第二章 第一節 逃走
青木は、ただ走っていた。
肺が焼けるように痛み、喉の奥から鉄の味が込み上げる。
脚はとっくに限界を越えていたが、止まるという選択肢だけは頭になかった。
――こんなことに、かかわらなければよかった。
後悔が、遅れて湧き上がる。
取材対象に自分から踏み込んだ結果が、これだ。
だが、それと同時に、別の声が脳裏に割り込んでくる。
――いや、これは異常だ。
――島で、人が、あんなふうに殺された。
理性とは別の場所で、記者としての本能がざわついていた。
恐怖と同時に、得体の知れない興奮が混じる。
自分でも嫌になる。
だが、それでも思ってしまう。
――これを生きて持ち帰れたら。
青木は首を振る。
違う。
どちらにしても、今はそれどころじゃない。
生き延びる。
それだけが、すべてだった。
やがて、前方の闇の中に、ぼんやりと建物の輪郭が浮かび上がった。
神社だ。
屋根の影が、夜空に溶け込んでいる。
脚はもう言うことをきかない。
社の中に入れば、ひとまず身を隠せるかもしれない。
そう思いかけた瞬間、
脳裏に、あの遺体の光景がよみがえった。
白く露出した骨。
不自然なほど、きれいに削がれていた肉。
――あれは、何だったんだ。
刃物じゃない。
人間のやり方じゃない。
ただ一つ確かなのは、
あの神社で起きた出来事と、
今、森の中で起きていることが、
無関係ではないという感覚だけだった。
もし、この神社が、
“あいつら”の拠点だったとしたら。
社殿の闇が、急に生き物の口のように見えた。
「……だめだ」
背筋が粟立つ。
「もっと先へ……!」
青木は、歯を食いしばり、神社を避けて走り続けた。
視界が揺れる。
何度も転びそうになりながら、それでも前に進む。
やがて、闇の向こうに、見覚えのある影が現れた。
捜索に使ってきた、白いワンボックスカー。
「……っ」
胸の奥で、何かがほどける。
だが、次の瞬間、現実が突きつけられた。
ドアは閉まっている。
鍵がかかっているのは、一目で分かる。
鍵を持っているのは――池田。
もう、取りに行けない。
戻る?
無理だ。
島の道は分からない。
体力も、もう残っていない。
青木は荒い息のまま、周囲を見回す。
懐中電灯は、森に落としたままだ。
物音を立てる余裕もない。
一瞬の逡巡の末、
青木は地面に伏せ、そのまま車の下へ潜り込んだ。
冷たい土が、頬に張り付く。
呼吸を殺す。
心臓の音が、やけに大きく響いている気がした。
闇の中で、青木はただ、身を縮めていた。
近くで、何かが動く気配がした。




