第三章 第一節 警察
人間を宿主とし、人間を喰らう巨大な寄生蜂。
加藤良蔵の頭の中では、その言葉が何度も反響していた。
整理する暇はない。
理解されるかどうかも、考えていられなかった。
――とにかく、誰かに伝えなければ。
そうしなければ、犠牲は増える。
加藤は車を飛び出し、スマートフォンで最寄りの交番を探した。
表示された地図の中で、最も近い場所。
川岸駐在所。
迷う理由はなかった。
息を切らしながら駐在所に駆け込み、
扉を開けた瞬間、加藤は叫んだ。
「誰か!」
奥から、制服姿の警察官が一人、顔を出した。
「どうしました?」
落ち着いた声だった。
それが、かえって加藤の焦燥を煽る。
加藤は、語った。
森で見た光景。
人が殺され、喰われたこと。
そして、“それ”が人間を宿主にする存在だということ。
話を聞き終えた警察官は、一瞬、言葉を失った。
「……人間を宿主にする、人を食べる、人間サイズの寄生蜂、ですか?」
声の調子が変わる。
「少し、アルコールの検査と、薬物の検査を受けてもらってもいいですか?」
加藤の胸に、苛立ちが込み上げる。
「私は東都大学の教授だ!」
思わず声が荒くなる。
「犠牲者も出ている! 現場に行けば、私が嘘を言っているかどうか分かる!」
加藤は震える手で身分証明書を差し出した。
警察官はそれを受け取り、視線を落とす。
「……加藤良蔵、六十三歳。東都大学、昆虫学教授……」
短い沈黙。
「……嘘を言っているようには、見えませんね」
加藤は、一歩踏み出した。
「頼む。何人か連れて、一緒に来てくれ」
「寄生蜂に宿主にされたのだとすれば……戸崎君は、まだ生きている!」
その言葉に、警察官の表情が引き締まった。
「分かりました。本署に連絡します」
無線が入り、応援要請が出される。
それから十数分後。
駐在所の前に、パトカーが次々と止まった。
降りてきたのは、五人の警察官だった。
山本圭吾巡査部長。
佐川裕二巡査長。
吉村康太巡査長。
沢井美樹巡査。
広瀬健介巡査。
男性警察官が四人、女性警察官が一人。
その顔ぶれを見て、加藤は思わず口を挟んだ。
「……女性は、危険なんじゃ……?」
沢井が一瞬、視線を向ける。
それに答えたのは、山本だった。
「女性の被害者が、裸の状態で生存している可能性があるなら」
「女性警察官が保護にあたるのが決まりです」
淡々とした口調だった。
規則に従った、当然の判断。
だが、加藤は胸の奥で言いようのない不安を覚えた。
加藤は一歩前に出る。
「私も、連れて行ってください」
「相手が昆虫なら……私の知識が役に立つかもしれない」
警察官たちは、一瞬、顔を見合わせる。
「しかし……」
そう言いかけた山本の言葉を、吉村が遮った。
「……分かりました」
そう言って、駐在所の奥へ引っ込み、戻ってくる。
手には、サバイバルナイフがあった。
「役に立つかは分かりませんが」
「もしもの時は、それで身を守ってください」
「ありがとうございます」
加藤は、深く頭を下げた。
こうして、警察官五人と、昆虫学者一人。
二台のパトカーは、
再び闇に沈む森へと向かった。
誰もまだ、この判断が、正しかったのかどうかを知らないまま。




