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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第二間章
131/374

蓼食う虫なんて見たことないです。

時系列は119部『帝国行きの列車はあと三時間です』と120部『帝国行きは途中、国境駅に止まりません』の間です。

 リスリア王国の王城。

 政務室は台風でも起きたかのように荒れていた。


 窓は枠ごと吹き飛び、部屋の隅にあった本棚は骨子ごと壊れてしまっている。

 散らばった本こそ一箇所に集められているが、大した掃除が行われていないことを明確に指し示していた。


 それもそのはず。

 この部屋を掃除すべきメイドの一人が、身動きできなかったからだ。


 現在、この部屋には三名の人物がいる。


 厳つい顔に脳天気な表情を貼りつけた偉丈夫。

 誰もが高い身分にいるとわかる豪奢な身なり。それでいて宝石の類は一切、装飾させていない。

 政務室の主であり、一番、活用しなければいけない者。

 リスリア王国の最高権力者にして、現国王ランスバールだ。


 もう一人は、腰まで届く白銀の髪を束ねた女性。

 涼しい目つきに人形のように滑らかな肌がどこか人離れした空気を漂わせている。

 深窓の令嬢も裸足で逃げ出す完璧な所作に、漆黒のドレスに純白のエプロンドレスを着ていることからメイドサーヴァントだということがわかる。

 ランスバール王に仕える筆頭侍女頭のベルベールだ。


 そして、ベルベールに膝枕してもらって熟睡している男性。

 彼は平均的なリスリア人男性の体格からすれば、小さい部類に入るだろう。

 身長だけなら女性と見間違うほどの低身長だ。

 それ以外だと他二人に比べると、あまりに特徴らしきものがない。

 強いて述べるなら、その閉じた瞳の奥にある目の色くらいだろう。


 黒曜石にも例えられる瞳の色は今は見えない。

 同時にトレードマークでもあったメガネも今はない。


 歳は26、王都の隅で術式具の店を営む傍らに術式具研究を行う『郊外の爆発研究者』として噂高い人物である。

 名前をヨシュアン・グラムという。


 その人物が何故、王城の政務室でベルベールに膝枕されて熟睡しているのかを問われれば、この場にいる全ての人間がこう答えるだろう。


「なんか色々あって?」


 一言で伝えるのに困る、それほどまでに彼らを取り巻く関係は根深く、密やかなものだ。


「よく眠っていますね」


 ベルベールは小さくつぶやく。

 右手をヨシュアンの頭に乗せ、左手でヨシュアンのものでもあるメガネをゆっくり来客用テーブルの上に置く。


 こうして三人で居られる時間は短い。

 ヨシュアンは平民という身分、郊外で職を営んでいるという点から片方と出会うことはあっても、両方とも、という状況は少ない。

 ランスバールもベルベールも自由にやっているように見えて、仕事量は山ほどある。

 その中でもヨシュアンは現在、王国でも北部に位置するリーングラードへと出張し、教職を始めたばかりだ。


 その指示をしたのはここにいるランスバールで、見送ったのはベルベールだ。


 ほとんど別れの挨拶をさせる暇もなく、政治的な思惑の渦中であるリーングラードに送り出したのだ。

 きっと忙しい毎日を送っているのだろう。色んな意味で。


 そう思うと自然、ベルベールは慈母の表情でヨシュアンの焦げ茶の髪を優しく撫で付ける。


「つーか、さぁ、ベルベールYO」

「なんでしょうランスバール様。御手が止まっているように見えますが」

「……いや、見てねぇし。ヨシュアン、ガン見じゃねぇか。なのになんでわかるし」

「音です」

「ぬかった!? 俺としたことが……、さすがは俺のメイド。その卓越した観察力、見事と褒めてくれよう。しかし、第二、第三の俺が必ずや目の前で仕事をサボってみせるぞ……うごご」

「お褒めいただき光栄の極みに存じます。ご褒美に『仕事する義務を与える権利』をくださいませ」

「ん? おう、誰か使いっぱしりてぇのか。よかよか、いくらでも使うといいぞ!」

「では今すぐ行使します。ランスバール様相手に」

「ハメられた!?」


 ちくしょー、と叫びながらも仕事をする手の動きは素早い。


 普段の言動から知能指数が低いと思われがちな王ではあるが、その仕事の見分や速さは並のものではない。

 さらに筋肉質な体つきを見ても明らかだろう。武術をさせれば、そこらの兵士では太刀打ちできないほどの腕前を持つ。

 術式も一通りこなせるともなれば、基本性能は常人を逸するほどだ。


 文武そろった王にして、巷では『賢王』と名高いランスバール。

 名前だけの中身なしではないと証明している。


「いいか? ハメていいのはなぁー」

「それ以上はいけません」


 しかし、言動がコレなので本当にバカにしか見えない。

 ゆえにバカ王とも呼ばれている。もっとも呼ぶのは一人だけだが。


「それでランスバール様。何を言いたかったのですか?」

「おいおい。知ってるくせに言うか」


 ベルベールは人の心を読む力を持ち、その力を使い、ランスバールの敵となる存在を貶め、密告し、危険を排除してきた。

 これからもそうしていくだろうし、止めるつもりもない。

 人の心のもっとも暗く渦巻く感情すら平気で読み取れるのも、強い使命感あってのことだ。


「ランスバール様が自らでお言いになられたほうがよろしいと思いまして」

「ん? おうおう、なら遠慮なく言うか」


 どこにも遠慮なんかしていないのはご愛嬌というやつだろう。


「ベルベール。お前、なんでヨシュアンと付き合わねーの?」

「どうしてでしょう? お互いにその気持ちはないと思いますが」

「いやいや、お前が本気になったらヨシュアンくらい落とせるだろ。あの件にしたって『ヨシュアンをリスリアに縛りつける』つもりの話だろ。『アレ』が周囲を黙らせるつもりで落とした話にしてはまぁまぁだったけどな」

「それはないでしょう。正真正銘、彼女は本気です」

「本気かどーかはあんま意味ねーよ、アレの立場だとな。ま、本気になったらヨシュアンがどこに行こうが止められねーんだが。こうして、まぁだリスリアに残ってるってことはよ、それなりにこの国に居たいって思ってるからだろうしな」


 ベルベールも思いつきはした。


 本人たちの意思、関係なく結婚することなど当たり前にある話だ。

 ましてや凄腕の術式師にして術式具元師でもあるヨシュアンの血をリスリアに取り入れるつもりなら、そこらの貴族と無理矢理、くっつけてもいいのだ。

 もちろん、その対象はベルベールも含まれる。


 現に何名かの革命軍からの流れで国の舵取りを担っている者たちの中には、そうしようと思っている者もいる。

 ベルリヒンゲンなどはその筆頭だ。

 反対に事情を知らない者たちはまったく、全然、これっぽっちもヨシュアンを重要視していないので、そうした動きは起こしていない。

 しかし、それらを差っ引いても告白まがいや、仲間内にそれとなく言われることもある。


 結構、恋愛包囲網の中にいるヨシュアンでもあった。

 もっとも、ヨシュアンもコレに気づいている節があり、のらりくらりと交わしている毎日だ。


 国王の命令もないので、特に言及もされずに放置されている件でもある。


 それをしない。

 あえて、しない。


 ベルベールなら望み通り、求めるがままの結果を出せる。

 ヨシュアンを落とすことも可能だ。

 心を読めるということは欲する気持ちを理解しているのと同じだ。

 相手の立場から、相手のして欲しいことを覚り、与えること。


 それを愛とも言い換えられるだろう。

 そして、人は愛されているとわかっていればその人を無下にできない。


 損得だけの話で切って考えても、自分の利益になる者を遠ざける人はいない。

 愛してくれる人を感情的に切ることも難しいだろう。


 ましてや、なんだかんだで情け深いヨシュアンである。

 しかし、ヨシュアンだからこそ簡単には行かないだろうという気持ちもある。


「フィヨ様の件さえなければ、それでも良かったのかもしれませんね」

「あー……」


 珍しくランスバールが天井を睨むように仰ぐ。


 その少女の名前は、この場にいる三人にとって十字架だ。

 特にヨシュアンは鎖でその十字架を背負い、今も生き続けている。


「それに……、あの件がなくとも、やっぱり、ヨシュアン様と私は無理でしょう」

「好みじゃねぇってか」

「どうでしょう?」


 ベルベールにとって人との付き合いは煩わしいものでしかない。

 苦痛と置き換えてもいい。


 誰もが日常的に発する、心の声は綺麗なものばかりではない。

 優しい顔をして侮蔑の言葉を投げかける。怒りながらも無関心。悲しみながらも次の金を勘定している。喜びながら退屈に腐っている。


 心と表面が一致しないことは当たり前だ。


 しかし、同時に本心が心の一部であるということをベルベールは知っている。

 本音だけで構成されているほど心というものが単純でもないことも。


 誰もが求めるものを過不足なく得られるわけではないように。

 心もまた、何もかもが全てピタリと当てはまる何かに出会うことはない。


「きっと愛や恋などの代用品では埋まらないからでしょう。彼の大きな心の穴は」


 それは内紛で傷ついた全ての人たちにも通用するものでもあった。


「何かに折り合いをつけて、埋まらない穴を埋めて生きていくにはヨシュアン様はありのままを受け入れすぎます」

「――根は単純だからなぁ、こいつは」

「それに――」

「お、まだあんのかよ? いいぜ、洗いざらい吐いちまいなよYOU」


 人の心の虚にある複雑なシステム。

 そして、その人々が織り成す社会というシステム。

 それら全ての声を処理するにはベルベールの精神では耐え難いことだった。


 耐え難いはずだった。


 しかし、世の中にはそうではない人もまた、居たのだ。

 人のしがらみの中で、人が夢見る物語のように正しく塗り替えようとする苛烈な炎のような願いを持つ人たち。


 心を読む――それだけで恐怖される心の弱い人々の中で。

 たった二人だけが、ベルベールの能力を聞いても怯まず、怯えず、躊躇いもなく、地獄の中でも生きながら、ただの人としてベルベールに接した。

 接しているという意識もないまま、心の根を全てさらけて良しとする、強い二人がいる。


 ベルベールが敬愛するに相応しい二人は、今、この場にいる。


「こういうことを言うとヨシュアン様に男としての魅力がないように聞こえますが……、私は一度もヨシュアン様にときめきを覚えたことはありません」


 優しく、何度も何度も髪に触れる。

 癖っ毛の強い髪は梳くたびに指に絡まる。

 細くても強靭な髪のソレを、ゆっくりと解いていく。


「曖昧な言い方をすると、まるで『水面に映った自分』を見ているようで、『鏡の向こう側の自分』と喋っているような、こうして家族に向けるような気持ちを持てても、恋をする気持ちにはなれないのです」

「はぁん? なんだそりゃ」

「『生き別れた双子』みたいな、『自分の体の延長』みたいな、こうして触れていても他人の体に触れた時のような違和感にも似た感触が起きないのです」


 ハッキリと心の芯を突く言い方をするベルベールが珍しく言いよどむ。

 この気持ちはベルベールでも持て余しているのだ。


「もしも何らかの事故が起きてヨシュアン様が半身不随になったとしましょう。その時、おそらく、下のお世話をしても嫌悪すら感じないでしょう」

「オムツプレイとか、さすが俺のメイドは格が違った。ひいては俺、最高!」

「お褒めいただきありがとうございます」


 面と向かって喋っている時も、その心を読んでいても、そう。


 初めて会った時からずっと、まるで当たり前のように、違和感を覚えるくらいに違和感なく存在していた。


「ヨシュアン様もまた疑問も覚えず、私という存在を受け入れていました」


 最初に心が読めるということを知っても、動じていなかった。

 それどころか当たり前だと思っていた節もあった。


 そして、当たり前に受け入れられることにベルベール自身、おかしいと思わなかった。

 改めて考えてみると異常な話でもあった。


 ランスバールみたいな特殊な精神性も持たずに受け入れられることはまずないと言える能力なのに、ごくごく自然に二人はお互いを受け入れていた。


「ひょっとすると、お前らは同じなのかもなぁ」

「同じ、ですか?」

「なんか以前、ヨシュアンも似たようなこと言ってやがったからなぁ……、なんだっけか? 『魂の双子』だったか?」

「その話なら私も聞きました」


 魂の双子。

 まったく関係のない、血縁も由縁もない別の場所に存在する二人が、何度も何度も同時期に怪我をしたり、恋をしたり、とにかく共通点が多いという現象のことを言うらしい。

 

「世の中、不思議な現象があるものだとは思いましたが、私とヨシュアン様が魂の双子だとすると今頃、私の体は傷だらけです」

「だよな。そういえばこいつ、一回、リューム・フラムセンで心臓、貫かれてなかったか? なんで生きてんだ、こいつ。やっぱ魔獣の類なんじゃね? 略して魔人……おぉ、怖気が走るぞ色んな意味で」

「お忘れですか? あの時はヘルマン様がどうやって生き残ったのかを説明してくださいました」

「あ? どうだったっけか? 俺って未来に生きてるからな」

「素晴らしゅうございます。できればその調子で過去も大事にしてくださいませ。無意識に内源素で心臓周りをカバーしたのです。心臓だけを綺麗に避けていたそうなので、おそらく、という注釈がついていました。なお、ヘルマン様は『来る』とわかっているならできますが、とっさの判断でできるような神業ではない、とも仰っておりました」

「こいつも大概、バケモンじみてんな。頭以外は」


 ヨシュアンが聞けば憤慨しそうな内容だった。


「もしも私にも同じ現象が起こるなら、やっぱり即死ですね」

「あー、そう考えるとアレか。お前らは魂の双子じゃないってことか」

「さぁ、どうでしょう?」


 言ってしまえばヨシュアンが『そうではないか?』という模範解答を示しただけである。

 それが真実であるなどと誰一人、思っていない。


「もしも答えがあるのなら、あの隔絶された領界域にとヨシュアン様が仰っておりました」

「あ? なんぞソレ」

「天上大陸です」

「なんだ、俺の壮大な夢に対抗するために天上大陸に行きたいとか言ってたんじゃねーのかよ」

「ヨシュアン様に思い残すことがあるのなら、もう天上大陸くらいしかないのではないでしょうか。全ての謎は天上大陸にて解ける――その言葉を信じてらっしゃいました。いくつも古い文献をさらっていましたので」

「ふーん。それでずいぶん前に、わざわざ俺の許可を取りに来たのかー、そうなのかー」


 以前、図書院の禁書録を見せて欲しいと頼まれたことがあった。

 特に問題もなかったので軽く許可を与えてみた。


 それが回りまわって、国宝の修復に繋がったのだから何が起きるかわからない世の中であった。


「【狂える赤鉄】と同じ道を歩いていることを心配されているのなら、大丈夫でしょう」


 かつての【タクティクス・ブロンド】として、【十年地獄】を彩った赤の狂人。

 その彼女もまた、ヨシュアンと同じように天上大陸を目指していた。


「数奇というか、奇妙というか。【狂える赤鉄】を倒したヨシュアン様があのエリエス・アインシュバルツを育て、導き、【狂える赤鉄】と同じ道を歩いています。しかし、決して同様にはならないでしょう」

「あ……、そういえばアインシュバルツを調査したこと、こいつに言ってねーぞ?」

「……それは」


 少しマズいのではないかと思うベルベール。

 

「てっきりランスバール様がお伝えしていたのだとばかり」

「いやぁ、こいつなぁ。俺が、つーか、誰かが【狂える赤鉄】を調べてどうにかなることをずっと懸念してやがったからな。てめーの師匠のことは無関心な癖にどーしてかあの女については過剰反応しやがる」

「だいぶ強烈な、出会って三日ほどは夢見の悪くなるお方でした」

「三国一の迷惑もんだったからなぁ」


 二人が遠い目をして、この世で一番、イヤな人を思った瞬間でもあった。


 そんな貴重な瞬間に、コンコンとドアがノックする音がする。


「入れー、土下座しながら入れー」

「奇っ怪なこと要求しないでくださいよー、陛下ぁ」


 ドアが開くとそこには低身長のメイドがいた。

 ショートヘアに飾られたホワイトプリム、猫のような眼、すばしっこそうな雰囲気に添えられた慎まやかな胸。

 見た目は十二、十三くらいの少女だろう。


 しかし、その頭に猫耳が生えてなければ話は別だ。


 よくよく見れば手足も黄色の髪色に似た体毛が肌を隠すほど生えている。


 ヴェーアティーガーと呼ばれる種族の幻想人種。

 ノノ・ティル・ハリマオだ。

 

「ベル姐さんの呼びつけで参りましたー」

「なんだよ、俺じゃねぇのか子猫」

「猫じゃないんスよねー、虎ッスわ」

「よく来ましたノノ」

「うっす。【とびだせ! 黒猫にゃんにゃん隊】のお仕事ッスか?」

「いいえ、メイドの仕事です」


 うっへぇ、と、奇妙な声と共に舌を出すノノ。

 それも一瞬だけで、すぐにベルベールの膝で眠るヨシュアンを見つけると両手を上げて目を見開いた。


「うっわ!? 何? 死んでるの? あの猫より警戒心の強いヨッシーがなんでこんな無防備に! レアだレア! おーい、すごい希少動物が……ッ!?」


 すぐさまメイドの仲間に報せようとした瞬間、ゾクリと背筋に冷たいものが走って声を止めた。

 止めざるをえなかった。


「何をしているのですか?」


 真っ赤な眼差しでノノを射貫いていたからだ。

 まるで刃に刺されたようにノノは動けない。


 ヴェーアティーガーの身体能力は人間のソレより遥かに高い。

 特に俊敏性、隠密性という分野ではヨシュアンが【獣の鎧】を発動させていても互角かそれ以上の性能を発揮する。


 この場において、もっとも肉体的に優れた人類でもある。

 しかし、この場でもっとも肉体的に弱いはずのベルベールの視線一つで動きが止められている事実。


「ヨシュアン様がご休憩されている時に貴方は何をしているのですか?」

「……え、えー、はい、すんませんした、静かにしまス息も止めまスから睨まないでください怖いッス、うぇ」


 もはや刷り込みに近い、心的圧迫のせいである。

 ベルベールの【篤信独身ひとりみのこころ】を攻性に使うとこうなる。


 意識というものは瞬間瞬間に生まれる想起の連続だ。

 何かの拍子に驚いただけでも一瞬で様々な想起と対処が無意識に頭の中で処理される。

 ベルベールはこの中で想起される感情を認識して、丁寧に踏みつける。


 本来なら一瞬しか感じないはずの恐怖。

 この恐怖を引き伸ばす所作を取ることで、心に印象を植えつける。


 その一瞬の感情はほんの少し引き伸ばされたとしても、すぐに元に戻ろうとするだろう。

 『なんだかこの人、怖いな』程度の感想を抱くだけでもベルベールにとってはとっかかりになる。

 その気持ちを何度も何度も、何度も何度も繰り返させることで苦手意識や恐怖感がプライミング効果――ベルベール本人と関連し結びついていく。

 

 やがて、その本人は気づかない内にベルベールに苦手意識や恐怖感が芽生えていく。

 繰り返してみる映像に出てきたモノを見た瞬間、映像を思い出すように。

 心に残りやすいように。


 そして、丁寧に心を支配されていく。

 心の中を読み取り、正確に対応するだけで人の心を支配する。

 そして、心は人間を支配する。


 例えば『睨みつけただけで呼吸が困難になるほど圧迫感を覚える』などである。


「貴方を呼んだのは物音一つ立てずに動けるからです。それなのに発情期の猫みたいな声をあげて礼節をお知りなさい」

「……猫じゃないッス、虎ッス」

「なら虎らしくあの本棚を片付けなさい」

「虎らしさがまったくない件について」

「何か?」

「いいえ、ヤラセテクダサイマセ」


 肩を落としながら、壊れた本棚や落ちた本を拾っては積み上げていく。

 俊敏な動きをしているのに物音がしない辺、サイレントキルの訓練を十分に積んでいる証拠だろう。


「あのー、ベル姐さん」


 片付けをすることによって心の平静さを取り戻したノノが、最初の疑問を思い出す。


「どうしてヨッシーが警戒せずに寝てるんスか?」

「何かおかしなことでも?」

「いやいや、おかしいことだらけッスよ。陛下が城下町で飲みつぶれてた時、毎回、ヨッシーが回収にいくッスよね?」

「ランスバール様が飲みにいくのはいつものことです」

「いつものことじゃ困るんスけどね。一国の主だっていう自覚はどこにいったんスか」

「旅行中に決まってんだろ、向こう五十年は帰ってこねーよ」

「死ぬか死ぬ間際まで帰ってこないってことじゃないッスか、それ。ていうか絶対に旅行とかじゃないッス出奔とか出家とかそんなレベルッスわ。大体、本人が言ったらもうダメじゃないッスか。ヨッシー、早く起きてこのお方、ぶん殴ってくれないッスかね」

「で、何がおかしいのです」

「うわ、冷静に話を元に戻した。しかも全スルーッスか」


 驚異的なものでも見るような顔で主と侍従を見るノノだった。


「はぁ……、まぁ、なんせ陛下が城下に参られる時はウチらもついていくんッスよね。隠密警護の訓練も兼ねて」

「ほう、俺のおかげか」

「陛下、マジ死なねーッスかね?」

「苦しゅうないぞ」

「苦しんで死んで欲しいッス」


 言わんとしたことに心を読んで理解するベルベール。

 しかし、あえて言わせたいままにする。


 ベルベールが心を読めることはヨシュアンとランスバール、他数名くらいしか知らない。


「だから回収するのはウチらの仕事なんスけど、どうしてか毎回、ヨッシーに持ってかれちゃうんスよ」

「まるで俺が重要書類みてーじゃねーか」

「大して変わらないッスよ」


 もう敬う気もないらしい。


「確かに毎朝、ヨシュアン様が持ってこられますね。前にヨシュアン様が『早朝番の門番と仲良くなった、死にたい』と仰っていました」

「全力でイヤだったんスね。でも律儀だから毎朝回収する、と。井戸の水を汲み上げて戻す仕掛けみたいッスわ」


 ヨシュアンが起きていたら全力で否定するだろう。

 彼は毎度、その前の日の夜に酒場の小僧に叩き起されて、回収を頼まれたあげく『あくまでも普通に持って帰ってきている』のだから。


「んで、トーゼン、ウチらもヨッシーを追いかけるわけなんスけど、当たり前のようにバレてまして。この前なんか見つかった挙句、ヨッシーの家まで連れて行かれて朝飯ゴチソーになったッス。優しいのかおかしいのかどっちかにして欲しいッスね。あ、朝飯はすげーうまかったッスわ。それとおかしいのはこっからなんスけどね。普通に引きずってるのに誰も陛下のことに気づかない上に門番まで気づかないとかおかしいっしょ、これ。だから、調べてみたんスけど……」

「続けなさい。もちろん作業も」

「すんませんッス」


 手が止まっていたらしく、厳しく注意されたノノだった。

 しかし、無音での作業なのにどうして感づかれたのか、ノノは疑問に思ってからすぐさま疑問を捨てた。

 理由は一つだ。


 ベルベールに隠し事できた試しがないからだ。


「本気で隠業したのに、あっけなく曲がり角あたりで挨拶されたんスよ。夜を見計らって寝室に忍び込んだら、入った瞬間、叩き押さえられましたし、マジ、この人、武人かなんかかと思いましたわ。見た目、普通の人なのに……」

「そうですね。普通で素敵な陛下の幼馴染です」

「陛下の幼馴染の時点でもうおかしーんスけどね、どう考えても」

「王国を骨の一本まで背負う覚悟があるなら深入りしなさい」

「なんでもないッス。あ、もう片付け終わりました」


 ものすごく怖い未来が待ってそうなのでノノは最速で作業を終わらせた。

 当然、話を打ち切るためだ。


「そう、そこまで気づいてしまったのならノノにも……」

「き、キキタクナーイ、ヤメレー、ウチ、可愛いおばあちゃんになるのが夢なんスよー」

「なら、長生きできるようにくれぐれも頭を低くして生きることですね。メイドの基本ですよ」

「……はい」


 とはいえ、ノノもあらかた、これらが何を指し示しているか理解しているつもりである。

 ただ明言しないのは、ノノの実力でもこの場の誰にも勝てそうにないからだ。


 ランスバールは国王で、その組織力や結束は固い。歯向かうだけ無駄である。

 ベルベールは言うまでもなく、逆らう気すらおきない。

 そして、ヨシュアンに至っては、まともにやりあっても勝てるビジョンが思い浮かばない。


 幸い、ハードな諜報部隊であっても、ちゃんと休みの日や各種手当まで貰っているのでそんなに悪い職場でもないと思っている。

 職場内の空気も全然、悪くない。


 全てを不意にしてしまうほどの破滅思考もない。


 割とこの空気に馴染んでいる上に暴言を吐いても許される職場など、そうそうあるわけがない。


 以上の理由を木材と一緒に抱えて部屋を出ていこうとするノノに、


「ヨシュアン様が起きて出立されたら、隠密の仕事があります。ちゃんと全員を呼び出しておくように」


 と、ベルベールから深夜残業が申し付けられたのだった。


「(これさえなきゃ、完璧な職場なんスけどね……)」


 心の中が丸見えだと知らないノノはそんなことを考えて、一礼して出て行った。

 ノノの心の声が聞こえなくなるまで黙っていたベルベールは、ふとテーブルに置いたヨシュアンのメガネを見つめる。


「(メガネ……、そういえばメガネをかけていないヨシュアン様を見るのも久しぶりですね)」


 ランスバールはヨシュアンが自分の師に無頓着だというが、こうして形見を大事に使っているところから、常人にはわからない思慮が隠されているのだろう。

 心の声を聞けても、その人が無意識の行動まではわからない。


「(少しだけかけてみようか、なんてことを言ってもヨシュアン様は許されるでしょうが)」


 だからこそ、あえてメガネには触れずにテーブルに置いたままだった。


「ランスバール様。ノノたちが真実を知っても変わらずにいると思いますか?」

「さぁな。あいつは割と底抜けてやがるし、どうせお前と同じで真実に意味を見いだせない感じだろ。真実ってのは利用するもんでも目指すもんでもねーよ。問いかけ続けるもんだ。そこの居眠りしてるヤツみたいにな」


 ヨシュアンはまだ目が覚めない。


 ずっと見つめていたベルベールは、やはり、鏡を見ているような気分のまま、ヨシュアンが目覚めるのを待っていた。


 この安寧だけは誰にも壊されて欲しくないと。

 その気持ちが侍従の枠を越えて、家族を越えて、半身へと向けるものだとしてもベルベールは気にしなかった。

 

 少なくともそう想うほど、ヨシュアンのことを願っている。


「左様ですか」

「左様だぜ。ま、どうせ帝国の奴らもこいつが起こす事件がどんなもんか気づき出すだろうよ。ついでだから最近、俺の王国でこそこそしてる不法侵入者も送り返しておけよ。丁寧にな? 俺の輝く品性が問われたら困るしな」

「心得ました、容赦なく贈らせていただきます」


 これからマークしていた帝国のアサッシンをノノたちが捕まえ、ヨシュアンが事件を起こした後にアサッシンたちを送り届ける手続きをしなければならない。


「まったく……、入国税も払わずに入ってくるとか、場代払わずに店に入るのと同じだろーが。少ない小遣いで酒を飲んでる俺を見習えっつーの」

「少ない小遣いを市政の酒屋に回すことで微力ながら経済を活性化させているその姿勢は素晴らしゅうございます。具体的には今月はもう空っぽなので、一週間あまり無欲で頑張ってくださいませ」

「しゃーねぇな。詰所の兵士が隠してる酒でもかっぱらってくるか」


 しばらくしてから、ヨシュアンが望んだ情報を持って諜報部隊の誰かがやってくるだろう。


 それまで、こののんびりとした会話は続く。

 これから起こる王国と帝国の関係すら変えてしまう、一つの事件。


 ファーバート卿領主館襲撃事件。


 その影響は様々な人々に波紋して、奇妙な構図を描いていくことをなると知る者は、いない。


「ところでよ、お前の好みの男ってどんなヤツだよ」

「それはもちろん、ランスバール様です」

「愛いヤツすぎて泣けてくるぜぃ」


 今はただ、彼らはいつもどおり、つかの間の安らぎを味わっているだけである。


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