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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第三章
132/374

夏嵐の予感が近づいてきました

 リーングラードの夏は涼しい。

 森林帯であることも差っ引いても、中々に過ごしやすい土地だと聞いています。


 しかし、聞くと知るとは大きく違います。

 百聞は一見にしかずとも言いますが、多くは百聞を選びます。

 移動手段の乏しさよりも、安価で気軽に遠くへ行く手段がないためです。


 一見が途方もない労力と考えれば、百聞が勝ることもあるということです。

 

 村在住の生徒たちも、世界を知るといえばたまたま立ち寄った冒険者から話を聞いたり、吟遊詩人の歌を聞いて世界の姿を想像するものです。

 伝え聞く魔獣との戦いに浸り、見たことない風景に思いを寄せるわけですね。


 では、一般市民に比べて、長距離移動の手段を持っている人たちはどうでしょうか。


 この時期、リーングラード周辺に別邸を持つ貴族の多くが例年以上に訪れてくるらしいのです。

 シャルティア先生が言っていたのだから、たぶん本当でしょうね。


 ひっそりとベルゼルガ・リオフラムとか撃っちゃおうかと思ったのは内緒です。


「下手な干渉とかされないといいのですけど」


 この、貴族どもが例年以上に集まってくる理由は簡単です。


 先の言葉と矛盾してしまうかもしれませんが、今年が猛暑だからです。


 リーングラードのど真ん中で過ごしていながらも、王都にいた頃となんら変わりない暑さ。

 王都ならもっと暑いのでしょう。

 今頃、熱中症が横行しているかもしれませんね。


 リーングラードの夏は涼しいという文句はどこに消えたのでしょうか。

 こればかりは経験したところで、わかりません。

 自然のご機嫌までは自分の範疇外ですからね。


 バカ王はともかくベルベールさんには大事をとって、こまめに水分を補給してもらいたいところです。


 さて、こんな猛暑でも夕方というのは涼しいものです。

 放課後はそれなりに過ごしやすく、日中は説得力皆無なリーングラードも面目躍如といった具合です。


 もっとも、肝まで冷やさなければ、なお良しだったでしょうが。


 夕刻のカーテンが揺らめく教室の中を見回っていると、まだヨシュアンクラスで気配がありました。

 こんな時間に一体何を? と、思うのが教師の正しい在り方でしょう。


 しかし、教室を覗きこんで、自分は青ざめました。


「……せ、セロ君ッ!」


 こんなことは想像の外でした。

 ありえない、あるはずがないと自分の心は金切り声を上げています。


 教室の中央で、力なく倒れるセロ君の姿があったからです。


 すぐさまセロ君へと近寄り、その身体を抱きしめました。

 一目して熱中症を疑うことだけはありませんでした。


「あぁ……、ちくしょうッ!」


 これが『ただ倒れているのなら』、どんなに良かったでしょう?

 でも、セロ君の頬にべったりと張りついた赤い液体が、これが普通でないことを証明していました。


 セロ君の周囲にはウチの生徒四名が、なんとも言えない顔で突っ立っていました。

 おそらく、こんなことになるとは思っていなかったから、何もできなかったのでしょう。


「セロ……、バカッ! 無茶をして!」

「先に進めてはいけないとあれほど言ったというのに……、バカな子ッ」


 マッフル君とクリスティーナ君は悔恨の表情を、エリエス君とリリーナ君は沈痛なおもむきでセロ君を眺めていました。


「先生……、セロは悪くない。あれは学徒なら仕方ない」

「えぇ、わかっています。そうですね、こういうことも起こると想定しきれなかった自分のミスです」


 エリエス君がフォローをしてくれているようですが、もう無意味でしょう。

 犠牲者は出てしまった。


 何がどうしてこうなったか、グダグダと語る必要はありません。

 一目でわかります。


 その本は床に転がっており、使用された痕跡が見て取れます。

 間違いなく、これが凶器です。


 セロ君をこんなにした忌々しい凶器を拾いあげ、適当な机に置きました。

 いつまでも床に置いたままにしてはおけません。

 幸い、手の届くところにありましたのでセロ君を抱えたままでも余裕でした。


「こうなっては、もう仕方ありませんね」


 これ以上、セロ君の体を傷つけないようにゆっくりと床に降ろしてやり、自分は机の上の凶器に手を添えました。


「こういうことは君たちに言いたくなかったのですが……」


 セロ君の自業自得と言ってしまえば、そのとおりなのでしょう。

 しかし、凶器を持ちこんだ者がいるのも事実です。


 何故なら、セロ君は絶対にこの『凶器』を持ち歩けないからです。


 この凶器は薄く、重さもなければ硬さもないので殺傷力はありません。

 何枚もの羊皮紙を束にまとめた、タダの書籍だからです。


 しかし、中身はいかんしがたい……、いわゆる私本や写本と呼ばれるものですね。


 内容は何かの原本を書き写したうえで色々、弄ったものです。

 どこぞの術式師の弟子が金品を得るために、師の秘本や秘術に類するものを書き写したりするご時世なので、こういうものがよくあるのです。


 現にキャラバンが持ってくる本の九割が写本ですからね。


 この凶器はおそらく、以前のキャラバンで誰かが購入したのでしょう。

 そして、その本を見たためにセロ君は……。


 毒の強い本ほど、心を壊します。


「これまでの経験則から推測するに、この本を持ってきたのは君たちの内の誰かさんでしょうが、先生は君たちの真心と真実を明かす勇気にその身を任せたいと思います。この本を、あろうことか神聖な学び舎に持ちこんだ不届きものは誰ですか。大丈夫です、誰にも言ったりしません。そうですね、目を閉じましょう。そして、持ちこんだ人はそっと手を挙げてください」


 誰一人として、手を挙げようとしませんでした。

 その猜疑心全開の表情はなんなんですかね?


 正直、自分の心は悲しみでいっぱいです。


「わかりました。実のところ、犯人はわかっています」

「誰でありますか? リリーナ、わからなーいであります☆」

「お前だよ」


 しれっと嘘つくんじゃありません。


「証拠を求めるであります」

「あのですね……、証拠とか言い始めた時点でアレですがリリーナ君?」


 自分は凶器となった本をビシリとリリーナ君に突き出してやりました。


「君以外の誰が教室にエロ本なんて持ってくるんですか!」


 凶器の表紙には瀟洒な文字と月桂冠と白鳥が刻まれていて、どことなく詩集を思わせるものです。

 でも、タイトルこう書かれています。


 『ウィンスラット私性露本』。


 ……えー、説明するのもイヤな感じですが、ウィンスラットというのは【十年地獄】の幕開けともなった【タラスタット平原の変】における国敵――ようするに先代国王を暗殺した犯人です。

 当時、新米も新米なクライヴさんが討った相手です。


 簡単に言うならウィンスラットはスケープゴートで、先代国王暗殺の汚名を着せられていたのをその息子から聞かされました。


 先代国王暗殺をした真犯人は別のバカで、それは貴族院にも通じていました。

 現在、証拠らしいものも証拠を覆すこともできないので、ウィンスラットの名誉はまだ回復しておりません。

 すでに終わったことなのでことさら語る必要はありません。


 ともあれ、事情を知らない人からすればウィンスラットは非常に不人気です。

 何せ先代国王を殺したのですし、プロパガンダを手中に収めていた当時の貴族院からすれば、いくらでも貶められる存在でもありました。


 理不尽な徴税と徴兵、奴隷制や不作などの積み重ねが国民の不満となって、一部、ウィンスラットを貶める行為に繋がったというわけです。


 重ーい雰囲気だったリスリア王国で、この手の本は娯楽として認知されていたようですしね。

 あえて何もいいますまい。人はパンのみに生きるにあらずなのです。


 つまり、罪人に適当でスキャンダラスな嘘を押し付けて、溜飲を下げていたということですね。

 そして、その手のものは性的なことがもっとも興味を煽り、衝撃的な内容を綴りやすいものです。


 こんなに詳しく語っていますが、自分はこれを一回も読んだことはありませんよ?

 本当です。

 ただ裏事情を知ってしまっているせいです、信じてください。

 まぁ、この手のものを読んだことがないかと問われたら……、お察しください。


「よりにもよって、こんなものを……」


 以上の理由から低俗の代表のようなものです。

 低俗なものに対して、わりと寛容な自分でも生徒が読むというのなら話は別です。


 こういうのに影響されやすいんですから自重してください。

 すでに犠牲者も出ているのですから、なおさらです。


 そして、自分が何もわからなくても一発で全てを理解した理由です。


 まず、倒れているセロ君。

 あまりに内容が想像を絶していたため、無菌室状態で成長したセロ君にとって純度の高いお酒よりも衝撃的な内容に意識を手放したものです。

 頬の血は鼻血です。

 不容易にエロい本を見たことによって、吹き出した鼻血のせいですね。

 あるいは倒れた時に打ったものかもしれませんが、大勢に影響はありません。


 すぐさま凶器だと断定できました。


「リリーナという理由だけで犯人と決めつけるのは横暴であります」

「そうですか。なら、まず順に行きましょう。クリスティーナ君が犯人だった場合」

「んな――!? わ、私がこのようなものを持ってくるなど!」

「クリスティーナ君は見ての通り、こういう子なので例え隠し持っていたとしても、頑として自分のものだと言い張らないでしょう。見つかるようなことはおろか、見つかるリスクを減らそうとするので、隠すのなら――自室の備えつけてあるクローゼットの一番下の引き出し、その引き出しを抜いた奥に入れておきます。こんな場所に持ってくるようなことだけはありません」

「な――ッ!? ななななな、なぜ、わたくしがそんな、そ、そんな……」


 明らかに真っ赤な顔で、目線が忙しなく動きまくっています。


 ……もしかして正解でしたか?

 というか、あぁ、今、考えると貴族ならその手の行為が暗に示された劇とか見てそうですしね。パンフ=いかがわしい=でも興味ある、とかいう感じで持っている可能性はありそうですね。

 むしろ反応からして……、そうですね、先生、とても素敵な笑顔をしてあげます。

 

「ともかく! そんな低俗な本など私は知りませんわ! 興味もありませんッ!」

「はいはい。次はマッフル君の場合ですね。マッフル君はこの手のものに興味があっても隠さないでしょう。むしろ隠すよりも有用な方向を思索します。そうですね――この本の写本でも作ってヘグマントクラスあたりに売りつけるとか」

「うわ……、先生、なんでわかったわけ?」

「よく見ているでしょう?」

「理解ありすぎて引く」


 普通にドン引きされました。

 何故でしょう? 本気でわかりません。


「セロ君はこのとおりです。知らないで買ったという可能性もありますが、この子の場合、写本を買うよりも【大図書館】を利用しますからね。貧乏性――失礼、聖女バレンとその教えは生粋の節約家なので、敬虔なバレンの使徒でもあるセロ君にはありえません」

「エリリンはどうなのでありますか?」

「エリエス君はもっと簡単ですよ。一冊では足りないのですよ。もしもエリエス君が本気で興味を持ったのなら、そこらに写本が並んでいますよ。複数の事柄から事実的な部分や共通点を見出して、真実をさらけ出そうとします。もっとも性的なことに興味を持った場合は写本よりも学術書を選ぶでしょう。その手の本は【大図書館】にもありますからね」

「当然です」


 エリエス君も胸を張るんじゃありません。


 【大図書館】の性教育の教材はもちろん、検閲削除版です。

 しかし、最低限でもちゃんと性教育について描いているでしょう。


 不安要素があるのなら、こっそりドギツイものを隠して搬入している可能性ですね。

 犯人は当たり前のようにバカ王です。


「放課後、教室という、この場で。ヨシュアンクラス全員が居たことから『全員でこの本を読もうとする試み』を思いつき、それぞれのリアクションを楽しめる悪戯型愉快犯は――リリーナ君だけです」


 人格面から想像する、見事な推理だと自分でも感心してしまいますね、えぇ。


「ぐぬぬ……、でも物証がないであります」

「では、この本を燃やしてしまいましょう」

「ダメであります!」


 即座に復活し飛びかかってくるリリーナ君の頭をげんこつ一発で沈め、ひらひらと掲げてやりました。


「リリーナ君のものでないのなら、燃やしても損はないでしょう?」


 この『ウィンスラット私性露本』――ようするにエロ本ですね。

 この手の類は写実的なイラストをつけたりしています。

 なるべく衝撃を与えて真実味を加えようとする小意気な努力が見られます。


 元々、知識の元にもなる本は高額でもあります。

 素材が紙なのもの理由の一つでしょう。

 紙一枚の金額は下手な野菜より高くつくこともあります。


 リリーナ君が購入したのなら、お財布は天使の羽をつけて飛んでいくでしょう。

 もっとも軽くなった分だけ邪欲にまみれているのですから、罪深いのか浄化されたせいなのかわかりませんね。


「……先生は一つ、間違えているであります」


 地面に這いつくばりながら、必死でこちらの睨みつけているリリーナ君。


「それはエロ本ではなく色本であります」

「一緒だー!!」


 追撃のげんこつを食らわせてあげました。

 床と頭で二重の激突音が聞こえましたね。


「あのですね、君たち? 一ヶ月後には【貴族院の試練】ですよ? 明日にも『試練官』が到着する予定です。なのに、君たちは何をしているのです。ちゃんと個人でも勉強しておくようにと先生はちゃんと伝えたと思いますよ?」


 他のクラスの子たちは放課後はすぐに宿舎に戻って、予習復習に勤しんでいるというのに。


「違います。ちゃんと勉強していました」


 エリエス君の漆黒の瞳は抗議の色に染まっていました。


「性教育に関しては義務教育に盛りこまれていないので、どーとかこーとか言いませんが、どうしても聞きたいのなら女医さん(36)に聞きなさいな」

「違います。普通の勉強です」

「リリーナが途中でその本を出してきたってわけ。で、クリスティーナが真っ赤になって、喚きだしたからエリエスと蹴飛ばしたんだけど……、セロが弾みで見ちゃって、さ。刺激が強かったんでこの有様ってこと」


 マッフル君が説明を引き継いで喋ってきましたが、どちらにしてもくだらないことには変わりありません。

 目に浮かぶようです。非常に残念すぎるのがありありと。


「没収です。【貴族院の試練】が終わったら返してあげますので、いいですか?」

「……先生の使用済みとか誰得であります」


 言葉を飾れ。

 そろそろ先生、強化術式を使って殴りますよ?


 まったく、まだ怪我が治りきっていないのに荒事をさせるとは。

 我が生徒ながら空気と体調を読んでくれません。


「まったく……、まぁ、君たちくらいの年頃ならこの手のものに興味を持つのも事実でしょうが」


 とりあえずセロ君を治外法権も真っ青な独立国家な医務室に連れて行くのが先決です。


「あと予定通りの到着なら、明後日、参礼日明けの最初の授業は【室内運動場】で『試練官』の紹介がありますので、ホームルーム後は【室内運動場】ですよ」

「あれぇ? ヨシュアン先生ぇ、見回りですかぁ?」


 私本を団扇代わりに使っていると、真夏の暑苦しさも新緑の木漏れ日に豹変するような流麗で可憐なお声がかかりました。


「あぁ、リィティカ先生」


 教室の入口あたりから、ちょこんと顔を出すリィティカ先生は愛らしさで鼻血が出そうですね。

 エロ本とか色本なんか目じゃありません。


「いえ、今、注意していたところです……?」


 愛らしい御尊顔が徐々に曇っていきます。

 あれ? どうしてそんな顔に? 何かあったのですか?


「ヨシュアン先生ぇ……、その手の本はぁ……、なんなんですかぁ?」

「えーっと、今しがた生徒から没収したもので」

「セロさぁん!? どうしてこんな場所で鼻血をぉ!? リリーナさんもぉ!?」

「被害者と犯人です」

「被害者と犯人がぁ、共倒れなんてあるわけないじゃないですかぁ!」


 さもありなん。

 しかし、事実は私本よりも奇妙なものです。


「時にはそういうこともあると思います」

「どんな時と機会があればそんなことになるんですかぁ!?」

「先生が無理矢理、セロにエッチな本を読ませたであります……、がくっ」

「そこぉ! 貶めるようなことを言って気絶するんじゃありません! これはリリーナ君の悪質な冗句ですからね? 信じないでください!」

「ヨシュアン先生ぃ……」


 シャキンと伸ばされる教鞭。


「そういうことはしてはいけませぇん!」


 リィティカ先生にぺちぺちと教鞭で叩かれました。ありがとうございました。


 誤解はなんとか職員室にたどり着くまでに解けたから良かったものの、これでリィティカ先生に拭えない不信感なんて植えつけてしまったら、リリーナ君をどうするかわかったものではありませんね。


 【貴族院の試練】も近いというのに、ウチのクラスは絶好調のようです。

 できればテストで発揮してもらいたいものですが……、前途は相変わらず多難のようです。


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