ダリアが裏切る季節
「ラウ、これの資料はどこ?」
「そちらにありますよ。」
「え?」
「目の前」
あ、ほんとだ。
そう言いながら、第一王子・レオナルトが資料を広げ始めた。優秀な男だが、優しすぎるレオナルトは、立太子の条件をいまだ満たしていない。
優秀だが、多動の兆候のある、この男は30秒後に資料をだめにするだろう。
扉がけたたましい音をさせて開いた。
「レオナルト様!報告申し上げます!第一王子妃・エフェリーネ様、御懐妊です!」
「なんだって!!」
資料に両手をついたせいで、置いてあった紅茶が倒れて、資料を濡らした。
やっぱりな
ラウレンスはそう思った。
走って、執務室に近づいている足音に、ラウレンスは気づいていた。それに、第一王子妃の体調が最近すぐれないことも知っていた。だから、こうなるとは思っていたが、がっかりだ。
せっかくまとめておいた資料のインクが、紅茶で伸ばされていくのを見るとがっかりする。
「おめでとうございます。」
同じ部屋で静かに仕事をこなしていたエデュアルトが膝をついたのを見て、致し方なく、ラウレンスも片膝をついた。
騎士でありながら騎士ではないのに、こんな形式ばかりを要求されることが、昔は嫌でたまらなかった。今は、正直、どうでもよかった。
「すぐに、行く!」
「レオナルト殿下、今日中の仕事がこんなに溜まってますよ。」
「あ、」
「わたくし共で、できる限り処理しておきますので、今は妃殿下のもとに。」
「ありがとう、エデュアルト!すまん、ラウレンス!」
ほぼ叫ぶように出ていったレオナルトを、ラウレンスはため息とともに見送った。
「できる限り処理ね。もうすでに、できる限り処理してるんですけど。」
「まあ、そういうな。子どもができれば嬉しいものだ。」
「父親は語るってね。うざ。」
ラウレンスは一通り毒を吐いてから、濡れた資料の救出に向かう。
「だが、お前も父親になるだろう。」
「…………」
「第一王子妃が身籠ったのだ。お前も次代につなげる必要がある。」
ラウレンスは資料を一枚一枚窓際に並べた。にじんだ文字は、この作業で戻るとは思えなかった。
「邪魔になるなら、処分しろ。」
「なにそれ」
「分かっているだろ。これは、命令だ。」
「お前、いつから、俺の主になったんだよ。」
「誠の主が不在なのだ。仕方がない。それに、今、ラウが正常な判断を下せると思ってない。」
ラウレンスは、資料からゆっくり顔を上げた。
「自分で気づかないのか?狂っていることに。」
ラウレンスは、並べた資料をもう一度まとめる。
ラウレンスが何に狂っているというのか。
確かに、筋書きから外れてしまったエーディットを、元の道に戻せずにいた。
そうしているうちに、ラウレンスの描いた筋書きは迷子になっている。何を目指して、どこに向かっていけばいいのか、ラウレンスも分からなくなっていた。
手っ取り早く、処分すれば、この迷路から抜け出せるのだろうか。濡れて張り付いた資料をまとめて、ごみ箱に投げ入れた。




