忘れられた花、その名前
「エーディット様……エーディット様!聞いて下さい、私は、」
与えられた部屋に戻ると、フランカがソファのクッションを直していた。
縋りつくように、エーディットにまとわりつくフェナの声が、耳障りに思える。エーディットは少しばかり、疲れを感じて、ソファに座り込む。
フランカは、エーディットの膝に、編みあがったばかりのひざ掛けをかけた。
その様子に、フランカは知っていたのだと思った。夫と、フェナの関係を。
「……フランカは、知っていたのね?」
「はい。でも、もう終わったことですから。」
「そう、かしら?」
エーディットは、自身が編み上げた花のかぎ針編みを、指でなぞった。
「エーディット様!申し訳ありませんでした。」
エーディットにとびかかるように膝に、手をかけたフェナを、じっと見つめた。すると、その手は、エーディットから離れて、ぐっと握りこまれる。
「騙そうなどとは思っておりませんでした。エーディット様を煩わせたくなくて。それに、確かに終わったことなのです。」
「終わったこと?本当かしら。」
「本当です!私は、ただ……。いえ、本当に、エーディット様を傷つけたくなかったのです。」
ただ、その言葉の続きは、分からなかったが、想像するだけで眩暈がひどくなった。どうしてレオナルトは、エーディットにフェナを仕えさせたのだろうか。知らなかったのか、知っていて現実を突きつけるためか、それとも、ラウレンスの差し金か。
想像できる答えはどれも、エーディットを道化にする。
「それなら、隠し通してくれればよかったのよ。」
エーディットは道化だ。ラウレンスがそれを望む限り、演じ続ける哀れな道化だ。そう思うと、本当に滑稽で、笑いがこみあげてくる。
深く頭を下げるフェナを見下ろしながら、エーディットは声を上げて笑う。
「ええ、でも、あなたが私に心から尽くしてくれたのは本当よね。」
「エーディット様……」
「だから、褒美を上げましょう。」
「え?」
頭を上げて、フェナは瞬きを何度か繰り返した。この愛らしい表情で、夫を誘惑したのだろうか。それとも、夫は気まぐれに、花にとまっただけなのだろうか。
「欲しいものが、あるでしょう?」
「……欲しい、もの、」
「本気だったのではない?ラウレンス様のこと。だから、少しでも接点が持てるように、行儀見習いではなく、奉公として残ることを決めた。」
「それは、」
くしゃりと泣きそうな顔をしたフェナからは、チューベローズの香りを感じることはなかった。エーディットは、目を細めて、フェナの香りを探した。甘くて切ないその香りは、チューベローズの香りとは違う、もっと、純粋な香りだった。
「ラウレンス様は、きっと、お疲れでしょう。今夜は、あなたが癒して差し上げて。」
フェナに手を振り、部屋から出ていかせて、エーディットはソファに体を預けた。目を閉じたくなって、両手で顔を覆う。
「エーディット様、なぜ?」
「選ぶのは、私ではなく、ラウレンス様だもの。」
選ぶのは、いつもラウレンスだった。最初から、最後まで、ラウレンスが選んだ結末だった。ラウレンスは、庭の花の間を飛ぶ蝶のようだ。忘れた花には止まらない、残酷な蝶だ。
「違います。エーディット様、今度は、あなたが選ぶのです。屑か、屑以外か。」
「……ずっと、思っていたの。」
フランカは、ずっと、エーディットにその言葉を伝えてきた。今度は、エーディットが選ぶ番だと。選ぶ権利があるのは、エーディットで、心は自由なのだと。
「フランカは、私を大切にしてくれている。私を、何より大切にするから、苦しめる言葉も言わなかった。だから、おかしいと思っていたの。」
「エーディット様、」
「これも、ラウレンス様の差し金なのでしょ?フランカが、私に選ばせようとするのは、ラウレンス様がそれを望んでいるから。」
「それは……違うというのは嘘になります。でも……エーディット様に選んでほしいのは本当です。たとえ、それが屑以外でも、私は命がけで、その意思をエーディット様ごとお守りいたします。」
「……ラウレンス様は、何のためにそんなことさせるの?」
フランカは、一歩、エーディットに近づいた。顔を覆っていた両手をフランカにつかまれる。
「屑は、あなたに選ばれたいのです。エーディット様が自分以外を選ぶことを許せないくせに、こうやって選択を迫るのは、あなたに純粋に選んでほしいからです。本当に、甘えた屑です。」
フランカの体温は、夫と同じで少し高い。両手は火傷しそうなほど熱かった。
「エーディット様は、これを選んだんですね。屑に選ばせることを、選んだ。」
「……そう。」
「エーディット様は、ずるいです。ずるくて、でも、可愛い。」
フランカはそういうと、エーディットを抱きしめた。




