはない。そのうえ容赦がない。

 オルナを見つけた子供達は格好の獲物を見つけた狩人のように近寄り、


「なんだこいつキモチわりぃ!」

「死んでるみたいな顔して変なのー!」

「何かしろよー! はやく、はやく、はやく!」

「術式! 術式つかえよー!」


 蹴る、殴るの暴行を加え始めた。

 初めはオルナも耐えていた。

 まさか守るべき国民の、その象徴たる子供が騎士であるオルナに手を出してくるなんて思ってもみなかったのだ。


 着ぐるみのせいだと理解しても、混乱した。


 普段の子供なら絶対にオルナに近寄らない。

 オルナが子供に手を差し伸べると泣くのが当たり前だ。


 泣く子をどうしたらいいかわからず、表面上は冷徹な顔をしながらもオロオロしていると親が飛んできて、平謝りし始める。

 それを宥めようと声を出すと今度は親にまで怯えられる。


 もうオルナには何をやっても無駄だと諦める瞬間だ。

 何事もなかったかのように颯爽と踵返すくらいしかできない。


 こうした経緯もあり、オルナは子供に苦手意識があった。

 その子供があろうことかオルナに近づいてきて、しかも暴虐を尽くす。

 これは一体、どんな術式かとさえ思っていた。

 

「火ぃふけよ、火! そこの広場で大道芸のおにーちゃんがやってたぞ!」

「こっち見たぁ! あああああ!」


 ついには泣かれた。

 すると泣く子の仇とばかりに暴行がエスカレートしていく。


 精神抑制法で我慢していたが、もうどうにもならないと踏み、周囲の警備の者に助けてもらおうと視線を向けると――必死で笑いを噛み殺して変な顔をしている守衛がいたのだった。


 急激に体温が上がったのは気のせいではない。


「(な――何故、私がこんな辱めを受けねばならないのだ!)」


 ドロドロとした殺気を放っても、着ぐるみのせいでどんよりとした空気くらいしか伝わらない。

 一番、伝わって欲しい子供たちはますます暴行に励む。

 ついにはオルナにしがみつき、あげく剣を盗ろうと襲いかかってくる。


「ワシュッ! ワシュ~ゥ!(いい加減に離れろ!)」


 突然、鳴き始めたワシューくんに子供たちがピタリと止まる。


「すげー! ないたないた!」

「ヘンな声! バカみてー!」

「わしゅー、だって! へんなのー!」


 余計に子供達が集まってきた。


 ワシューくんには一つの機能がある。

 中の人間が叫ぶと正体がバレるという理由から『無駄に凝り性なイルメントルートの発奮により、ボイスチェンジャー機能が搭載されている』というものだ。


 その結果、オルナの声は外には漏れない。

 代わりにワシューくんの声が流れるのだ。

 しかし、オルナはワシューくんの機能を完全に把握していなかったため、


「(なんで離れろと言ったのに余計にくっついてくる!? どういうことだこれは!?)」


 混乱に拍車がかかるのだった。

 後ろの守衛は耐え切れない感じで肩を震わせている。


 帝王のスピーチが始まると子供たちも去っていくが、終わるとすぐに帰ってきてまたオルナは絡まれ、警備どころの話ではなかった。

 それどころか大人気だったと判断され、急遽、主道路の見回り組に参加させられ、そこでも子供達に絡まれるということを繰り返していた。


 日に日に苛立ちが積み重ねていきながらも真面目に仕事を続けるオルナは、またいつものように子供たちに囲まれ、ろくに警備もできない状態で蹲っていると、ふと奇妙な男に気づく。

 それはどこにでもいるありふれた冒険者で、十七そこらの若手の冒険者だった。

 南方の人間らしき薄黒い肌。

 主道ではなく脇道を通り抜けようとしているただの男だったが、オルナにとっては不自然に見えた。


「(どうしてあの男は街中で『まるで闘いに挑むような目つき』をしているんだ?)」


 人相が悪いとかそういう問題ではない。

 明らかに何らかの覚悟が目ににじみ出ている。

 周囲の楽しそうな空気とは別種の空気を一人だけ放っているのだ。

 目立たないわけがない。


 実際、気にもならないだろうがオルナはそうした他人の覚悟に興味を抱いていた。


 なのでつい、その男を目で追ってしまったのだ。


「(……何かするつもりだな。食うに困って空き巣でもするつもりか? 何をするかわからないがあんな目をした男を騎士として放っておくわけにもいかないな)」


 一歩、踏み出そうとすると子供たちがオルナにしがみついてくる。


「(……薙ぎ払いたい。【アルブリヒテン】で薙ぎ払いたいッ! しかし、守るべき者たちだしっかりしろ騎士オルナ! お前の剣は弱者に向けるものではないだろう! 殴りたいッ!)」


 精神抑制も限界があった。

 連日の慣れない作業、子供の相手というオルナがもっとも苦手とすることもあってストレスも限界だ。


「(黒属性を扱う者として、決して悪意に流されてはいけな――)」


 その決意も背中からジャンピングドロップキックをされたことで、あっさり決壊した。


 立ち上がったオルナは綺麗なフォームで走り出した。

 もはや思考はなかった。


 一刻も早く、子供たちの魔の手から逃げたい一心だった。


 子供たちを振り払い、残念がる声に後ろ髪を惹かれるが止まるという選択肢はない。


「(これはそうだ! あの不審な男を捕まえるために仕方なくだ! 許せ!)」


 今なら悪漢相手でも余裕で倒せるという無駄な自信と共に、騎士オルナは通常警邏を止めて、不審者が入っていった横道に逃げ込んだ。


 この先で大暴れできたらなんでもいい、そんな心がなかったかと言えば――それは嘘になるだろう。


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