色のない筋書き、菫色の結末
エーディットは、菫色のワンピースを着て、窓の外を眺めていた。春が近づいて、ほんの少し、日が落ちる時間が遅くなった気がする。
昨日と同じ菫色のワンピースを選んだのは、それを着たエーディットを、ラウレンスがほめてくれたからだ。
それが、気まぐれであっても、嬉しくて、心が浮き上がるようだった。だから、菫色のワンピースを着て、ぼんやりと結末を考えていたが、何も思いつきはしなかった。
「奥様、」
ノックにも気づかなかったようで、エーディットは少し驚き振り返る。
「トビアス」
怜悧な美しさが、何も変わらないままに、エーディットを見つめている。昨日の会話を思い出して、エーディットは、少し頬が熱くなるのを感じた。
自分の感情に手一杯で、トビアスが、自分に向けていた感情にひとかけらも気づいていなかったのは、主人失格なのかもしれない。
「トビアス、どうしたの?」
「旦那様が、」
「トビアス、下がれ。」
トビアスの言葉は、ラウレンスの声で遮られてしまう。
「昨日、言ったことを忘れたか?」
「ラウレンス様、トビアスはただ、お帰りを知らせようとしてくれただけです。」
エーディットがソファから立ち上がると、ラウレンスは、そのままエーディットを抱きしめる。外から戻ってきたはずの夫の方が、温かい気がする。
ああ、温かい。
この手で泡にしてくれたのなら、いいのに。
「戻ったよ。」
「お帰りなさいませ。お待ちしておりました。」
「……トビアス。お前には一度チャンスを与えた。それは、忠実であれという意味だったんだけど。エーディットに近づいていいなんて、許可を与えたつもりはないよ。」
「……申し訳ございません。」
「ラウレンス様、」
「分かってる。でも、今は、トビアスをかばわないで。俺、何するかわかんないから。」
ギュッと抱きしめられた腕の中で、エーディットは何を感じればいいか分からなかった。喜びだろうか、それとも、これを忘れないように必死になればいいだろうか。外の香りも、何の香りもしない夫のこの香りを覚えようと必死になればいいだろうか。
「そのワンピース、」
「ラウレンス様が下さったものです。」
体をわずかに離しながら、エーディットはわずかにスカートを手で整える。
「むちゃくちゃ似合ってるし、可愛い。」
ラウレンスは、トビアスに自分の外套を手渡して、追い出すように手を振った。
「でも、もう着ないで。似合う服、買うし、作ろう。だから、それは、もう着ないで。」
「どうして?」
「それ着てると、どっか行っちゃいそう。」
「……私は、どこにも行きませんわ。」
「ごめん、でも、それは信用できない。」
ラウレンスは、もう一度、確かめるようにエーディットを抱きしめた。
ラウレンスが望む限り、エーディットはそばを離れることはできない。エーディット自身が泡となって、それが錆びてしまったとしても、それでもそばにい続けなければならない。
それが、ラウレンスの書いた筋書きだというのならば。最初に、筋書きから外れたエーディットは、それを全うする義務がある。
「ラウレンス様、」
「エーディットは好きにしていい。何をしてもいいんだよ?でも、一つだけ、約束して。俺のそばを離れないで。一人でどこかに行こうとしないで。それさえ、守ってくれたら、何をしたっていい。」
エーディットの瞼に何度か唇を落とす、ラウレンスに、どう反応するべきか、迷ってしまう。
「ね?」
エーディットは、静かにうなずく。今日、きっと、筋書きの話があると思ったのに、結局、エーディットは自由に演じることを求められている。
泡になれと言われるよりも、ずっと難しい。エーディットは、少し迷って、ラウレンスの首に手を回す。
エルマがノックするまで、エーディットは夫の熱い体温をゆっくりと堪能していた。泡になる前にこの体温を知ることが出来て良かったと思うと同時に、知りたくなかったとも思うのだ。
どうして、自分は、これほどにずるいのだろう。
エーディットは、静かに夫の口づけの回数を数えるが、そこに愛情の深さを見出せなくて目を閉じた。
眼を閉じなければ、壊れてしまうと思った。なにも、かもが。




