筆先のサンダーソニア
チューベローズの香り。
焦がれた心の香りと同じだ。
エーディットは、手紙を書くためにインクをペン先につけた。
チューベローズの香りに、自分はどうして傷ついているのだろうか。引っかかれた傷が、痛くて、ひきつって、膿んでいるような感覚に辟易する。
ここに来た時から、この結婚には何かがあると分かっていたはずだ。
メイ家にあって、ファンデル家にない利益。メイ家にあって、ファンデル家にはない理由。
結婚の理由が分からないまま、エーディットがここにいることは、エーディットを危険にさらしている。現に、監視する瞳は、日に日に強くなっている。
こうして、手紙を書くことも、きっと観られている。だから、父に直接問いかけることはできない。
どうして、ファンデル家は、エーディットを選んだのか。
どうして、父は、了承したのか。
分からない
そう、父は言っていたけれど、本当は、知っているのではないか。
ペン先にインクをつけてから、エーディットは、何を書くべきか悩んだ。問いかけることができなければ、答えを得ることはできない。
ラウレンスが偽る理由を、エーディットは問いかけられない。だから、答えを得ることができない。
チューベローズの香りが似合う、そんな人のことを想像するけれど、思い描くことはできない。想像できるのは、エーディットよりも美しいということだけ。
その人は、ラウレンスに触れることを許されているのだろうか。ラウレンスに抱きしめられているのだろうか。ラウレンスに愛されているのだろうか。エーディットに、指一本触れないラウレンスが、チューベローズの香りを抱きしめるところを想像する。
そうすると、霧の中で、突然足元が消えたような感覚に襲われる。自分の立っている場所がいかに不安定で、不確実か突き付けられる。
エーディットは、そんな自分の感情に、名前を付けるならばなんだろうかと、この頃よく考えていた。
型通りの挨拶を書き終えて、エーディットは、ペンを止めた。
何を書けばいいか分からなくて、思考におぼれていた。幸せであることばかりを綴れば、きっと父を心配させる。
そうでない理由を、おそらく父は知っているからだ。
でも、それが、嘘だとは思わない。満たされず、欠けているけれど、不自由はなく、幸せなのだ。
穏やかな日々は、恋愛も結婚も望むことさえ自分に許せなかったエーディットにとって、手に入れられる最大の幸せな気がした。
たとえ、その幸せが何も生み出さなくても。
触れたくて触れられないその背中から、目を背けることで完成する幸せを、エーディットは不幸せだとは思わなかった。
すこし湿った風がふわりと部屋に入りこんだ気がして、エーディットは顔を上げる。そこには、何もない。
ラウレンスが何を思っているのか、理解ができない。そして、それに対して自分が抱える感情の理由も、名前も、分からなかった。
嫉妬と呼ぶには、貧弱なそれは、チューベローズの香りを嫌ってはいない。ただ、その香りが羨ましい。なんの香りも纏うことを許されないエーディットとは違う。その香りを纏えることが羨ましい。
ならば、この感情は、羨望だろうか。
わずかに、首を傾げたエーディットは、乾いた瞳を潤すように、何度か瞬きをする。
これは、羨望と呼ぶには、あまりに薄汚れているように思えた。
またペン先をインクにつけて紙の上に滑らせる。ジワリと滲んだ文字は、どんどん広がっていくような錯覚を覚えさせた。幸せに、黒いしみが広がるような感覚だ。
それを誤魔化すように、エーディットは上から、自分の名前を署名する。
エーディット・デ・メイではなく、エーディット・ファンデルと、署名した。虚勢を張ったような文字だった。




