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人魚の冷えた恋  作者: 東屋千草
人魚の冷えた恋
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ワスレナグサの涙




苦しそうなラウレンスの額に浮かんでいる汗をぬぐう。

ホフマンの言った通り、ラウレンスは高熱にうなされている。乾いた唇を、濡れたガーゼで湿らせて、少しでも水を取ってもらえるように、レモンを浮かべた果実水を口に含ませた。


「奥様、少し、お休みください。」

「ええ、でも、もう少しだけ。」


もう二日ほど、意識が戻っていないことが怖かった。胸の上下だけが、ラウレンスが生きている証拠だ。


「でしたら、せめて、手の治療を。痕が残ってしまいます。」


ラウレンスが治療中、握っていたエーディットの右手には、爪と指で出来た内出血の痕があった。

治療中は気づかなかったけれど、エルマが悲鳴を上げて、大騒ぎしたから、すぐに手の傷の治療はできた。でも、エーディットは、治療を拒否した。今もこうして、フランカの願いを跳ねのけている。

それは、手を繋いでいた証が痕として残ってくれたら素敵だと思ったからに他ならない。それに、この傷を見るたびに、ラウレンスがその事実を思い出してくれればいいと思ったからだ。

なんて、浅ましくて卑しい女なのだろう。時折、自分で自分が嫌になる。

なぜ、ラウレンスは、こんなケガを負ったのだろうか。その答えを、きっと自分は一生与えられない。

ラウレンスは、エーディットに決して現実を教えることを望まない。夢の中に閉じ込めて、エーディットを一人にする。

だから、こうして、エーディットがラウレンスを看病することも本当は望まないだろう。それが、分かっているから、傷の治療をしないのだ。ほんのわずかな一瞬だけ、一緒に現実を生きた証は、エーディットを救う気がした。

一人で、醒めない夢を見続けているエーディットにとって、この傷だけが救いだった。


「―――――――っ」


ラウレンスの声に、それていた意識が浮上する。冷えた果実水を、容器に取り分けていたフランカも声に気づいて、一歩近づいた。

ゆっくりと、ラウレンスの手が何かを求めるようにあげられて、さまよう。その手が、求めるものは、誰なのだろうか。考えなくても分かっていたのに、自分ではないかと一瞬だけ期待した。

この一瞬だけ、ラウレンスの手を握っていたのが、エーディットだという、その事実に、きっとこれからずっと自分はすがることになる。

ラウレンスがそれを覚えていなくても、エーディットは、ラウレンスの手の大きさを、温もりを覚えていたかった。


「ラウレンス様、」


ゆっくりと、手を握る。祈るように、小さな声で名前を呼んだ。その声は、きっと一生届かないだろう。


「……ディ、アナ」


震えた鼓膜は、この声も音も、きっと、これからずっと忘れない。縋ろうと記憶に刻み付けようとしていた全てが、チューベローズの香りに塗り替えられていく。


「……ごめんなさい。」


泣くまいと思えば思うほど、涙があふれた。

どうして、こんな記憶にすがろうと愚かにも思ったのだろうか。

どうして、ディアナのように美しくないのだろう。聡明に振舞うことができないのだろう。

どうして、自分は、ディアナではないのだろう。

なぜ、手を握ろうと思ったのだろうか。目覚めたラウレンスの戻るべき場所は、ディアナのもとだというのに。


「奥様……」

「いやね、泣くなんて。疲れてしまったのかしら。」


フランカが控えていたことを思い出して、エーディットはあいている手で涙をぬぐった。

フランカは、聞こえなかったように振舞ってくれたけれど、惨めだった。

どうして、こんなに悲しくて、つらくて、惨めな思いをしなければならないのだろう。声を失った人魚もこんな気持ちだったのだろうか。





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