身勝手な理由の定めるところ
急ぎレギィの私室に取って返して、ドアを開け放ちます。
自分は部屋の中のレギィを見て目を見開いていました。
レギィもまた自分を見て目を見開いていました。
まさか帰ってくるとは思わなかったからでしょう。
自分だってまさかハンカチで涙を拭っているとは思わなかったのですから。
何、隠れて泣いてるんですか、この人は。
「ヨシュアン……、ドアはノックしてください。ちゃんと教えたと思います」
レギィのちょっと拗ねたような顔。
でもその一瞬前には少しだけ嬉しそうに弛緩していました。
泣き、驚き、喜び、そして拗ねるだなんて、あの一瞬でよく多彩な表情ができるものですが、それは後回しです。
泣いていた理由も後回しです。
私室にあるのはテーブル、ティーセット。
部屋を照らす術式ランプ。部屋の隅にある書類はおそらく試練関係のものでしょう。
タンスやベッドは備え付けです。
レギィが元から持ってきたものはティーセットと書類の束、そして術式ランプです。
「レギィ、ちょっと失礼します」
そういって術式ランプを取り、レギィを見ます。
「どうしたのです? また妙な行動を……」
「これは大事なものだったりしますか?」
「いいえ、普通の術式ランプです」
「自分の術式ランプと交換してもらっていいですか」
感情が高ぶっていたレギィでも、自分の行動は奇妙すぎたのでしょうね。
目をパチクリとさせていました。
そんなレギィに自分の術式ランプを押し付け、自分はレギィの術式ランプを解体しました。
装飾台、金属板、ON/OFF機能。
基本的な構造で、何一つ特殊な点はありません。
「間違いありません。普通の術式ランプです」
「それはそうと言ったはずです。それにもういいですか?」
そわそわしているレギィの気配はともかく、自分は金属板を食い入るように見ていました。
「このような顔をいつまでも見せたくない気持ちくらい、理解してください」
「わかってます。ですが生徒の一大事でして。それに『泣き虫レギィ』の泣き顔なんて見慣れてますよ」
見慣れていても心臓に悪いですけどね。
というか何度も見たいものでもありません。
「たとえそうでも嫌なものは嫌なのです」
この部屋に入り、レギィが術陣を使った時。
この術式ランプは明暗していました。
おかしな話です。
薪の足りない竃のように赤の源素が極端に少ないわけでもありません。
部屋の源素もごくごく普通の色彩ですし、術式ランプがチカチカと明暗するわけがありません。
そも術式ランプは内源素から赤の源素を吸収し、火種にしてから外源素を吸引するタイプです。
これらの事情から鑑みるに原因は、一つしかありません。
「レギィ。白属性の解明はどこまで進んでいますか?」
「ヨシュアン……、聞いてませんね」
レギィから諦めたような吐息の音がしました。
やがてドアの向こう側からリィティカ先生と老メイドらしき気配がしましたが、どうやら中に入るのをためらっているようです。
「内紛からあまり進んでいるとは言えません。白の源素による干渉。【捕色】の特性により他の色の特性を補佐する『特性の強化現象』。特性変質による効果は二色以上の源素同士の融合の助けになることです」
「術式具へのアプローチは?」
「いえ、そこまで活発な分野ではなかったと思います」
「子供の頃から術式具が壊れたり、妙な挙動をするようなことは?」
「……あまり術式具そのものに触れる機会がなかったので、私が使っていた【未読経典】の他は特に」
「日常的に使うものは?」
「それは特に、術式ランプくらいなら使いますが……、ヨシュアンは本当に何を調べているのです」
「明日、時間は空いていますか?」
とうとう眉根が寄ってきていました。
「明日、ちょっと実験に付き合ってください。場所は北の花畑。迎えは……、面倒でしょうが放課後に職員室に来てもらえると助かります」
「ヨシュアン! 勝手に色々と決めないでください」
「いいじゃないですか。その頃には泣き顔も収まっているでしょうに」
ごくごく普通に叩かれました。
平手です。何が痛いって心が痛いです。
「ヨシュアンはバカです! 大馬鹿です! そんなに私をいじめて楽しいのですか!」
今、まさに自分がいじめられているのですがね?
平手はないでしょう、平手は。
「いじめてませんよ。レギィをいじめても楽しくありませんしね」
おそらく協力してくれるのは確定です。
ですが、これ以上、機嫌を損ねられても困ります。
見てください、あの打った手を見てまた凹んだような顔。
「最近、教師をやっていて気づくことも多いのですが、叱るだけでも褒めるだけでもダメなんですよね」
叩いて傷つくなら最初から叩くなと言いたいのですがこれ以上、意味なくいじめる気もありません。
意味あっていじめているわけでもないんですけどね。
「あの子たちが何を思い、何を感じ、何に関心を持って、そして何を大事にして行動しているか。全部が全部、わかるわけではありませんが」
セロ君が欲しがっていること、クリスティーナ君が我武者羅に求めていること。
エリエス君の知りたいこと、マッフル君の信じたいもの、リリーナ君の見えるもの。
「それら全てをひっくるめて、尊重しなければならないと考えています」
生徒たちは皆、何かを見て行動しています。
何かを感じて、何かを成して、成長していってます。
「怒るのも褒めるのも尊重あってのことです。だからレギィが自分に対して何かをするとき、自分の何かを尊重してくれているんじゃないか、くらいは理解していますよ」
「だったら……ッ!」
だったらもっとレギィを大切にしろと言いたいのでしょうか?
いや、言いませんね。
言うとしたら、きっと自分のことです。
何か思うことあって、あの涙なんでしょうね。
何か特別なやり取り……、ばっかりだった気がしますが、特に何かがあったわけではなかったはずです。
でもレギィにはそう取れない何かがあったようです。
「性科学にしても別にレギィに怒られるために言ったわけではありませんよ。将来的には必要な分野でしょうし、結局は誰かがやる分野です」
「そういうことを言いたいわけではありません」
「でしょうね。でも、レギィ。止まるわけにもいかないんですよ」
自分を大切にするような生き方では生き残れませんでした。
そして、目的を果たすために自分を大切にできませんでした。
「自分はこの義務教育計画を成功させます。生徒たちも育てていきます。もっと過ごしやすい国にもしたいですし、その世界で生徒たちが求めるものを広げてやりたいとも思っています」
そんなやり方でしか自分は進めない生き物です。
「協力してください」
「嫌です」
あれぇ? 今、良いこと言ったのに。
「ヨシュアン、あまり寝ていないでしょう」
「それは、まぁ、やることが多いですしね」
ついでに生徒や貴方の行動にもやきもきしてますが、何か?
「帝国に赴いて大怪我をして、まだ体力も元に戻っていないのに内源素を無理矢理、行使して身体を治す力に使っているでしょう。そんな無茶な使い方をしてどうなるかわかったものではありません」
しかし、妙に自分の体調を把握されて……、あ。
あの時、馬乗りになって顔を掴まれた時。
なんらかの干渉効果で自分の体調を把握された?
取り乱している中で、そんな余裕があったのですか。
となれば、あの言葉。
自分を思考停止に陥れたあの言葉です。
あれが特殊な意味を持ちます。
虚を突き、内源素の抗術式力に綻ばせた瞬間、内源素を精査したのでしょう。
自分が認識できないほど素早く、しかも通常の術式ではなく内源素を利用した術式ですね。
油断ならなすぎでしょう、レギィ。
「ヨシュアンが自分を大事にしないから、私は何時だって心がちぎれそうになります」
「そう思うなら協力してくださいよ」
「約束しますか。ちゃんと、ヨシュアンを大事にすると」
「はいはい、約束します、約束します」
「真面目な話です!」
まぁ、それで気が済むのならいいでしょう。
幸い、自分の身体に異常はありません。
小指をレギィに差し出すと、すぐに思いついたようにレギィは小指を小指に絡ませました。
「できる限りで努力します」
「……絶対ですからね」
指を切って、そのまま自分はドアに向かいました。
名残惜しそうな視線が背中に突き刺さってきていますが、これ以上、リィティカ先生をお待たせするわけにはいきません。
「お待たせしました」
ドアを開けると中の様子を伺おうと努力している姿勢のリィティカ先生と鉢合わせました。
「あ、いいぇ~、お気になさらずぅ」
ちょっとだけ罰の悪そうな表情のリィティカ先生。
盗み聞きしているのは結構ですが、バレバレですから。
「では行きましょう」
リィティカ先生を連れて【貴賓館】を出て、夜道をフロウ・プリムで照らしながら歩きました。
そういえば術式ランプをバラしたままでレギィの部屋に放置してきましたね。
今更、取りに帰って組み立てなおすのも変な話ですし、自分のランプはレギィにあげてしまいました。
まぁ、術式ランプより自分が使うフロウ・プリムのほうが光量は強いですから、問題はありません。
「ヨシュアン先生はぁ、レギンヒルトさんと仲良いですねぇ?」
「そうですか? まぁ、レギィがアプローチしてくるのはいつものことなので大変ですけどね」
「わかってるのにぃその態度なんですかぁ?」
歩きながらの話題は何故かレギィに関してばかりでした。
「だったらレギンヒルトさんの気持ちと向き合ってもいいんじゃないですかぁ。あれじゃぁ、可哀想ですよぅ」
「現実問題、自分は平民ですからね。貴族と平民との間をそう簡単に埋められるとは思いません。それに自分、貴族嫌いですから」
「愛があればぁ、乗り越えられるじゃないですかぁ。貴族嫌いだってぇ気の持ちようでどうにかなるはずですよぅ。現にシャルティア先生やアレフレット先生とは普通に接してるじゃないですかぁ」
愛があれば乗り越えられるでしょうね。
逆点、愛が足りなければ飛び降り心中ですよ。
「なんだかんだであの二人は感覚が平民だからじゃないですか? アレフレット先生はツッコミに磨きをかけていますし、シャルティア先生は猥談好きですからね」
「だったらレギンヒルトさんにも同じようなぁ平民みたいなところがあるんじゃないですかぁ?」
やたらにリィティカ先生はレギィの肩を持ちますね。
そこまでレギィのこと、気に入ったのでしょうか?
ものすごい勢いで仲良くなってましたしね。
一歳差……、まるでフィヨとレギィみたいです。
「ヨシュアン先生とレギンヒルトさんならぁ、大丈夫ですよぅ」
「女神と人間はダメですか?」
「相手が神様なのはちょっとぉ……、神話くらいしか知りませんよぅ」
目の前に実在しているではありませんか。
さて、正直、レギィのあの覚悟はちょっと自分だけでは対処できそうにありません。
それこそちょっと前のレギィのように、正当性がないのです。
例えば好きな人がいるから、と言いましょう。
好きな人、つまりリィティカ先生ですが、レギィはショックを受けてしまいます。
せっかく仲良くなったのに、その友達と恋敵になるのです。
それはちょっと可哀想というか、修羅場すぎるというか。
自分、そうしたドロドロした関係は少し苦手です。
そもそもレギィのことだから自分が好きな人だと紹介しても信じてくれない可能性もあります。
そして、レギィに言うということはリィティカ先生に告白することです。
現在、リィティカ先生にまったく好意に気づいてもらえておらず、好意じみた仕草も言葉ももらっていません。
そんな状態で告白なんてしたら負け戦は間違いないでしょう。
レギィのために負け戦するつもりもありません。
一方でそれ以外の方法というか説得力でしょうか?
とにかくレギィを止めるための証拠と説得力が足りないために困っています。
「レギィは勘違いしているんですよ」
自分の言葉にリィティカ先生が首を傾げました。
「……まだぁ裸を見たことを認めないんですかぁ?」
「違います信じてください」
まだその話、覚えていたんですね?
「セロちゃんのもぉ、見てますよねぇ」
「ギリギリ見てません本当です反射神経を全開で駆使しました」
ちょうど角度的にもセロ君の裸は胸の上くらいまでしか見てません。
肌色が見えた瞬間、まずいと思いましたしね。
「自分の好みは二十代ですから」
「ヨシュアン先生ぃ、好みと見たことへの言い訳はぁまったく関係ありませんからねぇ」
さもありなん。
手厳しいツッコミでした。
「とにかく、あれほどレギィがアプローチしてくる理由は罪悪感みたいなものですよ」
「罪悪感ですかぁ?」
続きが聞きたかったのか、耳を傾けたままです。
「内紛で仲良くなった仲間を根こそぎ殺したヤツがいましてね」
遊撃隊に所属していたのですが、自分を除けば最初から最後まで一緒だった人はいません。
色々な理由で死んで行きましたが、もっとも数の多く遊撃隊を殺したのがあの男でした。
そして、挙句。
人の恋人までぶっ殺しやがりましたよ。
「仇討ちとばかりに追い詰めたのは良かったのですが、その時、『邪魔をした』のがレギィです。まぁ、四年も前の話です」
なんだかんだで色々あって、心の整理はついているつもりです。
それでも何度も過去を問い続けているあたり、自分は女々しいのでしょう。
ちなみに、あの黒色ゴキブリに対しての殺意はまったく消えてません。
ただ、あの内紛の時、誰が止めようとも突出していたことに比べれば、まだ自制が効いている分、マシです。
「レギィもそのことを知っていて止めたようですし。その時の罪滅ぼしのつもりなんでしょうよ」
大体、アプローチされ始めたのは二年くらい前からです。
内紛中はまったくその気があったように見えなかったと思います。
「本当にそうですかぁ?」
「それ以外、あんな美人がなびく要素は見当たりませんね。自分は能はともかく見た目は普通ですから。異国人だからちょっとは若く見えるかもしれませんがね」
「ヨシュアン先生ぃ」
リィティカ先生がピタリと止まったので、自分も止まりました。
それは言うか言うまいか、少し迷っていたように見えました。
「罪悪感でぇ人は好きになりませんよぅ」
「じゃぁ、レギィは何を見て、何を好きになったって言うんです」
「そんなのはぁ、レギンヒルトさんじゃなきゃわかりませんよぅ」
まるで風の妖精のように、とんとんとん、と緩い傾斜を跳ねていきます。
女神の舞いに心が揺れそうです。
断じて、リィティカ先生のお言葉で心揺さぶられたわけでは――いえ、リィティカ先生の言葉は一言一句、心地良いですけどね?
「ちゃんとぉレギンヒルトさんを見てあげなきゃダメですからねぇ」
レギィは向かい合おうとしていました。
でも自分は、向かい合いたくありません。
理由はわかっています。
今更、そのことでレギィを傷つけるつもりがないからです。
過去の話ですよ、過去の。
どこにもいけない、この深い憤りは誰にぶつけていいものではありません。
抱えて生きていくしかないのです。
フィヨのいない世界を。
「大人の面倒まで見きれませんよ。生徒で手一杯です」
逆にレギィに言いたいことがあれば、受け入れるつもりです。
結婚だけは勘弁ですけど。尻に敷かれるのは目に見えてます。
「でもぉ、そんなこと言ってぇ困ってたら助けるんじゃないですかぁ?」
「……できれば自助努力して欲しいものですね、あの世間知らずには。まったくいつもそうですよ、レギィは自分を助けるだの救うだの言う癖に手間はこっちが負担してますしね」
なんで事あるごとに自分がレギィの心配やら後始末をせねばならないのか。
ちょっと神様、どうなってるんですか? もしもし?
「大事なんですねぇ」
何をどう理解したのかリィティカ先生の言葉は、理解できませんでした。
いや、本当、さっきのやりとりで何故にレギィが大事だって証拠になるのでしょうか。
女神の神託は何時だって凡人たる身には高尚すぎるのでしょう。
「違いますよ。これは」
緩やかな傾斜を登りきれば、そこはもう自分たちの社宅です。
アレはもう十分、傷ついたのです。
レギィだってフィヨが死んだことで傷つきました。
いわば同じ傷を持った同士なのです。
自分が楽になった分だけ誰かが傷つくのなら。
それがレギィに苦しみをぶつけることであるのなら。
「これは男の身勝手な押し付けですよ」
誰に言うつもりもなく呟いた言葉がリィティカ先生に届いたのか、届かなかったのかは定かではありませんがリィティカ先生は何の反応もせず、社宅前広場につきました。
そう、例えです。
例えレギィが悲しむことになろうとも決して応えたりはしないでしょう。
泣いていた理由=前話の婚姻届の件でヨシュアンが全力で否定したせい。




