積み重なる布の重さ
着替えが終わったようなので医務室に入るとリィティカ先生に怒られました。
教鞭でぺちぺちと打たれながら、言われた言葉の要約は一つ。
「ヨシュアン先生ぃはもうちょっとぉ、デリカシーが足りませぇん」
ドアをノックしても、中の人の了承を待ってくださいとも言われました。
当然のことすぎて反論もできません。
セロ君の容態を聞きたかったから気が急いていたのも理由です。
それでも、あのタイミングはねぇんじゃねぇですかね?
神の作った因果とやらがどういう仕組みで自分に苦行を与えているのか――あぁ、でもリィティカ先生のお叱りは苦行というかご褒美なので今回は許してあげましょう。
寝ているセロ君を看て、どんな状態なのかを女医さん(36)に聞くと、
「貧血に心労。あとは最近の暑さで弱っていたと見るべきね。そういう時だからちゃんと食べないといけないのだけど、食べられない状態だったのも理由になりそうよ。他にも睡眠不足くらいはあるかもしれないわね。こればかりは本人に聞いてみないとわからないけれど」
概ね、自分の見立てに間違いがなかったようでホッとしています。
しばらくすれば自分のかけた術式も解けます。
眠ることで少しは落ち着いてくれるといいのですが。
そして、お昼休みが終了。
そのまま午後授業で教鞭を奮った後――
「あー……、ちくしょう」
――天上大陸に沈む夕陽を背に、自分は屋上の欄干にもたれかかっていました。
幸い、アレフレットクラスの術式確認は無事に終わりました。
少しだけティッド君の術式発動が遅かったくらいで、特に問題はなさそうです。
今日は残業する気にもならなかったので一足先に帰ると伝えています。
本当はセロ君の様子をすぐにでも看に行きたかったのですが、思うところあって踏みとどまり、ここにいます。
自分の怪我も看てもらわなければならないので、最終的には医務室に行きますが、それでもです。
何をしてやればいいのでしょうか?
何を言って、何をすればセロ君は乗り越えられるでしょうか?
女の子の気持ちなんて、わかりません。
その行動から予測できても、本当にセロ君や生徒たちが何を考えているかなんてわからないのです。
どうすればいい、どうすれば最適解に辿り着く?
幾千、幾万と問いかけ、そうやって生きてきたでしょうに。
こんな時ばかり、役に立たないでどうするつもりなのでしょうか。
「ベルベールさんがいてくれたら――」
ベルベールさんなら、心を読んで明確な答えを示唆できるでしょう。
自分のわからない答えなんて、あっという間に導き出してしまいます。
「こんな時にフィヨさえいてくれたら――」
いつだってフィヨは、自分の届かない答えのようなものを持っていたと思います。
相手の立場に立って、もっとも欲しい言葉や態度を投げかけ、心なんて読まずに理解し、一緒に笑ってくれました。
そんなフィヨのような在り方さえ、できれば。
セロ君も吐くほど苦しまなくて済んだのに。
言っても詮のない話です。
いない人たちのことを考えても仕方ないとは頭ではわかっています。
だけど、どうしてもそう思ってしまうのは、昨晩に見た夢のせいでしょうか。
久しぶりに見たせいで、心のどこかが緩んでしまったのかもしれません。
しっかりしないと。
今、暗殺者に襲われたと仮定したら、死ねる自信があります。
茫洋としている暇なんて、ありはしないのに。
意を決して欄干から離れることができず、ただ空ばかり見上げていました。
「――ヨシュアン、いますか?」
屋上の扉が開かれて、現れたのはレギィでした。
壇上で見たときと同じ、映えるように金と黒の刺繍を刻んだ白ドレスの姿です。
自分を見て、一瞬だけピクリと動きを止めましたが、すぐに自分の目の前までやってきます。
なんというか、測ったようなタイミングですね。
「浮かない顔をしています」
「そうですか?」
「浮かない顔です」
二度言うほどのことですか?
欄干にもたれる自分の目線に合わせるように、小さくしゃがみました。
「話してください。何かあったのでしょう」
これはアレですね。
喋らないとずっとつきまとう感じですね。
最終的には何故、相談してくれないのかと説教されます。
「大したことじゃないですよ。なにもない日が不安になる程度の話です」
言い訳を一つして、自分はセロ君のことを伝えてみました。
話していくにつれて、レギィが真顔になっていきます。
うわ、なんか怖いです。
「――よくわかりました」
伝え終わるとレギィは、少しだけため息をつきました。
「ヨシュアンがだらしなくて、デリカシーがないとよくわかりました」
「それは、まぁ、そうなんですが」
なんでもかんでもできるわけないじゃないですか。
「魔獣だの悪魔だの色々言われてきましたので慣れました」
「そういうことではないと、自分でもわかっていますよね?」
レギィの眼には決めつけのような確かさが滲んでいました。
「【タクティクス・ブロンド】なんて号を持ってて、何千と人を殺せる自分です。もう人を殺すことにすら抵抗はありません。喋りすぎた日みたいな気分になっても、それっきり。そんなメンタリティの癖に、それでも何をしたらいいかわからないんですよ」
超人なんて言われても、未熟な生徒一人、救えやしないのです。
心までは救えない。
「何がセロ君のためになるのかが、わかりません。教師なのに何を言ってやるべきか欠片も思いつきません」
「私だってわかりません」
レギィがふっと自分の隣に腰掛けました。
とたんレギィの傍から柔らかくて瑞々しい、ジャスミン? バラのような香りがします。
「ヨシュアンの心がわかりません。知りたいのに逃げてしまうからわかりません。でも、私のことを思って嘘を重ねてくれていることはわかります」
「いや、そこは騙されていてくださいよ」
誰のために性格の悪いセリフを吐いていると思っているんですか。
「人の心がわかる人なんていないのです」
すみません、若干一名、心当たりがあります。
ベルベールさんです。
「わからないけれど、傷ついてしまうけれど、寄り添いたいと思うことはいけないことですか?」
「……裁判長不在ですが黙秘権は?」
「いいですよ。黙っていても」
そう言われてしまうと、嫌でも口を割りたくなります。
「そういうの、卑怯じゃないですか?」
「ヨシュアンにだけは言われたくないです」
ぷい、と、顔を背けてしまいました。
そのくせ、気になるのかチラ見してくるところは変わってませんね。
「もうお互い、避けていては進めないと思うのです。私だって怖い。貴方の、また心の中の声をもう一度、聞くのが怖いけれど」
「終わったことです。四年も前に全部、片付いたはずですよ」
「またそうやって私を気遣う。私なら傷つけてもいいのです」
何この人、ドMなこと言い始めましたよ。
「他の誰に遠慮しても、私には止めてください。本当の言葉は傷つくけれど、それが貴方の心なら私は悲しくなんてないのです」
それでも傷つけるわけにはいきません。
そんなことをしたら、天国から『伝家の宝刀チョップ』が降りてくるじゃないですか。
「傷つくならなおさらじゃないですか。言え、と? そんなこと、普通に」
「傷つくようなことを考えているのですか」
「誘導尋問……、いえ、揚げ足を取らないでください」
巧みに言葉を引き出さないでください。
「自分のことはいいんです。それよりセロ君です」
「と言っても、もう答えは出ているのでしょう?」
そう言って立ち上がって、自分に手を差し出しました。
白魚よりも綺麗な手だったあの頃と違い、ペンを握り続けた跡が薄く見えました。
彼女は何もしない美しさよりも、その手のタコをつけた綺麗さを求めました。
その証拠が手に見えました。
まだまだフィヨのアカギレだらけの指よりも苦労が足りないかもしれませんが。
彼女もまた、何かに足掻いているのでしょう。
この人に会うと比較してしまう自分に気づいて、イヤな気分になります。
「貴方が立ち止まったら、背中をそっと押してあげます」
「レギィ……」
「そして、貴方が先に行き過ぎたら説教してあげます」
「え、勘弁してください」
レギィの説教って時間の無駄なんですよね、正直。
わかっててやってることの方が多いのですから。
「そんなことされても、何も返せませんよ」
「返して欲しくてしているわけではありません」
伏せた瞳は、でも、哀しみを噛み殺したように輝いていました。
「もう十分、貴方から奪ってしまいました。だから――」
「レギン様!」
屋上のドアをバンッと開いて、メイド服の少女が現れました。
昨日、レギィを待っていたヴェーアフントのメイド、プルミエールですね。
「こんなところに居た――いらしたのですね。ささ、参りましょう、こんなところに居ては風邪をお召しになられてしまいます」
「プルミエール……、今は夏です」
あと、言葉使いが変です。
もっとハッキリ言わないと通じませんよ、その子。
「夏でも風邪は大変なのっ! です!」
グイグイとレギィの袖を引っ張っていくプルミエール。
明らかに自分から引き離したい気持ちを隠しきれていないプルミエールにレギィは少しだけ肩を落として、
「ごめんなさい、ヨシュアン」
「いいえ、話を聞いてもらって助かりました」
謝罪しました。
でも、謝られてもどうにもならない辺がレギィも困っているところですね。
「あと、気にしてません。生徒たちに比べたら可愛いものですよ」
言わんとしていることが伝わったのか少しだけ困った顔をしましたね。
レギィが屋上のドアの前で少しだけカーテシーをして、姿を消した瞬間、プルミエールは自分に向かって『あっかんべー』をしました。
レギィも大変ですね。
ご主人様大好きオーラを放つプルミエールの世話をするのも。
主がメイドの世話をするとか聞いたことがないんですが、まぁ、そういう関係もあるのでしょう。
さて、自分も黄昏ている場合ではありません。
いい加減、セロ君が心配です。
しかし、レギィが先に屋上のドアを抜けてしまったので、後を追うのも変な感じです。
それにプルミエールには嫌われているようなので、わざわざ刺激してレギィに苦労させるわけにもいきません。
なので屋上の欄干を乗り越えて、飛び降りました。
以前は二階から肉体強化の術式で着地しましたし、屋上から森へと飛んだ時も肉体強化でなんとか着地しました。
ですが今は怪我人の身です。
「リューム・ウォルモルク」
自由落下の途中で発動した緑属性の術式が、自分を中心に渦巻きます。
重力を風圧で相殺し、地面に着く頃には階段を一歩、降りるくらいの速度まで自由落下速度を殺しました。
そのまま窓の外から医務室に行こうと思いましたが、セロ君の着替えシーンの件があります。
今度やったら生命はないでしょう。
予感よりも確かな未来です。
それに結構、自責の念が強かったから二度とあんな場面には遭遇したくないですね。
面倒ですが一度、学び舎に入りますか。
「まぁ」
そしたら学び舎の入口でレギィと遭遇しました。
プルミエールなんかレギィの後ろで尾をまっすぐ立てています。威嚇すんなし。
「あー、えっと、言い忘れていました」
なんか気まずかったので、つい口に出していました。
いえ、本当に言い忘れがあったのも事実です。
「はい、なんでしょう」
「試験のあらましが出来て、時間が余ったら伝えたいことがあるので訪ねに来てください。大事なことです」
「……大事なこと、ですか」
少し、目を瞑って黙考していたレギィですが、すぐに花開くような微笑みを見せました。
「わかりました。待ってます」
「待つんじゃなくて来てくださいね」
「ダメです。こういうことは殿方からでないといけません」
「しかし、レギィのスケジュールがわからないと」
「明後日までには終わらせます。必ず終わらせますから」
何か噛み合ってないような気配が濃厚です。
「あのですね、レギィさん?」
「わかっています。多くは聞きません」
多くを聞いてください。
この人、絶対、誤解しています。
何を誤解しているかまではわかりませんが、誤解している構えです、あれ。
だってバックに大輪の花が咲き乱れていますもの。
幻影ですけどね。でも、浮かれているレギィによく発生します。
「だから待っています。でも今は生徒を看ていてあげてください。心配なのでしょう?」
「まぁ、心配だから飛び降りてきたわけなんですが……、レギィさん?」
わかってます、私わかってます、といった顔で、そそっと帰っていかないでください。
プルミエールもいつまで威嚇し続けているつもりですか。
「レギィ!」
「がう!」
声をかけようとすれば、噛みつきかかる姿勢を見せるプルミエール。
面倒なので殴り飛ばそうかと思ったら、もうレギィは足早に声が届かない位置まで歩いて行ってます。
結局、レギィをそのまま見送ってしまいました。
プルミエールも威嚇しながら、ズリズリとムーンウォークみたい動きで去っていきます。面妖な。
あぁ、ちゃんとわかってくれているか心配です。
レギィには是非、性教育の草分け――第一人者になってもらいたいからです。
正確には産婦人に関係する資料や論文、それらを教会や元老院に許可をもらい、学術としての地位を築くように働きかけてもらいたいのです。
もっともレギィ本人が学術研究をする必要はありません。
学術研究をするチームを作って、音頭を取ってもらうだけでいいのです。
最終的な監修はレギィに任せるとして、まずは初動ですね。
最低限の資料はこっちで揃えるとして、学術分野を認めさせてから果ては公衆衛生なんかの向上にも務めてもらいたいと思っています。
段階的にはリーングラードの次にレギィの領地で実験してもらうことになりますが、自分が考えているところはこんなものです。
特に妊婦に対する諸問題や死産の理由を詳しく調べ対処できれば、多くの人を救う学術となるでしょう。
これでレギィが産婦の聖人にでも認められたりされたら、ちょっと面白いですね。
本人はきっと全力で否定するでしょうが。
「細かい話は詰めておくとして」
次に会った時にちゃんと説明すれば怒られることもないでしょう。
医務室までやってきて、ノックして待ちます。
今度はノックと同時に入るような真似はしません。
「はぁい。いいですよぅ」
この清浄なる麗らかな御声はリィティカ先生ですね。
神に導かれる殉教者の心持ちでドアを開けた瞬間、我が目を疑いました。
睨み合うリィティカ先生と女医さん(36)。
これは一体、何が起きたらこんな状況に。
また新しい問題が増える気配に、自分はどこかおいてけぼりのような気分で火花散る医務室を眺めていました。




